かもめのジョナサン完成版

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (170ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105058050

作品紹介・あらすじ

伝説のかもめが帰ってきた! 幻の最終章、ついに世界公開。全世界で四千万部を売ったベストセラーへ新たに加えられた奇蹟の最終章――。「飛ぶ歓び」「生きる歓び」を追い求め、やがて精神世界の重要さに気づいたジョナサンだが、彼が消えた後、弟子のかもめたちはジョナサンの神格化を始める。教えの形骸化、自由の圧殺、やがて……。いま開かれる、自由と意志と救いの扉。五木寛之渾身の〈創訳〉が、あなたを変える。

感想・レビュー・書評

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  • 「完成版」の意味が知りたくてお邪魔してみると、何と新たに第4章が加わっていると言う…!こんな事ってあるのか⁈これは見ておかなきゃ損だとそのまま居座ることに。(こう書いておきながら、完成前を読んだことがない…)

    ジョナサンをはじめ、かもめ一羽一羽に姓名が付けられているのがユニーク。そのおかげで人間にそのまま投影できそう。(と言うかそうなるようになっている?)

    学問が興る時ってこんな感じなのかな?
    一人(一羽)が見出した一つの事への素晴らしさを突き詰めようとするも周りは理解しない、しようとしない。馬鹿にしたり村八分にしたり。だからジョナサンの飛行に対する歓びが他鳥(?)に分かってもらえて切磋琢磨まで叶った時は自分も嬉しかった。

    しかし彼が見出した「学問」や彼自身が美化され宗教じみたものに形を変えていくさまは、思い当たることがあり過ぎて心底ゾッとした。(五木寛之氏があとがきでそれを「法然」に例えられていて笑った。ちなみに自分が思いあたった中に「法然」はなかった笑)

    作者が第4章を加えた経緯はまえがきに記載されている。正直なところそれを聞いても結局3で完結のままで良かったのでは?って4の途中まで思っていたけど、最終的には加えてくれたことに感謝していた。

    学問だろうが何だろうが、全ては「〇〇が好き」+「自分が好きになった世界を広げたい」ってフィーリングから来ている。生きる意味とかごちゃごちゃ言う前に自分の「好き」を大切に育てていくことが我々かもめ、じゃなくて人間らしい生き方のはず。

  • 若かりし頃に印象に残った本や映画を再見すると、経験値や価値観の変化から新しい発見があるとよく言われるけれど。発表から40年以上も経ってから、作者自身が、完結した物語にそのまま別の最終章を付け加えるなんて、なかなかない。

    「かもめのジョナサン」は、1970年にアメリカで刊行され、日本では1974年、作家の五木寛之氏によって「創訳」という形で発表された寓話。

    より速く、より美しく飛ぶことに魅了され、寝食を忘れてまで、日々技を磨いていた、かもめのジョナサン。彼は、狩りのため、つまり、生きるために飛ぶという従来の価値観を否定し秩序を乱した罪で、群を追放されてしまう。
    けれど、彼を理解する仲間たちが彼の前に現れて…という、三部構成の、希望に満ちた物語だった。

    けれど、2014年に作者のバック自身が追加した第四部は。
    技を極めた後に姿を消したジョナサンを神格化し、自由に飛ぶことよりも、彼の言葉の解釈を求め、それまで存在しなかったはずの形式主義に陥いり、儀式と階級を作り上げて…という、宗教団体の起こりと成れの果てのような出来事が描かれている。

    信念を貫くことで満ちたりた一つの人生を描いた物語が、形式と固定化した価値に囚われて人生が不自由になる仕組みを描いた物語へと変質している。

    バックの手になる序文によると、1970年の発表前に既に四部まで書き上げながら、当時は、喜びを絞殺するラストの必要性を感じず、敢えて封印して三部としたとのこと。

    「二十一世紀は、権威と儀式に取り囲まれてさ、革紐で自由を扼殺しようとしている。あんたの世界は安全にはなるかもしれないけれど、自由には決してならない」

    「ついにあるべきところに置かれた」として付け加えられてしまった時の流れと時代の変化を考えると、なんだか悲しくも詫びしい気持ちになった作品。

  • 題名は知りつつフワッとあらすじだけなぞっていた本でしたが、図書館でふと目についたので読みました。

    自分で考えて行動におこし、自身の信じるところ好きなところを、成す。

    自分があれやこれに憧れ、それを成した者への羨望はあっていいけれど、それだけに留まっていてはただの崇拝で、なんにもならない。

    楽なほうに流れて、ずれた努力や行動には気を付けろということなのかな。

    おこす行動の意味意義をしっかりわかったうえでなければ前進はないという、ちょっと自分には厳しめに捉えてしまったので、なにかを偏って信心してはないけれど、これからの教訓にはしようと思う。


  • この本は、とても意味深な内容のような、寓話的な話のような、不思議な読後感になる本でした。
    一度は読むべき名作だと思います。
    ぜひぜひ読んでみて下さい。

  • こちらも明日の図書館イベント「持ち寄り本カフェ」に向けて再読。

    2014年にpart4を加筆して完成版として五木寛之の訳で発行された作品。

    1970年代に大ヒットし映画化までされたなぁ。

    高3の時、諸事情により校内図書館で自習してた時にふと手に取りなんか凄く共感したのを思い出します。

    ラッセル・マンソンの写真も印象的で

    後々、その時の共感は全くぼくの思い上がりで

    今はジョナサン・リビングストンに勝手な思い上がりを心からお詫び申し上げる次第でございます。

    そして今でもジョナサンに憧れてます。

  • パート3までしかなかった作品に、40年眠り続けたパ-ト4を加えた完全版です。
    最近初めて従来の物を読み、これは若者を煽動する物語なのでは?衆愚に足を引っ張られずに自分を磨け。民衆は愚かなのだから救い難し。という上から目線の物語と受け止めた。
    はっきり言って怖かった。どんな宗教も最初は崇高な思想から始まり、小乗から大乗に至る過程で教義は薄まり曲解されて、最初の思想からは遠く離れていくもので、結局は小乗に帰っていくのだ。という身も蓋もない物語に思えて仕方がなかった。新興宗教に身を投じた若者が感化されるのも解る気がした。
    何度も何度も気になる箇所を読み返し、ランダムに開いて読んでみたり色々試みたが何も印象が変わらないというのが僕の最終結論かと思った。

    ところが4のエンディングまで読んで僕は3のエンディングがストンと腑に落ちた。

    パート3では、ジョナサンから飛び方を習ったフレッチャーが若いかもめ達に、「それじゃ、水平飛行からはじめよう」そう言うと彼ははたと気が付く。自分もジョナサンと出会った最初の教えの言葉が、「それじゃ、水平飛行からはじめよう」だったと。その瞬間に目の前にいる若いかもめ達に、ジョナサンと出会った頃の自分を見た。ああ、自分が伝えて行った事は彼らが次の世代へ伝えて行くんだ。無限に続いて行くんだ。ジョナサンは聖人なんかではなく、自分と同じかもめだったんだと。

    パート4ではかもめの世界が理想の世界から、ジョナサンを偶像崇拝し、彼のひたすら純粋に飛ぶことへの意味と喜びを追求していく教えを、卑小な地上に縛り付け権威の器の中に閉じ込めて行こうとする。必要な時に以外は飛ぶ事も止め、ひたすら神聖な存在に近づく事を目指し思考を停止させていくかもめ達。
    思考停止したかもめ達に疑問を呈する若いかもめ、答えを得られず生きる意味を失った彼の前に再びジョナサンが姿を現す。

    彼は楽しみながら悠々と空を疾駆する。神格化などどこ吹く風で。
    ジョナサンは本当に彼の前に現れたのだろうか。若いかもめの心の中から現れた自分の自身と対話したのではないだろうか。

    「正しい掟というものは自由へ導いてくれるものだけなのだ」
    3ではジョナサンの導く正しい掟で皆が自由へ進んでいくような最後で、神格化されても仕方がないようなエンディングだったけれども、4で形を崩されていく偶像を尻目に現れた彼の姿にはとても救われた。とてもユーモラスでこれからも物語は続いて行くんだと思えた。やはり彼は聖人なんかではありえない。

    確かに3でかもめ社会に訪れた明るい未来が、4で完全に打ち壊された結末と読む事も一つの読み方と思った。けれども今の閉塞した社会の中からも、必ずジョナサンは高みを目指して楽しみながら飛び続ける。それは時代も場所も関係無いんだ。
    今だからこそそんな風に読む事が出来たのだと思う。

  • 遅ればせながら、「かもめのジョナサン」の完成版を読みました。

    歴史上の偉人、国民的アイドル、カリスマバンド。
    フォロワーや取り巻き、ファンによって神格化されていく人たち。
    本質は変質し、それ自身ではなく偶像崇拝する者まで生み出される。

    アイドルやバンドは商業的に、そういう目的をもって計画的に売り出されることもあるので、一概に同じとは言えないが、似たような感じもする。

    ジョナサンは、ただ「飛びたい。」その一心で研究し、鍛錬に励んだ。やがて認めてくれる者が現れ、慕われる立場となり、彼らを正しい道へと導き、決して自分を奉ることはするなと残して去って行った。

    最終章は、そんなジョナサンが去った数年後の話。

    訳者の五木寛之が述べているように、「リチャード・バックは、この最終章を書きたくて、『かもめのジョナサン』を作ったのだな、と納得するところがあった」のかもしれない。

    個人的には、第一章のジョナサンが好きだけれど笑

  • ただ好きでやっていたことや、必要に迫られてやっていたことを、何かとても偉大なことのように言われ、話だけが膨らんで、いつの間にか神格化みたいな事態に陥る。
    そしてこの小説も。
    ただの本が、よく読まれている本になり、良い本になり、読むべき本になり、偉大なる傑作となっていく。
    それは別に悪いことじゃないけれど、どんな本であれ、1冊の本であることには変わりない。

  • 最終章の展開が意外でびっくり。でも、これがあるのとないのでは話の意味合いがだいぶ違うなあ。大人になってから読みなおしたから、余計にそう感じたのかもしれないけれど。誰もが自由だ、ってより強く感じたな。

  • 昔、兄が買ったのをパラパラと見た覚えがある。どこまで読んだのか全く覚えていなかったが、今回付け加わった4章含めて全部読んでみて、1章のみ真面目に読んで、あとはジョナサンがだんだん超人(超鳥?)みたいになっていくので読むのを已めたことが判明した。

    1章は面白かった。

    すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だが、この風変わりなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だった。その他のどんなことよりも、彼は飛ぶことが好きだった。(21p)

    中学生の私にとっては、その言葉はすんなり胸に落ちる言葉だった。ところが、ジョナサンはやがて天国と見紛うような処に行って、究極の「速く飛ぶ」ことはテレポーテーションなんだと気がつく。出来るんだ、と悟れば彼はそれもやってしまうのである。ジョナサンは師匠から「もっと他人を愛することを学ぶことだ」と教えられると、自分を追放した古巣に戻り、「弟子」を育成し始める。そのくだりにビックリしてしまう。子どもの私が拒否するのも当然である。ジョナサンは何度も何度も否定するのではあるが、それは「神様の誕生物語」そのものじゃないか。

    ところが、作者の主張は違う。読者である我々に向けて、そのことは一生懸命に「説得」される。

    「群れの連中は、あなたのことを〈偉大なカモメ〉ご自身の御子ではないかと噂していますよ」ある朝、上級のスピード練習を終えたあと、フレッチャーがジョナサンに言った。「もしそうでないとすると、あれは千年も進んだカモメだなんてね」
    ジョナサンはため息をついた。誤解されるということはこういうことなのだ、と、彼は思った。噂というやつは、誰かを悪魔にしてしまうか神様に祭り上げてしまうかのどちらかだ。(111p)

    読みようによっては、この作品は当時のスーパースターが神様に祭り上げられたりしていた状況を皮肉った物語にも見えないことはない。第3章は、ホントの弟子が見つかった時点でジョナサンが虚空に消える処で終わる。

    「やっぱりこれは神様誕生物語だ」と当時はいろんな批判が飛び出たらしい。最も最先端の批判者は訳者である五木寛之だった。わざわざ後書きで長大な批判論文を書く。五木寛之もこの頃は若かったのである。つまりここには性も食も出てこない、生活感を否定した上からの話「冒険と自由を求めているようで逆に道徳と権威を重んじる感覚」なんだと批判したのである。

    作者自身はホントは第4章を書いてはいた。しかし、なぜか第3章で止めたらしい。ところが、半世紀が経って妻が「これは何?」と詰め寄る。そこには、その後の世界、ジョナサンが神格化された世界の弊害が事細かに描かれていた。作者自身も「革紐で自由を扼殺しようとしている」21世紀の今こそこの物語が必要だと発表を決意するのである。(完成版への序文)

    あれから半世紀、「ヒーローズ」みたいな超能力人間が跋扈するようなテレビドラマを経験した私たちに、この話が改めて必要なのかどうかはわからない。けれども、かなり純粋な(しかし単純な)「自由を求めるアメリカ人」の姿がここにある。

    現代アメリカ文学の雰囲気を知るには、面白いテキストである気がする。
    2014年8月23日読了

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著者プロフィール

1936年、アメリカのイリノイ州に生まれる。空軍パイロット、郵便飛行士、エアショーや遊覧飛行をしながらの地方巡業を経て作家になる。代表作として、ヒッピーのバイブル的小説となった『かもめのジョナサン』の他、『イリュージョン』、『ОNE』などがある。2012年、自家用飛行機を操縦中に墜落して瀕死の重傷を負ったが、一命を取りとめ、現在はリハビリに励んでいる。

「2013年 『ヒプノタイジング・マリア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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