贖罪

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (446ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105431013

作品紹介・あらすじ

1935年夏、13歳の少女ブライオニー・タリスは休暇で帰省してくる兄とその友人を自作の劇で迎えるべく、奮闘努力を続けていた。娘の姿を微笑ましく見守る母、一定の距離を取ろうとする姉セシーリア、使用人の息子で姉の幼なじみのロビー・ターナー、そして両親の破局が原因でタリス家にやってきた従姉弟-15歳のローラ、9歳の双子ジャクスンとピエロ-らを巻き込みながら、準備は着々と進んでいるかに見えた。だが練習のさなか、窓辺からふと外を見やったブライオニーの目に飛び込んできたのは、白い裸身を晒す姉と、傍らに立つひとりの男の姿だった…。いくつかの誤解、取り返しのつかぬ事件、戦争と欺瞞。無垢な少女が狂わせてしまった生が、現代に至る無情な時間の流れの果てに、切なくももどかしい結末を呼ぶ。ブッカー賞最終候補。全米批評家協会賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 「罪を贖う」ための果てしない描写を経て、待っていたものを実感した時の気持ちは如何ばかりだったのだろう?

    単純に若気の至りという陳腐な言葉では許してくれないような、たった一瞬の出来事で、自らの人生をそれだけの為に背負い、消耗し尽くしてゆく気持ちは如何ばかりだったのだろう?

    自らの贖いの深さと相手の愛情のそれを、同じように捉えてしまう虫のいいような発想も理解できる気がする。しかし、現実のリアルな感情はそうではないという答えの提示には、更に納得させられた。

    物語自体は、至極シンプルにも思えるようでそうではなく、とても事細かく描かれている人物の描写については、後の真相で後ろから思いきり殴られたかのような衝撃を受けて愕然とした。そして、これを知ったことによって、あまり描写されていない人物の存在に、空恐ろしさを感じた。

    また、あとがきにあった、「愛の後にあるのは忘却だけ」の言葉については、単純な疑わしさや、障害を乗り越えてくれる期待感をもってしても、この物語を思い出す度にそれは、空々しさとやるせなさが伴うものになるのかもしれないと思ってしまった哀しさが少し、私の心中を過った。

    イアン・マキューアンの作品は、これが初めてでしたが、古典文学を思わせる言葉や語彙の芳醇さが素晴らしく崇高に感じられました。また、戦時下の病院の恐慌状態のリアルな描写には、今の世の中の状況と比較してはいけないと思いつつも、おもいきり痛感させられるものがありました。

  • 映画版が後味の悪い作品ベスト10なんかに入っているので、マキューアンは好きなのだけど手を出せずにいた。
    しかし読んでみたところ…いいじゃない?
    後味、悪くないじゃない?
    続いて映画も見たけれど結末は同じ。
    まあ、誰もが納得のハッピーエンドにはならないとわかった上で読んだせいもあるだろう、けれどそれ以上に、マキューアンだものこのくらいやってくれなきゃ!という爽快感があったのだ。
    「甘美なる作戦」がやや拍子抜けだったのだけど、今回は気持ちよく終われた。
    いや、確かに後味悪いと言えば悪いのだけど。
    マキューアンの魅力の一つには、陰湿さがあると思っている。
    美学のある陰湿さ。
    この作品ではのっけからそれが全開で、屋敷の説明からもう、嫁をいびる上流階級の姑みたい。
    そこから、その屋敷にいる人々が克明に、やはり陰湿に描かれる。
    物語を動かすのは末妹の嘘なのだけど、そこに辿り着くまでにかなりかかる。
    読み終えて振り返ると、その嘘とそれが呼んだ罪はこの屋敷の人々の象徴のようなもので、末妹だけでなく皆が贖うべき罪人だったのではと思った。
    結末には、小説家という職業も関わっていて興味深いのだけど、自己を正当化、美化するために記憶を改変することは誰でも多かれ少なかれやっていること。
    とすれば、結局誰もが償うべきものを償わないまま生きている、そう言われているように感じた。
    この厳しさもまた、マキューアンの魅力の一つだと私は思っている。

  • あぁ、そういうひっくり返しなのか。

    最後の誕生日パーティーで、あの二人の登場を待っていたのは私だけではないはず。(泣)

    オースティンを再読したくなった。

  • 読みながら、いつものマキューアンらしくない語り口に不思議な懐かしさを感じていた。まるで、一昔前のイギリス女流文学でも読んでいるような気がしてくるのだ。時は1935年の夏、舞台はロンドン郊外に建つネオゴシック風の屋敷。

    不在がちの夫に代わり一家を守るのは妻エミリ。それとケンブリッジ帰りのセシーリアと13歳になるブライオニーの姉妹。今日はロンドンで銀 行に勤めている兄のリーオンが友人を連れて帰省する日。ブライオニーは兄に見せようと叔母の離婚が原因で家に来ている従姉弟たちを使って自分の戯曲『アラ ベラの試練』を上演しようとするのだったが…。

    セシーリアと庭職人の子のロビーは幼馴染み。二人は互いに惹かれ合っていることにこの日まで気づかなかった。花瓶に水を汲もうとして取り合 ううち、誤って割ってしまうという行為を通して、二人はそのことに気づくが、妹がそれを盗み見ていたことから話がややこしくなる。作家を夢みる少女は、出 来事に別の意味を見出したのだ。姉を毒牙から守ろうと暗闇で従姉を襲った人影をロビーだと証言するブライオニー。

    「人間を不幸にするのは邪悪さや陰謀だけではなく、錯誤や誤解が不幸を生むこともあり、そして何よりも、他人も自分と同じくリアルであると いう単純な事実を理解しそこねるからこそ人間の不幸は生まれるのだ」というブライオニーの言葉通り、祝祭的な真夏の噴水の前での愛の情景から始まった物語 は、錯誤が誤解を生み、その連鎖が一つの家族を崩壊させ、恋人たちを引き裂くという悲劇的な結末を迎える。

    五年後、兵士となったロビーはダンケルクにいた。恋人の待つ故国に帰るためドイツ軍の爆撃の中を逃げ続けるロビーの視点で描かれる第 二部は極めてリアルな戦争小説になっている。第三部はブライオニーの視点で描かれる。かつての自分の行為を後悔し、戦下のロンドンで見習い看護婦として働 くブライオニー。ゆるしを求め、姉のもとに向かうのだが、果たして贖罪は果たされるのか。

    純粋な愛の物語としても、作家志望の少女が犯した罪の物語とも、或いは一人の作家が自分が作家として立つきっかけを作った事件を、一生懸け て書き直し続けた未完の小説とも読める。果たして少女を陵辱した真の犯人は誰だったのかというミステリーとして読むことも可能だろう。作者はその手がかり をはっきり残している。

    それだけではない。小説形式に意識的なマキューアンらしく、この作品、特に第一部はヴァージニア・ウルフへのオマージュとも思える仄めかし に満ちている。ケンブリッジで学位まで取りながらも、まともな学位授与式も女性にはないとセシーリアが不満をもらすところなど、いかにもと思わせるし、晩 餐の支度に花を探しに行くのは『ダロウェイ夫人』冒頭の引用だろう。食事の支度における使用人との確執、ロビーを襲うシェルショックもそうだ。

    これまで、巧いなあとは思いながら、読後に何か苦味のようなものを感じていたマキューアンの小説だが、その正体は自分の創り出す世界に対す る作家のアイロニカルな視線にある。確かに現代において小説の中で衒いなく「愛」を描くことはマキューアンならずとも難しいにちがいない。舞台を大戦前に 置いたことで、それが緩和され、居心地のいいものになっている。末尾に、「ロンドン、一九九九年」という一章が来る。それまでの安定した小説世界をひっく り返してしまうような仕掛けで、このあたり、やはりアイロニカルなのだが後味は悪くない。小説の名手イアン・マキューアンの代表作と言うべき作品である。

  • ものすごく面白かったです。
    マキューアンの繊細な心理描写、愛の描写も、また罪によって引き裂かれた人間の冷ややかな会話も、戦争の無残さも、この作家ならなんでも書けてしまうのではないかと思うほど、この一冊で幅が広く豊かな表現を味わうことが出来る。
    そしてスリリングなメタフィクションであることが終盤で明かされる。その仕掛けは、本作のテーマ、「贖罪」をいかにして行うのか、そしてそれがどれだけ困難なものであるかを語っているのである

  • 大好きなマキューアンの中でも本当に大好きで大切な一冊。
    読んだ直後の感想を発見したので貼っておく。

    これ、すごい。これこそ文学。
    まだ3月だけど、今年一番印象に残る本になりそう。
    これ読んでまた初めての読書体験してしまいました。上巻読んでいるとき、あまりの怒りで電車の中の見ず知らずの人にいきなり殴りかかりそうになり。(本そのものや作者への怒りは白石一文で経験済みですが)本の内容というか出来事にこんなに怒りを掻き立てられるなんて驚きだよ。あまりに頭に血が上ったので、電車の中で日能研の問題を解いてみたりもした。その勢いで下巻も一気に読んじゃった。1時30分に帰ってきてすぐ読み出して3時30分まで一気読み。
    わたしは小説を書こうと試みたことはないけれど、小説を書きたいと思う人はこういうのが書きたいのではないかしら?文学を志しているなら読んだほうがいいと思う。

  •  田園の屋敷の心温まる光景がじわじわと破局に向けて進んでいく展開が心苦しい。幸福を目の前にして引き裂かれる恋人たちのその後には第二部と第三部で2度胸を打たれた。小説家が登場人物を物語の中で幸福にするのは、それしか方法がないからだ、というのがとても切ない。〈神が贖罪することがありえないのと同様、小説家にも贖罪はありえない――たとえ無神論者の小説家であっても〉という一節が読み終わったあとにじんと来る。

  • 本当に素晴らしい作品。表紙、背表紙の写真、これ以上ふさわしいものはない。

    以下、内容忘れないようにメモ。自分用。
    兄の帰還に合わせて自作の劇を上演しようという少女ブライオニー。彼女のついた取り返しのつかない嘘が、姉と恋人の人生を大きく狂わせる。
    冤罪で投獄されても、セシーリアへの愛が支えだったロビーも、その後の戦地では武器も水も食料もなく退却する悲惨な状況で次第に愛の意味さえわからなくなる。
    ブライオニーは、自分でも蓋をしていた嘘をついた経緯に向き合い、贖罪のためしでかした罪の重さに気がついて、看護婦として過酷な労働に就く日々。直接謝罪することの恐ろしさ。宥されなさを抱えながらも、姉に会いに行く。
    後年小説家になり,ことの経緯を作品にしたためるが、関係者が存命中は発表できない。何度も改稿する。しかし、そうしながらも本当に本当のことは書いてどうなるのか。これが小説家としての一つの贖罪のカタチなのか。(衝撃!)

  • SL 2022.2.21-2022.2.24
    ふだん読んでいる翻訳ものとはかなり違った雰囲気。なんかすごいものを読んだ気がする。
    第一部がハードル高いけど、そこを乗り越えたら豊かな読書体験ができる。

  • 第一部の描写が細かいというか、正直やり過ぎじゃないか?と思う程くどい印象で、マキューアンってこんなに読みにくかったっけ?と思いながらも、なんとか読み進めたら、第二部から先は全く違う印象の描き方で、最後まで一気に読んでしまった。
    読み切って納得した。今はまだ、あぁそうだよね、これが文学だよねくらいの感想しか書けない。それくらい圧倒された。いやすごいわ…。

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著者プロフィール

イアン・マキューアン1948年英国ハンプシャー生まれ。75年デビュー作『最初の恋、最後の儀式』でサマセット・モーム賞受賞後、現代イギリス文学を代表する小説家として不動の地位を保つ。『セメント・ガーデン』『イノセント』、『アムステルダム』『贖罪』『恋するアダム』等邦訳多数。

「2023年 『夢みるピーターの七つの冒険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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