オーバーストーリー

  • 新潮社
4.19
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  • Amazon.co.jp ・本 (674ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105058760

作品紹介・あらすじ

アメリカ最後の原始林を救え。米現代文学の旗手が放つ、森羅を覆い尽す物語。撃墜されるも東南アジアの聖木に救われた兵士、四世代に亘り栗の木を撮影し続けた一族の末裔、感電死から甦った女子大生……アメリカ最後の手つかずの森に聳える巨木に「召命」された彼らの使命とは。南北戦争前のニューヨークから20世紀後半のアメリカ西海岸の「森林戦争」までを描き切る、今年度ピュリッツァー賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • まず、ジャケットが出色。巨木の根元に陽が指している写真の上にゴールドで大きく書かれた原語のタイトルがまるで洋書のよう。角度を変えるとタイトル文字だけが浮かび上がる。最近目にした本の中では最高の出来である。表紙、背、裏表紙を広げるとカリフォルニアの朝の森にいるような気がしてくる。そうなると、バーコードの白抜き部分が邪魔だ。折り返し部分に印字するとか、帯に印刷するとか。他に方法はないものだろうか。

    前置きはこれくらいにして中身に入ろう。カバーの写真が直截に示す通り、木の話である。写真にある木はおそらくレッドウッド(セコイア)。樹齢二千年を超えるものもある、ウディ・ガスリーの『わが祖国 This Land Is Your Land』の歌詞にも登場する、アメリカの森を代表する巨木である。

    この本を読んで初めて知ったのだが、レッドウッドの原生林が材木用に伐採され続け、激減しているそうだ。当然それに対する反対運動が起きる。その中の過激なものに<Tree sitting(樹上占拠)>と呼ばれる抗議行動がある。森を守るために訴訟を起こしても、企業側は裁判で負ける前に伐採を終わらせようと急ぐ。そこで樹上にプラットフォームを築き、何日もそこに座り込むのだ。切り倒せば人が死ぬので、企業側も手を出せない。

    本作は「根」「幹」「樹冠」「種子」の四部からなる。『オーバーストーリー』というタイトルからは「超物語」や「物語を超える物語」などの意味を想像しがちだが、<second story>といえば「二階」のこと。<story>には「階(層)」の意味がある。<overstory>は「林冠(層)」(森の上部の、樹冠が連続している部分)を意味している。ダブル・ミーニングだろう。本作自体、いくつも集まった<story>が、層をなして複雑に絡み合い、ひとつの<The Overstory>を創り上げている。

    小説のハイライトにあたるのは「樹上占拠」を描いた「樹冠」の章だろう。地上六十メートルの樹上に立てこもる二人の男女、そこに食料その他を届ける仲間、迫りくるチェーン・ソーの音、風で揺れるデッキ、命綱をつけての樹上探検、避けて通れない排泄、雨水をためてのシャワー、高い枝の上に生えるハックルベリー、木の洞にできた水溜まりに棲むサンショウウオ、とそこには信じられないほど豊かな生活がある。無論、愛も育つ。なにしろ若い男女が二人きりで何日も共に過ごすのだ。

    話は二人の何世代も前、南北戦争の前から始まっている。ノルウェー系の新参者は石を投げて栗の実を落とすのを見て笑う。そこ、ブルックリンで栗は無料で手に入るアメリカのご馳走だ。栗は新しくできた州であるアイオワまで男のポケットの中に入って運ばれ、そこで芽を出す。一本、二本と枯れて行き、残る一本が土地のランドマークになるほど大きく育つ。その一家の男は代々、栗の木を月に一度写真に撮り続けた。その子孫はアーティストになった。これがニコラス・ホーエルの「根」だ。

    七人の男女と一組の夫婦が<overstory>の「根」となる。中国系のミミ・マーは父と同じ技師。家は代々イスラム教を信仰する回族。貿易商を営んできたが共産党の時代にすべてが奪われる。三つの魔法の指環と阿羅漢(アラハット)を描いた巻物を身に帯びて、ミミの父はアメリカに渡る。携帯電話の発明者である父が死に、指環は三姉妹で形見分けし、ミミは未来を教える扶桑の指環を手にする。自社ビルの前に生える松が一夜にして切り倒されたことに怒り、彼女は抗議行動に飛び込む。

    ダグラス・パヴリチェクはヴェトナム戦争時代、パラシュート降下中、落下地点を誤るが、ベンガルボダイジュの上に落ちて命を拾う。仕事を転々とし、皆伐した跡地にダグラスモミを植樹する仕事を見つけ、達成感を持つが、それが、逆に会社に新たな伐採を可能にするトリックだと知り傷つく。公園内の木が聴聞会を前にした深夜、市の手配した業者の手で切られようとするのを見て、体を張って阻止し、警察につかまってしまう。ミミとの出会いが彼を伐採の抗議集会に向かわせる。

    『アベンジャーズ』というシリーズ物の映画がある。それぞれがコミックの主人公だったヒーローが寄り集まって悪と戦うという設定だ。本書も似た設定だ。「根」にあたる部分が、それぞれのヒーローの個別の活躍を描く部分で、そこだけで充分面白い短篇集になっている。そこだけ読んで本を閉じてもいいくらいに。しかし、異なる分野で優れた能力を持つヒーローたちが力を合わせて難局に挑むというストーリー展開は鉄板で、面白さからいえばそこは外せない。

    ただ、個人的な感想からいえば「根」の個々のエピソードを語る淡々としたストーリーが好きだ。活動家たちに根拠を与える理論の構築者がいる。それに影響を受けてコンピュータ・ゲームで解決策を練る企業家がいる。ついにできなかった我が子の替わりに木を植え、庭が自然に帰るのを見守る夫婦がいる。感電死から奇跡的に蘇り、木の声を聞くことができるようになった大学生がいる。出色の個のストーリーがあって、その上に『オーバーストーリー』があるのだ。

    木が人間と同じように、或いはそれ以上に、感情や意志を持っているというパトリシア・ウェスターフォードの理論は、一見するとトンデモ理論のように見えるが、噛んで含めるように説明されると誰にでも呑み込めるように書かれている。それ以上に、美しく手放すことのできなくなる理論であって、これを読んでしまうと、最早今までの人間至上主義ともいえる世界には戻れない気さえする。木のために人間ができることなど、たかが知れている。われわれ人間はさっさと滅びるのがもっとも意味がある行動なのかもしれない。

  • 『子供、女性、奴隷、先住民、病人、狂人、障碍者。驚いたことにそのすべてが、この数世紀の間に、法律上の人格を持つ存在に変わった。それならば、樹木や鷲、山や川が、自分たちに果てしない危害を加えて窃盗を働いた人間相手に訴訟を起こしてなならない理由があるだろうか?ー 話すことができないので当事者適格性が認められないというのは理由になっていない。法人も国家も口をきくことができない。弁護士がその代弁をするのである』

    昨秋に、隣地の裏山に自生したオニグルミを幹の半分まで切ってもらった。我が家の雨樋が落ち葉で詰まるから。
    僕が家を建てる前から生きてきた木の生存権を侵害し、無用な苦しみを与えていると告発されたとき、僕はどうすべきか。
    所有権なぞ、地球と生命の歴史が鼻で笑う。

    植物同士のコミニュケーション能力。共生する微生物と作り上げた地下のネットワーク。化学物質の交換によって森の全ての木々が交信していること。成熟した木を皆伐することの愚かさ。植林では生態系を救えないこと。
    本書は、植物や森に関する様々な不思議を教えてくれる。そして、企業保有の森林伐採を止めるための抵抗活動である樹上占拠と、その挫折についても。

    エコロジーと自然破壊を題材としても、描かれるのは木に魅入られた人々の生き方や苦悩だ。入れ替わり語られる群像劇と心理模様、彼らの系譜にまつわるストーリーにグイグイと引っ張っられる。
    繰り返し問われるテーマのひとつが、心理学用語である傍観者効果だ。“なぜ人は目の前の明白な緊急事態に対して行動を取ることができないのか“。
    その問いのもう一つの側面は、“なぜある人々は行動を起こせるのか”。
    樹齢数千年の木の命は、人間一人のよりも重いという大義も一つの答え。
    壊れゆく世界を救うためには、種としての人類が滅ぶしかないという絶望と自死もまた答え。
    救いたいのは見知らぬ誰かではなく、隣で手を繋ぎ戦っている仲間だというのも、きっと答えなのだろう。
    ラストのメッセージは、“STILL ”-まだ、いまだに、更に -諦める訳にはいかない。

  • 北アメリカが植民化されて以来、今もなお失われつつある森を、樹木を守るために立ち上がった人たちがいた。あるいは人間たちの樹木に対する取り返しのつかない暴力に気がついた人たちがいた。
    この物語は、時を経て地下茎のように繋がり合ったそんな人たちの来歴と行く末を、ていねいにていねいに紡いでいく。一見無関係な人たちも、共通の比喩によって繋がり合いながら、広大な合衆国における、ささやかな歴史をかたちづくっていく。

    2001年9月11日にテロによって崩落した、資本主義の象徴でもあったニューヨークのWTCが、作中で倒れる樹木にたとえられたことに、個人的にはもっとも衝撃を受けた。リチャード・パワーズらしい、痛烈で知的な皮肉だ。

  • 昔、吉祥寺に知久寿焼のライブを観に行ったことがある。彼はMCで、吉祥寺の街中にあるとても古い木について話していた。その木は不思議なことに、つららのようにいくつもの「こぶ」が太い枝から下に向かって伸びているのだという。自分はその木を幼い頃から当然のように認知していたが、そんな形状が目に入ったことは一度もなかった。ライブのあと、何気なくその木の前を通って例の「こぶ」を目にした時、身近な世界のなかには不可視の領域が含まれているのだと知り、愕然としたことを憶えている。
    この本に充満しているのは、そうした視えないものたちのむせかえるような気配だ。そしてパワーズ特有の、途方もなさから詩の様相を帯び始める事実たち。読後には新たな耳目が与えられ、確実にいつもの風景が変容してみえるはず。隅々まで本当に面白いが、特に最初の『根』の章が短編集としても素晴らしい。傑作。

  • これはすげぇぜ。
    登場人物たちの一見バラバラな人生が、木を通して繋がっていくのが爽快感あるぜぇ

  • けんけん、名義で、amazonにてレビュー済み。例によってお借りして読んだのだが、改めて購入したいと思える作品だった。

    2023年9月現在、同一の著者、訳者による新作「惑う星」を読み進めるにあたり、自分自身の覚えとして以下のamazonにての当時のレビュー文を引用しておきます。

    “米国の現代社会を背景にした、重厚な良い意味で冗長な物語であると思う。

    2020年5月16日に日本でレビュー済み

    重厚にして、緻密な文体、行間も狭く、ずっしりと詰まった文章、にもかかわらず、読むものを飽きさせず、次は何か、誰に何が起きるのか、登場人物の言葉を借りれば「みんな、何する?」それが気になって、どんなに時間をかけても「地面にいくらでも穴を掘ってでも、」読み進めていきたくなる、このような小説に久しぶりに出会った。

    きっかけは新聞誌上の読書欄での紹介記事と本書への、図書館での出会いだった。決してこのような書籍を気軽に購入することができない「所属」に現在あると思う自分は、何度も借りて読み進めていくうちに登場人物の何人かにどこか通じるものを感じ、彼らが見る、感じる、事が我が事の様に思われて実に興味深く読み進める事が出来た。

    また、小説で描かれた世界は、ある意味断片的に自分がこれまでに見て来た米国の「あくまでメディアを通じての(この書籍もひとつのメディアである…いや、違うかも知れない…)」世間、大衆、自然、空気、と言ったものを再度つなぎ合わせ、認識させ、実にありありとした情景を私の頭の中に描き出してくれる。

    またこの書籍は、さまざまないわゆる「サブカルチャー」のテキストとしても実に有用であると思う。もちろんそれだけでなく、漢詩、中世フランスの史実に至るまで、具体的に調べていくと実に興味深い引用が随所でなされており、ヒントとなる注釈も記されている。この点は訳者の読む者への丁寧な贈り物であると感謝したい。

    実はまだ最後まで読み終えていない。残すのはあと100ページ位かと思う。ただ、たとえどんな結末でも、相当な時間を割いても、この書籍を読了する事は、翻訳発表後間もないこの時点、また偶然にも外出がままならない、2020年春からの時節において、おのおのの人生に於いて実に意味深い事ではないかと思う。また、「環境問題」と言ったステレオタイプな問題提起をただただ科学的根拠、ヒステリックなアジテーションから考えなくても、この書籍を読む事、良い意味でここまで冗長な文学に触れる事によって、地球が、自然が、樹木が、生態系が、必要としている事、対峙すべき人間の心構え、は伝わってくるのでは無いかと私は個人的には思う。

    少し難しい事を書きはし、また実際重厚な物語ではあるが、現代の米国の親しみやすいと思う人たち(あくまで政治家や投資家よりは)が主な登場人物の長編小説である。長い時間をかけて、ひとりひとりに感情移入しながら、その情景を楽しみながら、読むべき書籍として、是非お勧めしたい。”

  • 読んでいて胸を締め付けられた。

  • 環境問題を考える本。
    長かった…。

  • 【木々の描く物語を想像してみる】
    世代を超えて存在する木と森林と生態系と、そこに異なる形で関わることになった人が想像する物語の話。

    人は木材を生産する時、木を守ろうとするとき、木を学問する時、自然に対する自らの視点を示すのかもしれない。

    木にまつわる神話や言い伝え、木材の伐採、森林占拠運動、科学、生物多様性…



    環境保護が欺瞞になる社会。

    この世界で、人間が特別なのは、私たちが人間だから当たり前だと思う。
    自分の家族が自分にとって避けられず特別な人間であること、
    自分の国が自分にとって特別であること、
    自分が自分にとって特別な人間であること。

    それは避けられない。

    けど、
    それで他者に対して、他国に対して、他の生命に対して、
    傲慢になることは違うと。

    あらためて。

    無知の知は、知らないことを知るだけじゃなくて、知りえないことがあると知ることでもあるのかなーとか。

  • リチャード・パワーズが紡ぐ物語の力に泣いた。
    特に終章が本当に素晴らしく、本を読んで世界が変わると言う言葉は本当だったんだと思った。
    人と人の道が交わり、また新しい道ができる。
    そこで交差する人達の想いは読み手にも作用する。
    地球のために、森林のために、私にできることは何か考えながら生きていきたい。
    この本は未来へ繋ぐ架け橋。

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著者プロフィール

1957年アメリカ合衆国イリノイ州エヴァンストンに生まれる。11歳から16歳までバンコクに住み、のちアメリカに戻ってイリノイ大学で物理学を学ぶが、やがて文転し、同大で修士号を取得。80年代末から90年代初頭オランダに住み、現在はイリノイ州在住。2006年発表のThe Echo Maker(『エコー・メイカー』黒原敏行訳、新潮社)で全米図書賞受賞、2018年発表のThe Overstory(『オーバーストーリー』木原善彦訳、新潮社)でピューリッツァー賞受賞。ほかの著書に、Three Farmers on Their Way to a Dance(1985、『舞踏会へ向かう三人の農夫』柴田元幸訳、みすず書房;河出文庫)、Prisoner’s Dilemma(1988、『囚人のジレンマ』柴田元幸・前山佳朱彦訳、みすず書房)、Operation Wandering Soul(1993)、Galatea 2.2(1995、『ガラテイア2.2』若島正訳、みすず書房)、Orfeo(2014、『オルフェオ』木原善彦訳、新潮社)、Bewilderment(2021)。

「2022年 『黄金虫変奏曲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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