その名にちなんで (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900403

作品紹介・あらすじ

若き日の父が、辛くも死を免れたとき手にしていた本にちなんで、「ゴーゴリ」と名づけられた少年。言葉にしがたい思いがこめられたその名を、やがて彼は恥じるようになる。生家を離れ、名門大学に進学したのを機に、ついに改名。新しい名を得た彼は、いくつもの恋愛を重ねながら、自分の居場所を見出してゆく。だが晴れて自由を満喫しながらも、ふいに痛みと哀しみが胸を刺す。そして訪れる、突然の転機…。名手ラヒリが精緻に描く人生の機微。深く軽やかな傑作長篇。

感想・レビュー・書評

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  • 父親の人生にとって忘れることのできない重大事に因んで名づけられた「ゴーゴリ」という名を息子は嫌った。やがて成人した息子は、名門大学進学を契機に改名してしまう。住むところも名前も変えることで新しい人格を得た彼は、今まで臆病だった恋愛にも積極的になる。何人かの女性との出会いと別れがあり、やがて結婚。そして、父や母との別れが。ベンガル系アメリカ人家族の目を通して描かれるせつないまでの人生の機微。『停電の夜に』で、全世界の読者をうならせた短編の名手、ジュンパ・ラヒリが満を持しておくる長編第一作。

    惹句めいて書けばこんなところになるだろうか。実際、これは読んでもらうしかない。小説を読む愉しさというのは、大仰なストーリー展開の中にあるわけではないからだ。小説の中では特にこれといった事件は起きない。登場人物も際立った個性を付与されてもいない。しいていえば、主人公の名前が著名な文学者から採られていることくらいである。

    しかし、題名からも分かる通り、人の名前が果たす役割は大きい。名前には、事務的な役割の外に先祖から続く一家の物語や父母の願いが封じ込められている。人は名前を通じて、国家や民族とも繋がる。名前とはアイデンティティを確立するための重要な要件なのだ。それだけに、ベンガル人と何の関係もないロシア文学由来の、それも名ではない姓のほうを背負わされた主人公が、それを苦にする理由はよく分かる。彼は名前を忌避するが、知らぬ間に名前を付けた両親の在米ベンガル人的な人生を、ひいては自分と父母との紐帯をも忌避していたのである。

    彼は名前を捨てたとたん、どこにもある通俗的な、女好きのする青年に変化してゆく。いやそれだけでない。WASPではなく、アフリカ系アメリカ人でもヒスパニックでもない、セムハム語族系特有の整った容貌を持った名門大学出身の将来有望な若者として生まれ変わる。以前の名前とともに自分の出自を捨て、それまでに無意識に選びとってきたアメリカ生まれの二世の青年といういわば上澄みだけの人格でできあがった架空の人間として。

    ヒッピー文化を経験したリベラルな文化人を両親に持つマクシーンとの恋愛を通じて、彼は自分のアイデンティティをすっかり喪失しかける。ゴーゴリ改めニキルとなった彼の目を通して描かれるアメリカ人一家の姿は、優雅で知的、しかもアメリカ人らしい開放性に満ちて輝いている。それは、自分にないもののすべてであり、それだけに憧憬の的となって彼の目に映る。

    結局、偶然の事件が彼を自分の家族のもとに連れ戻す。放蕩息子の帰還のように、彼は母親のすすめる縁談を受け入れ、やがて自らもその美しい娘モウシュミを愛するようになるのだが、幼なじみのモウシュミの目に映るニキルはもとのベンガル系二世のゴーゴリでしかない。皮肉にも彼は自らも夢みた根なし草的生活の誘惑に裏切られることになる。

    名前は自分ではつけられない。それだけに名前と自分とのギャップに悩み、人の名と比べて自分の名を気にした経験を持つ人は多いのではないだろうか。もともと自分とは自分で考えているほど自分ではない。案外名前の方が本来の自分に近しい存在なのかもしれない。自分とは何か、自分と親とのつながりは切ろうと思えば切れるものなのか、という根元的とも言える問いを、小説という形で送り届けてくれた作者に感謝したい。

    冬のニューヨークの寒さ、ニューハンプシャーの夏の宵の心地よさ。食物、衣服、音楽など、日々の暮らしをともにする小さな事物に寄せる細やかな視線が、精妙なニュアンスを湛え70年代アメリカの姿を小説の背景として浮かび上がらせる。読む愉しさを堪能させてくれる小説の名手、ジュンパ・ラヒリは健在である。(2004/08/14)

  • なぜかわからないけど、気持ちいい。

    父アショケの列車事故から始まるガングリー家の数十年の物語

    極力省かれた文章で、進行形で時系列に描く。
    目線も主人公のみではなく、場面ごとに父、母、恋人、妻で語られていく。
    読書中は、それぞれ登場人物の心情にいつのまにか寄り添っている。

    インドで見合いの後、アメリカへわたってゼロから生活を作り上げる、アショケとアシマのふたり。
    その息子は、偶然の出来事が重なり“ゴーゴリ”という名を持つことに。

    アメリカにいても存在するベンガル人の風習と社会に対して、渡米した世代とその先で生まれた世代での感覚の違い……。
    ラヒリの最初の短篇集でも多く見られた状況であるが、こうやって長編小説で家族を眺めていくと、それぞれが刻々と変化していくことがわかる。

    妹ソフィアが兄ゴーゴリに対して大きくなっても「ゴーグル」と呼ぶ姿は、どんな環境の変化があっても変わらない「家族」というものの何かがある。

    久しぶりに気持ちのいい「文学」を読んだ。

  • 前作 「停電の夜に」はとても読後感の良い短編集であった。その語この中編が出版されたのは知っていたが、「停電の夜に」が素晴らしすぎたので、「楽しみはあとで」の原則にのっとり、なるべくと読まないようにしていた。
    ところが、最近ベンガル人と仕事の話をするようになった。ベンガル人と言えば思いつくのはタゴールとラヒリ。再びラヒリを読みたい気持ちを抑えられなかった。
    実によい小説である。人には居場所と言うものがある。多くの場合、家庭と仕事場、家庭と学校など。特に人生を生きていくうえで、進学や転職など、自分の環境が大きく変わると、環境になじめないことがある。その自分と環境の接点はヒトガタの抜き型のようなものに例えられないであろうか。
    ラヒリは抜き型と自分の姿が合わないということを名前で上手に表現した。主人公は親のつけた名前がいやでいやでしょうがない。そうは言っても人生は続く。ようやく名前をかえてみたら今度はその改名したなまえがしっくりしない。

    複数人の視点で、ベンガル人のニューヨークでの生活が語られるが、日本の私たちの生活となんて共通点が多いのだろう。そしてラヒリはなんて上手に人生を描くのだろう。
    文章の見事さに、筋立ての巧みさに、小道具の活かし方に感心した。そして最後は感動。
    よかったら皆さんもぜひ。

  • 読み終わった後、いい作品だなと思った。

    ラヒリの作品は、作家本人の人生が反映されていることが多く、今作は、アメリカにおいて、インド系移民の両親の息子の名前が、父親の人生にとって、重要なロシア作家から名付けたところに、独特な興趣がある。

    ラストの両親の家において、「ゴーゴリ」が一生読まないだろうと思っていた「ニコライ・ゴーゴリ短篇集」と、その父、アショケが同じ場所で息子にプレゼントした、それが、見事にまとまる様は、美しく、素敵なエンディングだと思えたし、長い間、名前に苦しんだことがきっかけとなり、なかなか両親とも上手く接することの出来なかったゴーゴリが、最後の最後で、自ら、両親の意図を汲み取った場面は、心動かされた。

    また、相変わらず、エピソードの数々が細かく、丁寧に書いており、特に、ゴーゴリの人生について、ものすごく派手に展開されるわけではないのに、やけに印象に残るシーンが多いのは、ラヒリの観察眼の素晴らしさだと思う。人生の悲喜こもごもの有り様を、淡々と冷静に書いているのも、却って、じわじわと感慨を起こさせてくれる。ゴーゴリ自身、決して、幸福で満たされた人生では無いかもしれないが、読後感はそう思わない爽やかな気持ちを感じさせるところも、ラヒリの作品の好きなところである。

    個人的には、ゴーゴリが拓本を、誰にも見せずに、ひっそりと仕舞うシーンが好きで、子供心に、すごい気を遣ってるのと、子供らしくない諦めのような割り切った様が、切なかった。

  • ジュンパ・ラヒリ 著
    小川高義 訳
    「その名にちなんで」という映画は もう、かなり前に観た映画で…良かったって思ってた気がするのに あまりに以前で 内容が朧げで忘れていましたが、ブグログのhotaruさんの感想を観て とても原作に興味が湧き 俄然読みたくなり
    やっと 読破致しました。古かったのか文庫は絶版になっており 探しまわり 何とか単行本を見つけ いざ
    日本にずっと暮らしている私には 何だか遠い世界の事のようにカルカッタとNY 二都を舞台に父母と子の二世代に渡る ルーツを淡々と素直に書き連ねてる 本当は難しい局面もあるだろうに 本当に淡々と語られるわりに怒りが殆ど見えなく 何故かスラスラ読んでいってしまえる本だった。
    移民の家族に切実であるだけでなく二世代という難しさ
    “ABCD”(American-born confused deshi )「アメリカ生まれで、わけがわからなくなってきているインド系の人間」という用語を聞くとそれなら自分の事だと思う ゴーゴリの気持ちが とても よく分かった気分になった
    インドとアメリカ どちらを向いて生きるという選択 どちらも 選べない 選択 立場は違えど 人は環境において やはり違うし、同じ人間として生きてゆくことは出来ないし、我慢したり 頑なになったり 何処かで線を引いたり でもきっと そんな思いにつまずき、考えてしまうことってあるなぁと感じた。他の事も 随分思い出すというか考えさせられた本だったと思う。子供の頃は嫌だった事が大人になって思い出したら懐かしかったり 子供だから平気でいられた事が大人になったら 困難になってたり…
    随分 原作読むのも遅くなりましたが 映画もいいけど、本を通じて 自分の心の声に耳を傾けずっしりきますね
    読んで 良かったです。

    • hotaruさん
      hiromidaさん、こんにちは。
      読まれたのですね!
      当然ながら映画とは違う部分もありますが、どちらもいい作品ですよね。
      でも、これだけ...
      hiromidaさん、こんにちは。
      読まれたのですね!
      当然ながら映画とは違う部分もありますが、どちらもいい作品ですよね。
      でも、これだけ色々と内容と詰まった原作を、翻案して優れた映画にしたことは、やはりすごいことだと思いますよね^_^
      2018/05/25
    • hiromida2さん
      hotaruさん ありがとうございます!感想を見せて頂き 本も読めて良かったです 映画も素晴らしかったけど、映画だけでは表せない世界観もあり...
      hotaruさん ありがとうございます!感想を見せて頂き 本も読めて良かったです 映画も素晴らしかったけど、映画だけでは表せない世界観もありますものね。本当に著者のジュンパ.ラヒリも翻訳した方もすごいですよね。
      2018/05/26
  • インドからアメリカに渡った夫婦が子供に「ゴーゴリ」と名前をつける。父にはその名に思い出があり、しかし名付けられた息子は、周囲にも自分のルーツにも馴染まない名前に違和感を感じていく。
    自分が自分にたどり着くまでどんな道を辿ってきたのか、アイデンティティの探究の物語。

    所々にまどろっこしかったりしたが、全体的にはそれも良し。比較的難しいテーマを扱いながらも最後はこれ以上ないくらい清々しく終えられて、読後間の良い小説。

  • 短編集『停電の夜に』、中編に近い作を含む『見知らぬ場所』と読んできて、この長編に至りました。
    すばらしい。
    忘れがたい物語を読むことができて幸せです。
    訳がまた、いつもながら見事にたまらなくジュンパ・ラヒリのイメージを作りあげていて、ため息が出ます。
    主人公は父につけられたゴーゴリという名を嫌いついには改名しながらも生涯にわたり呪縛されるわけですが、「どうしてもっと早く話してくれなかったんだ」。
    2世としてアメリカに育ちインドを遠く感じながらもやはりアイデンティティの揺らぎを意識し続ける…といったことよりは、その名のほうがよほど彼のアイデンティティに危機を与える。
    生まれ育ったアメリカの文化があまりにも自然に身についており、出自についてはばしば外界から突きつけられるものだから、ということもある。

    映画化されており、そちらでは映像の力強さと母親アシマの存在感が評価されてもいるようす。ぜひ観てみたい。

    父にロシア作家の名を与えられたといえば、四方田犬彦もそうですね。
    (ゴーリキーを崇拝するお父様が剛己と名づけ、本名のローマ字表記では好んで「Gorki Yomota」と自署する…とWikipediaにも記載があります。)

  • 新潮クレストブックスの、質感やデザイン、フォントが大好きです。「本を読んでいる」という喜びを実感できる。映画もよかったけどやはり、原作の深みは伝わらない。アメリカに住んでもインドのしきたりを守る母、料理やセレモニーのシーンはとても興味深い。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「原作の深みは伝わらない。」
      ジワジワ沁みてくる読書と、一度に色々な情報が入ってくる映画の差は埋まらないねぇ。。。
      早く「低地」を読まな...
      「原作の深みは伝わらない。」
      ジワジワ沁みてくる読書と、一度に色々な情報が入ってくる映画の差は埋まらないねぇ。。。
      早く「低地」を読まなきゃ!
      2014/11/06
  • 長編小説。

    全然、珍しい話とか、突飛な発想とか、
    そういうものはない。
    そういうものはない話なのに、
    名前って不思議だなぁ、と深く思った。

    結局私たちは原点から離れられないのかも。
    あだ名があっても、改名できても。
    最初に呼ばれた名前にするりと戻っていく。
    そういうものなのかなぁ。

    うん。面白かったです。

  • 私はあまり小説を読むのが早い方ではないのだけど、この小説に関してはそれが功を奏した。インドからアメリカに移住した夫婦と、その子ども達にまつわる年代記のような小説は、ゆっくりと読むことでまるで登場人物達の人生を追体験しているかのような深い感慨を与えてくれた。
    抑制された語り口の地の文が心地よく、どの章も読み終えると深い余韻がある。
    とても好きな作品だった。

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