ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900410

感想・レビュー・書評

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  • 読書会に参加するために読みました。
    作者のことと、小説の舞台の1996年前後のウクライナの状況を検索してみました。

    作者アンドレイ・クルコフ:
    ソビエト連邦のレニングラード(現在はサンクトペテルブルク)に生まれ、3歳のときにウクライナのキーフに移住した。作家としての執筆はロシア語で行っている(ウクライナの公用語はウクライナ語。キーウではロシア語もウクライナ語も通じる)。
    しかしロシアではクルコフの小説は数年前から発禁扱いらしい。
    そして今回の戦争に際して「ロシア語の使用制限を支持」(https://www.jiji.com/jc/article?k=20220216042633a&g=afp
    2022年02月16日付の記事)という立場を表明している。

    ウクライナ:
    1921年:ポーランド・ソビエト戦争終結し、西ウクライナはポーランド領、その他はソビエト領となる。ポーランド側では、ポーランド政府によるウクライナ人への弾圧が行われた。
    1922年:ソビエト連邦が結成される。ウクライナ社会主義ソビエト共和国はその一員となる。当初ロシアはウクライナの自治を認めたが次第に統制を強めた。
    1934年:ソビエトのウクライナの首都がキエフになる。(2022年現在日本では”キーウ”表記になった)
    1954年:クリミア半島がロシアからウクライナへ移管される。(⇒2014年にロシアがクリミアに派兵してクリミアを併合する)
    1986年4月26日:チェルノブイリ原発事故発生。
    1991年8月24日:ソビエト連邦崩壊に伴い、ウクライナは独立宣言して、新たな国家ウクライナとなる。
    ※この小説の舞台は1996年
    2004年:大統領選挙不正を巡る「オレンジ革命」始まる。
    2022年2月24日:ロシアが「特別軍事作戦」と称するウクライナへの侵攻開始。(ロシアはウクライナに宣戦布告していないので公式には「戦争」ではなく「特別軍事作戦」。工エエェェ(´д`)ェェエエ工ー)
    ではレビューに入ります。
    なお、小説では首都を「キエフ」表記していますが、2022年現在呼び名が「キーウ」に変更になったため、こちらのレビューでもキーウと書きます。

    ===
    キエフに住むヴィクトルは、小説家志望だが書き上げたことはない。
    もうすぐ40歳、彼女はその時時でいたが、どうも長続きしない。最近の彼女も一年前に出ていった。その頃家にペンギンが来た。
    そう、現在のヴィクトルの同居人は、動物園で餌代が無くなったので動物たちを放出したときにもらいうけた、ペンギンのミーシャなのだ!
    小説としてはペンギンのミーシャがアパートの一室で生活していることが当たり前に書かれているので読んでいる方もそのまま受け入れる。ミーシャは感情は見えない。後に元動物園の飼育員の老人ピドパールィに聞いたところでは、ミーシャは南極からウクライナに連れてこられて憂鬱性を患っているらしい。
    ヴィクトルはとくにペットというわけでもお友だちというわけでもなく当たり前に一室で生活を共にし、外出のときは外に連れ出す。ミーシャも呼べば来るくらいには慣れているが、二人(一人と一匹)の関係はじつにクールな感じ。

    そんな日々を過ごすヴィクトルは、新しい新聞を刊行した新聞社に小説を持ち込んだ。
    数日後、新聞社編集長イーゴリから連絡がきた。もらった仕事は「まだ死んでいない人の追悼記事を書くこと」。よくわからないが「追悼記事」という新たなジャンルのショートストーリーを書けば良いんだね。記事の名前は<十字架>と呼ぶことにした。ヴィクトルは編集長イーゴリから渡された人物ファイルを元に追悼記事を書く。
    この<十字架>の文章も、人物ファイルを元にしたり取材に行ったり、他の人間や秘密の事件との関係を仄めかし、美辞と皮肉を混ぜた文体でなかなかの力作揃いだが、書かれた人が死なないと表には出ない。ヴィクトルは少しの不満を感じる。

    ヴィクトルは仕事を介して知り合いが増えていった。
    新聞社から紹介されたというミーシャ(<ペンギンじゃないほうのミーシャ>と書かれる)と、その4歳の娘のソーニャ。そしてヴィクトルが地方都市ハリコフに取材出張したときにミーシャの餌やりを依頼した地区担当警官のセルゲイ。
    セルゲイは、純粋スラブ系人種なのになんとなくユダヤ人風の名前にしているというちょっと変わったところもある好青年。少尉の地位を持っているので、このころの警官は軍人なのですね。ヴィクトルとセルゲイはプライベートでもお友達になり、ミーシャを含めてお出かけするようになる。

    ある日イーゴリから電話がかかってくる。「デビューおめでとう!」
    ヴィクトルが書いた追悼記事の政治家が事故死したのだ。

    この後も、ヴィクトルの<十字架>の人物の死が続くようになる。
    中には、自分が先に書いた記事の後追いのような状況が起こることも。
    そして<ペンギンじゃない方のミーシャ>は、「しばらく身を隠さなければいけなくなったから、娘を預かって欲しい」と言って姿をくらます。

    それでもヴィクトルは、ペンギンのミーシャ、ソーニャと暮らしながら<十字架>を書き続ける。
    ウクライナでは、通りで銃声が響くことは日常的だし、田舎の別荘地では泥棒避けに地雷を埋めているし、道に死体が転がっていることもあるし、アパートの一室で火事を起こしても大騒ぎにもならない。テレビが白黒だったり、サンタがくるのが12/31だったりという、地域習慣の違いも見られる。新聞の社説では「戦争は終わっていない」という記事が載り、どうやら怪しげな組織は人物の気配もする。しかし人々はフレンドリーで、初対面でもすぐに親しくなったり、欲しいものやしてほしいことを遠慮なく相手に告げたりする。
    自分が関わった人が危なくなることは嫌な気持ちにもなるが、それでも生活しなければならない。

    だが危険はヴィクトル、そして編集長イーゴリにも及ぶ。
    新聞社を訪れたヴィクトルは、自分が書いた<十字架>に未来の日付で決済されていることを知る。
    自分の追悼記事により死ぬ人が選ばれているのか?
    ヴィクトルに聞かれた編集長イーゴリの答えは、自分たちは新聞社といっても実態は”国をほんのちょっと良くしようとしている数人”なんだ、ということ。そしてヴィクトルに「仕事の意味を知ったら最後、お陀仏だ 知りすぎてお陀仏になるんじゃない逆だよ。君の仕事も、ついでに君の命ももう必要ないって段になったら、そのときすべてわかる」と告げる。

    警官の友人セルゲイはモスクワへの出向に旅立った(ロシアから独立した今でもモスクワ勤務は出世街道らしい)。
    代わりにやってきたのは、セルゲイの姪で20歳のニーナ。ヴィクトルがソーニャへのベビーシッターのために雇った。やがてヴィクトルとニーナは関係を持つ。ヴィクトル、ニーナ、ソーニャ、ペンギンのミーシャは、疑似家族のようになる。本当に家族になるのか?と想像しないこともないが、あくまでも”疑似”の関係だ。

    ヴィクトルはついに、仕事の意味と「自分の命が必要なくなった」と知ることになる。新聞社で自分の<十字架>を見つけたのだった。
    どうやら、ヴィクトルは、自分が組織の殺し屋で、考えに反する相手を始末して回っていると思われていることを知るのだった。

    ===
    ウクライナでごく普通の日常を送る人々の背後になんとも不穏な社会情勢が伺い知れる。
    まだ死んでいない人間の追悼記事を書くということも、新しいジャンルの小説を書いたら好評を得たという感覚もそのまま受け止めてしまう。
    不穏な社会であっても、人々は初対面の相手でもすぐに親しくなったり、お互い要求しあったりという案外近い距離感がある。そしていよいよここにいられないとなったら、あっさりとそこから去る身軽さもある社会情勢を感じる。

    ペンギンのミーシャも、慣れるわけでもなく冷たいわけでもなく、ただただそこにいる。
    小説の展開で心配だったのが、このペンギンミーシャが終盤諸事情によりヴィクトルの住居から離れてそれっきりということ。ヴィクトルが確認すると「元気だよ」という返事なのだが、ペンギンミーシャは殺し屋ヴィクトルの象徴と思われて消されちゃったんじゃないでしょうね。
    私が読んだ感覚では、ペンギンミーシャがいなくなったからこそ、ラストでヴィクトルがミーシャに成り代わるというような流れなんだろうかと思ったんですが…。

    ※サンタが12/31に来るの?の件を読書会で教えていただきました。
    ロシア正教(ウクライナ聖教)の場合1/7がクリスマスで、12/31におじいさんと雪娘がプレゼントを渡しに来るのだそうです。

  • 1990年代のウクライナ。
    売れない小説家が、新聞に追悼記事を書く仕事を始めてから、不可解な出来事が起こり始める。
    彼はペンギンと暮らしていて、もちろん台詞はないし、自ら主張するような行動もないのだけど、物語になくてはならない存在だ。

    ペンギンとともに淡々と続いていく日常から、独立国家となって間もないウクライナの歴史をちょっとだけ知ることが出来た。
    マフィアが暗躍する過渡期だそうで、カラーテレビもあるけど白黒もまだ現役の時代。
    ある老人の、「どの世紀にも、五年くらいは豊かな時期があるもので、その後は何もかもだめになるんだ……。」という台詞か印象的だった。

    ブラックコメディなのか、サスペンスなのか、内容の面白さを表現するのが難しい。それ以外で私が面白いなと思ったのは、文化や感覚の違いだ。
    サンタクロースが12月31日にやって来るとか。
    人の家で堂々と「お茶くれ!」と言うとか。
    死んだ後に遺品を誰にも引っ掻き回されたくないからって、部屋に火をつけてくれと頼む人にはちょっと驚いた。それを承諾する人にも。
    いやいや、アパート暮らしだよね、はた迷惑すぎる、と私だったら言わずにはいられない。

  • 小説家 アンドレイ・クルコフは、このところウクライナの現況を発信しており着目されている。代表作『ペンギンの憂鬱』は欧州でも人気だったらしく、しっとりしたサスペンス作品で読み応えがあった。

    平凡な光景が淡々と綴られているようでありながら、ペンギンと同居し、いつの間にか女性と同居し始め、日常が実はじんわりと妙な変化をしてきている描写が見事だ。物書きである主人公が、美味しい話と思って受注した死亡記事を書く仕事も、ゾワゾワする展開に静々とかわっていく。ふと立ち位置を確認してみて気がつくと、かなり奇妙な生活に陥っていることを、読み進めると我が身のことのように体感している。

    この境遇が、読み手も気がつかずに忍び寄ってくる様が凄いし、ダレずに物語は自然と進行するのも著者の力量である。そしてラストもストンとした幕切れでお見事であった。物語の舞台はキエフ(キーウ)やハリコフ(ハルキウ)、どことなくウクライナの土地の雰囲気も味わえるし、キエフの不穏な空気感は物語故なのか、現地の実際の空気感なのかは確かめたいところである。

    <ウクライナ関係書籍紹介>
    https://jtaniguchi.com/books-recommended-ukraine/

    <その他の書籍紹介>
    https://jtaniguchi.com/tag/%e6%9b%b8%e7%b1%8d%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

  • 2004年初版。ロシア語の翻訳作品。翻訳本の難解さは、あまり感じません。読みやすかった。でも、内容の鬱々とした感じを、もっと出してくれたら良いのになあという感じも持ちました。ソビエト連邦が崩壊して独立したウクライナが舞台です。異文化を強く意識しました。コーヒーとお酒を合わせて飲むなど。ミステリー小説だと思うのですが、私的には納得の行かない部分も多々あります。当時のウクライナ自体にも憂鬱なムードが蔓延していたんだろうなあと思わせます。今現在、ロシアとの戦闘が続いているウクライナの憂鬱さは救いのないものなのでしょうね。

  • ペンギンの存在感。体を膝に押しつけてくるなんて愛くるしい。憂鬱症のペンギン。哀愁を感じさせるような。でも、どこか少しだけ滑稽でもあるような…。ピクニックや別荘で過ごす場面がいいな。

    人との関係が一見友好的な感じもするんだけれど、実際にはよく知らない人でもあり、人や社会とのつながりが希薄なようで、空虚さも感じてしまう。
    自身の力の及ばない、全貌が見えない、よくわからないものに巻き込まれてしまった主人公。たしかに、村上春樹と近いものがあるように感じた。


    ペンギン学者の書類は、人気のない河原かどこかに持ち出して燃やすものだとばかり思っていたから、本当に部屋に火をつけたのには驚いてしまった。

  • キエフのアパートにミーシャと名付けた皇帝ペンギンと住むヴィクトル。短編を新聞社に持ち込むが、短編の腕を見込まれ「追悼文」を書く仕事にありつく。その仕事をやり始めてから、新しい人脈が手をつなぐように現われる。「ペンギンじゃないミーシャ」、その4歳になる娘ソーニャ、ハリコフに出張の時エサやりを頼んだ警官のセルゲイ。「追悼文」は出版社では「十字架」と呼ばれ、リストを渡され、生者の「十字架」を書くようになる。

    やがて、ペンギンとソーニャとヴィクトルの生活が始まる。部屋の雰囲気はなんともいえない不思議感。何かを考えているかのようなペンギン、気が向けばペタペタと寄ってきて白い胸毛をヴィクトルの膝にすりよせる。ソーニャはペンギンと意思疎通ができるようだ。このなにかおかしな登場人物たちの動きにたまらなく惹かれた。

    が、生前「十字架」は不穏だ。はたしてその人物が死に、ビクトルの文が新聞に載るようになる。その裏に隠された真実は何?と編集長に聞くと、「知らない方がいい」  なにかこのへん、現実の政治の裏側をもじっているのか?という気さえする。

    果たして、現実は、物語の上を行く悲惨さになってしまっている。

    この本の出版は1996年、時代設定も同時代のように思える。キエフに住み、ハリコフに出張! 以前ならどこだ?となったハリコフも連日戦火地図を見ているので、場所はすぐわかる。96年にはささやかな日常があった。・・しかし停電があり、ロウソクを灯したり、ペンギンはエサ代の無くなった動物園が希望者に放出したペンギンなのだ。独立して数年、なにかきな臭い雰囲気はある。

    友人の警官セルゲイの車の名は「ザポロージェツ」 検索すると、ウクライナのメーカー、ザポリージャ自動車工場で1960-1996まで生産され、名前はザポリージャ州または男性の名が由来とある。・・ここも連日報道されてる都市名で原発がある都市だ。

    訳者あとがきで、どこか村上春樹の雰囲気に似ている気がしてならなかった、と書いていたが確かにその雰囲気を感じる。訳文の文体もちょっと似ているのかも。何かちょっとヘンな登場人物たち。だけど気持ちはまっとう。登場人物の回りは正直な空気が漂う。しかしその回りはゆがんだ渦がある。作者のクルコフ自身も「羊をめぐる冒険」が好きだとのことだ。

    1996発表
    2004.9.30発行

    この本はウクライナ侵攻があってからブクログメンバーの書棚で知ったのだが、レビュー数が今時点で216もある。時期はずいぶん前からだ。今回の事件に関係なく読まれていたんだなあ。

  • 舞台はウクライナ・キエフ。短編を専門とするしがない小説家ヴィクトルは、動物園の閉鎖をきっかけにペンギンのミーシャを飼い始める。
    そんなヴィクトルの元に死者の追悼記事を書く仕事が舞い込む。まだ生きている人たちの、さまざまなエピソードを元に、「死ぬ準備」をする奇妙な仕事。
    そんな彼はギャングの「ペンギンでないミーシャ」の一人娘のソーニャを預かることになり、そして友人の警官・セルゲイの姪の二十歳のニーナをベビーシッターとして迎え、やがてより深い中になる。不思議な共同体の中で、彼の奇妙な仕事の核心へと近づいていく。憂鬱症で病気の治療をしたミーシャは南極に帰れることになったところで、不思議な形で本作は終わる。

    淡々と、奇妙な世界に巻き込まれ、危険にも呼び寄せながら、現実がよくわからないままに、どんどん進んでいく世界。ウクライナという異国が舞台ですが、非現実的故の親近感がある。ペンギンのミーシャの存在がこの作品にシュールな魅力を与えています。
    狭い家の中をペタペタと歩き回り、冷凍の魚を食べ、4歳のソーニャと交流し、犬に絡まれ、川沿いに遊びに行き、白黒という特徴からギャングの葬式に呼ばれるミーシャはなんだかちょっと笑える。確かにちょっと村上春樹氏の作品っぽいかも。面白かった。
    (一応続編があるようですが、そちらは評判がいまいちで翻訳もされていないよう)

  • ソ連政権崩壊後のウクライナ、キエフ。情勢は未だ不安定。マフィアも暗躍するそんな街で、作家を目指すヴィクトルは恋人に去られ、憂鬱症のペンギンと二人(?)きりで暮らしていた。そんな彼が短編を持ち込んだ新聞社から、要人の死亡記事を書かないかとの打診が来る。まだ存命の有名人の追悼記事も書き溜めるようにまでなった頃には、彼が記事を書いた要人が、ことごとく不審な死を遂げている事に気付く。そして、彼に近しい人達も一人、また一人、と姿を消していきー。

    舞台となっているキエフについ最近行ってきたばかりだったのでとてもタイムリーな作品だった。ソ連崩壊後の不穏な空気が充満するキエフと、先日行ったロシアとの緊張感漂うキエフ、程度の差こそあれど得もいえぬ不安感が付き纏うのは同じか。ペンギンのミーシャが緩衝材として一役買っているものの、ヴィクトルの一見平和な生活にも終始暗い影が落ち、緊張感が拭えない。最後のヴィクトルの運命には「えーっ」と声を出してしまった程。マジでミーシャがいなければとんだダークな作品になってた所だ…。日常の中の非日常を味わいたい方は、是非。

  • ソ連崩壊に伴うウクライナ独立直後の社会不安、汚職要人暗殺等の政治的混乱を背景にした、追悼記事作家ヴィクトルと憂鬱症のペンギンのミーシャ、四歳の少女ソーニャ、ベビーシッターのニーナの奇妙な共同生活。集団で行動するペンギンが集団から離された時の戸惑いを、ソ連から離れたウクライナの生活環境の変化への不適応の日常に擬して描かれる。
    「この人生、なんだかしっくりこない」自分の足元を見て歩きながら思った。「それとも人生そのものが変わっちまって、前と同じくシンプルでわかりやすく見えるのは外側だけなのか。中身はまるでメカニズムが壊れたみたいだ。見慣れたものだって、中身はどうなってるんだかわかったものじゃない。ウクライナのパンだろうと、公衆電話だろうと。何だろうと見慣れたものの表面を剥がすと、目に見えないよそよそしいものが隠れている。どの木をとっても、どの人をとっても、中に異質なるのが潜んでいる。ただ子供のときから知っているような気がするだけだ」
    掲載されない生存している要人の追悼記事を書くことに悩み、「俺の仕事はいったいどんな意味があるんだ」と尋ねると、編集長はこちらを見つめて目を細めた。聞かないほうが身のためだ」編集長は低い声で言った。「どうとでも都合のいいように考えておけばいいじゃないか。ただ、よく覚えておくんだな。仕事の意味を知ったら最後、お陀仏だ。映画じゃない。知りすぎてお陀仏になるんじゃない。逆だよ。君の仕事も、ついでに君の命もう必要ないって段になったら、そのときすべてわかる……」そして、追悼記事の謎が明かされていく。

  • ペンギンと金髪の女の子のかわいらしい表紙と憂鬱症のペンギンと暮らす作家という設定に惹かれ読んでみたいと思っていた。文庫化されるのを待っていたけれど、本屋さんで見かけて表紙だけで購入決定。まさにジャケ買い。

    動物園から引き取ったペンギンと暮らす作家。
    売れない作家である主人公は新聞の死亡記事を書く仕事を引き受ける。
    それをきっかけに事件に巻き込まれていく。

    こう書くとミステリーという感じがするが、本書はそういう面白味よりもペンギンと暮らす主人公が預かった少女と共に暮らしていく様を読ませる作品といったほうが正しいように感じる。

    ペンギンの描写がかわいらしく、少女の描写も愛らしい。
    やはり動物と子供という組み合わせは最強。間違いなし。

    物語と直接関係はないが、作中でコーヒーを淹れて飲むシーンがある。
    わたしはコーヒーが余り好きではないが、たまに飲むときはカップにインスタントコーヒーを入れ温めたミルクをドバドバ入れて作る。一般では湯を入れて作るのだと思う。
    作中で主人公は、コーヒー沸かしにコーヒー粉と水を入れて火にかけ沸騰して泡立ったら火を止めてカップに移すとある。
    本書の原作者はウクライナのひとらしいので、ウクライナではこうやってコーヒーを淹れるのだろうかと面白く感じた。

    ひとり暮らしの主人公が引き取ったペンギンと暮らす。
    ペンギンは群れで生きる動物であるのにたった一匹で人間と暮らすものだが、そういう動物と孤独な男が暮らすところで、群れからはぐれたペンギンと社会からはぐれた男という設定が生きてくると感じた。
    そこへ更に親と離れた孤独な少女が加わるため、どこにも属さない孤立したものたちという状況が際立つ。

    この作家は他にも動物の出てくる作品を書いているらしいが、他の作品も読んでみたいと思わせる一冊だった。

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