オルフェオ

制作 : Richard Powers  木原 善彦 
  • 新潮社 (2015年7月31日発売)
3.62
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  • レビュー :21
  • Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105058753

作品紹介

耳に聞こえないメロディーは、聞こえるメロディーよりさらに甘美だ。微生物の営みを音楽にしようと試みる現代芸術家のもとに、捜査官がやってくる。容疑はバイオテロ? 逃避行の途上、かつての家族や盟友と再会した彼の中に、今こそ発表すべき新しい作品の形が姿を現す――。マーラーからメシアンを経てライヒに至る音楽の歩みと、一人の芸術家の半生の物語が響き合う、危険で美しい音楽小説。

オルフェオの感想・レビュー・書評

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  • 愛犬フィデリオの異変にあわてたピーター・エルズは緊急サービスに電話した。それが事をややこしくしてしまった。やってきた二人組の刑事は、大量の本やCDで埋まった書棚、犬の死体、素人には不似合いな化学実験器具から何かを察知したのか、翌日別の二人組が現れ、実験器具やありふれた細菌である培養中のセラチナなどが没収される。帰宅途中、自宅に立ち入り禁止のテープが巻かれているのを車から見たエルズはとっさにその場を離れた。どうやらエルズにバイオ・テロの疑いがかけられたらしい。

    引退した音楽教師であるエルズは、もともと化学専攻だった。不眠症対策も兼ねてネットで購入した実験器具や試薬を使いDNAの塩基配列を操作する、どこにでもいる日曜遺伝子工学者にすぎない。だが、時代が悪かった。9.11以後、炭疽菌が政府機関に送りつけられる事件があり、米政府はテロに神経を尖らせていた。このままでは無実を言い募ってもテロリストにされかねない。エルズは逃げることに決めた。幸い知人の山荘が空いていた。借りたスマホのナビを頼りに逃避行が始まる。

    こう書くと、いかにもバイオ・テロを主題にしたサスペンス小説のようだが、その実態は全くちがう。エルズは小さい頃から音楽の天分に恵まれていた。継父が音楽専攻を認めなかったため、化学を専攻したが、クラリネット奏者として学内の楽団で演奏し、現代音楽を作曲する才能ある音楽家だった。逃亡中のエルズが、自分の置かれた状況を刻々と知るサスペンスを文字通り「宙吊り」にし、現在時と過去の回想が錯綜する。時間軸に沿って描かれるエルズの半生とは、友だちや恋人との出会いと別れなのだが、そのすべてに音楽が纏わりついている。

    いわば、これはサスペンス小説の形を借りた、一人の挫折した音楽家の人格形成小説(ビルドゥングス・ロマン)である。聴衆より演奏家の方が人数が多いと揶揄される現代音楽は、その実験性、前衛性が災いして、大衆向きではない。それに携わる者は、当然のことながら有名な作曲家でもなければ飯が食えない。エルズは純粋に音楽を追求したいだけなのだが、結婚し、子どももできるとさすがに愛する妻でさえ、定職をもたない夫の作曲活動に理解を示そうとしなくなる。お定まりの離婚、失意による定めのない生活、という転落の人生。

    起死回生をねらった友人リチャードの演出によるオペラの作曲だったが、宗教家による革命を描いたそれは、現実にそっくりの事件が起きたことにより、賛否の渦が巻き起こる。公演続行を主張する友人とそれを認めないエルズ。対立は避けられず、無二の親友とは絶交してしまう。その後昔の仲間の紹介で音楽教師の職につき、ようやく幸せな生活を得る。娘から贈られたレトリーバーのフィデリオとの暮らしを楽しんでいたエルズだったのだが…。

    レコードが紙ジャケだった頃、裏面や同封の冊子にライナー・ノーツなるものがあり、それを読みながら、楽曲の主題や動機についての解説をたよりに、なるほど、と肯きながら聴いたものだ。自身が楽器に堪能であるらしい作家が持てる知識や薀蓄を総動員して、マーラー、メシアン、ケージなどの音楽を分析、解説を試みる部分はまさにそれ。通常のペダンティックという域を超えてしまっている。どちらかといえば、音楽を言語化するのが目的で、それを可能にするために、この設定を借りたのではないかとさえ思えるほど。音楽にさほど詳しくない評者でも、メシアンの『時の終わりのための四重奏曲』は改めて聴いてみたくらいだ。

    小説そのものの裏で現代音楽の歴史をたどる構成になっている仕掛けだが、特にジョン・ケージのハプニングについての場面は現場にエルズと恋人のマディー、それに盟友リチャードを配し、実況風に描写していて、アメリカ現代音楽の実態を知る上でも興味深い。さらに、もうひとつの仕掛けとしては、ヴェトナム戦争やウッドストック・コンサートから9.11に至るアメリカ史が、エルズの回想の背景に収まっていることだ。当時のポピュラー・ミュージックもバック・グラウンドに流されていて、ああ、あの頃のことなんだ、と野暮な説明抜きで伝わってくる。

    最後に、全篇にわたって場面が切り替わるところに、枠で囲まれた短いエピグラフ風の断章が挿入されている。初めはそれが何のことだか、さっぱりわからないまま読み進めるのだが、最後の方になると、その意味が解き明かされる。現代生活にあってはありふれた媒体なのだが、何年か経った後でこの小説を読む読者は、ああ、そういえば当時はこういうものが流行っていたらしい、などと思うのだろうか、といらぬ想像をしてしまった。付録として作中に登場した曲の原題と邦訳が併記された曲目リストがついているのが親切。

  • 2016/3/30購入

  • 主に20世紀の音楽の変容を感じることができます。この小説の翻訳を引き受けた新潮社の勇気には感謝しますが、これは売れないでしょう。読む人に相当な努力を要求する小説です。リチャード・パワーズですもんね、毎度ですよね。すごく読み応えのある本でした。YouTubeのおかげで登場する知らない音楽の多くを知ることができる、そんな時代だからこそ生まれた本なのかもしれません。

  • リチャード・パワーズは以前から友人のひとりに読め読めと言われ続けていたのだが、なにしろ長大で難解な印象があり(事実そうなのだが)、読書会というきっかけがなければこのままずるずる読まずにいたと思う。その点で読書会に感謝、そしてまた、リチャード・パワーズという小説家、『オルフェオ』という作品に出会えたことを心から感謝する。

    結論から言うと、本書『オルフェオ』は2015年の個人的ベスト級の作品です。今現在『グールド魚類画帖』のフラナガンとパワーズによる、熾烈なWリチャード首位争奪戦が繰り広げられている次第。ちなみにわたしは音楽的な知識は絶無なので、本書に出てくる曲の十分の九は名前すら聞いたことがないし、音楽学のタームについてもなんとなく雰囲気で理解したような気になっているだけなのだが、そんなことはまったく問題にならないおもしろさだった。

    『オルフェオ』という物語には、大きく分けてふたつの核があると考える。

    ひとつは、主人公ピーター・エルズの逃走をめぐるもの。

    バイオテロ容疑をかけられたエルズは当局の手を逃れるためにアメリカ各地を転々としていくわけだが、その逃走劇において彼が向き合うのは、過去に破綻した恋愛であり結婚であり友情であり、とりわけ父子関係である。作中、エルズが自身を「青二才」と評すシーンがあるが、実際エルズという男はその人生の終わりがけにおいても失敗した過去にしがみつき、永遠の音楽を追求するという気宇壮大な夢にとりつかれた、文学の世界においてもちょっとめずらしいレベルの青二才といえる。『オルフェオ』とは、そのエルズが自身の人生を通り過ぎていった、そして自ら捨て去ろうとした過去と向き合い、その過去を現在の自己のなかに取り入れ同一化することによって成長していく(というよりは失われた過去と折り合いをつけようとする)物語である。

    要するに『オルフェオ』という物語は、遅咲きのビルドゥングス・ロマンといえるのだが、そこに本書でも大きなテーマのひとつとなる<好み>の問題が介在してくる。

    本来ビルドゥングス・ロマンとは人格的に白紙状態の少年あるいは青年を主人公とするものだから、読者もまたその成長を「さようですか」という感じで、比較的肯定的に受け止めることができる。とはいえ『オルフェオ』の場合、主人公はいい年をした爺さんなので、いい年をした爺さんが過去を思い返してめそめそするのは、そもそも昔の女を思い出して手慰みに耽るような男は、どうしても好きになれないよ!という人が一定数存在することは、『オルフェオ』擁護派のわたしといえども認めるにやぶさかではない。ピーター・エルズはだめんず文学界の試金石として貴重である。

    もうひとつの核は、エルズが求めた永遠の音楽とはなにか、というもの。

    この問題についてはパワーズ先生は親切なので、いろんなところにヒントを書いている。
    それはたとえばこんな具合。

    <私が書いた全ての曲が目指していたのは、現在という壁を突き破り、永遠へと抜けるトンネルを作ることだった>(119)

    <個人個人の好みを超えた場所まで連れ出す。人々を殻から連れ出し、外にあるものに触れさせる>(143)

    音楽にかぎらず、すべて芸術作品には<好み>が存在する。芸術家がその<好み>とどのように折り合いをつけるかというのはやはり大きな問題で、それを無視すればピアノの裏をハンマーで叩くような実験的な作品になるだろうし、それに合わせようとなら大衆的な作品ということになる。要するにエルズという男はここでもどっちつかず、というよりむしろ二兎を追っているのであり、彼が求めている音楽とは換言すれば、<これまでになく前衛的でありながらなおかつ万人を感動させる=惹きつける音楽>のことである。しかもそれが未来永劫残ることまで望んでいるからすごい。

    で、エルズがどうするかというと、これはもうある種必然だと思うが、既存の音楽の外にあるもの、つまりわたしたちが普段それを音楽であるとは認識しないものに向かう。すなわち小さいものの世界(犬、鳥、カエル、赤ん坊、そして遺伝子)であり、結果としてエルズは病原菌に音楽を組み込もうとする。しかしその音楽を単に遺伝子に組み込んだだけでは、万人を感動させるという目的は達成されない。それにはパフォーマンスが必須であり、エルズとボナーの最後の共謀は全世界に向けた恐怖の拡散、そして狂気のDIY遺伝子工学者のドラマチックな死というかたちをもって幕を降ろす。

    と、いくらでも語り続けたいくらい随所に仕掛けが施された精緻な小説で、再読の愉悦をここまで味わわせてくれた小説はナボコフの『ロリータ』以来といえる。

    しかし実のところリチャード・パワーズの本質はかなりメロドラマ的なのではないかとも思えて、それが特に顕著にあらわれるのが、遺伝子に組み込まれた音楽が最後に明らかになるくだり。
    あとはまあ、「ボルヘス・ソング」に大笑いしたり、公園ナンパシーンで目を細めたり、クララに電話をかけるシーンで号泣したりなんだりしたんですが、あんまり自分のエモーションにつなげたことは言いたくないのでそこは省きます。とにかく傑作!でした。

  • 151130図?

  • 音楽家の苦悩を感じつつ、音楽を分子生物学に持ち込もうとする発想に驚愕の叫びを発したくなるストーリー。
    現在の主人公に起きている出来事、主人公の生涯、二十世紀音楽史という3つのストーリーラインを精妙かつ緊密に編んでいて、もう少し音楽に詳しければより楽しめたと後悔をしながら読みました…

  • 音楽を通して描かれる逃亡劇と半生記。音楽に詳しい人ならもっと楽しめそう。怒涛のラストは圧巻でした。

  • 20151016

  • 音楽を文字で表す試みや作曲・音楽の歴史の部分は難しく苦手だが、日曜遺伝子工学で細菌に手を加えたことからテロリストに疑われた作曲家の、音楽という芸術に対する探求と人生のフーガ(遁走曲)は面白い。

  • リチャード・パワーズは凄く頭がよくて作家にならずとも頭角を現した人に違いない。テーマ(本書では音楽とバイオテクノロジー)の小説への折り込み方の深さは唯一無二と感じる。難解さにも繋がるためインテリすぎるよなあと思いつつも、緻密なテーマへの言及、巧みな構成、豊かな語りの能力の高さで物語に引き込まれる。
    かくも容易にテロ疑惑が生じ、無実でも逃げ出し、メディアで陰謀説が盛り上がるという発想はアメリカ社会の皮肉だろうか。老音楽家のキャラクターと逃亡劇自体はドライブ感がやや乏しく、音楽小説としての魅力も「われらが歌う時」のほうが勝っていたとは思う。それでもラストの怒涛の語りから、もう一つの「仕掛け」を明らかにするうまさは圧巻。まさに、書評で誰かが表現していた通り、「オルフェウスのように後ろを振り返らざるを得ない」。
    私は現代音楽やクラシックにまるで造詣がないため、数多の曲がイメージできないままだが、パワーズの音楽描写は言葉による音楽の成功例となり、YouTubeを開き聞かずにはいられない曲もある。戦時のドイツ軍捕虜収容所で究極の状況で作曲され演奏されたというメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」、スターリンの独裁への秘められたレジスタンスだったショスターコヴィチの交響曲5番、小説の最後に鳴り響くリーバーソンの「ネルーダの歌」などは、文章を読むだけでも鮮烈な印象を残す。膨大な音楽への言及と最後のリファレンスは、期になればすぐYouTubeで聞ける時代ならではのアイデアだろうと思う。つまり、文字通りの意味で「音楽が鳴り響いている」小説なのだ。
    YouTubeのついでにもう一点。58歳のパワーズだが、SNSやスマホなどの使い方が上手いのにも感心する。日本の若手作家を越えているし、村上春樹はスマホは使っているがSNSはやっていないそうで、テクノロジー絡みはほとんど触れない。

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