闇の中の男

制作 : Paul Auster  柴田 元幸 
  • 新潮社
3.81
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本棚登録 : 375
レビュー : 38
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105217174

作品紹介・あらすじ

ブルックリン在住のオースターが、9・11を、初めて、小説の大きな要素として描く、長編。ある男が目を覚ますとそこは9・11が起きなかった21世紀のアメリカ。代わりにアメリカ本土に内戦が起きている。闇の中に現れる物語が伝える真実。祖父と孫娘の間で語られる家族の秘密――9・11を思いがけない角度から照らし、全米各紙でオースターのベスト・ブック、年間のベスト・ブックと絶賛された、感動的長編。

感想・レビュー・書評

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  • アメリカの片田舎で、一人の男が闇の中、眠れずに過ごす。2階には男の娘と孫娘がそれぞれの寝室に眠っている。
    男は書評家だった。何十年もずっと書き続けてきた。だが今は老いた。妻を失い、自動車事故で脚は動かず、失意の中にある。
    娘は若すぎる結婚に失敗して独り身でいる。教職に就きながら、ホーソーンの娘、ローズの伝記を執筆している。
    孫娘は映画を学んでいる。だが同棲していた恋人が不幸な死を遂げたことに立ち直れず、学校を休学中だ。男の娘である母を頼ってやってきた。
    不幸な3人である。

    男は眠れぬまま、1つの物語を思い浮かべる。
    主人公はオーエン・ブリック。子供向けのパーティで手品を披露して生計を立てている。
    ある夜、ブリックが目を覚ますと、彼は穴の中にいる。そこはもう1つのアメリカ。「911」がなかったアメリカである。しかしそこでは、激しい内戦が起きている。ブリックは投げ込まれたその異世界で、「世界を救う」任務を与えられる。
    奇妙な任務にブリックは戸惑う。本当にそんなことで世界は救われるのか? なぜ自分が選ばれたんだ?
    わけもわからぬまま、異世界で、昔あこがれていた高校時代の同級生に誘惑され、一方で激しい暴行を受ける。
    入れ子構造のようなパラレルワールドである。SFめいた様相も見せつつ、闇の中を手探りで進むように物語は進む。
    だが劇中劇は唐突にぶつりと断たれる。実際の戦場を想起させるような、乱暴な不条理によって。

    男は毎日、失意の孫娘と映画を見ている。孫娘は時折、鋭い批評眼を覗かせる。男は小津の「東京物語」が気に入っている。未亡人が幕切れ近くで手にする懐中時計は、彼女の心情を語る「命なき事物」である。
    男と孫娘は、眠れぬ男の寝室で語り合う。男や娘、孫娘の人生について。さまざまな人に起こった悲劇について。世界の残酷さについて。密やかに流れる静かな時間。確かにある親密なぬくもり。2人の姿は一幅の静物画を見ているようでもある。

    2008年の作品である。
    全編に911後の「喪失感」は漂う。しかし、911がなかったとして、そこに暴力はなかったのかといえばそうではない。国家規模の大きな枠でも、個人対個人の小さな枠でも。
    911後にアメリカの分断化は確かに顕在化したけれども、たとえ911が起こらなくても、いずれは対立は明らかになっていたのではないか。老人の妄想には作者自身の確信が滲む。
    暴力も悪もすべての人の中にある。
    しかし、闇の中で苦しむ誰かの背をそっと撫でさするような優しさやぬくもりもまた、すべての人の中にある。

    「このけったいな世界が転がっていくなか(As the weird world rolls on)」は、詩人としては大成しなかったローズ・ホーソーンの詩の一節である。
    この奇妙な世界を生きていく、いびつな存在である私たち。
    世は悲劇や理不尽に満ちているが、くすりと笑える瞬間や美しいきらめきもまたどこにでもある。
    時折、眠れぬ夜を過ごす。しかし、いつだって夜はいずれ明ける。
    生きている限り、世界が回り続ける限り、私たちはそうして歩み続ける。

  • 勿論、この作品の白眉は「主人公オーガスト・ブリルの紡ぐ、ジョルダーノ・ブルーノ的多次元世界としてのメタ話中話」ではなくて「孫娘カーチャへ亡き妻ソーニャとの日々を語る眠れない未明」だとう思う。殊に、孫娘の誕生を機に二度目の同居をソーニャが決意する下りは伴侶持ちには感動的ですらある☆でも個人的には、話中話の主人公、手品師ブリック・オーエンとアルゼンチン妻フローラの話はスピンオフしてほしい。

  • 随分久しぶりにポール・オースターを読む。話の組み立て方が相変わらず凝っている。物事の中で物語が展開するお馴染みのパターン。しかもそれは単なる入れ子の構造ではなく、物語が進むにつれ輪郭が曖昧になり入れ子の中身が渾然一体となってゆく。さすがにオースターらしい。途中までわくわくとした気分で高揚しながら頁を繰っている自分を意識する。

    しかし、途中から雰囲気が変わる。徐々に作中の人物に語らせる言葉に意図的な刺々しさを感じ始める。違和感が押し寄せる。剥き出しの感情、それも決して幸せな気分ではない。怒り。打ち降ろしようのない振り上げた拳。いらいらとした感情が登場人物の背後に蠢く。

    どろどろとした感情を小説に持ち込まないで欲しいとか、ポール・オースターらしくないとか言って拒絶するつもりはない。しかし、この焦燥感と怒りの感情は双方向の遣り取りを生み出さない。一方的に言葉を発するものから受けとるものへ作用する。そして、それを受け止め損ねた読み手を置き去りにする。むしろその峻別を意図しているのか。そう勘ぐる程に言葉が鋭い。

    もちろん、これまでのオースターの作品とてニューヨーカー的リベラリズムが基調となっていたし、政治的な色で言えば青を志向していることは明らかであったけれど、個人的な主張を読み手に迫るようなことはなかったと思う。恐らく違和感の元はそんなところにある。オースターが揶揄する人物が「お前の旗を見せろ!」と迫ったことと同じことを、主旨は違うとはいえ迫つている。その矛先の鋭さが、ことの良し悪し以前に拒む気持ちを駆り立てる。

    中盤までの複線化した物語は、結局何処へも辿り着かない。それはオースターの小説によくある二疋の蛇が互いの尾を食らって徐々にその輪を小さくしていく展開と見えるのに。その先に待ち構える空白を巧みに描いて見せてくれるのがオースターの魅力であると思うのだが、この本の中に仕組まれた二重三重のからくりは、まるでメビウスの環のように思わず魅せられてしまう程であるのに、途中で打ち捨てられたままとなる。そんな消化不良も手伝って久しぶりのオースターにやや呆然とした気持ちになる。

    作家自身の心の闇。9.11以降のニューヨーカーのPSTD。どうしてもそんなようなことを考えてしまうけれど、何かを力ずくで取り除こうとすれば、それは新たな心の闇を生む。為すべきことは、ひょっとしたら沈黙なのかも知れない。口を禁んでいれば、少なくとも誰かを傷つけることはない。消極的な自殺願望。そんな思いの狭間で、オースターは答えを保留する。その態度に唯一救いを見る。

  • 本作も入れ子構造。劇中作の方が面白いのだが、途中で唐突に終わってしまう。

  • 希代のストーリー・テラーがひとつ階段を上った。

    9.11が起きず、内線状態に陥ったアメリカを老人作家が夢想するという展開は、オースター得意の「小説内小説」だし、その作家は妻を亡くし、そこに同居する孫娘は夫を殺されているという設定は、彼の作品に頻繁に登場する「再生」の物語を予感させる。

    しかしながら、従来の作品の「小説内小説」、「再生」とは今回はひと味違う。力強さが感じられないのだ。どこか弱々しく、足取りも重い。かと言って、再生の希望が決して小さくなったわけではない。

    そこでふと思い当たるのは、前著『写字室の旅』だ。
    オースターは、前著はこの『闇の中の男』につながっている、と言っていた。そして、前著に関するワタシの解釈は、オースター自身が自分を見つめなおすための実験ではなかったか、というものだった。
    この実験の結果、弱々しく、足取りも重くなったのだとすると、それは年齢を重ね、9.11を経験したオースター自身がひとつ階段を上り、別の境地にたどり着いたと解釈できるのではないか。内省を経たオースターが、自身がもっともしっくりる強さと速さが、従来より少し弱く遅い『闇の中の男』なのだ。
    そう解釈すると、これまでの作品との差異、そして『写字室の旅』の持つ意味がきれいに説明できる。

  • 闇の中、一人の老人が
    911の無かったもう一つのアメリカを夢想する。

    不可抗力的に大事なものを失い
    痛みを抱えた壊れかけた人々が描かれており、
    世界の残酷さ儚さ理不尽さに
    なんだか苦しい気持ちに。。 ただ、その現実に絶望したり
    開き直るような姿を描いてるわけでもない。
    特に老人が孫娘に自分の半生を語る場面は
    何か感動のようなものを感じた。
    この場面だけで個人的には
    読んで良かったと思える。

  • 可能性としての「911が起こらなかったアメリカ」の虚構の物語を作り出していく男と、そこに奇妙に絡んでいく現実の世界。
    この本を読む時、読者は物語を作り出していく男の目線に合わせて読み進めていくのだが、そもそもこの男自身が作家による虚構の産物に他ならないため何重ものメタ構造を理解しながら読まねばならず、時として自分が「どの現実」を生きているのか(『今この本を読んでいる私』を含め)が分からなくなっていく。
    非常に面白い。

  • 語り手の老人ブリルを中心にその家族構成が少し複雑なので、多少わかりずらい。更に、ブリルは自分自身にブリックが主人公の物語を語っており、それが全体に含まれている。

    ブリックは朝目覚めるとパラレルワールドのような場所にいる。それはFalloutのゲームが始まる前の、核攻撃以前の内戦状態のような世界だ。ブリックは、その悲惨な世界や運命をもたらした当の本人、ブリルを殺す役目を負わされるわけだが、結局果たせずに殺されてしまうのは、まあ妥当なんだろうが、残念と言えば残念。

    オースターにはこういう、物語を語ることそれ自体に対して言及する姿勢がある。読者は、ブリックはブリルを殺すだろうと期待する。ところが、あっけなくブリックは殺されて、おそらく本来語るべきブリルの話に戻っていく(これは献辞からみて妥当だろう)。

    そして、そもそもブリックの物語は、おそらく死んだタイタスに関係し、それは最近のテロリストとの戦争にも絡んでいるのだと最終的にわかる。もしかしたら、タイタスはオースターの「ガラスの街」で描いたクインに類していて、文学への希望も愛も(カーチャとは戦争に行く前に別れていたという)失って、そこにもしテロリストとの戦争があったらこうなるかもしれないという投影なのかもしれない。

  • 戦争は誰かの頭の中だけで作られているのか?

    それともこの戦いは、時の政府に対する反旗なのか?

    自分が抱える闇を消すために自分が殺される物語を作る…

    あちら側とこちら側を行ったり来たりしながらの物語は突然だけど、不自然さはあまり感じない

    感じたのは小さなつながりの中で育まれる小さな希望

  • 老いた男が眠れぬ夜を過ごす為に頭の中で物語を作り出す。物語の世界と現実の境は交錯しはっきりとしない。その世界は起こりうるかもしれない殺伐としたアメリカの未来だ。一方で老いた男は心に深く傷を負った孫娘に、亡くなった妻について語る。夫婦の歩みは山あり谷ありだが、そこには長年生きてきたからこその確かなものがある。現在を生きる私たちには不安な未来しかないし、先の見えない闇の中にいるのかも。それでもラストは、少しでもより良く生きるよう努力はできるって感じさせてくれる。

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