その名にちなんで (新潮クレスト・ブックス)

  • 新潮社 (2004年7月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784105900403

感想・レビュー・書評

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  • 父親の人生にとって忘れることのできない重大事に因んで名づけられた「ゴーゴリ」という名を息子は嫌った。やがて成人した息子は、名門大学進学を契機に改名してしまう。住むところも名前も変えることで新しい人格を得た彼は、今まで臆病だった恋愛にも積極的になる。何人かの女性との出会いと別れがあり、やがて結婚。そして、父や母との別れが。ベンガル系アメリカ人家族の目を通して描かれるせつないまでの人生の機微。『停電の夜に』で、全世界の読者をうならせた短編の名手、ジュンパ・ラヒリが満を持しておくる長編第一作。

    惹句めいて書けばこんなところになるだろうか。実際、これは読んでもらうしかない。小説を読む愉しさというのは、大仰なストーリー展開の中にあるわけではないからだ。小説の中では特にこれといった事件は起きない。登場人物も際立った個性を付与されてもいない。しいていえば、主人公の名前が著名な文学者から採られていることくらいである。

    しかし、題名からも分かる通り、人の名前が果たす役割は大きい。名前には、事務的な役割の外に先祖から続く一家の物語や父母の願いが封じ込められている。人は名前を通じて、国家や民族とも繋がる。名前とはアイデンティティを確立するための重要な要件なのだ。それだけに、ベンガル人と何の関係もないロシア文学由来の、それも名ではない姓のほうを背負わされた主人公が、それを苦にする理由はよく分かる。彼は名前を忌避するが、知らぬ間に名前を付けた両親の在米ベンガル人的な人生を、ひいては自分と父母との紐帯をも忌避していたのである。

    彼は名前を捨てたとたん、どこにもある通俗的な、女好きのする青年に変化してゆく。いやそれだけでない。WASPではなく、アフリカ系アメリカ人でもヒスパニックでもない、セムハム語族系特有の整った容貌を持った名門大学出身の将来有望な若者として生まれ変わる。以前の名前とともに自分の出自を捨て、それまでに無意識に選びとってきたアメリカ生まれの二世の青年といういわば上澄みだけの人格でできあがった架空の人間として。

    ヒッピー文化を経験したリベラルな文化人を両親に持つマクシーンとの恋愛を通じて、彼は自分のアイデンティティをすっかり喪失しかける。ゴーゴリ改めニキルとなった彼の目を通して描かれるアメリカ人一家の姿は、優雅で知的、しかもアメリカ人らしい開放性に満ちて輝いている。それは、自分にないもののすべてであり、それだけに憧憬の的となって彼の目に映る。

    結局、偶然の事件が彼を自分の家族のもとに連れ戻す。放蕩息子の帰還のように、彼は母親のすすめる縁談を受け入れ、やがて自らもその美しい娘モウシュミを愛するようになるのだが、幼なじみのモウシュミの目に映るニキルはもとのベンガル系二世のゴーゴリでしかない。皮肉にも彼は自らも夢みた根なし草的生活の誘惑に裏切られることになる。

    名前は自分ではつけられない。それだけに名前と自分とのギャップに悩み、人の名と比べて自分の名を気にした経験を持つ人は多いのではないだろうか。もともと自分とは自分で考えているほど自分ではない。案外名前の方が本来の自分に近しい存在なのかもしれない。自分とは何か、自分と親とのつながりは切ろうと思えば切れるものなのか、という根元的とも言える問いを、小説という形で送り届けてくれた作者に感謝したい。

    冬のニューヨークの寒さ、ニューハンプシャーの夏の宵の心地よさ。食物、衣服、音楽など、日々の暮らしをともにする小さな事物に寄せる細やかな視線が、精妙なニュアンスを湛え70年代アメリカの姿を小説の背景として浮かび上がらせる。読む愉しさを堪能させてくれる小説の名手、ジュンパ・ラヒリは健在である。(2004/08/14)

  • ゴーゴリと名付けられた男の家族をめぐる物語。読後の余韻が心地良い。

    「きょうという日を覚えていてくれるか、ゴーゴリ」

    「覚えておけよ。おれたち二人で遠くへ行ったんだ。もう行きようがなくなるまで行ったんだからな」

  • なぜかわからないけど、気持ちいい。

    父アショケの列車事故から始まるガングリー家の数十年の物語

    極力省かれた文章で、進行形で時系列に描く。
    目線も主人公のみではなく、場面ごとに父、母、恋人、妻で語られていく。
    読書中は、それぞれ登場人物の心情にいつのまにか寄り添っている。

    インドで見合いの後、アメリカへわたってゼロから生活を作り上げる、アショケとアシマのふたり。
    その息子は、偶然の出来事が重なり“ゴーゴリ”という名を持つことに。

    アメリカにいても存在するベンガル人の風習と社会に対して、渡米した世代とその先で生まれた世代での感覚の違い……。
    ラヒリの最初の短篇集でも多く見られた状況であるが、こうやって長編小説で家族を眺めていくと、それぞれが刻々と変化していくことがわかる。

    妹ソフィアが兄ゴーゴリに対して大きくなっても「ゴーグル」と呼ぶ姿は、どんな環境の変化があっても変わらない「家族」というものの何かがある。

    久しぶりに気持ちのいい「文学」を読んだ。

  • 読み終わった後、いい作品だなと思った。

    ラヒリの作品は、作家本人の人生が反映されていることが多く、今作は、アメリカにおいて、インド系移民の両親の息子の名前が、父親の人生にとって、重要なロシア作家から名付けたところに、独特な興趣がある。

    ラストの両親の家において、「ゴーゴリ」が一生読まないだろうと思っていた「ニコライ・ゴーゴリ短篇集」と、その父、アショケが同じ場所で息子にプレゼントした、それが、見事にまとまる様は、美しく、素敵なエンディングだと思えたし、長い間、名前に苦しんだことがきっかけとなり、なかなか両親とも上手く接することの出来なかったゴーゴリが、最後の最後で、自ら、両親の意図を汲み取った場面は、心動かされた。

    また、相変わらず、エピソードの数々が細かく、丁寧に書いており、特に、ゴーゴリの人生について、ものすごく派手に展開されるわけではないのに、やけに印象に残るシーンが多いのは、ラヒリの観察眼の素晴らしさだと思う。人生の悲喜こもごもの有り様を、淡々と冷静に書いているのも、却って、じわじわと感慨を起こさせてくれる。ゴーゴリ自身、決して、幸福で満たされた人生では無いかもしれないが、読後感はそう思わない爽やかな気持ちを感じさせるところも、ラヒリの作品の好きなところである。

    個人的には、ゴーゴリが拓本を、誰にも見せずに、ひっそりと仕舞うシーンが好きで、子供心に、すごい気を遣ってるのと、子供らしくない諦めのような割り切った様が、切なかった。

  • 前作 「停電の夜に」はとても読後感の良い短編集であった。その語この中編が出版されたのは知っていたが、「停電の夜に」が素晴らしすぎたので、「楽しみはあとで」の原則にのっとり、なるべくと読まないようにしていた。
    ところが、最近ベンガル人と仕事の話をするようになった。ベンガル人と言えば思いつくのはタゴールとラヒリ。再びラヒリを読みたい気持ちを抑えられなかった。
    実によい小説である。人には居場所と言うものがある。多くの場合、家庭と仕事場、家庭と学校など。特に人生を生きていくうえで、進学や転職など、自分の環境が大きく変わると、環境になじめないことがある。その自分と環境の接点はヒトガタの抜き型のようなものに例えられないであろうか。
    ラヒリは抜き型と自分の姿が合わないということを名前で上手に表現した。主人公は親のつけた名前がいやでいやでしょうがない。そうは言っても人生は続く。ようやく名前をかえてみたら今度はその改名したなまえがしっくりしない。

    複数人の視点で、ベンガル人のニューヨークでの生活が語られるが、日本の私たちの生活となんて共通点が多いのだろう。そしてラヒリはなんて上手に人生を描くのだろう。
    文章の見事さに、筋立ての巧みさに、小道具の活かし方に感心した。そして最後は感動。
    よかったら皆さんもぜひ。

  • 久しぶりに読み返してみた。インドからアメリカへ移民した若い夫婦が、長男を「ゴーゴリ」と名付ける。その名前は若い父親が体験したある出来事にちなんだものだったが、成長するにつれ長男は自らの名前にうんざりするようになり、成人すると改名する。だが家族にとってはずっとゴーゴリなのだ。
    両親や家族の思いが込められて名付ける子どもの名前。思い通りには育たないし、彼らも思い通りには生きられない。それでも家族としていっしょに生きた思い出が一生消えることはないし、良い事も悪い事も全部彼の一部となっているのだ。
    自分の家族の事を思い返してしまう、そんな作品だ。

  • ジュンパ・ラヒリ 著
    小川高義 訳
    「その名にちなんで」という映画は もう、かなり前に観た映画で…良かったって思ってた気がするのに あまりに以前で 内容が朧げで忘れていましたが、ブグログのhotaruさんの感想を観て とても原作に興味が湧き 俄然読みたくなり
    やっと 読破致しました。古かったのか文庫は絶版になっており 探しまわり 何とか単行本を見つけ いざ
    日本にずっと暮らしている私には 何だか遠い世界の事のようにカルカッタとNY 二都を舞台に父母と子の二世代に渡る ルーツを淡々と素直に書き連ねてる 本当は難しい局面もあるだろうに 本当に淡々と語られるわりに怒りが殆ど見えなく 何故かスラスラ読んでいってしまえる本だった。
    移民の家族に切実であるだけでなく二世代という難しさ
    “ABCD”(American-born confused deshi )「アメリカ生まれで、わけがわからなくなってきているインド系の人間」という用語を聞くとそれなら自分の事だと思う ゴーゴリの気持ちが とても よく分かった気分になった
    インドとアメリカ どちらを向いて生きるという選択 どちらも 選べない 選択 立場は違えど 人は環境において やはり違うし、同じ人間として生きてゆくことは出来ないし、我慢したり 頑なになったり 何処かで線を引いたり でもきっと そんな思いにつまずき、考えてしまうことってあるなぁと感じた。他の事も 随分思い出すというか考えさせられた本だったと思う。子供の頃は嫌だった事が大人になって思い出したら懐かしかったり 子供だから平気でいられた事が大人になったら 困難になってたり…
    随分 原作読むのも遅くなりましたが 映画もいいけど、本を通じて 自分の心の声に耳を傾けずっしりきますね
    読んで 良かったです。

    • hotaruさん
      hiromidaさん、こんにちは。
      読まれたのですね!
      当然ながら映画とは違う部分もありますが、どちらもいい作品ですよね。
      でも、これだけ...
      hiromidaさん、こんにちは。
      読まれたのですね!
      当然ながら映画とは違う部分もありますが、どちらもいい作品ですよね。
      でも、これだけ色々と内容と詰まった原作を、翻案して優れた映画にしたことは、やはりすごいことだと思いますよね^_^
      2018/05/25
    • hiromida2さん
      hotaruさん ありがとうございます!感想を見せて頂き 本も読めて良かったです 映画も素晴らしかったけど、映画だけでは表せない世界観もあり...
      hotaruさん ありがとうございます!感想を見せて頂き 本も読めて良かったです 映画も素晴らしかったけど、映画だけでは表せない世界観もありますものね。本当に著者のジュンパ.ラヒリも翻訳した方もすごいですよね。
      2018/05/26
  • 昨年、たまたま手に取った彼女のデビュー作、『停電の夜に』。
    短編小説集ながら、一編、一編読み終えると、しみじみと感慨深い。
    そして、文体がとても綺麗。何度も読み返して、味わいたくなる文章。
    彼女の生い立ちからだろう、物語の多くはインドからアメリカ、イギリスへ移民してきた人々、またその第二世代の人々の「異国の地」での暮らしが淡々と、静かに紡ぎだされている。
    今回は待望の長編。「ゴーゴリ」と名づけられた、移民第二世代の青年が主人公となっている。インドからアメリカへ移民してきた両親とアメリカで生まれた子供。考え方の違い、インドへの思いの違いが両親と子供の間の距離をつくる。そして、「ゴーゴリ」という名前。この名を恥じて、改名した息子。この名前にまつわる父親の人生の分岐点となった出来事を聞かされた夜。
    彼女の小説は、どれも、派手な大きな展開があるわけではないが、一人ひとりの人生が丁寧に丁寧に描かれている。
    静かな夜に読む本だ。

  • インドからアメリカに渡った夫婦が子供に「ゴーゴリ」と名前をつける。父にはその名に思い出があり、しかし名付けられた息子は、周囲にも自分のルーツにも馴染まない名前に違和感を感じていく。
    自分が自分にたどり着くまでどんな道を辿ってきたのか、アイデンティティの探究の物語。

    所々にまどろっこしかったりしたが、全体的にはそれも良し。比較的難しいテーマを扱いながらも最後はこれ以上ないくらい清々しく終えられて、読後間の良い小説。

  • 短編集『停電の夜に』、中編に近い作を含む『見知らぬ場所』と読んできて、この長編に至りました。
    すばらしい。
    忘れがたい物語を読むことができて幸せです。
    訳がまた、いつもながら見事にたまらなくジュンパ・ラヒリのイメージを作りあげていて、ため息が出ます。
    主人公は父につけられたゴーゴリという名を嫌いついには改名しながらも生涯にわたり呪縛されるわけですが、「どうしてもっと早く話してくれなかったんだ」。
    2世としてアメリカに育ちインドを遠く感じながらもやはりアイデンティティの揺らぎを意識し続ける…といったことよりは、その名のほうがよほど彼のアイデンティティに危機を与える。
    生まれ育ったアメリカの文化があまりにも自然に身についており、出自についてはばしば外界から突きつけられるものだから、ということもある。

    映画化されており、そちらでは映像の力強さと母親アシマの存在感が評価されてもいるようす。ぜひ観てみたい。

    父にロシア作家の名を与えられたといえば、四方田犬彦もそうですね。
    (ゴーリキーを崇拝するお父様が剛己と名づけ、本名のローマ字表記では好んで「Gorki Yomota」と自署する…とWikipediaにも記載があります。)

  • 新潮クレストブックスの、質感やデザイン、フォントが大好きです。「本を読んでいる」という喜びを実感できる。映画もよかったけどやはり、原作の深みは伝わらない。アメリカに住んでもインドのしきたりを守る母、料理やセレモニーのシーンはとても興味深い。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「原作の深みは伝わらない。」
      ジワジワ沁みてくる読書と、一度に色々な情報が入ってくる映画の差は埋まらないねぇ。。。
      早く「低地」を読まな...
      「原作の深みは伝わらない。」
      ジワジワ沁みてくる読書と、一度に色々な情報が入ってくる映画の差は埋まらないねぇ。。。
      早く「低地」を読まなきゃ!
      2014/11/06
  • 長編小説。

    全然、珍しい話とか、突飛な発想とか、
    そういうものはない。
    そういうものはない話なのに、
    名前って不思議だなぁ、と深く思った。

    結局私たちは原点から離れられないのかも。
    あだ名があっても、改名できても。
    最初に呼ばれた名前にするりと戻っていく。
    そういうものなのかなぁ。

    うん。面白かったです。

  • 私はあまり小説を読むのが早い方ではないのだけど、この小説に関してはそれが功を奏した。インドからアメリカに移住した夫婦と、その子ども達にまつわる年代記のような小説は、ゆっくりと読むことでまるで登場人物達の人生を追体験しているかのような深い感慨を与えてくれた。
    抑制された語り口の地の文が心地よく、どの章も読み終えると深い余韻がある。
    とても好きな作品だった。

  • "外国から来た人間というのは、いわば無期限の妊婦をやっているようなものだから…と、そんなふうに思えてきた。いつまでも待機状態、負荷のかかる日々、不調の連続。いま頑張らなければ、という生活は、あたりまえだと思っていた昔の日常をとりあえず中断してできあがったはずなのに、ふと気がつくと以前の暮らしなどは消えてなくなっていて、もっと大変な、面倒だらけの生活に置き換わっている。他人の関心を引きやすいという点でも、外人と妊婦は似ているとアシマは思う。"

    この文章をこの世に生み出しただけで、もう彼女は天才すぎる。こんなに外国人の息苦しさをうまく表現できる人はいるか?

    『停電の夜に』であまりに感銘をうけてもう一冊は読もうと思ってこれを選んだ。映画化もされていて見ようとDVDも入手済みだけど残念ながらまだみれていない。

  • 名は体をなす、とよく言うけれど、
    ニックネームでも人の性格ってよくわかるよねぇ
    ましてや、名前を二重に、どちらも正式なものとしてつけられたらアイデンティティは揺れるよね
    そういう葛藤を家族や男女関係と絡めて繊細に描いている気がした

  • 自分のゴーゴリという名前にコンプレックスと違和感を持ち、自分が何者かアイデンティティを探求する物語。
    単一民族の日本人には理解しづらい面もあり、長編で読み切るのに徒労感もあるが読んでしまえば清々しい気持ちになれる小説。

  • ゴーゴーリと命名されているのに、息子はいつになったらゴーゴリを読むんだろう、とお父さんのアショケは悩まなかったけれど、わたしはやきもきした。

     ゴーゴーリとはあのロシアの作家、わけありで命名された。それも興味があったけれど、インド、ベンガル人もちょっとむかしはお見合い結婚だったんだ~とおもしろかった。

     そのお父さんはインドからアメリカへ頭脳移民、ゴーゴリは二世だ。当然文化の違いがある。両親はうまく適合しているよう、けれども息子はその不思議な名前でつまずき、両親がかかわるインドの文化に違和感があり、アメリカにもなりきれず、自分が何者かも決らない、わからない。

     作者ジュンパ・ラヒリもアメリカで育ちながらも、カルカッタ生まれベンガル人の両親なので、身をもってわたしは何者だろうと強烈に思ったのだろう。

     しかし、そのへんはあっさりと描かれているように思え、よくあるくどいルーツ物でないのが好感。
     
     あれなのか、これなのか?ここじゃない、ではどこなのか?わたしはここにいるべきなのか?どこに行くべきか?だれでもみんな本当は悩んでいる、普遍的課題。

     おっかぶせて親子関係、夫婦関係、恋人関係に焦点が当ててあり、前作同様胸に響いた。作者独特の洞察力が共鳴をよぶ。

     そう、短編集『停電の夜に』をさきに読んでとても感動、うまい作家だなーと思い、さっそく二作目(しかもこんどは長編)を一気に読了した。三作目も早く読みたいと思うほどだ!

     ちなみにインド料理の描写の数々、生つばものだった。(『その名にちなんで』のほう)おまけに訳(小川高義)もいいと思う。

  • 直前に読んだ『プリズン・ブック・クラブ』で紹介されていた(はず)本書。

    異国へ移った移民第一世代と、異国が祖国となった第二世代、親世代と子ども世代、家庭ごとに異なる、親と子の関係など、家族を巡る立場の違いが織りなす長編小説。

    主語が突然変わる=視点が変わる文体は、好みがわかれるところかと思われる。

    主人公ゴーゴリが感じる、親に対する共感と反感の微妙なバランスは、なにも国を越えなくとも、親元を離れて暮らす人であれば、きっと多かれ少なかれ感じたことがあるのではなかろうか。

  • "無感動、本ばかり、一人ぼっちーー。"(p.299)


    "あとになって振り返り、一生かかって見つめ直し、何だったのかわかろうとするしかない。これでよかったのかと思うようなこと、まるで話にならないようなことが、しぶとく生き残って最終結果になってしまう。"(p.341)

  • ジュンパ・ラヒリが「停電の夜に」の後に放った初めての長編小説。
    インドから移住してきた夫婦が子どもを産み、その子どもが大人になるまでを描いた家族の話でいつもどおりオモシロかった。ほとんど型と言ってもいいほどにプロットは同じなのに毎回読みやすくてオモシロい点が圧倒的。原題のNamesakeは同名異人という意味でゴーゴリという主人公がロシアの小説家由来であることによる。インドでもアメリカでもないロシアの小説家の名前を付けられたことで自分のアイデンティティに苦しみながら生きていく過程が都会の根なし草な自分自身とfeelするところがあった。また主人公だけではない様々な人物の視点を取ることで世界が非常に立体的になるのはラヒリの特徴で、これに加えて生活の細かい描写が合わさって実際に登場人物の人生を見た/生きたような感覚を読書で得ることができる。こんな作家はそうそういない。
    本著では付き合う女性や結婚する女性がどういった人なのか?その女性に対するゴーゴリのスタンスが細かく書かれていて情けなさもあるし出会いのときめきも真空パックされており恋愛小説として豊かだと思う。後半NYに移住して建築家として働き始めたところからNY小説になるところが特に好きだった。華やかなNY生活が事細かに書いてあって、とくにボンボンの娘と付き合ってるときの生活が眩しすぎる…この華やかさは実家の何もなさと素朴な良さの両方を引き立てる役目を担っていて、子どもの頃と大人になってからの実家感がうまく対比されていた。
    物語の中盤と終盤で大きな喪失があるのだけど、予期されていないこととどう向き合うのか?ということを端的に表している文章を引用しておく。

    あとになって振り返り、一生かかかって見つめ直し、何だったのかわかろうとするしかない。これでよかったのかと思うようなこと、まるで話にならないようなことが、しぶとく生き残って最終結果になってしまう。

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