幻影の書

制作 : 柴田 元幸 
  • 新潮社
3.96
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本棚登録 : 534
レビュー : 63
  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105217129

作品紹介・あらすじ

絶望の危機から救ってくれた、ある映画の一場面、主人公はその監督の消息を追う旅に出る-大胆で意表を突くストーリー、壮絶で感動的。アメリカでもオースターの最高傑作と絶賛された長編。

感想・レビュー・書評

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  • 妻子を事故で亡くした男が喪失感と罪障感に苛まれ自暴自棄になってしまうが、何かの仕事をすることで、そこから立ち直ってゆく姿を執拗に描き続けることは、ポール・オースターにとって、オブセッションなのだろうか。二番煎じ、三番煎じと言われることは分かっているだろうに、手を変え、品を変え、同一主題に繰り返し手を染めてしまうのは、拭い難い過去の経験の浄化の作業なのか。さほど不器用とは思えない技量の持ち主にして、この度重なる反復は単なる偶然とは到底思えない。

    とはいえ、そこは技巧派をもって鳴るオースター。原点ともいえるニュー・ヨーク三部作に纏わりついていたポスト・モダン・ミステリ風の遊戯感のようなものは影を潜め、本作にはむしろ先祖がえりしたような古典的ミステリの風格すら漂う。二転三転する結末のどんでん返しには、かつてミステリと誤読された三部作なんぞより、ずっとミステリらしい謎解きが待っている。

    映画に造詣の深いオースターならではといえるのが、作中に登場する映画についての議論である。トーキー化される直前のサイレント映画のスター、ヘクター・マンの監督・主演になる十三本の無声映画。勿論、作者による架空の映画なのだが、一本一本の映画について、カット割からキャメラ・ワークにいたる撮影技術はもとより、マン自身の演技についても、まるで実在する映画を論じているような詳細かつ先鋭な映画論であることに驚かされる。生半な知識ではないのだ。

    時は十一年前にさかのぼる。ヴァーモント州で大学教授をしていたデイヴィッド・ジンマーは、一通の手紙を受け取る。差出人はニュー・メキシコ在住のフリーダ・スペリング。当の女性に覚えはないが、括弧書きで付された夫の名前は知っていた。飛行機事故で妻子を同時に亡くし、数ヶ月というものアルコール漬けになって自宅に引き籠っていたとき、唯一笑ったのが、テレビで流されていたヘクター・マンの映画だったのだ。彼は、それから大学を休講し、米国各地やヨーロッパに残るヘクターのフィルムを観て回り、論文を書いた。手紙は、出版された本を読んで、ヘクター自身が会いたいと言ってきたのだった。しかし、問題があった。ヘクターの消息が絶えてから六十年以上たっているのだ。

    悪戯ではないかと疑い、招待に応じるのを逡巡するジンマーを訪ねてきたのはアルマという若い女性で、ヘクターの伝記を書いているという。話によれば、ヘクターは失踪後も映画を撮っているが、誰にも見せず保管している。それは遺言で本人の死後焼却されることになっている。同行してくれれば話も聞けるし映画も観られる。ヘクターが会う気になったのは死期が近づいているからだ。迷っている暇などない。今すぐ行こう、というのだった。

    ニュー・メキシコを訪れたジンマーは、ヘクターに会うことができるが、老男優はその晩死ぬ。残された時間はわずか。彼が見ることを許されたのは、失踪後に撮った十四本の内の一本『マーティン・フロストの内なる生』だけだった。

    ヘクター・マンがなぜ六十年もの間消息を絶っていたのかという謎については、ニューメキシコまでの道中アルマによって語られる。天国と地獄を行ったり来たりするジェット・コースター・ムービーみたいな半生記だが、その話自体も作中作の物語となっていて、同一主題の入れ子構造を持つ。また、焼却前に見ることができた唯一の映画『マーティン・フロストの内なる生』の内容もまた同一主題の変奏曲である。取替えのきかない唯一無二絶対の女性を、自分の過誤のために失ってしまった男が必死の思いで償いの作業に身を投じる。にもかかわらず、その作業の成就と機を一にするかのように最愛の女性は死んでしまう。この悲惨極まりない運命の悪戯を、作家は偏執狂的なまでに執拗に反復せずには置かない。

    実は、男が夢中になる、その補償行為は唯に男だけのためのものでしかなく、残された男をめぐる他の女をはじめ、周囲には届かない種類のものなのだ。誰に見られることもない映画の製作。書き上げると同時に燃やされてしまう物語原稿。エトセトラ、エトセトラ…。徹底した自閉空間で演じられるグラン・ギニョール(残酷劇)ともいえる。

    回想視点で語りだされた物語は、最後の章で現在時に戻ってくる。一度ならず心臓発作に見舞われた語り手は自分の死について考え、これまでのことを本にしようと思う。数奇な運命に躍らされた男の物語である。本の最後には驚くべき秘密が暴かれている。それと、わずかながらの未来への希望が。小説とは、所詮作り物である。であるのに、この結末に一抹の救いを見てしまうのは、よくできた作り物の中にこそ真実があると、どこかで信じているからかもしれない。

  • はじめてのポール・オースター。
    オースターの名は洋書の棚で以前からよく目にしていた。パラパラとめくったこともある。ぱきぱきと乾いた文体が心地よかったのを覚えている。それ以来、いつか英語で読みたいと思っていた。何といっても、現役作家である。新刊の発売と同時に洋書フロアに駆けつけてお買い上げ、一度はやってみたいじゃないか。

    で、ある日のこと。
    図書館で翻訳文学の棚にオースターの作品を見つけ、その帯に『オースターの最高傑作』の文字を見つけ・・・・・・ふらっと手にとってしまった。ああ、訳書は読まないでおこうと思っていたのに。

    読み始めてすぐ、これは訳がいいのだな、と思った。原文の独特な雰囲気を損なわずにここまで読ませるのは翻訳者の技量だろう。日本語訳で読んで作風のイメージが崩れるのを恐れていたのだが、この点に関しては杞憂だったかもしれない。柴田元幸訳ははじめてだったのだが、気に入った。なかでも映像描写の巧みさには感心した。チャップリン、キートン、ロイドなど、無声の喜劇映画は大好き。その味わいが文章でここまで表現できるとは、恐れいった。著者、訳者双方の確かな実力のなせる業だ。

    これは是非とも原文で読まなくてはいけないな、そう思った。
    また楽しみが増えたなぁ。

  • 翻訳小説には、ありがちな拒否反応が私にはあります。幼稚ですが登場人物が、分からなくなってしまう。そんな私が何故が読みました。分かりやすかったです。何層にも重なるストーリーに魅力があります。

  • 存在の不確かなモノを追う物語
    オースターの小説には,このパターンが多いと思うが,その中では,現実味のある読み応えのある内容だった。
    主人公が追っていくうちに,存在の不確かなモノの存在がだんだん現実味を帯びてくる。
    ふわふわ漂っていた物語が,最後はしっかり着地したような感じで,とても面白く読めた。

  • 久々のオースター作品。嵌まってしまうとやはり面白い。
    オースターの本って、嵌まるまでちょっとツラいねんな。みっちり詰まった活字に、微細な情景描写、勢いで上っ面なでるように活字を流してしまうと、途中で描写が分からなくなりページを戻るはめに陥ったり…

    でも、リズムに乗ってしまうと、のめり込んで行ける。この本もそう、最初の方はぎこちなくページを繰ったり戻ったりしてたけど、のめり込んだらしめたもの、語り手ジンダーと主人公ヘクターの数奇な人生を共に歩んでいるような感覚で、現実を忘れそうになるくらい読み耽ってしまう。

    映画を作ること、小説を書くこと、外国文学を訳すこと、評論を書くこと…ジンダーもヘクターも数奇な人生を送る中で、その横に必ずあったものがそういう表現活動だった。人との付き合いをほぼ絶ってしまっても、彼らの愛した人々が次々とこの世を去ったとしても、彼らは絶望の淵にしがみついて生を諦めきれず、創作活動を続けた。

    その生きざまが、悲劇にも喜劇にもなる。オースター自身が小説も映画も創作する表現者である故、勘所をついた文の面白いこと嵌まること。想像していたほど重厚な文学ではなく、かといってエンターテイメント性だけを押しだした小説でもない。小説としてだけでも十分に楽しいが、孤独とか創作とか継続とか、そういう生きて行く上でやっていくことを濃密に考えさせられる小説、濃い読書の時間をもてて本当に良かった。

  • 読み出したらとまらない。
    ストーリーテラーってこういう作家のことを言うのか。
    ニューヨーク三部作は、抽象的な部分も大きかったが、この本では、家族を亡くした主人公の話、突然いなくなった俳優の話、映画の中の話などが重なって、完成度が高くなっている。

  • 無声映画の描写が素晴らしい。柴田元幸氏の翻訳の真骨頂だろう。
    物語は後半に向かい怒涛の展開を見せ、わずかな希望を残すにとどまるが、起きてしまったことに比べれば読後の絶望感は意外なほど軽かった。
    文章が端正さを極めているからだろうか。
    「面白い本を読んだ」と心から思えた。

  • はじめて読むポール・オースター。
    圧倒された。
    「緻密」というしかない記述の濃さ、厚さ。
    自然さゼロの、限りなく人工的な展開とそれを支える言葉たち。
    はじめは読んでいるつもりが空転していることに気づき、舌打ちしながらページを繰った。が、次第にリズムが合い始めたのか、言葉の海に溺れることなく泳ぎ切れた。
    ふうっ!(充足のため息)

  • 初・オースター作品
    イメージと全然ちがった。
    読み出しはなかなかページが進まず、何回も放置していたが、数十ページすすんだあたりから嘘のように止まらない。本当にそんな映画が実在しているかのような描写でぐいぐいと引き込まれた。
    そして予想もしない展開。後半はスピード感もあって、スリリング。いやぁ、おもしろかった。

  • 白黒映画時代に失踪した俳優。

    そして数十年後にひょんなキッカケから、
    その男について本を書いた私。

    ある日、俳優の妻を名乗る男から手紙が届いて---

    ミステリアスなはじまりに惹きつけられる。
    展開も波乱に満ち、人物の心情も深く書き込まれている。

    話中に映画が取り込まれており、
    登場人物を介して物語を観ることで、
    多層的な表現がされている。

    話の表層部を浅く読み取ると
    男と女の愛について描くのに割かれたページが多かった。
    長いもの短いもの深いもの浅いもの。刺激的だった。

    究極の償いとは何かについて、
    思考実験ともいえるほど張り詰めた条件で行われているな。
    という印象を受けた。
    (オースターさんの作品はいつも読んでいて思考実験的な趣を感じてしまう)

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