わが悲しき娼婦たちの思い出

  • 新潮社 (2006年9月29日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (144ページ) / ISBN・EAN: 9784105090173

感想・レビュー・書評

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  • 強烈で有名な書き出し。よそでも散々触れられているだろうから、わざわざ書くことはしないが、まあこんなに読者を引き込む書き出しはない。琵琶法師かっていうくらい聞き耳を立てるよ。

    そしてさすがのマルケスは、書き出しだけのスプリント勝負じゃない。読者を引き付けたまま、しっかりトップスピードで最後まで走り抜ける。
    90を超えた老人が14歳の少女に抱く恋心。恋心なんていう日本語では吸収できない、間欠泉のように空高々に吹き出す激情。どっちが14歳なんだかわからなくなる行動。

    この物語が畢竟何を伝えたいのかということを考えるのは難しい。老人が若い女に恋をすることのみっともなさを描くには、90という年齢は行き過ぎている。みっともないを遥かに超えて奇っ怪である。「そうだよね、恋するとそうなっちゃうよね」って、、、、思えない。思えないよじいさん。
    終わりゆく人生を強調するための、あえての対比での14歳なのかと考えると、老人の人生、終わらないんだ。恋をすることで俄然元気になるんだ。最後はちょっとした急転直下があるけど、まあ、少なくとも枯れた人生にフォーカスを当てた物語ではない。そうすると結局、
    「んもー、なんなの!こんなに好きなのにっ!!」
    っていう90歳のじいさんの姿を鑑賞することがメインになる。

    わかんない。要点はわからない。この物語は川端の「眠れる美女」にインスパイアされて書いたとなっており、そちらをフォローしていればもう少し理解が深まったかもしれないが、読んでないからわからない。
    でもマルケス、いつものマルケス、パッションで押し切る。パッションでトップスピードのままゴールして、面白かった。結局面白かったよ。

    120ページくらいしかないから、気になるのであれば是非。時間の無駄にはならない。

  • 「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」
    冒頭でこうこられたら引き込まれずにはいられません。
    売れないコラム書きの老人がなじみの女将に見繕ってもらった少女は、老人の前でただただ眠る。その姿に、肉欲を越えて深い情愛をもつ老人の話。
    ラテンアメリカ文学の老人のまあなんと元気なことか。この小説の元となった川端康成「眠れる美女」には秘め事の背徳と老いの哀しさが出ていたのですが、そんなもの吹き飛ばすラテンパワー。
    カサレスの「豚の戦記」でも老人と若い女が結ばれるし、プイグの「南国に日は落ちて」の姉妹は「だってあの頃は75歳、ほんの小娘だったのよ、でも今は81歳。もう小娘じゃないわ」なんて会話を交わします。
    本来なら「眠ったままの少女とそれを見る老人の恋愛」など決して成り立たないものを成り立たせているのが小説家の面目躍如。
    またこの主人公の皮肉めいたユーモラスさがくすりと笑えます。

  • まず状況設定が面白い。九十歳の老人が十四歳の少女に恋をする。それも相手は眠ったままという、普通だったら考えられない途方もない状況を、何でもないありふれた日常を語るように淡々と綴っていくその様にマジック・リアリズムの神髄を見る思いがする。

    次に、下手をしたら野卑になりかねない老人の私娼窟通いの日々を、ラテン・アメリカらしい明るさに満ちた祝祭的な雰囲気の中に置くことで、陰惨さのかけらもないおおらかで幸福感に溢れた仕上がりになっていること。読後感が爽やかで、読者を元気にさせてくれる。

    それに、主人公の人物造型が実に魅力的だ。容貌は冴えないが、馬並みの一物を持ち、若い頃から娼婦のもとに通い詰め、五百人を超える女と相手をしたというカサノバ級の猛者でありながら、音楽と古典文学に造型が深く、外国語に堪能でその特技を生かして長い間新聞記者として、文化欄のコラムを担当するという表向きの顔も持っている。長年に渉って、物を書いてきたことにより老コラムニストは、周囲の敬愛を受けている。

    この「博士」が、九十歳の誕生日を迎えようとする前日の朝、突然神の啓示のように「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしよう」という思いつきを得たのが、ことのはじまりである。古馴染みで政界にも顔の利く私娼窟の女主人を介して、十四歳の処女を紹介してもらうのだが、薬を飲んで眠っている少女の健康的で美しいからだと裏腹な身なりの貧しさに感情を揺さぶられ、何もせずに眠るのだった。

    その日を境に、老人は自分の部屋にいても少女が傍らにいるような気がしてならない。九十歳にして初恋を経験したのだ。臆病な性格で恋愛には不向きだと自らを律し、表向きはモラリストを演じ、性欲は金で解決してきた男が、九十歳を前にしてやっと、自分の真の姿を発見し、それと和解するという幸福なストーリー展開。

    言うまでもなく川端康成の『眠れる美女』から設定を借りて書かれた作品だが、じめじめした日の当たらない島国から雨季と乾季の劇的に転換する新大陸に移植された植物が大輪の花を咲かせたように、まったく別の物語になっている点が見事。

    魅力的な登場人物には、事欠かないが、私娼窟を営むローサ・カバルカスは、戦友にも似た立場で老人の再生劇を傍らで見守る。また、古いなじみの娼婦で、老人の性技だけでなく人間的な魅力をよく知るカシルダ・アルメンダは、少女に会えぬことで悩む老人を慰める。二人の港での語らいは、しみじみとした余韻を残す。

    若い頃からいる家政婦のダミアーナは老人に処女を奪われて以来、ずっと老人を慕い続けてきた。「もし結婚していたらいい夫婦になっていただろうな」という老人に「今さらそう言われても」と応えるのだが、しばらくしてから、家中いたるところに真っ赤なバラの鉢植えが置かれ、枕許のカードには「ひゃくさいまで長生きされますように」の言葉が。

    胎児の恰好をして眠る少女は九十歳にして青年のように甦る老人の「死と再生」の隠喩だろう。少女デルガディーナが、眠りながら老人の愛撫やキスに応え、瞬く間に女として成長し美しくなっていくあたりの描写は『百年の孤独』を思い出させる魔術的な文章詐術で、南米コロンビアのうだるような熱さや、嵐のようなスコールを描く筆とともに文章に酔わされる思いが深い。何度でも読み返したくなる一冊である。

  • 小説の書き出しはこうである。

    ---満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた---

    この冒頭の一文がまさにこの小説のストーリーの要約である。

    カルシア=マルケスの書き出しは他の作家の比類を見ないほどインパクトが強い。

    『予告された殺人の記録』の書き出しはこうだ。

    ---自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝五時半に起きた---

    どうして殺されたのか、被害者はどういう人物なのか、読者の好奇心は否応なく掻き立てられる。

    本書、『わが悲しき娼婦たちの思い出』の書き出しも、あまりに強烈で肝をつぶしてしまう。

    訳者の木村栄一さんもあとがきに書かれているが、訳者の木村さんもこの書き出しには違和感を感じたのだという。

    木村さんの感じた違和感は、90歳という年齢の主人公が自分の誕生日を祝うという発想の奇妙さと、その誕生祝がうら若い処女である必要があるのか。
    ということだが、全く同様のことを私も感じた。

    この主人公は昔馴染みの娼家のおかみに頼んで14歳の女の子を紹介して貰う。

    かくして90歳は、14歳の女の子と何度か夜を共にする。

    『コレラの時代の愛 』で、老年の愛、そこに至るまでの壮大な人生の記憶をガルシア=マルケスは巧みに描ききった。
    本書も主題としては、51年間9ヶ月ひとりの女を思い続けるという『コレラの時代の愛』と同じくらいラディカルであり、『眠れる森の美女』から発想を得て着想したことを明らかにし、冒頭にも川端康成の文中引用をしている。

    しかし、この小説には、冒頭の言葉で感じた違和感や奇異なる感情がずっと消えずに最後まで残ってしまった。

    90歳の主人公の老人は非常に元気である。
    結婚はしたことはなく独身で、若いときはお盛んで、514人の女を抱いたのだという。
    最もこれは50代までの数で、メモにつけていた人数らしい。まるでヴィクトル・ユゴーのように(笑)
    でも、彼はロリコンでもなんでもなく90歳で、なぜ14歳を性的対象として求めたのか・・・
    孤独を満たすのなら、猫でも犬でもいいではないかと気づく読み手のこともちゃんと考えて、猫も登場させているが、そりゃ猫よりは14歳がいいのに決まっている。
    決まってはいるが、妄想ではなく実際、14歳をゲットする90歳がいるだろうかというこの犯罪的ともいえる主題に私は嫌悪感を覚えてしまったのかもしれない。

    訳者の木村さんは、あとがきの最後で、ふたたび、この書き出しの部分に言及し、独自の見解を導き出しているので読んでいただきたいと思う。

  • 90歳の初恋。プラトニックラヴ。南米の香り。
    ガルシア=マルケスは名前は知っていたが、読んだことはなかった。
    会話も地の文と同じという初めて読む文体だったが、流れが途切れることなく読みやすかった。
    "満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。"
    こんな一文から始まるのに実際は眠っている少女をただ眺めて添い寝するだけ。妄想のなかで一度動いているが最後まで眠ったままの彼女に話しかけたり優しくキスしたりするだけで満足している。恋をしているから。
    現役で新聞記者の仕事もすれば恋もする。猫も飼いはじめる。
    馬面で不細工とあるけど、カッコいいよな。

  •  「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝にしようと考えた。」老人の話。

     一方的にデルガディーナと名付けたうら若き処女の娼婦がすやすやと眠る様を見て、歌を歌ってやるだけでいい、それだけで心は踊り高揚する様はまさしく恋である。それもかなりのプラトニックな恋愛で、デルガディーナとはセックスもしていなければ特段の会話もない。しかしそれだけで満たされ、その恋情を記事にしたりとパワーが外向きに発せられていく主人公の生命力が凄まじい。
     老いらくの恋というともっと内省的になりそうなものである気がするが、とにかく外へ外へと発信されるそのパワーが、何ともラテン系ぽくて面白い。九十歳でここまで恋に振り回されドッタンバッタンできる人がいるだろうか。

  • 肌身を通して若さと老いを識り、恋愛と人生に動物的鑑識眼を備えた著者が七十七歳になって発表した作品。除夜の鐘を聞く気持ちで頁を捲り、言葉の内に現れてくる神秘的な合図を吟味することを心がけた。
    九十歳という年齢で心血を注げる相手を見つけた主人公のこまやかな心理描写は、天鵞絨のごとく親密な温もりを発している。人物の変わりゆく所と変わらない所が入り交じった文章から、甘酸っぱい味がして調和の感覚が湧き上がってくる。
    難解さを避けて「愛というのはお互いが長い時間をかけてゆっくり育んでいくものだ」と伝える物語がここにある。

    • 大野弘紀さん
      その意味において、
      愛とは、小説のこの言葉の編みこみにも、似ていますね。
      その意味において、
      愛とは、小説のこの言葉の編みこみにも、似ていますね。
      2020/01/03
  • 90を迎えた老人の孤独を癒すのは処女であり娼婦の少女。
    老年を一人迎えた男は誰しもこのような姿をさらすのかしら。

    マジックリアリズムさはないけれどきっとこれもガルシアマルケス。

  • 書き出しが、もう知らんよと言いたくなる、弾けっ振り。
    「満九十歳の誕生日に、うら若き処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝にしようと考えた」。
    この奇想を小説化してみようと考えた動機が、非常に気になる一冊。そしてこの奇作が最後の小説になったということを思うと、奇妙な温かみが心に残る。

  • おもしろかった。薄くてサクッと読める。77才のマルケスが書く90才の老人の娼婦たちとの回想録。それと現在の90才主人公が14才の少女に恋する物語が並走する。湿った物語かと思ったらぜーんぜん。武勇伝以外のなにものでもない。まさかのハッピーエンドに舌を巻く。老いたマルケスの願望か。嘗てのマルケスの壮大なスケールには欠けるけれど、優しさと大らかさと軽やかさのある老成したマルケスも悪くない。老いてもなおエネルギッシュ、南米人の気質ですかね。しかし最近は認知症の噂も伝わり、これが最後の作品かと思うとしみじみ寂しい。

  • 川端「眠れる美女」のほうが何倍もフィットする。思えばあの作品は毒そのものだった。陰そのものだった。
    かたやこちらは、陽。あっけらかんとしているというか、カラッとしている。むしろさわやか。精力。
    幻想も……恋をするとまるであの子がずっとそばにいるように思えるね、という程度。これには父母に関するイリュージョンが絡んでくるが。
    眠る少女と見る老人が、まさかあんなラストを迎え、さらにラストシーンのその後を想わせるとは!

  • 主人公がとても魅力的だった。

    「あの子はあなたに首ったけよ」
    という言葉に泣いてしまった。

    美しい恋の物語。

    娘目線のバージョンも読んでみたい。

  • 陽性の『眠れる美女』。川端康成に想を得たという。そりゃガルシアマルケスは自殺しないよな。

  • (再読済)
    川端『眠れる美女』にマルケスがインスパイアされて書かれた本。
    2冊セットで読書会の課題本。

  • 90歳の誕生日を迎える老人がうら若い処女を狂ったように愛して自分の誕生祝にしようとするという 老人の割にはマッチョなことをする話。やはり男の人にしか書けない小説ではあるのでしょうが 頁をめくるたびに彼の死を予想するわたしを裏切り、孤独な偏屈老人は、真実の愛に満ちた第2の人生への階段を駆け上っていくのです 90歳なのに!!

    読んでいる方としては もう勝手にしてくださいよという感じでしたが それでも 普通考えて死にそうな人が鮮やかな再生を遂げるこの物語は わたしたちの「老い」に対する価値観を疑わせ、また「こっちは心臓止まりそうになるくらいの命がけの恋をしているんだから、あなたたち若い人も少しはまじめに恋愛しなさい」と怒られているような気にもなります

    ガルシア・マルケスは ほんとうにすごい人
    人生の喜びも悲しみも、意味も無意味も この人が一番わかりやすく代弁してくれるのかな、と思いました。

    痛快なお話で、時には涙も出ますが、よろしければぜひどうぞ

  • 作品紹介・あらすじ

    満九十歳を迎える記念すべき一夜を、処女と淫らに過ごしたい! これまでの幾年月を、表向きは平凡な独り者で通してきたその男、実は往年、夜の巷の猛者として鳴らした、もう一つの顔を持っていた。かくて昔なじみの娼家の女主人が取り持った、十四歳の少女との成り行きは……。悲しくも心温まる、波乱の恋の物語。二〇〇四年発表。

    *****

    ガルシア=マルケスの、生前に発表された最後のフィクション作品。
    冒頭の1行、いきなり「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝にしようと考えた」とかなりエグい表現で始まる。かといって内容そのものはプラトニック。
    九十歳の主人公は顔なじみの売春宿に処女を紹介して欲しいと依頼する。そして紹介されたのは14歳の処女「デルガディーナ」。
    「デルガディーナ」は眠っているだけで、会話も交わさず、性的な関係も結ばないままに主人公は彼女に恋をする。しかもこれが初めての「純愛」。そこに老い、孤独、欲望、死、といったテーマが絡んでくる、といった内容。小説の中でも終始一貫して二人の間の会話はほとんどなく、最後まで結ばれることもない。それでも主人公は「デルガディーナ」に本気の恋をし、「デルガディーナ」も売春宿の女主人に言わせれば「あのこはあんたに首ったけよ」となる。

    とまあ簡単に書いてしまうとこんな感じなのだけれど、なんとも掴みどころのないままに読み終えてしまった。なんでガルシア=マルケスはこれを書いたんだろう、という疑問すら湧いてしまった。ちなみに今までに読んだ彼の作品はどれも面白かった。短編集も面白く読めたし、「族長の秋」と「予告された殺人の記録」はここのレビューで4つ星と5つ星を付けている。僕の中では彼はかなり面白い作品を提供してくれる作家の一人なのだけれど、それにしてはこの「わが悲しき娼婦たちの思い出」はあまりしっくりとこない。他の方のレビューを読んでみると、とても面白かったという意見が多いのだけれど、「えー、そうなの?」と不審に思ってしまう。なんか狐につままれたような気持ちというのが正直なところ。

    ラテンアメリカ文学の研究者で翻訳家でもある寺尾隆吉氏によると、晩年のガルシア=マルケスはリンパ癌を発病、文章を書くことさえままならなくなったとのこと。そういえば、この「わが悲しき娼婦たちの思い出」も話の進め方が良くいえばスピーディにほいほいと進む、悪くいえばもっときちんと深く掘り下げて書かれるべき、という場面が多かったように思える。もしかしたら書きたくても書ききれなかった状態だったのかもしれないな、と変に想像してしまった。

  • 始まりのグロさには驚くも最後はこれは純愛小説だと思った。ガルシア=マルケスの締めくくりはやはり100歳(年)なんだと少し安心した。

  • ふむ

  • 最初からぶっ飛んでて面白かった。ラテンならではの熱と渇きを感じた。

  • 『眠れる美女』のねっとりとした執拗ないやらしさに比べるとアッケラカンとしたヤラシさ。お年寄りの妄想を読んでいる気分。
    物語は面白くなかったけれど、これまで挫折してきたマルケスのほかの本に比べて翻訳がすこぶる読みやすかった。

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