百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

  • 新潮社
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レビュー : 343
  • Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105090111

感想・レビュー・書評

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  •  南米文学に初挑戦。
     ガルシア=マルケスの名はノーベル賞作家ということで知っていたし、前から一度は読んでみたいと思っていたが、その本の分厚さと「マジックリアリズム」と呼ばれる難解そうな世界に二の足を踏んでいた。が、ブクログの読書家さんのレビューを読んで、「よしっ!」と読み始めた。
     マジックリアリズムの世界は楽しい。生者と死者、歴史の世界と現在、先祖と子孫、妄想と夢と現実、伝説と事実が時々交錯する。SFではない。そういう時空がぶっ飛ぶ世界とは全く違う。あくまで、一所にじっくり腰をおろして、逃げたくなるくらい根気よく、じっくり、細部に渡り、百年に渡る一家の物語が語られるのだ。
     ある町で男が妻と何人かの町人を引き連れ、新しい夢の土地を探し二年間も旅をするが、途中で諦め、途中で落ち着いた土地を開拓し、マコンドという新しい町を作る。その男は町長のように、住民全員の利益を考えた町を運営し、アイデアに溢れた男だが、ジプシーの見せた〈文明の利器〉の虜となり、一人部屋に籠もって研究に明け暮れるようになる。
     男の妻ウルスラは自分たちの家を心地良いものにするため、いつもキビキビ働く。外交的でもあり、家に沢山のお客さんを招くのも好きだ。
     夫婦の間の子供。放埒な性格で何年間も家を飛び出したままの長男。頭が良く、父と同じように研究熱心だが、あることがきっかけとなり、反乱軍を率いて何年間も戦争し、伝説の大佐となった次男。美しく、大人しいが内に激しい炎を燃やしている娘。突然、よそから送られてきた娘も家族として育てることになる。
     やがて孫が出来、曾孫、玄孫が出来る。男の中には放埒な性格の者が多く、出世に秘密のある者もいるが、ウルスラは理解した上で家族の一員として分け隔てなく育てる。
     一家の長い歴史とマコンドという町の歴史。町ははじめ未開の地のようであったが、そのうち他所からやってきた〈町長〉や大統領に従うべきとされ、反乱がおき、長い戦争になる。その後、一家の血を引いた者により、夢の鉄道が引かれ、他所の土地から沢山の移住者が来て、他所者によりバナナ会社も作られ繁栄するが、労働闘争も起きる。
     ウルスラの一家の者は皆、何処か影かあり、波乱万丈の運命をたどる。それをウルスラは100年以上も長生きして見届ける。自分の子供が老衰で死ぬのも見届ける。100歳を超えてからウルスラは悟る。自分の子供の中で本当は誰が一番、愛が深く、誰が一番冷酷であったか。そんなに長く生きて初めて悟れることがあるなんて凄い。
     一家には怖れられている伝説がある。
     やがて一家の者が全ていなくなり、町も廃墟のようになったとき、最後に残ったのは…。
     最後は圧巻です。「これぞマジックリアリズム!」と実感しました。だから、長いですが、それに同じ名前が沢山出て来てややこしいですが、頑張って最後まで読んで下さい!

    • 淳水堂さん
      Macomi55さん
      読書会はこちらの書店が主催しています。
      https://twitter.com/lionbookstore/st...
      Macomi55さん
      読書会はこちらの書店が主催しています。
      https://twitter.com/lionbookstore/status/1321291411027873793
      申込みはこちらのサイトからなのですが、登録しないとダメかもしれない。
      第1回目の案内です。第2回目の募集は今後出る予定。
      https://peatix.com/event/1640446

      「百年の孤独」限定の読書会で、
      毎回1章ごと(毎回20ページ程度)読み感想を言うので、全部終わるまでは2年かかりです(笑)
      前回が1回目で(氷を手に取り「これはすごい発明品だ!」ってところまで)、次回11月が2回目。
      参加者は「読んだことがないので、これを機会に読む」「昔読んだけどもう覚えていない」な方も多いです。

      一応お知らせしますが、気が進まなければ全く気にしないでくださいね!
      もしも興味がありましたらどうぞ。(^ー^)
      2020/10/30
    • Macomi55さん
      淳水堂さん、お知らせ有難うございました。
      さっきコメントいれたら、途中で切れたので、一回削除してもう一度入れます。
      「双子のライオン堂」とい...
      淳水堂さん、お知らせ有難うございました。
      さっきコメントいれたら、途中で切れたので、一回削除してもう一度入れます。
      「双子のライオン堂」という本屋さんなのですね。面白そうな本屋さんですね。
      二年がかりの読書会なんて、まるで「百年の孤独」の世界のように気が長いですね
      2020/10/30
    • Macomi55さん
      何度コメント入れても途中で切れるので、続きです。

      今は貯まっている積読を消化するのに忙しいのですが、どこか途中から参加させて頂く際には宜し...
      何度コメント入れても途中で切れるので、続きです。

      今は貯まっている積読を消化するのに忙しいのですが、どこか途中から参加させて頂く際には宜しくお願いいたします。
      2020/10/30

  • ガルシア・マルケスはコロンビア出身のノーベル文学賞受賞作家
    初のラテンアメリカ小説で前々から読みたかったので、とても楽しみに読みはじめた


    【注)ネタバレ有】


    ブエンディア一族の彼らが築いたマコンドという村の誕生から滅亡までの百年の話
    初代ブエンディア家を取り仕切ってきたのは、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの妻であるウルスラ
    働き者で、真面目で、一族の血を絶やすまいと必死で家を守り、繁栄させる
    彼女がいなかったら、ここまでブエンディア一族の物語は続かないだろう
    村を軌道に乗せ、社会に奉仕し、てきぱきして身綺麗だったウルスラの夫は錬金術や預言、不死などの夢を追い続け、とうとう廃人と化す
    兵戦の夢と銀細工のなかで呆けていく息子
    愛する人を死に追い込み、自らをも罰する処女の娘
    指を加え土を食べる出生の怪しい少女
    トランプ占いのブエンディア家の子供達を身籠る娼婦
    一族の生没を把握しているまるで不死身のジプシー
    他にも多彩なブエンディア家と彼らに関わる人々(一人一人の個性にアクがあり過ぎて、これだけ多くの登場人物が居ても混乱はしない)

    ブエンディア家の人間、そこにくる嫁、妾達との子供達…そんな彼らを叱咤激励しながら、時には呆れ突き放し、時には自らの仕事の忙しさから彼らを忘れながらも、常に愛情深く見守っていく
    彼ら自身の要因と、外からもたらされた不運により何度も一族の危機に直面するが、ウルスラは全てを受け入れ持ち前のガッツとコツコツした日々の努力で、ブエンディア家に活力を与え、朝から晩まで片時も休まず働き続けた
    そしてやはりウルスラが死んでしまってからは、衰退の一途をたどることになる
    この辺りからは当初面白く読めた波乱万丈の彼らの生涯が急に物悲しい、先の不幸を匂わせる風潮に変わっていく
    そう結局ブエンディア家の歴史は一周ぐるっと回って、当初ウルスラが心配していた豚の尻尾で完結するのだ
    最初は全く感じなかったタイトルでもある百年の孤独をひしひしと身にしみて感じるラストになる


    長いストーリーながら、信じられないほど、多くのぶっとんだ出来事が展開し、あっという間に目が離せなくなる
    次から次へと話がたたみかけるように展開し、よくまぁここまで…と感心してしまう
    各人が情熱をもった感情のまま行動するので、やることが直情的で激しい
    いちいち信じられないほど大胆不敵でイカれている
    一体何をしでかしてくれるのか…初めの頃は面白くて仕方がなかった
    「ええ!?そこまでやるの」
    「うそでしょ」
    「いかれすぎ!」
    とブツブツブツブツ声に出てしまい、日本人にはない感覚に虜にされてしまう(悪く言えば喰われてしまう…)
    そして彼らの異常な情熱は、その後の落差がこれまた激しく、何かのきっかけで、廃人の如く部屋に引きこもってしまったり、何年も世間と断絶したり、フッとどこかへ行ってしまう…
    まるでジェットコースターに乗せられたみたいだ
    そしてジェットコースターを降りると、足場が不安定な空中をフラフラ歩いているような感覚が残る
    独特の南米独特の匂いにむせかえる
    熱風と乾燥による荒れた大地
    彼らの熱と湿度を帯びた真っ直ぐな感情
    人との距離の近さ
    その割に心はいつも遠くにいる
    単純で複雑で、陽気で陰湿で
    ストレートなのに複雑で
    大胆で繊細

    とにかく圧巻で、最高に疲労し、読み終わったときにはフルマラソンをしたあとのような疲労感と、最後まで見届けた満足感と、一族の孤独の深いシミが体に残った

    「予告された殺人の記録」を読みたいが、暫くはいいかなぁ
    途方もなくエネルギーがいるため、自分のエネルギーを回復するのに時間がかかりそうだ
    良くも悪くもこのラテンのパワーにやられる
    生涯この本のことは忘れられなくなりそうだ
    読んでいる間もブエンディア家の何かに取り憑かれやしないかと考えてしまうほど、ある意味この物語に呑み込まれた
    ホント、参りました…

    読んで本当に良かったし、ズドンと撃ち抜かれるほどの体感を得たが、その代償の疲労感も半端ない

  • Cien anos de soledad(1967年、コロンビア)。
    内容もさることながら、キャラが強烈に濃い。途方もない巨根を持つ男、予知能力を持つ大佐、土をむさぼり喰う少女、空中浮遊する神父、生きたまま昇天する絶世の美女など、個性溢れるにもほどがあるというか、ほとんどびっくり人間コンテストの様相を呈している。また、人が生まれたり、死んだり、死んで生き返ってまた死んだり、死んだのにその辺をうろうろしていたりと、とにかく忙しい。

    天才には違いないのだが生活にはまったく役に立たない能力ばかり開花させている初代ホセ・アルカディオ・ブエンディアと、肝っ玉母さんウルスラのコンビが、南米版「夫婦善哉」みたいで好きだ。だから、話の進行上しかたがないとはいえ、ウルスラの衰えとともに物語もトーンダウンしてしまうのが少し残念。

    それでも、とてつもない奇想天外さは最後まで変わらない。恋人たちが激しく愛し合うあまり家が崩壊してしまうなど、「ありえんだろー!」という突っこみ所が最後まで満載。本当は哀愁を感じるべき物語なのかもしれないが、あまりにも疾風怒濤なエピソードに圧倒されて、読了後は哀しみを通りこして唖然としてしまった。まさに魔術的読後感。脈絡とか善悪とかリアリティとか、そんなものは完全に超越している。南米文学、恐るべし。

  • 孤独にこれほど多彩な種類があること、物理的な距離と精神的な距離が必ずしも一致しないことを改めて痛感させられた作品です。

    マコンドという架空の土地を開拓したブエンディーナ家の第1世代の勃興から第7世代の滅びまでの100年間を幻想的かつ奇天烈な要素を交えながら、一族の誰一人として逃れられなかった「宿命的な孤独」の描写を軸に描いています。

    一族は皆で一つ屋根の下に暮らして一緒に食事を摂っているのに、誰一人として互いを本当に理解し支え合っているわけではなく、それぞれが抱える「宿命的な孤独」に逃げ込み、まるで溺れるように浸りながらそれぞれの形で生を終えていきます(他家から嫁いできた女たちですら例外ではない)。

    一族の最後の生き残りである第6世代の「アウレリャーノ」が死を迎える瞬間、その「宿命的な孤独」の総てが或る一人の男によって描かれていた予定調和であったことを知るシーンは圧巻のラストでした。

    ちなみに…この本は1972年版で図書館で借りたのですか、中のガーゼ調の糸が見えるぐらいボロボロで、外も中もテープで補強されまくっていました。40数年の間にいったいどれだけの人がこの孤独の吸引力に魅せられてむさぼり読んだんだろうと思うと(私もその一人になったわけですが)、マルケスの示唆どおり、孤独って本当に本質的なものなのかと怖いほど痛感させられます。

  • とても好きな作家が、人生を変えられた小説の一つに挙げていて、それは読まなければと生活費を削って本屋で買ったのが10年前。それ以来ずっと本棚のインテリアになっていた百年の孤独。やっと読めた。もっと早く読んでおけばよかったし、今読めてよかったとも思う。いずれにしても、読んでなかった頃にはもう戻れない。

    「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。」

    ぜんぶ読み終わって一文目からまた目を通すと、ああそうか、すべては初めから終わっていたんだなと気付かされる。ブエンディア家の人々は百年近いあいだ、マコンドの村で確かに息づいて歴史を刻んでいたはずなのに、そしてその場所で、読者の僕は同じ時間を過ごしていたのに、読み終えた最後には僕にもきちんと孤独が待っていて、寄せた波が大きな砂の城を平らな砂浜に変えてしまうように、五感を使って見ていたリアルな夢から覚めたような気持ちになる。

    暴力的な自然や政治、ジプシーの錬金術や幻想、宗教、禁忌、楽園的な性、ラテンアメリカ文学の粋が全部詰まったマコンドは、予定された結末に向かって時計の砂を落としていく。世代を跨いで繰り返し名付けられるアルカディオとアウレリャノの歴史は、まるで螺旋を描く対照的な二色の業のように物語の中心にそびえ立つし、その間でビビッドな挿し色を放つ妖艶な(そしてすべからく長命な)女性たちも良い味出してるし、それぞれにそれぞれの孤独があって、何度も家系図を見返す読みにくさを超えた先に、全体小説ならではの凄まじい読後感が待っている。おなかいっぱいなのに、ぜんぜん苦しくない。もっと食べたいけど、同じお皿には出会えないだろうなという確信。ただの名作だった。

  • 日本のような土地に生まれ育ったものには到底解らない物語であるような気がする。それは文化の違いというよりも自然環境の違いに起因することと思うのだ。例えば人がどのように時間の長さを感じるかによって判るか判らないかが決定的に分けられてしまう物語と言ってもいいのではないかと思う。

    いわゆる中緯度地帯に暮らしていると、寒暖の差や日の長さ、更には収穫の季節の再来などによって、人は生の長さを刻んで数えることができる。その無意識の拍子取りに気付くには低緯度地帯に暮らしてみるのが手っ取り早い。そこでは昨日と同じ時間に陽は昇り、昨日と同じ時間にスコールは降り、いつの間にか日は巡り、いつの間にか歳を取る。カレンダーを見なければ今が何時なのか言い定めることも覚束なくなる。あの出来事は一年前に起きた事だったか、それとも三年前だったか、毎日同じような繰り返しの中で暮らす内に判然としなくなる。

    その感慨は他所の土地から来たものの感慨であることは間違いない。その土地に暮らす人々は別のやり方で生の長さを刻んで拍子を取っているのだろう。だが、太陰暦で暮らすことによって一年の周期が太陽の周りを巡る周期とずれてしまってもそのことが大きな問題とならないように、低緯度地帯に棲むものにとって時間の区切りはもっと自由に定めることができるものなのだと思う。この物語は、そんな時間というものの軛から解放された人々の物語なのであろうと思う。

    作家は、登場人物にあり得ないような長い生を与える。ウルスラに代表される女性には歳として具体的な長さを、そしてホセ・アルカディオに代表される男性には年齢という仕組みを無視した抽象的な長さを。あたかも歳を取ることを忘れたか、数え損ねてしまった結果であるかのように時を超越して存在し続ける彼らに、周囲も何の不思議さも感じていないように物語は描かれる。その事が徐々に読むものの時間の進行を妨げる。そして執拗に繰り返される二つの名前。アウレリャノとホセ・アルカディオ。じわじわと時が永遠に一つところの周囲を回り廻っているだけであるかのような感慨に縛られてゆく。何処へも行けない、渦の中に囚われたもののように結局のところ、中心に向かって落ちてゆくだけ。

    そこに熱帯のむっとするような温度と湿度が絡みつく。じわじわと足下から蔓性の植物が這い上がる感覚に襲われる。その事が無気味でありつつ、本能的には元来そこに戻るべき場所に強制的に連れ戻されているだけとの想いもよぎる。

    熱帯での種の多様性は、生のリズムの多様性も意味する。自然が強くビートを打ち鳴らさなければ、全ての生物は好き勝手な周期で世代を繋ぐ。その多様性は熱帯というしぶとい生命体の根底を支える仕組みなのかも知れないと思いつつ、困惑も同時にもたらす。全ての周波数帯を含む電波がホワイトノイズと呼ばれるように、その生命体の営みには全てが入り交じった結果なにも突出したところが見当たらない。雑然としたもの以上の何かを読み取らせることを拒否するかのようである。個が失われ全体のみが存在する世界。

    そんな恐怖に囚われつつ読み進めると、やがて預言者の言葉の成就する時が訪れる。陽は昇り、陽は沈み、やがて花が咲き、物語の始まりと終わりが一つになって、輪が閉じる。一端閉じてしまった輪にはもはや入り口もなく出口もない。この地上から切り離される。ここでふと漱石の夢十夜の物語の一つを思い出すのだが、百年後に花と出会って百年が経ったことに気付く物語からは解脱というような仏教的な表象が立ち上がるのに対して、ガルシア・マルケスの百年の物語には宗教的なイコンではなくもっと混沌とした原初の本能に突き動かせれたもの、つまり思考とはかけ離れたものを感じる。そう考えてみて初めて自分の中にある孤独という概念すら、この物語の中では通用していないことに気付かされる。

    それが生命体の本質あるいは自然の本来的な姿なのかも知れない。とは思いつつ、その輪環に捕えられることへの恐怖は振り払うことができない。そんな貧弱な精神には厳しい本だと思う。

  • 正直に書こう。
    全く理解できなかった。

    なんのことやらさっぱりわからなかった。
    人物名からして私にはなじみのない名前である。
    文化や思想も全く違うのだろう。
    それらのありとあらゆる要素が絡み合った結果、私はこの小説を全く理解できなかった。
    しかし、グッとくる一文などは至る所に見受けられた。
    この小説を何度も読み直し、グッとくるものや、ハッとさせられる表現をかき集めていけば、この小説が形を成して私の中に浮かび上がるのかもしれない。
    そして、マコンドの世界観がありありとした実感をもって私の中に根を下ろすこともあるのかもしれないのだ。

    現時点では私がこの小説についてどうこう言うことはできない。
    全く理解できなかったのだから。
    負け惜しみのようになってしまうが、1,2回読んだ程度で理解できる小説だとは最初から思っていない。
    ただ、文学的評価などから考えてこの本は何度も読み直すに値する本なのだろう。
    私自身、10回読み返すに値する本だけを読むようにしている。
    この本を読むことは、最初は理解できない本でも繰り返し読めばわかるようになるのかどうかを確かめるいい機会であると考えている。

    私にとってマコンドとは、知的実験場である。
    私がマドンコを喰らい尽くしてやるのだ。

  • マジックリアリズムの古典だということで手に取った。
    怒涛の百年の物語。
    情報量が物凄く多い。様々な人間関係を描いた百年間。
    蟻、バナナ、熱気、ハンモック……目を閉じると熱帯の中の蜃気楼の町が浮かぶようだ。
    アウレリャノとホセ・アルカディオの名前は一生忘れられないだろうというくらいインプットされてしまった(笑)

    海外文学は読みにくい訳のせいでページが進まないことが多々あるが、これは読みやすかった。原文自体も読みやすいのだろうか。

    この物語においては、女たちに同情的にならざるをえない。
    働き者のウルスラやサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエラ、愛情深いピラル・テルネラやぺトラ・コテス、聖なる二人のレメディオス、悲劇のアマランタとレベーカ、メメ。陽気なブエンディア家に影を差すフェルナンダでさえ、彼女の立場を想えば気の毒だ。
    それにひきかえ男たちは、面倒ごとばかり運んでくる。とはいえ彼らのロマンチシズムや旺盛な好奇心、放蕩、恋に悩む姿は魅力的ではあるのだが。
    ホセ・アルカディオ・ブエンディアやアウレリャノたちはメルキアデスの遺産(錬金術や真理探究)に魅せられるのだが、人生の初めから終わりまで一貫して夢中になるわけではなく他の大義や恋によって中断されることもリアルだ。
    それにしても、この小説では「気が狂った」人間が真実を見通している。生活の些末なことを飛び越えた遠くのものを見通しているせいなのだろう。

    恋と愛について。この小説では明確に区別されているような気がする。恋=性欲を中心とした一過性の情熱、愛=必ずしも性欲を必要としない落ち着いた感情、といったところだろうか。だからあんなに狂おしくレメディオスに恋したアウレリャノ・ブエンディア大佐が愛を知らない人間だというのにも矛盾はないのだろう。
    愛のあるカップルは老いた後のアウレリャノ・セグンドとぺトラ・コテス、そして最後のアウレリャノ・バビロニアとアマランタ・ウルスラくらいか。

    最後に豚のしっぽをもつ子供が生まれたのにはやられた。最初から何度も張られていた伏線だったのにもかかわらず、驚かされた。物凄くうまい物語の閉じ方だ。

    孤独を宿命づけられた一族の百年の物語。
    愛は、孤独を救えたのだろうか?
    心変わりにしても死によってにしても、愛はいずれ失われるものであるというのに。

  • とにかく読んですごい本だから、といわれて

    うん読むよ、と答えてから二年以上が経ったのかしら、
    こうなってくると逆に手を出しづらくなってきて、せきたてられるように
    読みました。
    まあこれが読みづらい読みづらい。
    二日くらいで読み切ろうとしたんですが、根気が必要です。
    文体もフラフラ、同じ表現の多用。もっと抒情的に描いてくれれば
    感情移入もしやすかったんですが、そうしないところがこの小説の特性上のキモなんでしょうね。

    『予告された殺人の記録』が「キライ」と言ってもいい出来だったので
    ちょっと不安だったんですが、
    最後まで読み終わって溜息が出ました。

    これは、どんな作家も一度は目指す、一つの終着点であり
    完成形です。

    「面白いか」と言われるとわたしはあいまいに微笑むしかないですが、
    「すごいよ、読んだ方がいい」とは間違いなく言えます。
    そういう作品です。

    あらすじとしては、豚のしっぽを持つ子供が生まれることを恐れるあまりに
    村を出てマコンドという村をうちたてた
    ホセ・アルカディアとウルスラにつらなる一族の物語、としか
    説明のしようがないのですが

    マジックリアリズムとどうも言われているようなんですが
    メルキアデスと呼ばれているジプシーが死後も普通に出てきたり
    レメディアスはシーツにくるまれて昇天したり
    ウルスラさんは120歳くらいまで生きていたり
    なんでもトランプ占いで予言できるピラル=テルネラだったり
    「えっどういうことですか?詳しく」と言ったら負けというか
    あ、そういうことですか、はいはい、と受け入れていくうちに
    いったいこの物語をどういうスタンスで読めばいいのか
    感情移入なんてできるはずもなく、俯瞰したところから、ふわふわと
    酩酊したような気持ちで、きまぐれに人生をのぞきみる神のように
    この本を読む羽目になるわけです。

    そんな私は、アウレリャノ=ブエンディアが大佐になろうが
    好きにしたまえよ、革命のために死ぬのも君の自由だよ、等と
    クールなスタンスで読んでいたのですが
    レベーカとピエトロ=クレスピの婚約からはじまる
    アマランタの「どうしてそこまで!」という嫉妬と狂気に
    ページをめくる手が早まりました。

    レベーカがホセ・アルカディアと結婚したのはまあ
    「あっ、君の気持ちってそういう感じ?まあ・・・よかろうね」と
    スルーしようとしたものの
    アマランタとピエトロ=クレスピがだんだんいい感じになってきたのも
    「まあこれで丸く収まれば万々歳ですよ」と思っていたものの
    そこでまさかのアマランタによるクレスピの拒絶!自殺!完!

    はあああああああああああああああ?
    なにやってんのこの女?バカなの?死ぬの?
    ってリアルに声に出ました

    この小説は登場人物たちの心理描写がほとんどないので、
    行動だけで推し測るしかないんでしょうが、私はこの瞬間から
    アマランタを許せないなあ、と思ってしまったのです。

    だから正直な話、ここから先の世代の彼らがどうなっても
    わりと冷めた目で読んでいたというか
    もうどうでもいいやこの一族的な思いがあったことは否めません。
    同じ名前つけすぎだし。

    世代をこえて同じ名前を与えられると、だんだん
    名前は記号にしかなりえなくなってきて、
    ホセ=こういう人、 アウレリャノ=こういう人 という
    どんどん個人を逸脱した観察になっていき
    いち個人の人生を語った第一世代から、読者は気付いたら
    遠いところに置かれているわけです。

    でも個人的に第四世代は好きです。
    女王様フェルナンダと、
    明るいが学のないアウレリャノ・セグンドと、
    小町娘レメディオスと
    聖母のような献身の情婦、ペトラ=コテス。
    この奇妙な関係はとてもよかったです。
    ペトラ=コテスが実に格好いいのです。
    与えて与えて与えて与えて与えているうちに憎しみを忘れる人というか。

    まさかのウルスラおばさまが大往生し、
    一族のはじまりのことなど誰もおぼえていない頃合いになると、
    アウレリャノとアマランタ=ウルスラが子供をもち、
    希望に満ちた夜明け、かと思いきやのそこからの急降下。

    何と言ったらいいんでしょう、蜃気楼のような、
    群像劇を見せつけられて、これは・・
    物語としてどう、ということよりは、「小説」としてはすごいんです。
    章立てもしてあって、章ごとの起承転結も意識してあって、
    ダレない。(が、山場もない。)

    うまく言葉にできないですね。
    ただこの感覚、夢か幻をみせられたような、なかば以上は
    ドキュメンタリー映画をみせられたような、そういうまじりあった感覚、
    これはなかなか味わえるものではなく、忘れがたいとも思います。
    この小説にかわる小説はどこにもないでしょう。
    そういう意味で、まごうことなく傑作です。

    時間の都合で、急いで読んだのでもったいなかったかもしれません。
    二日で一章くらいのペースで、きちんと個人個人と血筋を追っていけばまた違う感想になったかもしれないとは思うので、
    数年後くらいにまた読みたい作品です。

  • 再読。
    あらすじに収束できないような取りとめのない複雑な物語をガルシアマルケスは書きたかったのではないだろうか。そして、もしその全体を俯瞰することができたとしたら物語は少なからず色を失ってしまう、というようなことを。
    百年の孤独はどこまでも開かれていて、拡散し続けるような取りとめのない物語になっているが、作中に登場する羊皮紙にはその物語を一望できる俯瞰図のようなものが書かれている(らしい)。
    決して読み解き様のないそれを読み解いた瞬間、まるで物語から奥行きが失われるかのように文字通りマコンドは塵と化してしまった。そんな皮肉っぽいユーモアのあるオチとしても読めるのではないかと思った。
    勿論こういった理屈で百年の孤独という物語を解った気になってしまうのは少し勿体ないし、仮にどのような理屈が付いたところでバラバラになってしまわないだけの強度のある物語であるということは保証されているように思う。

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