死んでも何も残さない: 中原昌也自伝

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (171ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104472031

作品紹介・あらすじ

21世紀の『人間失格』が今、降臨。もはや生ける伝説。最後の無頼派作家/ミュージシャンの魂の軌跡全告白。

感想・レビュー・書評

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  • いやあ何といいましょうか。ところどころ陰謀史観めいた記述が目につき、おやおやと思っていると終盤にきていきなり「ピンチョンですよ、敵は」と陰謀史観否定の言説。それでいながらシステムに対する抵抗を訴えたり、もう虚実裏表ないまぜというか区別なしの世界。

  • 文学

  • 虚無と中原昌也を評した人がいたけれど、それは彼自身もそう望んでいるのではないか。

    多量の本、レコード、音楽製作機材・・・。
    それらに囲まれた部屋に住む中原は90年代的消費文化の申し子のようにも思えてくる。

    そういう意味ではピチカートやフリッパーズなんかよりもよっぽど"渋谷系"だ。

  • かなりヤバいものがフツーにそこかしこで目にできた子ども時代。同世代の都会っ子なのですごくよくわかる。可笑しくて、けっこう哀しい。

    視点は鋭い。”伝えたいことは何もないのに、何か伝えることが義務になっている。銃を突きつけられてジェスチャーゲームやらされているようだ。”
    こんなにコミュニケーション過剰になってしまった現代を生きなければならない内向的な自分も辛いので、刺さる。

    [more]<blockquote>P33 9.11なんかをみてれば、結局、人の集合的無意識が戦争を求めているのがわかる。すごく怖い。僕は、どんなに人間が下らなくなっても、戦争は回避したい。どんなにふにゃけた存在になり、生きることが薄い意味になろうとも。人間の価値なんか、下らないものでいい。なんだか泣けてきた。

    P112 たぶん、本当に混沌としている感じは、もうどこにもないのだろう。どこかで棲み分けができていて、その枠を動かすことはもうできない。
    最近、僕が人としゃべっていて、つまらないな、と感じるのは、人々がみんなオタクっぽい自閉的な感じになり、すごく保守化しているからである。その根本には、あらゆるものに整理された棲み分けがあり、たとえ、すき間があってもだれかの意志によってすぐに棲み分けされてしまう。

    P115 クセナキスが代表だけれど、前衛音楽は単調なものが多い。

    P130 貧乏な都会っ子は不幸だ。共感は得られないし、生まれ変わることもできない。世界中のモノや情報が腐るほど視界に入ってきても、結局、手に入れることができない境遇。寂しくて、みんなが好きでないマイナーなものに想いを寄せるしかなかった。田舎にいたら、マンガやヤンキーに行ったのかもしれないけれど、バブルの頃の東京には何もかもがある不幸があった。

    P132 何も学ばずに何ができるか。すごく無責任かもしれないけれども、いつも記憶喪失。「暴力温泉芸者」の話だって、冷淡のように見えるかもしれないが、過去の出来事などなかったことと同じ。すべて終わったことを再構築して、あったと思い込んでいるだけである。

    P137 やるからには、人の認識を変えるようなことをやらなければいけない。けれど、変えたから自分が偉いというものでもない。みんな自分の趣味のひけらかしばかりやっていて、本当にうんざりする。

    P138 なぜ、みんな共感し合わなければならないのか。共感など全部うそっぱちだということを、率先して理解しなくてはいけないのに、逆だ。本当に腹が立つ。

    P149 人は純粋な思いを持って文章を書き、活字になる。その時点で、本人など影も形もない。どれだけ誠実に自分の思いを書いたとしても、あるのはただの言葉でしかない。活字というものが持つ無情な感じを「PHP」から学んだ。

    P154 伝えたいことは何もないのに、何か伝えることが義務になっている。銃を突きつけられてジェスチャーゲームやらされているようだ。

    P161 人というのは、いっぱい悪いことすれば悪い人だと思うし、いいことしたらいい人というだけだろう。単純な話である。人の評価など、バカバカしいくらいわかりやすい。

    P166 物語というのはすべて陰謀史観でしょう。陰謀史観というか、関係妄想。

    P171 個人の作家でなく、無理しないレベルのいろんな才能があり、ベストな形でみんな一緒にやって、いい結果を生んでいるものを見せられると、個人でやっている人は何なんだ、という気がする。僕なんか、別にオレがオレが、と言いたくないのに、どうしても作家っぽい立場を取らなくてはいけないのが嫌で嫌でしょうがないのに。本当に寂しい気持ちになり、泣きたくなる。
    </blockquote>

  • まあ、ファン向けのエッセイというか、インタビュー集? みたいなものですねぇ…自分は氏のファンなので楽しめましたけれども、それ以外の人からしたら無価値極まりない本でしょう…社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    過去に観た映画やら聴いた音楽やらを語っていますけれども、何一つ分からない…ノイズミュージック? 中原氏の作った音楽を聴いたことがありましたけれども、あれは…どういう人たちが聴いている音楽なのでしょう…分からないまま、iPodのストップボタンを押しました…社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    それにしても今宵は寒い…東京では18センチくらいの積雪ですよ! そんな夜には中原氏の世の中に対する愚痴というかね…そういうのを聴いて心をホッコリとさせたいものですな!

    そんな願望を持った皆さんにオススメの本が本書であります…さようなら。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • 自分の手で殺すか、でなければ私の払った貨幣で殺すのか。
    ただそれだけの違いさ。

  • "リアルタイムで最先端にふれたわけではいが、すべてが終わったということを端的に表現しているのがノイズである"

  • 死んでも何も残さない - bookworm's digest
    http://tacbook.hatenablog.com/entry/2014/12/31/112728

  • 出た当初はレビューなんかであまりいいこと書かれてなかったので躊躇していたが、これはおもしろい。

  • こんなにやけくそな自叙伝があるのか…!

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著者プロフィール

《Hair Stylistics/中原昌也》
1970年6月4日東京都生まれ。
1988年頃よりMTRやサンプラーを用いて音楽制作を開始。
1990年、アメリカのインディペンデントレーベルから「暴力温泉芸者=Violent Onsen Geisha」名義でスプリットLPをリリース、ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンらの来日公演でオープニング・アクトに指名され、
1995年のアメリカ・ツアーを始め海外公演を重ねるなど、国外での評価も高い。
1997年からユニット名を「Hair Stylistics」に改める。

音楽活動と並行して文筆活動も多数。
1998年に初の短篇小説集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』(河出書房新社)を発表した後、
2001年に『あらゆる場所に花束が……』(新潮社)で三島由紀夫賞、
2006年に『名もなき孤児たちの墓』(新潮社)で野間文芸新人賞、
2008年に『中原昌也作業日誌 2004→2007』(boid)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。

「2018年 『"Hair Stylistics CD-R Cover Art Works" BOOK WITH CD "BEST!"』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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