冬の日誌

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105217181

感想・レビュー・書評

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  • ポール・オースター。この方はこういう人生を生きているんだと知る。長い長い64歳の回顧録。大きな出来事も、小さな出来事も平等に掬いあげて書かれている。人生って、ビッグイベントだけじゃないものね。それにしてもなんというあたたかみのある文章。自分の人生をこんなふうに慈しむことができたら、書き記せたら、それは相当なしあわせではないか。オースターもそれを感じている。だから最後は9.11であり、ドイツの収容所であり。これを噛み締めて、冬の時代に入るのだ。64になったらもう一度読みたい。その頃は暇にあかせて原書でいこうか。

  • 大好物である柴田元幸訳ポール・オースターの新刊。いつもの通り、「訳者あとがき」を読んでから本文に取りかかった。
    乱暴にまとめてしまうと、「人生の冬」を迎えた初老の作家の回顧録ということになるのだろうが、そこはオースター。彼の深い思索というフィルターを通すと、何か詩的で味わい深い文章になる。
    これまでに住んだ21箇所の家の記録こそ時系列だが、それ以外は時間を行ったり来たり。親、家族、恋愛・性愛、そして怪我・病気・事故。こうした過去の出来事を、かつての自分を「君」という二人称で呼び、少し突き放した形で書くことによって、読者と視線を共有している。
    死んでいても不思議ではなかった体験など、かなり赤裸々に書いているのだが、それでも一向に世俗的なものを読んでいる感覚はない。それどころか、読み進めるにつれ、生と死について深く黙思せざるを得なくなってゆくのは、この作品の肝だろう。
    本作を読んだ後、普段は受け取るばかりで、こちらからは出したことがほとんどないメールを離れて暮らす両親に出したことは、個人的なメモとして書き留めておきたい。

  • あまりエッセイとか自叙伝のようなものは読みませんが、今回は好きな作家の自叙伝「的」な散文ということで、一つの小説のように受け止めて読んでみました。
    面白すぎます。
    二人称で自分を呼び、経験したことや感じたことを客観的に描いていますが、それが作家の主観を少し離して読ませてくれるので、自己主張が押し寄せてくるような自叙伝独特の印象はありません。
    共感できるエピソードや、考えさせてくれるエピソードが多分に散りばめられていて、書き散らしているような作品でありながら次々とページをめくらせる本です。
    事実は小説より奇なり、ともいいますが、まさしくそんな言葉を具現化している作品だと思います。
    ポール・オースターってどんな人?とか、どんな作品?とか、興味のある方は、入門編として是非。
    なお、対を為す作品で「内面からの報告書」という作品もありますが、それはこれから読みます。

  • 偶然のように、しかしどこまでも周到にこれまでの人生を語っている。息苦しいほどに。

  • 64歳ってまだまだ若いやん、と思うけど、冬なのか。
    「内面からの報告書」も読む。

  • 『全体の文脈の中ではすべて見慣れていても、部分を取り出してしまえばまったくの匿名性に埋もれてしまう。人はみな自分にとって見知らぬ異人なのであり、自分が誰なのかわかっている気がするのは、他人の目の中で生きているからにすぎない』

    こうしてまとまった文章は、どれもどこかで読んだようでもありながら、今まさに作家の口から語られたばかりの話のようでもある。それは、並べられた記憶のピースが一見何の脈絡もなく、まるで死を前にした人が見るという人生の走馬灯を眺めるような印象を与えるように流れていくからだ。

    記憶はいつも突然よみがえる。匂いや色、温度や湿度。五感をくすぐる刺激によっていとも簡単に。だのに思い出そうとすると記憶はいつも霞が掛かったようにぼんやりと輪郭を曖昧にする。楽しかった思い出は特に遠い。そんな凡人の記憶力と比べることも無意味だが、ポール・オースターのメモリーは、そんな曖昧さの欠片も感じさせない程きめ細かい。それが作家の性(さが)なのか、そんな記憶のコレクションが彼を作家に導いたのか。事実は小説よりも希なりと言うけれど、確かにポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」は、いつも驚きに満ちている。しかし、これは小説の裏話を聞かせるために書かれた文章ではない。記憶を巡る考察と受け止める方がよい。

    一つ一つの段落は、語られる時間も前後し、長さもまちまちだが、その一定でないテンポが記憶を手繰り寄せるもどかしさと響き合う。どの話も結論めいたものがある訳でもなく、と言って何も示唆していない訳でもない。記憶に残らないものは存在しないものと同じだと言ったのはエーコだったか。ポール・オースターのしていることは、いつでも記憶の中で再び人々に生を取り戻す行為だとも言えると思う。

    凡人とは比べようもないと言ったけれど、ポール・オースターの記憶もまた身体の痛みや刺激と結びついているようであることが、本書を読み進めると理解される。なるほど、あとがきで柴田さんが言う通り。やはり本書は身体に刻まれた記憶を巡る考察、あるいはそのことが読者に及ぼす作用を狙った仕掛けだ。作家自身の感情もまた大きな波のように身体に繰り返し現れる症状と伴に記憶されていることが描かれ、その痛みと伴に感情が甦るかのよう。にもかかわらず、書かれた文章からは、痛みがそれ程伝わっては来ない。伝わるのはただ衝撃を受け止めた身体が起こす反射的な作用、神経の脳への伝達が遮断されて起きる貧血に似た脳の痺れ。もちろんそれは、書かれた出来事を想像して感じるのではなく、似たような記憶を手繰り寄せることで自分自身に再現される身体の反応だ。他人の記憶を辿りながら、自分自身の記憶と身体の結び付きを強く意識させられる。そして、作家自身が被った痛みについては、幽体離脱したものが自分自身を見るようして語られ、無表情のまま押しやられる。それが非凡な作家の天性の語り口なのか創作の技法なのか見極める術もないけれど、他人の記憶までもを呼び起こすポール・オースターの文書には、深い感動がある。

ポール・オースターの作品

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