- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105217037
作品紹介・あらすじ
それは人類がはじめて月を歩いた夏だった-。作者自身が多感な青年時代を送った時代と場所から語られる、上等な郷愁に満ちた、絶品の青春小説。
感想・レビュー・書評
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かけがえのない存在との束の間の穏やかな時間と、別離の繰り返し。けれど、ひとつの別離が新しい出会いにも繋がっていた。だからきっと、私たちが読むことのない、フォッグのこれからにも、きっとまた、出会いと別離は繰り返されるのだろう。フォッグの子ども(きっと息子だろう)にも、おそらく。
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友人からの紹介。感情の起伏を先に書いて,「・・・というのは・・・」という書き方,英語らしいのかもしれないけれど,どんどんネタバレしていく(?)感じがどうも趣味に合わなかったなあ。
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「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった」という書き出しから、作品の舞台になっているのが1969年と分かる。主人公はボストン生まれのM・S・フォッグ。早くに母を亡くし伯父と暮らしていたが、四年前にコロンビア大学で学ぶためニュー・ヨークにやってきた。フォッグという聞き慣れない名から、映画化もされたジュール・ヴェルヌ作『八十日間世界一周』を思い出す読者もいるだろう。主人公の名がフィリアス・フォッグだった。
この小説を一口で言えば、60年代アメリカの世相を背景に、頭はいいが、内向的で現実社会に生きることに不向きな若者の愚行を描いた青春小説といえるだろう。自尊心と他者に頼りたくないという潔癖さから、金に不自由していることを誰にも知らせず、餓死一歩手前まで追い詰められてゆく主人公に感情移入するのは現在ではかなり難しかろう。60年代後半といえば、ヒッピー・ムーブメント盛んなりし頃で、あえてドロップ・アウトをめざす若者は少なくなかった。ただ、主人公はそんな時代風潮とは関係なく「そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。ぼくは危険な生き方をしてみたかった。とことん行けるところまで自分を追いつめていって、行きついた先で何が起きるか見てみたかった」という若さゆえの冒険心から、破滅的な生き方を選んだのだった。この主人公もまたオースター的キャラクターであることは疑いを入れない。
結果的には後に恋人になるキティという女の子によって救われるが、それは小説でいえば第一部に過ぎない。その後、自活のため主人公はトマス・エフィングという車椅子に乗った盲目の老人の世話をしつつ、死期が近づいた老人の依頼で、その数奇な人生を本にまとめる手伝いをする。トマスの秘められた過去の打ち明け話が物語内物語になっているところは、いつものオースター調であるが、それが単なる面白い挿話にとどまらないところがいつもとはちがっている。いわばそれがミッシング・リンクなのだ。
老人には、別れた妻との間に一人息子がいることがわかっている。自分の死後、何故故郷に帰らなかったかを記した今書きつつある本を息子に渡して欲しいと頼み、老人は死ぬ。数ヵ月後ソロモンという名の大学教授から返事が届き、主人公はホテルで老人の息子と対面する。ソロモンの語る半生記もまた、物語内物語となり、この不思議な物語の失われた環を繋ぐ働きをする。
ありえないような偶然に次ぐ偶然、死に瀕したあとには幸運が、親しい誰かの死後には遺産が舞い込むという、まるでディケンズかフィールディングの筆になるヴィクトリア朝英国小説のような展開には、いささか戸惑いを覚えるものの、そこはオースター。最後は、現代アメリカ小説らしい結末を用意している。東海岸から始まった旅は、ユタを過ぎ、最後は西海岸に至る。この、ひたすら西へ西へと進もうとするトマス、ソロモン、マーコ三代の極私的な旅程にアメリカの歴史がオーバー・ラップされているのを見逃してはいけない。
ムーン・パレスというのは、主人公の部屋から見える中国料理店の名である。そこで主人公が引いたおみくじクッキーには「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」という謎めいた文句が書いてあった。主人公は何の気なしに財布の底にしまうが、後にそれが、トマスの生まれたショーラムにある、あのテスラ・タワーで知られるテスラの残した言葉だと分かる。主人公、トマス老人、それにソロモン、この三人を繋ぐのが月である。ルナは、月の女神であり月を指すが、ルナティックという言葉には精神を病むという意味合いがある。何度も言及されるシラノ・ド・ベルジュラックが象徴するように優れた才能を持ちながら、この地球ではなく月に憑かれた男たちの人生を描いた、オースターには珍しい、語の真の意味でいうところの「コメディ」である。 -
【読み途中】
退廃的な大学生
出会いと別れ
本から得た知識、それを用いて紡ぐ言葉の数々。
p63
ある意味で、彼らは僕の経験の意味を一から書き換えてくれたのだ。僕は崖っぷちから飛び降り、もう少しで地面と衝突せんとしていた。そしてそのとき、素晴らしいことが起きたー僕を愛してくれる人たちがいることを、僕は知ったのだ。そんなふうに愛されることで、すべてはいっぺんに変わってくる。落下の恐ろしさが減るわけではない。でも、その恐ろしさの意味を新しい視点から見ることはできるようになる。僕は崖から飛び降りた。そして、最後の最後の瞬間に、何かの手がすっと伸びて、僕を空中でつかまえてくれた。その何かを、僕はいま、愛と定義する。それだけが唯一、人の落下を止めてくれるのだ。それだけが唯一、引力の法則を無力化する力を持っているのだ。 -
昔、読んだ時のことは朧気で、再読してみて確かにオースターがコメディーと呼ぶのは判るなと思った。次々と月の満ち欠けのように物事が起きて、オースターの作品で特に好きという訳では無いけど良い小説だと思う。
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柴田さんのトークイベントに向けて翻訳されたものを読みたくて、他の作家さんがお薦めされてたこちらをまず読んでみました。面白かった。訳が目当てだったけど、内容も。時間や場面、主人公の関心が次の人や物へと移り変わっていくのに、だらだらとした印象は少しも受けない。いろいろな影響を受けたり、あまり良いとは思えない選択をしたりしながらも主人公は人々と関わって、その中で経験が確かに生きている。誰かと向き合っているときに、その人の話すことで頭がいっぱいなのに、自分が一人で公園で過ごしたときのことを思い出すとか。偶然も明らかになる真実も無理やりでなく、かつ無駄なく描かれてた。他のポール・オースターの作品も読みたいです。
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車椅子の老人の世話、その息子、僕を救った中国人女性
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内容:あらすじを書くとネタバレになりそうなので、主人公が貧乏で死にそうになって、変な爺さんと会って・・・と、いい加減なことを書いて終わりにしときます。
感想:うーん五つ星をつけるのはどうかと思ったけど、予想よりずっと面白かったので五個で。アメリカ現代文学は初なので、村上春樹と比べるしかないんだけど、あっちより理性的で洗練されていると思う。たぶん。より男性的。まだ区別つかないけどまさに村上春樹じゃん、村上春樹をうまくした感じじゃん、と思った。そして嫌いな部分も村上春樹と一緒。どうしてなんだろうな、このフラストレーションは。まあでも最近読んだ小説の中ではだいぶいいほう(って最近あんまり長編を読んでないんだけど)。ただニューヨーク三部作を外してこれを選んだわけだけど、これがオースター作品のどのへんなのか分からん。しかしとにかくオースター初体験は思ったより悪くなかった。って、またろくな感想じゃねえ。 -
誰かが誰かを救うことが出来るという奇跡を、もう一度信じてみたくなった本。