六〇〇〇度の愛

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 87
レビュー : 23
  • Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104695027

感想・レビュー・書評

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  • ちょっと読みにくかったなぁ
    合わないみたい。

  • 先日芥川賞作品を読んだ鹿島田真希さんの小説で未読の物が本棚にあったので読むことにした。タイトルは『6000度の愛』だ。このタイトルの6000度とは原爆の爆発で発生する温度の事でこの小説の主人公の主婦と日本人とロシア人とのハーフの青年が出会い数日を過ごす物語の現場が長崎であることを語っている。

     タイトルに愛とあるが僕にはこの小説の中で愛の事を語っているところはあるようには思えなかった。確かに女性と男性が出会い数日を過ごす物語ではあるが、この本で語られたのは主人公が抱える「虚無」また同じように出会った青年が抱えていた虚無ではないかと思った。

     虚無についてはこの間読んだ宮部みゆきさんの「ソロモンの偽証」でも扱われていたが、そこでは虚無を抱えた少年は自分の無力さにただただ絶望し自ら命を絶ってしまう。虚無に対したとき孤独な人間は孤独故に自分の無力さに絶望するのだ。

    ただこの物語で主人公は子供と夫をおき飛び出して訪れた長崎で出会った青年との数日のなかで虚無の中に居るのは自分だけではない事を知る。そのことで彼女は再び夫と子供のいる日常の中に帰る事を選択する。ここでの虚無は彼女が見つけたようにどの人間もが抱えている条件のようなものだ。すべからくの人間が何もないとことろにいて無力な存在だが、そのなかで自己形成をしていくのが人間の命だとすると、虚無は無力感を感じさせる物ではなくすべての人が立っている地面のように考えられるのではないのだろうか。

    主人公は虚無からの脱出法を青年との数日の付き合いから習思いついたのではなく、ただ青年も虚無をかかえており、またまわりで楽しそうに買い物をしている観光客にも虚無は平等にあるのだと感じたらからではないだろうか。

    NHKeテレの番組「100分で名著」で扱われている三木清の「人生論」でも虚無が扱われていて、その番組をみたのでこの本を此の様に読んでしまったのかもしれない。

    ただ僕が読んだようにこの話が虚無についての話だとするとタイトルの『六000度の愛』とは誰にも平等に来る死から連想される絶対的な虚無、虚無はすべての人が持っている条件だと人に気づかされるということを伝えようとしたタイトルなのかもしれない。虚無は人間であることの最初の条件だと。

     以上の様な事を考えさせるような、本の内容が非常に辛い、くらいお話なのでみんなにお勧めは出来ないが虚無とは何か考えていたまたは虚無感に苛まされている人は読んでみても良いかもしれない。

     そんあちょっと哲学的なことを読者に考えさせてしまう超瀬点的なお話を読むBGMに選んだのはJohn Coltraneの"Cressent"。何度聞いても重い音楽だなあ。
    https://www.youtube.com/watch?v=VHEv110bHUA

  • 長崎で出会う男と女。
    彼らの間に、また彼らの周囲との間にあるものは愛と呼べるのか。
    するするとは読めない、引っかかりの多い文章が面白い。
    心をアスファルトでざりざり傷つけたような読後感は、忘れられないものになった。

  • 六〇〇〇度とは原爆のこと。長崎で主婦(亡き兄に支配されている女)と青年(ハーフでアトピー)が出会う。女の独白のような文。女の気持ちはよく出ていてとてもわかる。でも女が推測する青年の気持ちにはちょっとわからないところも。もっとずるい男だと思う私は嫌な女か?

  • なんだか冒頭で心おれそうになったけど、文章が少し癖になってくる感じでした。
    宗教の事とかよくわからないので、もっと勉強しなきゃだなと思いました。こなみかん

  • 解説に「自然主義的リアリズムもまた、いくつもある『語り』のスタイルのひとつのバリエーションでしかない」とある。それはそうだと思う。でもやっぱり不自然な会話って苦手。

    たとえば歌舞伎には歌舞伎の、ミュージカルにはミュージカルのルールがある。「なんで急にうたいだすんだ」とかいうのはナンセンス。そういうきまりごと。形式美だから。

    そう思って読めば、家族を捨ててきた主婦と長崎で出会った青年の奇妙な会話も、これはこういうひとつのスタイルということなんだろうけど……。

    解説では「語りのスタイルに目を引きつけられる」とある。それは本当にそうだと思う。ただミュージカルを苦手な人がいるように、私もこの語りにはやや鼻白むところが多かった。

  • なんとも形容しがたい。

    死を身近に感じる主人公。夫も子供も演じる対象でしかない。その主人公が原爆投下された長崎でキリスト教関係者と出会い惹かれるが、知れば知るほどその青年の生に対する力強に圧倒され、距離を感じていく。最後には死に対して距離を置くことが出来るようになり、夫と子供の元へ帰る話。大変分かりにくい。文章は上手。

  • 二組の物語、断片が交互に描かれ次第にリンク。

    気の弱さ・他人本位によってかえってのしたたかさ・傷つかなさ(言われてみればたしかにー)、生・有(存在)の肯定、って青年、『ゼロの王国』のあの青年みたい。ただしこっちの彼は描写される側。

    やっぱり「女」がいちばん共感しやすいし、した。「私」は自己愛の兄にしばられ、みたいな設定だしね。ただ、その「私」とわたしが同じ一人(「女」)に共感し書き→読むってのはね。空虚とゆうか「違和感」、ここにもありで。

  • 読みづらい…!!
    時々作品が見える時があるけど、やっぱり世界が違う。

  • 翻訳ものの小説を読んでいるよう気分になる文体。
    それにしても難解すぎる。
    なぜ長崎でなくてはいけなかったのか。そもそもなぜ女はキノコ雲に魅せられたのか。
    そこがどうしても最後まで分からなかった。
    名称をもたない女と青年が背負わされた匿名性の意味は?
    二人は生と死の対比なのだろうか。
    むむむ、むずかしい。
    六〇〇〇度、そこではすべてが溶けてひとつになる。
    生も死もひとつになったのだろうか。


    デュラスの小説を読んでみます・・・。

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