- Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105900755
作品紹介・あらすじ
南米ウルグアイの人里離れた邸宅に暮らす、自殺した作家の妻、作家の愛人と小さな娘、作家の兄とその恋人である青年。ナチスの迫害を逃れてきた先代が、ドイツ風の屋敷をたてたこの場所で、人生を断念したかのように静かな暮らしが営まれていた。そこへ突然、作家の伝記を書こうというアメリカの大学院生がやってくる。思いがけない波紋がよびさます、封印した記憶、あきらめたはずの愛-。全篇にちりばめられたユーモアと陰翳に富む人物像、それぞれの人生を肯定する作者のまなざしが、深く暖かな読後感をもたらす。英国古典小説の味わいをもつ、アメリカの傑作小説。
感想・レビュー・書評
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2023/11/23読了。ミステリーや歴史好きの私だが
最近はこう言った心に何か余韻が残る小説を読むとほっとする。作家はアメリカ生まれのピーター・キャメロン。『最終目的地』人生最後に辿り着く作品と思いきや…こが最終目的地だと思っていても、いつまた新しい旅が始まるかも知れない。
だれでも、いくつになっても、あらたな目的地が見つかる可能性はつねにある。かたくななこころを開いてその可能性に飛び込むことは、生きることを楽しむのと道義だ-そんな希望と祝福に満ちたメッセージが、この題名には隠されているように思います。訳者あとがき。それもある種の人生におけるミステリーなのかも。読後感は悪くはなかった。文体も繊細で読みやすかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ウルグアイの町から離れた自然な中で静かに暮らす作家の家族。そこへ伝記を書く許可を得るため、青年が現れる。そこで静かに恋が始まり、別れと旅立ちの種が播かれる。登場人物のそれぞれの関係が特殊で思いやりか意地悪かないまぜになった心情でがんじがらめになっているところが、ほどけていく。最終目的地に向かって。
久しぶりに物語世界に堪能しました。 -
とある作家の伝記を書くために、作家の遺族が暮らすウルグアイに向かう青年。遺族の「承認」をもらうために来た彼は、しかし、伝記を書くのをやめてアメリカに帰ることになる…
ウルグアイの人里離れた屋敷。
作家の兄とそのゲイの恋人、作家の妻と、作家の愛人とその娘。
ほとんど何も起こらず、とにかく会話ばかりがえんえんと続く。だけどその会話で少しずつ状況が変わっていく。まるで会話劇。
退屈なのに不思議と読みやめることなく最後まで読んだ。するする頭に入ってくるような、リズムの良い翻訳も良かったな。
作者のピーター・キャメロンは、そうか、ずうっと前に読んだ『ママがプールを洗う日』の作者なのか。 -
こういう話大好きです
ウルグアイの光景が目に浮かぶ
翻訳もすごくよいです -
文章が逸脱。
人物のキャラクター会話を通して
細かく設定されていて目の前にいるみたい。
ストーリーも日常的で、馴染みのないウルグアイが
とても居心地の良さそうな土地に感じた。 -
この美しい翻訳をなさった方がもうこの世にいないのが残念。ピート役が真田広之か。欧米人にはそんなに若く見えるのね。オマーの恋は安っぽく見えたが、長続きしているみたいね。
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【Entertainment】最終目的地 / ピータ・キャメロン /20170327/(31/627) <440/73802>
◆きっかけ
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◆感想
・南米ウルグアイの人里離れた邸宅に暮らす、自殺した作家の妻、作家の愛人と小さな娘、作家の兄とその恋人である青年。ナチスの迫害を逃れてきた先代が、ドイツ風の屋敷をたてたこの場所で、人生を断念したかのように静かな暮らしが営まれていた。そこへ突然、作家の伝記を書こうというアメリカの大学院生がやってくる。思いがけない波紋が生じていく。。。
・以前一度は図書館から借りた本だが、あまりの分厚さ(440p)に断念した経緯あり。今回、改めて借りたのは少しまとまった時間(連休)が確保でき、かつ他に借りている本等で急ぎ読了すべき本ががなかったからという、この種の分厚い本にはベストのタイミングだった。
・ボリュームの割にはあまり重量感がなかったような、スムーズに頭に入り込み、イメージが湧くことのできた訳のおかげか。過去、
「極北 / マーセル・セロー (村上春樹 翻訳) / 2012.7.17<R>」や、「【Entertainment】海を照らす光/MLステッドマン / 20150629(65/349)<462/14744><R>」に比べると、重くはない。
・6人それぞれの心の機微というか、細かな気持ちが、最初はわずかながら、やがて大きく変化していく様はスリリングですらあり、知らず知らずのうちに引き込まれていった。
・この本ではおそらく最終目的地はウルグアイのオチョス・リオスを暗に示しているのだろう。また、この人里離れた邸宅に暮らす彼らにとって、精神的なもの、人生そのものも含めて最終目的地なのだろう。しかし、冒頭にあった言葉通り、不幸は長く続かない、これは不幸に限らず、幸せも含めて今の状態が、ということなのだろうと思う。そして実際、各々は自らの人生に決断を下していく。キャロラインはNYへ、オマーもカンザスからウルグアイの邸宅にやってくるし、何よりディアドラを捨てて、アーデンと結婚すること自体が、この話を物語っているだろう。その意味でとても考えさせられる話だった。
・読後、ウルグアイの綺麗な風景見たさに、映画化を期待していたところ、実際に映画化されており、しかも2012年にロードショーされていたとは知らなかった。アダムはアンソニー・ホプキンスが適役かなと勝手に想像していたら、まさにその配役だったのには驚いた。いずれ映画も見たい。
◆引用
・われわが不幸なのは、不幸がどのような終わり方をするか知らないからだ。だが、じつは、われわれが真にわかってないのは、不幸はいつまでも続きはしないということだ。なぜなら、同じ状況が続くことさえ、いずれは気分の変化をもたらすからだ。同じ理由から、幸福もいつまでも続きはしない。ウィリアム・ジャーハーディ(必滅の愛について)
・ここが最終目的地だと思っていても、いつまだ新しい旅がはじまるかもしれない。だれでも、いくつになっても、新たな目的地が見つかる可能性は常にある。かたくなな心を開いてその可能性に飛び込むのは、生きることを楽しむのと同義だーそんな希望と祝福に満ちたメッセージがこの題名には隠されているように思えます。
・どんな時だって、シャンパンが失敗なんてことは無いのよ -
ジェームズ・アイヴォリーの映画を見て、「うまい小説のようだ」と思った。後に原作小説があると知り、手に取ったのが本書だったが、映画から連想するほどうまくなかった。映画>原作というのは珍しいが、監督と俳優の邂逅でたまにそういうことが起きる。最近では「サラの鍵」があった。
アンソニー・ホプキンス、ローラ・リニー、シャルロット・ゲンズブールを配したキャスティングが絶妙だと改めて思う。イメージを壊さないというか原作以上。ピートはイメージが違うが、映画だと、大人の色気があり停滞する屋敷に生・陽を漂わせる真田博之だが、小説だと若い男妾上がりで存在感が薄い。アダムとオマーの会話でハーフェズを引くような場面は絶対原作由来だと思ったのに、映画のみ。ゴンドラの使い方からのラストの余韻も映画の方がむしろ文学的。おっと、映画のレビューになってしまった。 -
人の行き来も殆どなく、時間さえも停滞しているような、ウルグアイの田舎で暮らす、今は亡き作家の兄、妻と愛人。彼らの生活は、気だるい物憂さに包まれている。激動の過去を経て、この先には何もないと諦めているよう…そこに、博士号と研究費を取得するために作家の伝記を書きたいという男が現れ、それぞれに変化が起こる。
とても読みやすい文章で、馴染みのないウルグアイという国の田園風景が、美しく想像できた。
色々な国籍・背景・過去を持つ登場人物達が、何からも遠い異国の辺鄙な地で、失っていた自分を取り戻していく様が繊細に描かれていて、じんわり心に染みた。静かに希望で満たされていくような、心に残る一作だった。