トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (558ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105372033

作品紹介・あらすじ

独立の気運高まる。新大陸についに上陸したメイスンとディクスン。怪しげな人物に奇妙な生物が跋扈するなか、幅8マイルもの境界を設けるべく、森を、山を、切り拓きつつ測量の旅へと乗り出したふたりだったが…。読むものの度肝を抜く想像力と精緻極まりない史実が紡ぎだす微笑・苦笑・爆笑のエピソードの数々。黎明期の新天地に夢を見直す旅の果てとは-?ニューヨーク・タイムズ「ベスト・ブック・オブ・ザ・イヤー」選出全米図書賞最終候補世界的名声を誇る著者の傑作長篇。

感想・レビュー・書評

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  • 終わった・・・10カ月読んだ・・・
    うぅ、さ、寂しい~~
    旅が終わってしまった。彼らは死んでしまった。噫!

  • メイスン&ディクスン。脚韻を踏んで調子のいい響き。ロミオ&ジュリエット、ジキル&ハイド、フラニー&ゾーイ。二人の名前の組み合わせを表題にした作品は数多ある。丸谷才一は『文学のレッスン』の中で、作品を評価する点における登場人物の魅力をもっと評価するべきだというようなことを言っていたが、人物の名前がタイトルになっているということだけ採りあげてみても、この作品の魅力が人物の創造にあることが分かるというもの。もっとも、この二人、実在の人物。メイスン=ディクスンと口に出せばその後には(線)ラインとくる。後に南北戦争で敵味方の領地を分かつことになる自由州と奴隷州を分断する境界線を引いたのがこの両名。今でもその境界線のことをメイスン=ディクスン・ラインと呼ぶのだそうだ。

    そのメイスンが書き残した日誌を下敷きにしながらも、史実がどれくらい残っていることやら。フランクリンやワシントンといった有名人から耶蘇(イエズス)会の密偵、王立協会の面々その他胡散臭い酒場の客まで数え上げたら切りのない野放図なまでに大量の登場人物。その中には人語をしゃべる英国博学犬や人間に恋する鋼鉄製機械仕掛けの鴨、果ては幽霊さえ出てくる始末。厖大な資料を駆使して、同時代の歴史的事件から天文気象の話題まで網羅しつつも脱線、逸脱の繰り返し。千一夜物語よろしく語り手の話す物語の中の登場人物が次の物語の話者になる入れ子構造になった小説で展開されるのは全くの法螺話、与太話、SF的な地底国探検譚、あっけにとられるほどの荒唐無稽な話をでっち上げた、これは二十世紀最後の稀書であるとともに、紛う事なき傑作。

    一つ一つのエピソードを煮詰め、それに相応しく手を入れたら綺想の短篇、手に汗にぎる冒険譚がそれこそいくらでもできるだろう。こんなに簡単に繰り出して見せてもいいのかと思うほど贅沢なネタ満載の文学ショー。前作『ヴァインランド』で、その語り口の巧さに舌を巻いたものだが、今回の作品は、構想の規模、想像力の奔放さ、表象の華麗さで、その上を行く。

    主題は勿論題名に象徴されているように奴隷制にある。黒人奴隷は言うに及ばず、米蕃(インディアン)対策に見られるアメリカの負の歴史。またアメリカ独立以前の英国その他植民地を持つ国家なら避けて通ることのできない人間の自由に対する迫害、圧迫の歴史。これほど超重量級の作品にしては珍しいほどストレートな主張が小気味よい。下巻最後の方で、ディクスンが奴隷商人に見舞うパンチに快哉を叫びたくなるのは盟友メイスンだけではあるまい。生硬になりがちな主題を、珍妙な道具立てと喜劇的な意匠で演じて見せたところに面目があると見た。

    弥次郎兵衛と喜多八、ボブ・ホープ&ビング・クロスビー、と洋の東西を問わず凸凹コンビ二人の珍道中を描いた物語が面白くないわけがない。王立天文台長助手のチャールズ・メイスンは、亡妻が忘れられない憂鬱気質の人物で、地味目の服に鬘を被った小太りの星見屋。それに対するダラムの田舎町の測量士で教友会(クエーカー)のジェレマイア・ディクソンは、派手な赤の軍服めいた服装に三角帽を被ったのっぽで酒と女好きの楽天家。ひょんなことからこの二人がコンビを組むことになり、王立協会の命でスマトラや聖ヘレナ、果ては新大陸まで観測、測量の旅に出る。

    二人の性格が対比的に構成されているのは無論のこと。行く先々で対立し、喧嘩しては仲直りしながら、やがてどちらも相手がいなくては自分が自分でいられないような仲になってゆく。小説の中では、次々に登場する奇矯な人物達の奇想天外な振る舞いに目を奪われがちだが、その蔭で、二人の人物像とその関係性がゆるゆると変容し成長を遂げていく。そのためにこそ、この長大な長さが必要だったのだ。小説の終わりが近づく頃には、この二人の好人物に寄せる読者の愛情は確かなものに育っているはず。

    翻訳は柴田元幸。大文字を多用した18世紀英語風の原文を黒岩涙香調の漢字にルビ振りという擬古文調で見事翻訳し果せている。頻出する漢字に閉口する向きもあろうかと思うが、慣れてくれば「費府」は、いつの間にかフィラデルフィアと読むし、「伊太利麺麭」はピザのことだな、と表意文字の解読に長けた日本人のこと、ルビなしでも読んでいる。それより、時代がかった言い回しで展開されるやりとりの中に浮かぶ今日的な笑いの妙味を味わっていただきたい。訳者渾身の訳業である。

  • ときは植民地時代。新大陸を横断する線を引く天文観測士2人のロードムービー。ムービーじゃないけど。
    脱線に告ぐ脱線と、始まりと終わりのはっきりしない妄想が錯綜して、何度も置いてけぼりになりそうになったけど、寸前のところで本筋に戻るのでぎりぎりついていけた。
    文体が意図的に古風に書かれているのだけど、その一見すると重厚そうな口調とは裏腹に終始一貫してふざけてる。登場人物がふざけている、のではなくて、語りそのものがずっとふざけている。言わば、悪ふざけの語りだけで構成されたシリアスな物語。
    まったく期待してなかったけど、ちゃんと終幕まで用意されていて、これがまたいい終わり方だった。普通のようで普通でないけど、でも終わってみれば案外普通だったかも・・?ていう。で、普通が結局一番いいじゃん、ていう話。

    読みにくいのは確かだけど、面白かった。
    史実を基にしているのだけど、「歴史」を軸に展開するのではなく、あくまで「メイスン」と「ディクスン」を軸に物語が展開される。二人のキャラクターを想像力だけで細部にわたって掘り起こすさまはやっぱり圧巻だった。

  • 2020/6/26購入

  • 下巻を先に買うの巻。

  • ピンチョンの小説を語るときによく問題にされる、荒唐無稽なエピソードの数々が織りなす重層的な物語の構造は本作でも踏襲されていて、インディアン捕囚を連想させる53章、亡き妻を幻視するメイスンの醸し出すメランコリックな空気、狼男ならぬビーバー男とその妻が主演を務めるメロドラマ、念力で空を飛んだディクスンが女王の幽霊に送る熱い視線、アーサー王伝説を思わせるドラゴン退治の逸話、王立協会で繰り広げられる政治的な闘争、アメリカ大陸におけるイエズス会の暗躍、独立戦争前の緊迫した雰囲気、世界中にはびこる奴隷制など読んでいて飽きがこない。だがしかし、本作の魅力はなんと言ってもメイスンとディクスンという二人の愉快なキャラクターであり、ピンチョンの二人への寄り添いようである。『V.』や『重力の虹』など、ピンチョンはどちらかといえば登場人物の誰かに肩入れするということをしてこなかった作家である。そもそも前述の二作品で採用された、物語の進行をカメラのレンズ越しに追いかけるような描き方とは違って、この作品にはウィックス・チェリコーク牧師という語り部が存在する。

    物語は1786年クリスマス期のフィラデルフィア、世界中を旅してきたチェリコーク牧師が親戚一同に「おはなし」をするところから始まる。(メイスンの)葬儀に参列するためにフィラデルフィアに戻ってきたチェリコーク牧師は長居するつもりはなかったのに、なんやかんやとするうちに妹エリザベスの家に思いがけない長逗留をしている。その間、牧師の話に家族みんなで耳を傾けるのが午後の慣わしとなっている。ある日甥っ子たちに「アメリカの話をして」と促されたのをきっかけにチェリコークは二十年前の1766年にメイスンとディクスンの測量に同行した話を語り出す。(この時代設定も実に絶妙で、1786年はアメリカ独立宣言の前年であり、1766年は印紙法が課された翌年、独立戦争への機運が高まっていた頃である)。

    以降、チェリコーク牧師がメイスンとディクソンのことを語り、幕間に聞き手がツッコミを入れるという形で物語は進行する。当然、牧師が二人のことを何から何まで網羅しているはずはなく、二人の出会いについては二人が昔を思い出して話しているのを聞いたのであり、そのほか多くの部分が牧師の想像によって語られてゆく。そういう意味でチェリコークはピンチョンの分身であるわけだ。(続く。眠いので中断)。冒頭でピンチョンのMとDへの寄り添いようが良いと言ったが、それはつまりピンチョンの分身たるチェリコークが二人のことを「正確に」というより「正直に」語ろうとしているということである。死の床にあるメイスンを妻と息子たちが取り囲むという、いつになくセンチメンタルなラストからもチェリコーク(ピンチョン)の二人に寄せる愛の深さが窺える。

    また、この語り部の存在は、ストーリーテーリングの力を感じさせもする。「人間愛」だとか「実存」だとかのテーマに絡め取られない、物語られることでしか語られ得ぬものがそこでは展開されている。この物語の力について牧師自身が言及している興味深い一節がある。最後にそれを引用して感想文の〆としたい。舞台はボルチモア。奴隷商人の振る舞いに我慢がならないディクスンが(おそらくは人道的な怒りに駆られて)商人の鞭を奪い、黒人奴隷を解放したという牧師の話に聞き手のアイヴズがツッコミを入れる場面。

    72章からの引用。
    「証拠はない、」アイヴズが断じる。「確かに、そもそも日誌にも、何日も記載はない、―でもとにかく証拠はないのだ。」
    「いやいや、」牧師が目を輝かせる、「儂らはその鞭に無限定の信頼を置かねばならぬ。物語こそが正にその存在を物語っているのだ、―これら家族伝承は、何世代にも亘り家庭内で為される校訂作業の鍛冶場に於いて完璧の域にまで高められたのであり、その末に残ったのは、それぞれの人物を巡る、厳しく鍛錬された純粋なる真実に他ならぬ、―仮令それ等の人物像が、無分別な愛から頑固な嫌悪に至る種々の感情によって、長年の間に歪められ、引延ばされていようとも。」
    「無責任な装飾って奴もお忘れなく。」
    「寧ろそれは、記憶という万人の義務に免れ難く付随する要素だ。我等の様々な感慨は、―我等が互いに関して如何に夢見、互いを巡って如何に誤った思いを抱いたかも、―血の通わぬ年代記と少なくとも同等の重みを持つべきなのだ。」


    素朴な疑問。牧師は何日掛けてこれを語ったのか。上下巻合わせて1000ページを越える大著である。

  • 最後まで難解で、一行も追えない自分の読解力の無さが情けない。でも年代さえも飛び越える雑多感はタイプ。新し版でもう一度読みたい。

  • もしも[四千万歩の男][天地明察][奥の細道][蝦夷地別件]などに親しみを覚える方ならば、この上下あわせて1000頁を超える物語に是非触れてみて欲しい。北米大陸を測量して境界線を作成するとは、本国英国の石炭需要を満たしつつ、原住民との関係を穿つ事に他ならない。江戸時代中期からの蝦夷地探索、測量、支配とアイヌとの歴史がリンクする。しかし単なる歴史小説ではない。読んでいるといつの間にか別の処に連れていかれるようなピンチョン+柴田による文体の妙。見上げると満天の星。メイスンは偏屈だが、普段の自分と姿がダブる。

  • 上巻から1年半かかって読破

  • (承前)アメリカ南部と北部を二分するといわれているメリーランドとペンシルバニアの境界線をメイスン・ディクスン線というんだよ、そういう名まえであることは、アメリカ人なら小学生でも知っているらしい—ということが、この小説の唯一の前知識で、たしか新宿三丁目の“どん底”でヤマタツさんから聞いたのでした。
    どうでもいいですが、“どん底”のチーズオムレツは美味しいよ。トマトサラダといっしょに食べるのがおすすめ。

    日本の場合、国土の7割が山岳で、人が住めるエリアは限られていますから、県境はおのずと居住不可能な山や川など自然の地形によって決まり、ジグザグだったり複雑な線を描くのがふつうです。一方、アメリカ中部、南部、西部の州境は単純な直線が多いんですね。このあたり、だだっぴろい平地があるだけで目印になるような山脈も河川もない、それでも利害とか政治とかが絡むので無理矢理にでも分けなきゃってことで、あたかも地図上に定規をあてて線引きしたかのように見えますが、実際に定規で引いちゃったっていうんだからお立ち合い。メイスン・ディクスン線も北緯39度43分の線分を基準とした数理州境です。つまり「ない」ものを「ある」ことにした線で、『M&D』はこれを測量する話ですから、もともとの始まりが「ある」こと「ない」こと、ごちゃまぜのいっしょくた。なのでこの好々爺の話しっぷりが、あっち飛び、こっち飛び、脱線したり、断線したり、ときどき誰がアタシで誰がアンタなのか区別がつかなくなるのもお約束といえばまあお約束。

    ところで出典は忘れてしまいましたが、アメリカ人の子どもがいちばん最初に覚えるおしゃべりのセンテンスは“It's mine.(それアタシのよ)”で、二番めが“It's not fair.(アンタ、ずるいわよ)”なんだそうです。ニンゲン、「おぎゃあ」とうまれたときは、アンタとアタシは未分化なので、それらを分け、隔てるところから、一生が始まるのですね。そういう意味では、これはアメリカがまだアンタとアタシの区別が曖昧だった、つまり線引きする前の時代のお話です。ひとは争いがおこるから境目のないところに線を引こうとするのか、逆に線を引くことによって争いがうまれるのか。いずれにせよ線が引かれた後の時代に生きるわたくしたちは、好々爺のニタニタ笑いにつきあってるうちに、もはや線を引く前に忘れてきたものを取り返せないことに気づくのです。


    【付録】
    *というわたくしの駄文はさておき、「行ったつもり『メイスン&ディクスン』発売記念、柴田元幸氏トークイベント」をfacebookのノートにまとめてあります。アカウントをお持ちで、ご興味あるフォロワーさんはそちらもどうぞ。
    それにしても、もう1年以上になるのだにゃあ。

    *上記でも紹介していますが、アクセスできないかたのために、3分でわかる『M&D』こと、マーク・ノップラーの“Sailing To Philadelphia”はこちら。

    Mark Knopfler - Sailing To Philadelphia (Luxemburg 2010)
    http://www.youtube.com/watch?v=VWHxnkZmVDo&feature=player_embedded

    *「ピンチョン検定」なるものがあるのでやってみました。
    全5問正解して「全国1位:あなたはピンチョンに詳しい人」と認定されてしまいましたが、それは違うと思うぞ。
    合格ラインは全5問中4問ですが、すでに53人中51人が合格と、ようするに問題がやさしいのではなく、ほぼ“オタク”しか挑戦していないと思われ。あなたもトライ。

    トマス・ピンチョン検定
    http://kentei.cc/k/1045097

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