自己への配慮 (性の歴史)

  • 新潮社
3.39
  • (5)
  • (8)
  • (33)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 200
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105067069

作品紹介・あらすじ

愛欲の営み、性の快楽から、結婚生活の重視、倫理的規範の強化と増大へ…古代ギリシャからキリスト教社会への変容を辿る。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  •  現実の事柄にかんする表徴の分析は日常生活の実用に役立ちうる提要でなければならない。表徴の解釈の手続きの有効性を理論的に考える。それはきわめて古い民間の伝統であり教養人のあいだで受けいれられた習慣であり人生の実務であった。予期せぬ事態は精神を荒々しい仕打ちで動転させる。事態を予期できれば悲しみを和らげることができる。夢を解く鍵を書く。

     誤った方法を試みて失望し表徴を分析するこの実践から遠ざかりたいと考えるならこの書物をつねに机上に置いて用いなさい。これは生存とその状況の推移のなかで役立ちうる生活の教本です。人生においてと同様の秩序と筋道を分析に与えます。健康に、人々の生と死に、事業の成功に、富の増大に、子供たちの結婚に、果たさねばならない職務に、配慮するものです。

     偉大な著作家の著述も入念に読んだ。なによりもわたしは試みが形づくられる現場を夢占い師や予言者がもろもろの四つ辻に開いた店にめぐり歩き、夢とその実現の話をがまんして聴いた。謹厳な人々は眉を顰めほら吹きだのぺてん師だの道化者だのと広場の占い師たちを非難した。自分にとっての規範や証拠を点検する試みにゆだねるわたしはこうした非難を軽蔑する。

    『こうした(伝統的資料考証にかんする練りあげられた考察を提示する──引用者)資料では、峻厳な道徳の表明とか性行為にかんする新たな要請の出現とかを求めることは問題にならないのであり、この資料はむしろ、普通行なわれている評価の様式や一般に受容されている態度についての証拠を提供する。』15頁

    アルテミドロスの方法

    MICHEL FOUCAULT
    LE SOUCI DE SOI (Volume 3 de HISTOIRE DE LA SEXUALITÉ)
    田村俶

  • 第2巻の古代ギリシアから、第3巻は1〜2世紀のローマに時代は進む。

    いつものフーコーに比べると、淡々とした記述が印象的だった第2巻より、第3巻はさらにあっさりとして、さらに読みやすい。

    テキストとして取り上げられるのは、当時の夢解釈の本だとか、医学的な養生術の本だとか、よくこんなの探して来たなというもので、そういうところは、いつものフーコーかな?

    議論の構成は、第2巻とパラレルになっていて、養生術、夫婦関係、そして恋愛のあり方、それとの関係で同性愛の位置付けという順番で、ギリシャ時代とローマ時代との連続性と違うところが明確に論じられていく。

    ここで論じられている倫理感というのは、結構、現代、あるいはちょっと前の日本の結婚観、道徳観と通じるものがあって、わりと普通に理解できる。また、そういうの大事だよねと共感できるところも多い。

    第2巻の最後のほうで、プラトンの「饗宴」のするどい分析を通じて論じられた同性愛肯定論は、第3巻の最後のほうのプルタルコスなどの議論を通じて、夫婦間のお互いを尊重しあったパートナーシップみたいな議論によって、乗り越えられる。

    といって、ローマでは同性愛が否定されていたわけではなく、それは好みの問題として、受容されていた感じなのかな?

    この辺のおおらかさも、また日本的な感覚に近い気がした。

    ある意味、ここからキリスト教的な性に対する否定的な規律に変化した世界(第4巻に予定されていた「肉の告白」はそこを論じる予定だったと思われる)は、ちょっと遠くてわからないだろうな〜、と思った。

    このことは、もしかすると、フーコーを読むときに、注意しなければならないところかもしれない。

    フーコーは、西欧では、ギリシア、ローマの時代の倫理観が、キリスト教の時代には、「快楽」や「欲望」が否定される倫理観に変化したと捉える。そして、現在は、キリスト教的な倫理観を否定し、その抑圧からの解放が課題になっているようで、実は、「欲望」の否定が「欲望」の充足に変化しただけで、大きなフレームとしては同じところにいるのではないかと示唆しているわけである。

    が、日本では、実質的にキリスト教的な「快楽」や「欲望」の否定という倫理を経験したことはないんじゃないかと思う。

    この辺の違いを頭においておくことは、フーコーが西欧という文脈の中でいっていることを、日本で考えるときには、とても大切なことかと思った。

    さて、この第3巻の読みどころは、結論部分よりも、むしろ第2〜3章で、タイトルとなった「自己への配慮」という概念を論じたところかもしれない。

    フーコーによれば、この概念が、この時期のローマのさまざまな哲学・思想などの共通部分としてあるとのこと。

    とくにストア派の哲学者の分析、とくにマルクス・アウレリウスへの共感が伝わってくる。

    いわゆる、ストイックという言葉の語源となったストア派であるが、禁欲的ではない。しっかり、自分の魂を大切にしようとしているだけ(?)かな。

    ちなみに、いわゆるプラトニックというのも原典に戻れば、同性愛肯定論ですからね〜。ただ、プラトンの肯定のしかたが、精神性を重視したものですけどね、(精神性を過度に重視した詭弁じゃないか?というのが、ローマ時代の哲学者の反応であったというのが、この本の主張なのだが)

  • 配置場所:摂枚保存書庫2
    請求記号:135.9||F||3
    資料ID:28712498

  • 『快楽の活用』の続編として紀元一~二世紀のヘレニズム時代、キリスト教文化が浸透する以前の西洋世界における生きる流儀としての性道徳。外的規制ではなく自己から発し自己に還る精神と身体の自由。きわめて個人的でありながら、きわめて社会的という弁証法として、これを進歩と捉えることは、また危険の反復に過ぎないだろうか?

  • ぼくの個人的な『生きるヒント』はココにありそうだ。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

1926年フランス・ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻、ヨーロッパ各国の病院・研究所で精神医学を研究する。1969年よりコレージュ・ド・フランス教授。1984年没。主著に『精神疾患とパーソナリティ』、『狂気の歴史』、『臨床医学の誕生』、『言葉と物』、『知の考古学』、『監視と処罰』、『性の歴史』がある。

「2019年 『マネの絵画』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ミシェル・フーコーの作品

自己への配慮 (性の歴史)を本棚に登録しているひと

ツイートする