監獄の誕生〈新装版〉 監視と処罰

  • 新潮社 (2020年4月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (424ページ) / ISBN・EAN: 9784105067090

作品紹介・あらすじ

現代の管理社会の源流となった監獄。その監視と処罰と矯正のシステムに迫る! 肉体に苦痛を与える刑から魂を罰する刑へ――監獄はどのような歴史的社会的な背景のもとで成立したのか。監獄という制度から生まれた人々を監視し管理する技術とは何か。そうした技術はなぜ学校や軍隊、工場にも及んでいくのか。国家権力の集中機構としての監獄を独得の考古学的手法を駆使して捉え、その本質と特徴を解明する。

みんなの感想まとめ

監視システムの変遷とその社会的影響を考察した哲学書は、監獄という制度の根底にある歴史や技術を深く掘り下げています。冒頭から残虐な身体刑の描写を通じて、監視と処罰のシステムがどのように進化し、教育や軍事...

感想・レビュー・書評

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  • 権力とは、ある社会関係の内部において相手を自分の思い通りに動かす力。相手が抵抗しようとも自分の意思を通す力。マックス・ヴェーバーWeber『社会学の基礎概念』1922

    人々を魅了する権力。人々は感情に訴えるもの(Miranda: 記念日・記念碑、威厳のある公共の建造物、音楽、物語や歴史、念入りな儀式)を見ると、権力者を尊敬・服従してしまう。人々は知性・理性に訴えるもの(Credenda: 政治権力は唯一神によって定められた・政治権力は卓越したリーダーシップを示す・政治権力は多数者の意志だ)を聞くと、権力者を尊敬・服従してしまう。チャールズ・メリアムMerriam『政治権力』1934

    権力。さもなければBがしなかったような事を、Bにさせる度合いが強ければ強いほどAはBに対して権力をもつと言える。ダール1957

    財力・情報・コネなどの社会資源が多い人ほど、権力を持ちやすい。ピーター・ブラウBlau『交換と権力』1964

    政治において何が議題になるかについて権力が入り込む。特定の人の利益を前提とし、特定の人を排除したものだけが政治の議題として表面化する。政治の議題として上がる前に、すでに権力が行使されている。権力は政治決定への影響力の行使(Dahl 1961)という側面だけでなく、何を決定”しない”かという側面がある。Bachrach & Baratz『権力の二つの顔』1962

    権力には3種類ある。①相手にこちらの意図に沿った行いをさせる力としての権力(Dahlの定義)。②ある問題が顕在化する前に、問題そのものを潰し、争点化するのを食い止める力としての権力(Bachrach & Baratzの定義)。③相手の欲求や認識を変化させて、対立の認識そのものを消してしまう力としての権力。スティーヴン・ルークスLukes『権力:ラディカルな見方(Power: A Radical View)』1974

    昔は罰といえば処刑や拷問だったが、今は犯罪者を監獄に隔離し、監視と訓練によって精神と身体を矯正して、”正しい”行いを植え付けようとする▼パノプティコン。中央に監視塔、囚人からは監視塔の中が見えず、いま監視されているか分からない。緊張。知らず知らずのうちに囚人の意識は調教され、自分で自分を監視してしまう。規律の内面化。外部から直接的に強制するのではない。権力は間接的に働きかけ、他者を自分の思うがままに行動させる。権力は扇動し、誘い込み、唆(そそのか)し、なにかを容易にしたり困難にしたりする。監視塔には見張る人(権力者)は必要ない。現代社会では社会の仕組みそのものが権力。権力の網の目。昔は権力者がいて、死の恐怖を利用して民衆を支配していたが、今は権力はいたるところにあり、人々を無意識のうちに社会規範に従うよう訓練することで、人々の生き方に介入している▼人間は理性的で自由な主体ではない。その時代を支配する権力が生み出した思考の枠組みの中に無意識に囚われている。規格化され、権力に従順に思考するよう無意識に訓練されている。ミシェル・フーコー『監視と処罰』1975

    権力とは、制度でも、構造でも、ある人々に備わる力でもない。ある社会において複雑に入り組んだ戦略的状況である。ミシェル・フーコー『知への意志』1976

  • 四十年前に一度読んで衝撃を受けた本。
    数年前に慎改康之氏の『ミシェル・フーコー: 自己から脱け出すための哲学』 (岩波新書 )を読み、僕の読みが誤読だったとを知り、再度衝撃を受けた。(たしか、僕はフーコーが「規律・訓練の一望監視システム(パノプティコン)」を否定的にとらえているのだと思っていたが、慎改氏は、そうではなく、フーコーは肯定的にとらえて書いているのだと主張されていたように思う。)
    てやんでえ!慎改先生がどれほど偉い先生か知らんが、読み間違いを指摘されて、ははあ左様ですかといちいち引き下がっていたんじゃ、天邪鬼の看板が泣くぜ!こちとら伊達や酔狂で七十年も天邪鬼で食ってるわけじゃねぇんでぃ!という訳で、再度手に取った。
    正直、慎改先生の本を読んだのはかなり前のことなので、いずれ正式な反論は、この後先生の御本を再読した後に、じっくりとさせて頂くこととしたい。(御説ごもっとも、先生のおっしゃるとおりですとならなきゃいいが…)/


    もう、どうでもいいのさ!
    今はもう通説や有権解釈などどうでもいい。
    僕は一読者として、自らの誤読の権利を留保する。
    僕は読みたい本を読みたいように読む。
    『監獄の誕生』が僕にとって何だったのか、それこそが重要なのだ。/


    《石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし》(石川啄木
    『一握の砂』)/


    《「われわれの判決は、とりたてて酷(きび)しいものではありません。当人が犯した罪を《まぐわ》でからだに書きこむのです。たとえば、この男の場合─」》(フランツ・カフカ「流刑地にて」/『カフカ小説全集4』/池内紀 訳/白水社/2001年)/


    【十字架刑や絞首刑のような見せしめをともなう残酷な刑罰は18世紀の末に終わった。以後、囚人や犯罪者は監獄に収容して矯正し、社会復帰させるものという認識がはじまる。肉体の刑から魂を罰する刑への移行である。】(本書帯)/


    学校・職場という規律・訓練の一望監視システム(パノプティコン)が、カフカの「流刑地にて」の処刑機械が囚人の身体に針で罪名を刻みつけるように、その針で僕の魂に罪名を刻みつけた。「怠惰」、「無能」と。
    僕は、箱の中に籠ることによって、その罪から逃げおおせることができたように思っていたが、退職して何十年経とうと、「罪」の痛みからは決して逃れることはできないのだ。
    当然のことながら、既に量刑も確定している。
    もちろん、死刑だ。
    まあ、若干の執行猶予は認められているにしても。/


    現代社会の至るところに網の目のように張り巡らされたこの「規律・訓練」であるが、逸脱者の牙を抜き角を切って矯正して、その多くを無害な市民として再生産するが、同時にシステムはまた、不良品としての「鬼」も産出してしまう。
    「規律・訓練」からつねに落ちこぼれ、何度捕まえて施設に収容しようとしても、必ずや何処かへ逃げ出して行ってしまう者たちだ。
    「鬼」たちはときどき世間を騒がす事件を起こして注目をあびるが、「鬼」たちの中には毒が外に向かわずに内向し、自家中毒を起こして、「うらなり君」のような青白い顔をして俯いて佇んでいる者もいる。それが僕だ。/


    さて、前置きはこれぐらいにして、そろそろ内容に入ろう。


    【さらに、もう一度、セルヴァンの言葉に耳を傾けよう。すなわち、犯罪の観念と懲罰の観念は緊密に結び合わさるべきであり、「中断なしにつながるべきである。‥‥‥このように諸君がこうした観念の連鎖を、諸君の市民たちの頭のなかにつくりあげてしまえば、諸君は彼らを操縦し支配者たりうるのだ(略)。
    そして、最も確固たる帝国(つまり、人間支配)の揺ぎない基盤は、やわらかな脳繊維のうえに築かれる」。】/


    規律・訓練にとって監獄とともに重要なのが、教育ではないか?
    家庭におけるしつけから学校教育、職場でのそれも含めた教育によって、人間の内側からの監視人としてのモラル、良心が形成される。
    外側からの視線には耐えられても、内側からチクチク刺してくるこの刺客に、箱男はめっぽう弱いのだ。/


    【ベンサムの考えついた〈一望監視施設(パノプティコン)〉は、こうした組合せの建築学的な形象である。(略)周囲には円環状の建物、中心に塔を拝して、塔には円周状にそれを取巻く建物の内側に面して大きい窓がいくつもつけられる(略)。周囲の建物は独房に区分けされ、(略)。独房には窓が二つ、塔の窓に対応する位置に、内側へむかって一つあり、外側に面するもう一つの窓から光が独房を貫くようにさしこむ。それゆえ、中央の塔のなかに監視人を一名配置して、各独房内には狂人なり病者なり受刑者なり労働者なり生徒なりをひとりずつ閉じ込めるだけで充分である。周囲の建物の独房内に捕えられている人間の小さい影が、はっきり光のなかに浮かびあがる姿を、(略)塔から把握できるからである。】/


    【〈一望監視装置〉は、見る=見られるという一対の事態を切離す機械仕掛であって、その円周状の建物の内部では人は完全に見られるが、けっして見るわけにはいかず、中央部の塔のなかからは人はいっさいを見るが、けっして見られはしないのである。】/


    【第一の原則としての孤立化。
    ─中略─
    孤立化は矯正の一つの積極的な手段でなければならない。孤立化によって生じる反省、また必ずや起こる後悔の念によって、である。すなわち「孤立状態に投げこまれると受刑者は反省する。(略)いずれ後悔がその魂を襲うようになるのは孤立状態においてである」。】/


    【実際、監獄はその現実とその目立った影響のせいで、刑事司法の大失敗として告発された。
    ─中略─
    ─拘禁が再犯を生みだすのであり、監獄を出たあとの人間のほうが、その経験のない者よりもそこへまい戻る機会が多い。
    ─中略─
    ─必ずといっていいほど監獄は非行者をつくりだす。
    ─中略─
    非行〔=在監〕者が相互に連帯し、階層秩序化され、将来のあらゆる共謀関係にそなえる、そうした環境の設定は、監獄によって可能になる、いやむしろ助長されるのである。】/


    【監獄批判の立場から終始告発される各種の現象、たとえば非行の温存、再犯の誘発、一時的法律違反者の常習的非行者への転化、非行をはぐくむ閉鎖的な環境の設定などは】/


    ◯ホームレス少年の啖呵:

    【「裁判長 人間は自分の家で眠らなければならないのです。 
    ベアス 自分の家なんかない。 
    裁判長 あいも変わらずいつまでも放浪生活をするのかね。 
    ベアス 生活を立てるため働いてるんだよ。 
    裁判長 きみの職業は? 
    ベアス 仕事ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、(略)
    昼間だと通行人に無料の刷り物をくばったり、(略)小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には(略)劇場の出入口をあけに行ったり、(略)なかなか忙しい。 
    裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。 
    ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。】


    僕は、このホームレスの少年の啖呵から、籠の中で飼われるよりも、野の鳥として死ぬ方を選んだ『カルメン』(フランチェスコ・ロージ監督/1983年)のラストシーンを思い出す。
    カルメンは歌う。

    ♬〜ラ・リベルテ〜ラ・リベルテ!〜♬

    「カルメン死すとも、自由は死せず!」「よっ、音羽屋!」⁇/


    ◯監獄を肯定的にとらえている部分:

    【われわれは《糾問中心の》司法の時代ののち《試験中心の》司法の時代に入ったが、(略)試験の方式はかくも広範に社会全体をおおいつくし、部分的には人間諸科学を生みだすことができたのだが、その大いなる道具の一つは各種の監禁機構の緊密な交錯ならびに多様性であった。
    ─中略─
    つまり身体の或る種の政治学、人間の蓄積を従順で有用なものにする或る種の方法だからである。
    ─中略─
    人間諸科学を歴史的にみて存在可能にしたこの権力=知の骨組の一つを、監禁網が構成する。】/


    【一八三六年、『ラ・ファランジュ』紙に一記者が次の記事を書いている。
    「道徳家たちよ、哲学者たちよ、立法家たちよ、(略)諸君のいわゆる整備されたパリの見取図は次のとおりだ、(略)。中央部にある第一の囲いのなかには、万病を診る施療院、あらゆる貧困に対処する救済院、狂人施設、監獄、(略)。この第一の囲いのまわりには、兵営、裁判所、警察庁舎、見張人住居、処刑場、死刑執行人(略)の住居。四隅には衆議院と貴族院と学士院と王宮。(略)外郭には、(略)食糧を供給する商業施設と商売にまつわる悪だくみや破産、工業施設とそれにまつわる猛烈な競争、新聞機関とその詭弁、賭博場、売春、(略)〈革命の神〉の声につねに従おうとする下層民、非情な金持‥‥‥、最後には、万人が万人に交える血みどろな戦い」。】/


    【この〔監禁都市の〕(略)中心部に集められた人々こそは複合的な権力関係の結果および道具であり、多様な《監禁》装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こうした戦略のそれじたい構成要素たる言語表現にとっての客体なのであって、こうした人々のなかの戦いのとどろきを聞かなければならない。】/

    最後の文章は、フーコーが主宰した「監獄情報グループ」の設立趣旨を語っているようにも読める。/


    ◯「『監獄の誕生』について─フーコー覚書」:
    【実は、本書の訳題とした『監獄の誕生』は原著(略)では、あくまで副題であり、正式のタイトル『監視すること、および処罰すること』こそが本書の中心テーマである。
    ─中略─
    要するに本書は、権力の集中的機構としての《監獄》の、ヨーロッパ社会での誕生を解明しようとする以上に、より根本的には、《監獄》を頂点とする、しかも「監視」と「処罰」と「矯正」を眼目とする社会─家庭・学校・兵営・病院・工場など(略)の今日の状況としての管理社会を射程内にすえている点も明らかである。】

  • 「監獄」という処罰制度から監視システムへの変遷を考察する哲学書。冒頭は残虐な描写から始まり、残酷な身体刑の持つ期待効果が社会変化とともに一望監視装置へと移行するプロセスを丁寧に解き明かし、その本質を特定していく。「監獄」が有する矯正・監視機能は刑罰だけに留まらず、その適用範囲を教育や軍事、産業へと拡大し、主体性を奪うことで管理する権力機構の考古学的・技術的側面を緻密に分析・考察している。
    とはいえ、かなり難解な本でほとんど理解できず。一方で、田村俶氏の翻訳文章は硬質ながら流麗でアート作品のようで美しい。

  • 処刑者の身体を焦点とする身体刑から、非行性を規定・再生産し、社会に浸透していく拘束刑・監獄へ。一望監視方式が印象的。

  • 内容を理解できた!とは全く思えないけど、がんばって読み切った努力をここに記す(笑)再読が必要だな。

  • 権力∶他人を支配し社会を回す
    規律・訓練型権力∶人間を規律に従わせ、訓練を施し、社会の秩序をコントロールしようとする力∶道具化し、社会を回す
    搾取の代わりに訓練を施す

    閉鎖空間に閉じ込め、配置する
    時間と行動を制限
    段階的に教育
    組織の歯車にする(換えがきく、意図や考えがいらない)
    →監視と制裁(反復)、試験(恐怖心を煽られる)
    監視があることで規則に従うようになる
    視線の内面化

    監獄が権力を匿名化する、視線の内面化をする
    今でいうとデジタル

  • 監獄の誕生―監視と処罰
    (和書)2010年08月23日 21:59
    1977 新潮社 ミシェル・フーコー, 田村 俶, Michel Foucault


    佐藤優さんや磯崎新さんの本を読んでいて紹介されていました。

    特に佐藤優さんは獄中記で、高評価していた記憶があり読むリストに入れていました。

    ・・・表沙汰にされにくい悪意や・・・

    ディシプリンというものってこういうのを言うのだな。

    監獄・学校・職業・・・・

    宮崎学さんの本を思い出すところもあり、佐藤優さんの本を思い出すところあり・・・柄谷行人さんの指摘しているところもあり・・・そういう意味で知の結節点ともいえる。

    ただ、フーコーさんの本は文体が難解に思える。もっと読み易く書いてくれてもいいのにな。

  • ミシェル・フーコー/田村 俶

  • 3.5

  • 2025年2月22日、YouTubeで「本を読むこととお金を貯めること」で検索して出たショート動画、「頭のいい人がこっそり読んでる本4選」のコメ欄に書いてある、皆のおすすめがフーコーだったので読書メーターで1番人気のこの本をチェックしておく。

    https://youtube.com/shorts/xdxuWn5jcTA?si=HWLgoUfFBAqRCGMB

  • #90奈良県立図書情報館ビブリオバトル「おすすめの1冊」で紹介された本です。チャンプ本。
    2部制で実施の第2部。
    1部は通常回で、2部は奈良県内の新聞社員によるエキシビションでした。
    2018.5.19
    https://m.facebook.com/events/2091612554200245?view=permalink&id=2141538149207685

  • バノプティコンの形式だけについて書かれていると想定したいたが全く異なっていた。バノプティコンは一望監視方式としてわずか30ページで説明されているに過ぎない。しかも刑罰というよりもペストの監視の内容で書かれている。それ以外の部分では、刑罰の種類で身体刑から処罰、規律、監獄とだんだん軽くなる刑罰である。規律については学校における生徒の規律としての係の設定についても書かれていたので、教育についてはこの部分が参考になると思われる。規律と刑罰を一緒にするという考えは日本の教育研究ではないと思われるが、教育の規律の根源は刑罰として同じなのかもしれない。

  • 一応最後まで読んだ。難解といわれる著者のいいたいことにどこまで読み取れたかはなはだ疑問ではある。特に難しい固有用語は使っていないので、読むのは最後までできるだろうが、深いところまでわかった気がしない。

  • 監獄とは、規律・訓練とはなにかという話

  • 10年前にも一度通読したのですが、そのときはただひたすら難解だという印象しか持てず。今回、ちくま新書の重田さんのフーコー本を読んで、全体像をつかんでから、もう一度チャレンジしてみたところ、全体像がつかめたうえで個々の記述を追っていけました。もちろん、それなりに難しくて、スラスラとはいかなかったです。つっかえつっかえ、すこしばかりうなりながらでしたが、楽しく読めました。
    こういう骨のある本を頑張って読むと、本を読んだなあという実感にひたれます。ずっとこんな本ばかり読めたらかっこいいのですが、ぼくにはそこまでできません。とはいえ、年に何冊かは読んでおきたいなあと思います。
    内容について、また、その印象などについても、うまく書くことはできませんが、ばくっというと「具体的記述についてはなんとなくわかるし、なんとなく前後のストーリーはわかるんだけど、全体として何を言わんとしているのか、どんな狙いがあるのかということは霧の向こうにある感じがする」といったかんじかなと思います。【2021年10月15日読了】

  • なるほど面白いと思うが、論述や論証の構造とかスタイルがどうなってるのかよくわからんような気もして、ポモっぽさも感じた。ベンサムのとこはベンサムとつきあわせて読みたいんだけど、フーコーとベンサムで論じるようなのは国内ではあんまりなさそうだ。

  • 結局のところ、この歳になってもこのような本を読み解くことはできず、理解はおろか何が書かれているのかについてもさっぱり意味がわからない状態であるということを知らしめてくれた本でした。何年も前からトライしようと思っていて解説本を先に読んだり筆者の評伝を読んだりして基礎知識をつけて入ってもやっぱりだめでした。もう一冊「狂気の歴史」も同時進行で挑戦してはいるのだが、こちらもあえなく沈没しそう。悲しくなるだけです。

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著者プロフィール

ミシェル・フーコー(Michel Foucault):1926年フランス・ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻、ヨーロッパ各国の病院・研究所で精神医学を研究する。1970年よりコレージュ・ド・フランス教授。1984年没。著書に『精神疾患とパーソナリティ』、『狂気の歴史』、『臨床医学の誕生』、『言葉と物』、『知の考古学』、『監視と処罰』、『性の歴史』がある。

「2025年 『ミシェル・フーコー講義集成10 主体性と真理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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