悪い時: 他9篇

  • 新潮社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (483ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105090104

感想・レビュー・書評

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  • 「ママ・グランデの葬儀」収録作品で『土曜の次の日』以外と、「エレンディラ」に収録されている『失われた時の海』と、
    中編小説「悪い時」を1冊にまとめたもの。(なぜ「土曜の次の日」を省いて「失われたときの海」を入れたのだろう?)
    舞台は、田舎の村や町で、のちに『百年の孤独』のマコンドとなる。
    「百年の孤独」の感想はこちら。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4105090011
    「ママ・グランデの葬儀」の感想はこちら。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4087600793#comment
    ここに入っていない「悪い時」のレビューを書きます。

    『悪い時』
    10月4日の火曜日にセサル・モンテーロがクラリネット奏者のパストールを射殺したことから話が始まる。
    舞台は”村”よりは少し大きな”町”で、かつてアウレリャーノ・ブエンディーア大佐が滞在したホテルが有る。
    保守党が自由党を鎮圧したが、いまだに政治的緊張は続き、町にもパトロールの憲兵がいる。
    そんなこの町で最近毎晩町人のスキャンダルが書かれたビラが貼られている。
    セサル・モンテーロは、自分の妻がパストールと浮気をしているというビラを読んで彼を射殺したのだ。
    かつて選挙活動で反対派を粛清した町長、道徳にはうるさいが政治のための暴力には口出しできないアンヘル神父、臨月の内縁の女がいるが他の女のところにも通うアルカディオ判事、反政府として目をつけられてきた歯医者、しばらく前に死に町人の財産没収で財を成したドン・モンティエル、夢と現実との間に生きるモンティエル未亡人…。

    それからのほぼ毎晩町人のスキャンダルのビラが貼られる。それは町中の人が知っている浮気問題もあれば、まったくもデマもある。そんな中傷ビラは、政府に抑えつけられた生活を送る町人たちの心のうちを浮き彫りにさせる。

    夜間外出禁止令、取り調べ、射殺、次々現れる鼠の死骸、痛みを増す虫歯…悪い時がやってきた。だがそれは突如として来たのではなく現れただけなのだ。

    ===
    短編集『ママ・グランデの葬儀』、この中編作品『悪い時』でマコンドの根本ができて、『百年の孤独』に繋がったという流れが見えるような作品集。

    『百年の孤独』からは、アウレリャーノ・ブエンティーア大佐、レベッカ、アンヘル神父、イザベル神父の名前が散見される。
    『悪い時』のアンヘル神父は以前マコンドにいて、その後任がイサベル神父という流れ。そしてイザベル神父の本名はアントニオ・イサベル・デル・サンティシモ・サクラメント・デル・アルタール・カスタニャーダ・イ・モンテーロだと判明したんだが、他のみんなもこんな長い名前なんだろうか(汗)

  • ガルシア・マルケス全小説、いよいよ最後の1冊となった。一語一語がもったいなく感じられる。飴玉をなるべくかじらないようにして、味わいながら読んでいる。次は「百年の孤独」を読み返そう。

  • 静寂な朝は一発の銃声に破られた。熱気を孕んだ暑い空気に腐敗臭や動物の臭い、香水の匂い、オーデコロンの残り香が漂い、教会の鐘の音、映画の音楽、トランペットが響き渡る。政府が変わっても変わらない、戒厳令、夜間外出禁止令、鼠のようにしぶとい反政府ゲリラ。銃弾で吹き飛ぶ軽い命。大佐は何のために戦ってきたのだろう。小さな村の歴史を短篇のように鮮やかに切り取った中篇だが凝縮された密度は長篇に匹敵する。バルザックやゾラの物語群と同じくガボの描く他の物語群の一部のようだ。今日もマコンドを思い出させる小ぬか雨が降る。

    ミスター・ブルームはダブリンでよかったと思う。ここだったらすぐに土手っ腹に風穴を空けられていたはずだ…。

    血の滴る肉厚のレアステーキを頬張った感じでした。バルザックやゾラは霜降りで脂っこいから1冊でしばらくお腹いっぱいだけど、ガボはオージービーフみたいに何冊でもいけそう。さすがに『百年の孤独』を読み終えた時はしばらく放心してほかの物語も読めませんでしたが。

  • 図書館

  • マルケスの中では初期に当たる長篇小説『悪い時』を中心に、その中に出てくるいくつかのエピソードを使用した短篇を併せて収録したもの。一つのエピソードを全く別種の作品に使いまわすのは、マルケスにはよくあることだが、同じ名前の登場人物がよく似たシチュエーションで描かれていても、長編と短篇では全く別の作品に仕上がっていることがよくわかる。長篇小説を書く時と短編小説を書く場合では、何がちがうのか。「ガルシア=マルケス全小説」と謳うだけのことはある。作家の創作の秘密を窺うことのできる、うがった編集である。

    舞台はいつものようにカリブ海沿岸の町。ある年の十月四日火曜日から十月二十一日金曜日まで。町はかつての戦いの後、保守党の息がかかっていると思われる町長によって、外面的には秩序が保たれているように見えているが、自由党シンパの町民は、多くの同志を殺された怨みを忘れてはおらず、秘かに転覆の時を狙うといった暗闘が続いている不穏な状況下にある。

    主な登場人物は中尉の肩書きを持つ町長の他に、映画の検閲を生き甲斐にするアンヘル神父、職務に忠実なヒラルド医師、女好きなアルカディオ判事、独り昂然と町長に楯突く歯科医、権力者にすり寄ることで成り上がってきた資産家ドン・サバスと、いずれ劣らぬひと癖もふた癖もある人物ばかり。

    事件は一枚の中傷ビラに始まる。セサル・モンテーロが楽士パストールを撃ち殺したのだ。ビラには、楽士が妻と恋仲だったと書かれていた。しかし、それは町の公然の秘密だった。この後も張り出されるビラの内容は、町の者なら誰もが噂していることばかり。しかし、噂がビラの形で人目にさらされるようになったことで人々の間に動揺が走る。夜陰に乗じてビラを張り出す犯人は誰なのか。互いの間に疑心暗鬼が広がる。

    微妙な均衡の上に成り立っていた町の日常が、中傷ビラという形で実体化した「悪意」によって狂いはじめる。特に主人公はいない。視点は次々と現れる町の名士に移動していく。人物と人物の葛藤を通じて、それまでは隠されていた人物の一面が、事態の進展に連れ、露わになってゆく。権力にしがみつく者、それにすり寄って甘い汁を吸おうとする者、権力を憎み、打倒しようと画策する者、所詮政治的な権力の前では無力な者。それぞれの確執がのっぴきならない状況を引き寄せる「悪い時」が始まったのだ。

    写実的ではあるが、そこはマルケス。匂いや熱といった五感に訴える描写は写実に徹しながらも執拗に繰り返し、カリブ海沿岸の町の暑熱を、降り続く雨を読者の前に繰り広げてみせる。目の前にあるものをすべて見せないではおかないといった気迫に満ちた描写は、短篇とはちがった迫力を持つ。あえて、内面に分け入ることを避け、他者の目に映る人物を冷静に叙述することで、多層的な事実を積み重ね、真実に迫ろうとする人物描写とともに、長篇ならではの重量感を感じさせる。

    『百年の孤独』以前と以後では、その文体が全く異なるマルケスだが、ヘミングウェイを思わせる即物的な描写技術が冴える「最近のある日」、作家自身が最も気に入っているという「大佐に手紙はこない」などのリアリスティックな文体は、初期マルケスを特徴づけるものである。特に短篇における、その裁ち落としたようなラストは、書かれなかった部分をかえって印象づけ、終末に深い余韻を残す。盗みに入って撃ち殺された息子の墓参りのため、日盛りの中を喪服姿で歩く母子の姿を鮮烈に描いた「火曜日の昼寝」他6篇を含む。

  • 個人的には特に、「大佐に手紙は来ない」がよかったが、
    どの短編も、濃密なエピソードに感じられて満足である。

    この本のタイトルにもなっている最後の物語「悪い時」は、
    読むのに手こずった。一日二十ページずつくらいで読んだせいもあったが、登場人物が多くてだれがどんなキャラクターだったのか思い出しながら、読み返しながらの繰り返しだったので、読み進めるのがとにかく大変だった。さらに理解を深めるために、また今度チャレンジしてみようと思う。

    それと、これは偶然かもしれないが、この長編を読んでいる間は自分の身にも‘悪い時’が流れていた。もしかすると呪われた一冊なのかもしれない。だが読んで悔いはなかった。
    なぜなら、あらゆる意味で素晴らしい読書体験をすることができたのだから。

  • 正直、読み通すのが辛かった。
    自分が感じてたことが、解説に書かれていたのでなんとなく納得。
    現実をそのまま書けば伝わるってものでもないんだよな。

    図書館にて。

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