侍女の物語

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105225018

作品紹介・あらすじ

儀式の夜、侍女は仰向けにされて司令官を待った。その精液を受け、妊娠を待った。ただそれだけのために、男に仕えるために。そして、なにもかもが女性たちから奪われた。自由、それはいったい、どんな味がしたのだろう-。恋愛も読書も、仕事や家族やお喋りも、自由の思い出は、すべて夜の眠りの中にしまいこまれた。だが、ヒロインに、小さな希望、壁に囲まれた町から脱出する微かな兆しが…。数々の文学賞に輝いた、衝撃の全米ベストセラー待望の完全翻訳版。

感想・レビュー・書評

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  • トランプ大統領就任以来、アメリカではジョージ・オーウェルの『1984年』が、突如として爆発的に読まれ出したという話を聞いた。今さら、オーウェルやハクスリーでもないだろうと、『1984年』の姉妹版と言われているマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を読んでみた。なるほど、世界のあちこちで排他的、独裁的な人格の持ち主が権力を掌握する今のような時代、この手の本を読みたくなる気持ちがよく分かった。

    放射能や化学薬品その他の影響による環境汚染の結果、出生率が極端に低下したアメリカでクーデタが起きる。法律は改変され、女性は従属的な性として出産のための奴隷労働を課される。主人公はクーデタ後、資産を凍結され、仕事は解雇される。行く末に不安を感じて偽造旅券を手配し、出国しようとしていたところを一家は逮捕され、家族と引き離され、主人公は、政府高官の家で侍女として働くことになる。

    赤い色をした踝までの長さのドレスと顔を隠すための白い翼とヴェールを身に着けた「侍女」とは、生殖能力をなくした妻の代わりに夫と性交し、妊娠することを目的とする代理妻である。快楽のためではなく単なる生殖器扱いだ。ただ、それでも、この時代において、妊娠可能であることは重要な意味を持っており、それができない女たちの嫉妬の視線を浴びねばならない。

    長く高い壁に囲まれているところや、極端な食糧品不足、「目」と呼ばれる組織によって常に盗聴・監視されているところなどから、主人公が暮らすギレアデという社会は、位置的にはアメリカだが、かつての東独を思わせる全体主義国家となっている。もっとも、国是とされているのは共産主義ではなく、キリスト教原理主義であり、国内にいた資産家のユダヤ人は国外に脱出し、戦争相手はクエーカー教徒その他のキリスト教徒たちだ。

    侍女たちは、本名ではなく、誰々の所有になる、という意味で頭に<オブ>をつけた名で呼ばれる。主人公は位の高い司令官の侍女となり、オブフレッドと呼ばれる。買い物に出る時は、いつも決められた相手と組まされ、互いに監視者となって行動しなければならない仕組みで、挨拶の言葉すら決められている。息の詰まるような毎日だが、反逆者は処刑され、壁にある鈎に吊るされ、見せしめにされる国では、面従腹背で生きるより仕方がない。

    一貫して主人公の一人称視点で語られる。顔を隠す羽根は外部を見る範囲を狭め、視界は限られる。また本音を語れば密告される危険性のある環境では、会話から情報を得ることも難しい。したがって、小説世界は極端に限られたものとなる。ただ、かつて図書館員をしていた主人公は知的で、語彙や文章力にも秀でている。主人公の置かれた制度や儀式が客観的に冷静に叙述されることで、非人間的な制度の持つ、個人を押しひしぐ圧迫感がひしひしと伝わってくる。

    独りでいると、クーデタ以前の友達や母親との自由で開放的なウーマン・リブやフェミニズムの運動が盛んだった時代のアメリカを思い出す。主人公の母は活動家で、親友はそんな母を称賛したが、自分はそんな母に反抗していた。現状に違和を感じながらも、恐怖心から逃げることも反抗することもできない主人公だったが、雇用者である司令官と、妻の目を盗んで密会するようになったことから、話は一挙に滑りだす。

    司令官のしたいこととは、覚悟していた変態プレイなどではなく、単語作りを競うボードゲーム「スクラブル」だった。ファッション雑誌や華麗な下着は人間を堕落させると、すべて焼き尽くされた野蛮な時代にあって、ゲームもまた人目をはばかるプレイだったのだ。侍女の中から知的な女を見繕って秘かな愉楽の相手をさせるのがこの高官の道楽だった。やがて、秘密の共有は次第にその階梯を上り、華美な衣装を着けてのクラブ通いにまで及ぶ。

    慎重に見えた女が次第に変貌を遂げ、抑圧していた感情を露わにしだすに連れ、秘密が露見する危険度は高まる。夫以外の男への欲望に自身の堕落を認め、葛藤を抱く主人公だが、抑えれば抑えるほど、反発の度合いは高まる。それまで受動的に生きてきた主人公の変化に、読者は応援したい気持ちに駆られるものの、いつばれるのかという不安もあってディレンマに襲われる。このあたりのサスペンスは、凡百のスリラーなど足元にも及ばない。

    ゆでガエルの法則というのがある。ビーカーに水を入れ、中にカエルを放す。ゆっくり水温を上げてゆくと、カエルは気づかないままにゆだってしまうという。人間も同じで、緩慢に変化する政治状況を顧みずにいると、気がついた時には致命的な状態に陥っている。気がついた時には遅いのだ。自由だったころを回想している自分が、気づいた時にはすでにそのころの自分ではなくなっている恐怖を描いて、この小説は際立っている。

    寓意的な物語であるのに、まるでエンタテインメントであるかのように面白い。これは、ありきたりのディストピア小説とは次元がちがう。思惟する存在として、感情に支配されながらも、意志を持ち続けている人間。家族を持ちながら、一人の女としても生きざるを得ない。錯綜し混乱した存在が、自分ではどうしようもない社会体制の中に放り込まれ、異常な事態をどう生き抜くのかを当事者目線で描いた極上のスリラー小説なのだ。

    他人ごとではない。権力を握る者が法を恣意的に解釈し、国家を誤った方向に導きつつあるのに、報道機関は見て見ぬふりを決め込んでいる。民衆は危険極まりない状態を知らされることなく、ことは進められていく。共謀罪が成立したら、この国もまたギレアデと変わらない。かつて読んだSF小説にあった「Ignorance is fatal(無知は致命的である)」という文句が文字通りの意味を持って迫りつつある。こんなに危機感を持って小説を読んだことはない。今からでも遅くない、と言いたいのだが、そう言い切る自信がない。文学がここまで未来を予見するものだとは思わなかった。

  • ずっと読みたかったし、読むべきだと感じていた作品。ようやく。

    率直なところ、ページを捲りながら思ったのは「予想より怒りも嫌悪感も湧いてこない」ことだった。これにはちょっと自分でも驚いた。当然、ディストピア小説なので理不尽、それしかない。ただ、それがあまりに「ありえなさすぎて」かえっておとぎ話のようにすら思えてしまった。肌の露出も自由も徹底的に排除されあくまで生殖のための器でしかない、女性たち。どうしても自分は現実世界のとある文化圏を想起したけど、まさしくその人々に対する心象そのままに、遥か遠く思えた。

    しかし、今考えるとそれは遅効性の毒で、自分で気づかぬうちに全身に回り切っていたらしく、十二章”イザベルの店”あたりでは吐きそうなほどの嫌悪感を覚えた。
    特筆すべきは司令官の気持ち悪さ。心底嫌い。はじめ「オブフレッド」と密会するあたりでは性交を求めるわけでもなく理解があるほうなのかなんて思ったが、とんでもない。どこまでも女性を、人を馬鹿にし見下し道具としか考えていないクソ野郎。それでいて自分は寛容だと信じていそうで虫唾が走る。そんな現実にも腐るほどいる生生しさに、遠かったはずの醜悪さが、ついに息がかかるほど近くに来てしまった、感覚。

    こうしてひとたび、彼女と「接続」したような気になると(理解できるなんて口が裂けても言えない)、悲しさと怒りでどうしようもなかった。
    序盤にはあれだけ距離を感じていたのに、終章の”歴史的背景に関する注釈”では、分析している学者たちの呑気さに金属バットをブンブン振り回しながら飛び込んでいきたい気持ちにすらなった。私のどこにもそんな資格はないのに。

    この小説が古びず、遠い過去(あるいは未来)の話ではなく自分事として多くの人に読み継がれていることは、ひたすらに悲しい。

    こんなに長々と書き散らしながらこの本から受け取ったものを一ミリも表現できない自分が情けなさすぎるけど、、ずっと心にあり続ける本だとそれは間違いなく思った。

  • 「ギリアデには真に独創的なものや固有のものはほとんどありません。」

  • 上野千鶴子先生がNHKの100分で名著で言及されていたのをきっかけに、フェミニズム文学であること以外ほとんど前情報なく読み始めた。
    近代の家父長制の中で苦しめられる女性の物語かと思ったら近未来ディストピアSF小説としてまずとても面白く、半分近くから止まらなかった。衆人環視のなか罪人の処刑が行われたり、その死体が壁に吊り下げられているというGOTのようなファンタジーの中の中世的な世界観という思わぬポイントで引き込まれた。
    しかし女性が自由と尊厳を奪われて生む機械としてのみ扱われる描写の一つ一つはリアルな恐怖として感じられた。実際に、イランではスカーフを外した沢山の女性が殺されているし、中東の国々には名誉の殺人も残っている。アフガニスタンは女子学生の通学と就労を禁止している。日本も例外ではなく、女性は結婚すると実質的に改姓を強要され、子供を産むことと大学進学をトレードオフにするような政策が進んでいる。「侍女の物語」が今生きている世界と地続きだと感じざるを得ない。
    このような本が30年以上前に出版されたことに驚く。
    全ての人が読むべきだと思う。

  • 初めてのマーガレット・アトウッド
    当時読むよりも今読んだ方が実感として自分自身わかるものがあるように思う。
    感想は一言で言えない。
    読後もモヤモヤ考え続けている。

    主人公が徐々に自分が陥った世界を知っていく語りの巧みさに引き込まれる。
    フェミニズム目線でいろいろ考えさせられる小説だろうとは思うが、私はおはなしとしても十分に楽しんだ。

    男女の性愛についてとか、心の動きについてとか、いろいろな面を知ることによって変わっていく相手の見え方とか、の描かれ様の深さとリアルさが秀悦。

    最後に若干の種明かし的な後世での研究発表講演会描写があることが面白い。
    こちらは呑気で幸せそうな世界である。

    このディストピアは人が作ったものである。
    というところに自分が考えさせられる何かがあるんだろう。

  • BBCの番組で作者マーガレット・アトウッドのインタビューを観てから、彼女の作品が気になっていた。というよりも、彼女の強い目が気になって、あの人は一体どんな作品を書いているのだろうと気になった。

    意外なほどにSF小説の雰囲気が強かった。過去にあったかもしれない事実を創作したのかと思って読み始めたら、近未来の話。近未来と言うと車が空を飛んだり、異星人と遭遇する、というだけではないのだなと新たな世界が開けた。

    置かれていた境遇から逃げ出した(と思われる)主人公がどうなるのか、それは『誓願』を読めばわかるのだろうか。

  • 80年代に出ていたディストピアもの。見かけたことはあったけど、タイトルでスルーしていて、最近になって内容を知ったので読んでみた。
    なんかね、やっぱり作家ってすごいんだなと思った。これが1980年代、まだまだ世界的に平穏でイノセントな希望に満ちた時代に書かれてるということが。今だったら全然ファンタジーとは考えられない。ほんとに近い将来、こんな現実があっても全然おかしくないのだから。
    終わり方は少し違和感があったけど、ディストピアにあからさまな希望はないんだよね。私たちの現実世界にも、たぶん。

  • 読むのが辛いのにやめられない。
    現代の少し先の未来、アメリカで放射能や化学物質の影響から子供が産まれにくくなる。数少ない出産能力のある女性〈侍女〉は産む機械として高位の人物にあてがわれ、一定期間で妊娠出産できなければ別の人物に回され、それでも妊娠しない場合はコロニーと呼ばれる危険な辺境の地での強制労働に駆り出される。女性はみな名前を奪われ、〈妻〉(生殖能力なし)〈〉などの役割を強制され、文字を読むことも書くことも禁じられ、聖書の曲解のような独特の教義を〈小母〉に刷り込まれる。
    よくあるディストピア小説と違うのは、現代と変わらない時代を生きてきた語り手が少しずつ自由を奪われてから悪夢のような世界を日常とするまでの過程がリアリティを持って語られていること。断片的に、彼女が学歴を持った女性であったこと、夫とは略奪婚の可能性があること、隣国への脱走を試みたところを捕らえられ〈侍女〉に身を落としたことなどが明かされる。特に娘を回想するときのディテールにリアリティがあり、久々に小説を読んで胸が苦しくなった。
    トランプや麻生太郎に読んでいただきたい。

  • テレビドラマシリーズを見て興味が湧いて読んでみた。
    1人称で語られる十五章までがドラマの第一シーズンと対応しているようだ。

    第二シーズンをまだ観てないが最後の「歴史的背景に関する注釈」の中で主人公の足取りが途絶えてるということが語られるので、ある程度膨らませてドラマを続ける事も可能なのだろう。

    ギリアデというキリスト教の原理主義の国の中での話。ディストピアだが聖書の教えを忠実に実践していると支配者たちはいう。
    最終章で、あらゆる時代の例を上げギリアデだけが特殊なひどい国だったことではないということが人間社会の差別や暴力や支配の問題ということを浮き彫りにしている。

    30年ほど前の作品だが、小説の舞台になっているアメリカの状況を見ると社会は発展しているはずが、むしろ逆行しているような気がしてならない。

  • 聖書の一節から始まるこの小説は、その引用そのままの内容で、徹頭徹尾静謐な語り口ゆえな寒気以上のものを残していきました。2018年の現代を生きているのだから、発表当時85年の状況と少しは変わっているかと思いきや、ネットを見ればヘイトの氾濫、女性を狙う犯罪は絶えず多くの女性が尊厳を持って一人の人間ではなく「二本の足を持った子宮」や「可愛こちゃん」としてのラベルを貼られて苦しみながら生きているのはこのディストピアな世界と共通していて、作者の想像力には心胆寒からしめるものがあります。侍女が定期的に義務付けられている婦人科受診は、明治の娼館と同じ。男たちがその目的(侍女は子孫存続、遊女は快楽)のため女たちをコントロールするという行為に他ならないのが本当におぞましい。

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著者プロフィール

マーガレット・アトウッド(Margaret Atwood):1939年カナダ生まれ、トロント大学卒業。66年にデビュー作『サークル・ゲーム』(詩集)でカナダ総督文学賞受賞ののち、69年に『食べられる女』(小説)を発表。87年に『侍女の物語』でアーサー・C・クラーク賞及び再度カナダ総督文学賞、96年に『またの名をグレイス』でギラー賞、2000年に『昏き目の暗殺者』でブッカー賞及びハメット賞、19年に『誓願』で再度ブッカー賞を受賞。ほか著作・受賞歴多数。

「2022年 『青ひげの卵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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