カントの人間学

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105067076

感想・レビュー・書評

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  • 【書評】中島一夫(読書人2010.05.21)。
    本書はフーコーが1961年にソルボンヌ大学で文学博士号取得のために提出した副論文。主論文は『狂気の歴史』。

  • カント哲学の、というよりあらゆる哲学の中心とも言える批判書で理性を徹底的に追及したカントが晩年に取り組んだ人間学は、人間に人間がわかるか、という究極の課題への挑戦だった。カントは死ぬまで老いなかった。
    フーコーがそのカントの最後期から出発したのは偶然ではない。知から権力、そして
    自己に向かった道筋の最初にカントの人間学を探求し結句にニーチェの超人を布置する手際は見事である。フーコーの生涯の必然を感じるほどに。
    決して読みやすい本ではないだけに、重要なフレーズの採集には好みに偏らないような注意が必要なのはわかっているが、人間学の大衆的性格を論じた箇所にはどうしても引き込まれてしまう。
    それは日常の言葉であり食卓の会話(プラトンの『饗宴』!)であるというのだ。語り、議論、冗談、の自由と普遍の形式のうちにのみ真理が明滅する。
    世界市民とは、社会集団や制度の下にあるものたちではない。それはただ単に人間が話すからなのだというのである。

  • ミシェル・フーコーの博士論文(副論文)の邦訳。ここでフーコーは、カントの『実用的見地における人間学』を取り上げながら、この最晩年の著作がカントの哲学体系のうちに占める地位を示そうとする。それと同時に、批判を通り抜けた先にある経験の世界への定位という方向性をも打ち出すことによって、ハイデガー的な「哲学的人間学」(ハイデガー自身の言葉では「基礎存在論」)をカントに忠実に乗り越えようとする。その点で、本書はカント研究であると同時に、フーコーの研究の方向性を打ち出す予告にもなっているのだろう。フーコーはカントの人間学が、批判を反復することによって初めて可能になった取り組みとして理解することで、批判を乗り越える人間学ではなく、批判の地平において有意味になる取り組みとして人間学を評価しようとしている。カントの全哲学体系を視野に入れようとするのであれば、避けては通れない「通俗性Popularität」の問題についても、本書が示唆するところは大きいと思われる。

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著者プロフィール

1926-1984。フランスのポワチエに生まれる。高等師範学校およびソルボンヌ大学で哲学と心理学を専攻。1955年からスウェーデン・ウプサラのフランス学院院長、つづいて1960年まで、ワルシャワ、ハンブルクのフランス学院院長を歴任。クレルモン=フェラン大学、チュニス大学、ヴァンセンヌ実験大学の哲学教授を経て、1970年よりコレージュ・ド・フランス「思考システムの歴史」講座教授。1970年と1978年の二度来日。1970年代後半から80年代にかけて、しばしばアメリカ滞在(特にカリフォルニア大学バークリー校で講義)。1984年6月25日、パリのサルペトリエール病院でエイズにより没。

「2020年 『精神疾患と心理学 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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