ゆるす: 読むだけで心が晴れる仏教法話

  • 新潮社
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本棚登録 : 134
感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105068714

作品紹介・あらすじ

さあ、怒りを捨て、自由になろう。感動の名講演。どうして親は私を充分に愛してくれなかったのか――。幼い頃からずっと「怒り」を抱え続け、それゆえ常に周りの人々に苛立ち、冷淡に振る舞って生きてきた著者。長い苦しみの末、ついに怒りを捨て去ることに成功したとき、著者の心と身体に起きた素晴らしい奇跡とは? 世界中の人が感動した、人気僧侶による名講演。

感想・レビュー・書評

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  • つまるところ「怒り」は反応なのだ、と話していました。物事にたいして自動的に感情が反応していしまうことが怒ること。あまりに怒りすぎると見境がなくなり、歯止めも効かなくなります。そうなれば、もはや感情の奴隷としての存在であり、それは自由ではないのだ、とありました。さらに、怒りは心のムダづかい、だとして、もっとエネルギーを効率的に使っていくほうが人生のためです、というように説いています。

    なぜ反応してしまうか、そのひとつの理由として「参与する」ことが挙げられています。この「参与する」という言葉は「コミットする」だとか「関わる」だとかという意味合いで捉えてよさそうですが、生きている以上、参与せずに生きることは弧絶して生きることと同じなのではと想像できたりします。でも著者が言いたいその主旨のニュアンスは「怒らないために参与を止めなさい」というのとはちょっと違うようなんです。個人的に考えてみれば、参与しすぎないこと、つまりベタベタしすぎる人付き合いではなく互いに敬意を持ち互いを尊重するような距離の取り方でおそらく参与のしすぎは解消されるでしょうから、そういった方向を向きましょうと促しているように受け取れたのですが、著者の考えはもっと精神的に深いところにあるのでした。著者は、現代はニュースなどがあふれていて、そのひとつひとつにすら参与してしまう有り方についての話をしたあとでこう言っています。

    「あなたが現象に参与しない限り、誰も本当の意味であなたを幸せにはできないし、また誰も本当の意味であなたを不幸にはできません。」
    「参与しているからこそ、私は自分の幸福と不幸に責任があるのです。」

    要するに、参与することによって幸福になることがあるし反対に不幸になることもあるのだけれども、参与するかしないかというのは自分で選択できること、なのです。そして、自動的に参与してしまわないためには、マイドンフルネスを会得していなければならない、というところに繋がっていくのでした。

    「ゆるし」についても平易な言葉で語られながら中身は深く、なるほどなあと頷きながら癒されそして学ぶ、という読書でした。たとえばこのような文言。

    「許さないでいることはある種の牢獄です―――あなたは他人を投獄するのですが、しかしそのようにすることで、同時にあなたは、自分自身をも投獄しているのです。」

    これはボードレール『悪の華』の「死刑囚にして死刑執行人」と近いところにある意味合いの言葉だと思います。著者は、許すことでひとは自由になれるということについての考察を述べるなかで、許さないことでそこから何を得ているのかを考えることがとても大切だ、という洞察をしていて、さまざまな角度から物事を考えてきたひとなのがうかがい知れるところで、ほんとうに「考える人」だなあ、と清々しさをおぼえるくらいでした。

    「許すことは忘れることではない」「理解すれば怒りは消える」「「許さない」という自傷行為」など、これらは各項のタイトルなんですが、それぞれ難しくなく読める言葉遣いで語られた項ですし、それらによって自分の思索を深めさせてくれるし、いたわってもくれるし、励ましてもくれるしで、充実した読書時間にひたれました。

    そんななか考えたのが次のようなこと。いつか流行った「十倍返しだ!」に比べれば、ハムラビ法典の「目には目を」には公平感ときっちりした「だからといってこれ以上はしてはいけません」という制約を感じたりします(この気付きは、昨年放送のNHKのドラマ『タリオ』のセリフからです)。人間性をさらに発展させたら「ゆるします」になると思うのですが、これは「十倍損した!」といいながらもそれを飲みこんでする行為ですよね。この「ゆるす」がすごいんだ。そのすごみがわかるようになる本書の後半部でした。

    「怒り」にも「ゆるし」にも、うまくその対処にフィットするやりかたがわからない方はたくさんいらっしゃるでしょう。大きなヒント以上のものを得られる本なので、そういった感情面のコントロールを試みたいひとにはうってつけです。また、SNSで攻撃的な言葉で問答無用の責めに辟易しているひとにも、寄り添ってくれるような中身だと思いました。

  • 人から傷つけられ許せないと思う時、同時に自分で自分を傷つけ囚われの身にしている。
    手帳にメモしたい名言がたくさんでした。

  • マインドフルネスなゆるしの本。

  • 平易な言葉で書かれていてわかりやすいのであるが、キーワードの"マインドフルネス"がわからず今一つ理解できない。他の本で学ばないと再読してもわからないだろう。難しい。そういう意味ではゼロポイントの方がわかりやすかった。

  • 3.6

  • Twitterフォローしている方が紹介していて気になった本。

    1時間くらいでさらーっと読んでしまったけど、癒される、落ち着かせてくれるような言葉ばかり。「ネガティブなことへの対処法」と「許すこと」の2章に分かれているけど、併せて読めたことでそれぞれの繋がりを感じることができたり。今の私はタイトルにもある「許す」ことについて言葉をもらいたくて読んだけど、両方読めてよかった。

    心と体の効率性ということについてあまり意識したことがなかった。本の中ではネガティブな感情の中でも苛立ちについてよく書かれていた気がしたけど、それ以外にも自分を消耗させる感情って色々と陥りがちだなあって。他人の相談にのって囚われてしまったり、相手がどう思うかについてぐるぐるもやもや考えてしまったり。

    この本が紹介されていたツイート(一目惚れ?した)と、帯にも抜粋されていた部分がやっぱりすごく好き。
    「心を育てましょう。ハートを大きくするのです。度量をより大きくして誰かが自分を傷つけるであろうことを知っていても既にそれを許している状態になれるように。傷つけられる前に、もう許している。そうなれたら、どんなに素敵なことでしょう?」

    小さいことでも、絶対に許せないと思っていた出来事を乗り越えられた経験は、少し私の自信になっている

  • なりたくて今の自分になったわけではないから、過去の辛い出来事を現在の糧になるとは思えない。むしろ過去に対する怒りこそ自分の原動力なので、どうすれば良いのかわからない。

  • 平易であることと、分かりやすさは必ずしも両立しない。
    実践面から、作為なき心の持つ平穏性を回復する話だと思うし、苦を生じさせている他者との関係性、特にその根源となりうる過去の近親者から受けていた不当な扱いの構造理解を勧めているのだろう。
    不安の起こっている状況を自覚し、瞑想と想像をもって自己の内部で追体験しつつ対象の人物と対話し、それをままならなかった現象として理解することで、心にかかる負の作用を無効化しつつ意味を予感させる携え方、「ゆるす」ということの必要性は分からなくもない。
    しかし問題は、しばしば辱めを伴って受容した近親者からの不当な扱いの経験を、人は顕在意識から抹消したり、それが正当な他者評価だと断定してしまうことにある。
    これらを単純に許すという能動的行為に結びつけるのは、ある規定を反作用的に規定し直すことでもあり、「ゆるす」ことができなければ楽にはなれない、「ゆるす」ことを通過しない安らぎは本来的でないという暗示が心を縛る、新たな禁止の苦を生んでしまう危険性がある。
    魚川氏の翻訳ということで興味をもった本だったが、無理矢理にページ数を増やすような本文の組み方をされてしまうと、どうしても信頼性が薄れるような気がする読み手としての自分にも問題があって、得るものがあまり感じられなかった。

  • おっしゃる通りです。
    穏やかに自分の心を見つめ、自分も他者も許し受け入れることができたらなぁ。

    わかりやすく、平易な文章で、仏教の基本的な姿勢が書かれている。
    読みやすい。さらっと読める。
    でも、大切で、簡単そうで難しい内容。
    心が凪ぎ、穏やかで和やかでありたいものです。

  • 反応せずに応答する。
    定番なお話を小刻みよく。

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