無限 (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (331ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900878

作品紹介・あらすじ

ある真夏の一日、アイルランドの片田舎に建つ屋敷。生死の境をさまよう老数学者アダムを、家族たちが取り囲む。若き妻アーシュラ、父と同じ名を持つ息子アダム、傷つきやすく閉じこもりがちな妹ピートラ、息子アダムの妻で女優のヘレン。そして、それを密かに見守る、いたずら好きの「神」たち。神々は気まぐれに人間に入り込んでは美人を追いかけまわし、時間を止めてしまったりもする。不完全な、限りある命の人間たちを淡々と観察しながら、ときに「神」は、愛することや死ぬことに憧れを抱く-。慈愛と思索とユーモアが響き合う傑作長篇。

感想・レビュー・書評

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  • 「無限」
    買ってから少し経った頃(たぶん今年)、触りだけちょっと読んで惹かれて、でも読まずにいて、今回取り掛かってみる。夜明けと窓辺に佇む男と駅でもないのに停車する汽車が印象を残す出だし。
     暗闇がふわふわと細かい煤みたいに大気からふるい分けられ、東からゆっくりと明るみがひろがりはじめると、よほど悲惨な人間でもないかぎり、だれもが元気を取り戻す。この毎日のささやかな復活劇を眺めるのが、われわれ神々の楽しみになっている。われわれはしばしば雲の城壁に集まって、下界のわが子たちを見下ろしては、彼らが起き出していそいそと新しい一日を迎えるのを見守る。そういうとき、なんという沈黙がわれわれの肩に降りかかることだろう。わが子をうらやむ寂しげな沈黙が。
    (p5)
    最近は引用部分を結構長めにとっている…
    そう、この小説の語り手は神。それも神々とあるからキリスト教というよりはギリシャ的な神。ギリシャ神話だからどことなく人間的で楽しそう、という一読者の勝手な先入観とは逆になんだか寂しげ。
    続いての汽車が止まるシーンはあまりに唐突なため、前回ちら読みした時身震いしたところ…結局、今日はそこからあまり進まず、男とその妹の会話(ネズミを見た、二人とも誰かのお古のパジャマを着ている、彼らの父親が死にかかっている…というのが、ここまでの情報)まで。
    (2020 04/21)

    複数、或いは無限世界の混じり合い
     彼らは相互に浸透しあっているいくつもの世界のただ中に棲んでいるのであり、彼ら自身がその渾然一体となった空気のなかで群れをなす霊魂だというだけのことなのだ。もしかすると、彼女が会っているのは、いつの間にか別の次元からこの次元にさまよい込んだ、彼女の無数にいる自己のひとりかもしれないのである。
    (p26)
     その細長い、天井の高い部屋の端にある階段の上で宙に浮いている彼女を、息子はじっと見つめていた。どうもうまくピントが合わない。このところ、彼女はいつも完全にはそこにいないように、どこへ行っても、足下の目に見えない敷居の上でためらっているように見える。うっすらと埃をかぶっているみたいに、ぼやけて見えるのだ。
    (p29)
    昨夜読んだところから。上下の文の「彼女」というのは、死を迎えているアダムの妻(結構夫と比べて若いという設定らしい、解説見るまで気づかなかったけど)で、今この家に来ていて下の文の「息子」であるアダムの母(両方ともアダムだからわかりにくい(笑))。そしてこういうなんだかいろいろな次元が混ざり合っていて、逆にいまいるこの次元自体がなんだかあやふやな小説世界…この小説世界だけでなく、この自分もたまというかよく、そんな思いに捕われることある…そしてこういう混ざり合い世界観はどうやら今死につつある方のアダムが「発見」したものであるらしい。
    補足いろいろ3つ。
    前に挙げた列車到着のシーンで息子のアダムは、列車の中からじっと見ている男の子を見つける。この列車の中のアザラシの頭と表現されている少年がどうやら父親アダムらしい。屋敷を見ているのは「この屋敷みたいなところに住めたらいいな」という願望から。
    父アダム、息子アダム、母親アーシュラ…等々いろいろな人物に、そして背景に縦横無尽に入り込んでいく物語視点は、視点や語りを限定、厳密化して読者に考えさせる現代の多くの小説と異なって、かなりアクロバティックな手法に思える。この語りがこの作品の醍醐味の一つ…19世紀の小説の「神の視点」を上回る…あ、この小説を語っているのは「神」だったんだっけ。

    光と場
     それはむしろ一種の力、あるいは〈場〉とでも呼ぶべきものーかつて父が説明してくれようとしたことのある物理学的な意味での〈場〉、けっして目に見えない、とてつもなく小さな粒子の作用で低くうなっている抽象的な空間みたいなものーだった。
    (p45)
    父アダムは有名な物理学者だったらしい。で、これが前に書いた相互干渉的な世界観へとつながる。
     懺悔、というのだったかな、と彼は考えた。そう、懺悔したあとの気分だった。だが、こどものとき寝小便をしたあとのような気分でもあった。後ろめたいと同時に快哉を叫びたい気分、そして、ひそかに、不届きな復讐を遂げてやったぞという気分。
    (p52)
    死を目前にした父を前にして、息子アダムは嗚咽する、しかしそれでも別に吹き出しそうな気もしている、とある。
     田舎のこのあたりの光には頭痛の色合いがある。街の光とは違って、明るく、強烈で、背後にもうひとつ別の光があるみたいに謎めいていて、いつも変わることがなく、刺すような輝きがある。
    (p62)
    暗闇だけが別世界の粒子に溢れているわけではない、光もそう。キリスト教世界からすれば、異教の光。この小説ではそこに「神」がいるのだから謎はそのままそこに落ち着くのだが、もし、この小説世界を離れたとしても、この光の謎は自分たちに直接残る。
    (2020 04/26)

     その瞬間、彼の頭のなかに無限の青い空間が、静かな輝きにみちた空間がひろがり、その広大な静寂のなかで際限もなくいくつもの透明な形がうごめいて、出合ったり、絡み合ったり外れたり、たがいの内側を通り抜けたりしているような気がした。
    (P75)
     厳密にかぞえるのが不可能なことが彼を苦しめた。これがいくつ、あれがいくつというけれど、まだなんの単位もなかったときはどうだったのか?
    (p76)
    「無限」というタイトルの言葉出てきた。これは実は子供の頃の老アダムが知恵の輪らしきものを解いているところ。「たがいの内側」というところもなかなか鍵になるような気も。
    (2020 04/27)

    時間と視点、その他
     ときおり、ヘレンは彼がだれだかわからなくなったような目つきで彼を見た。彼は自分が彼女の視界のなかでどんどんと遠ざかっていくような気がした。駅のホームに立っている男、出ていく列車の窓から振り返って見られている男みたいに。初めはゆっくりとだが、徐々にスピードを増して遠ざかっていく。
    (p103)
    彼ー息子のアダムの視点なのだが、どうして、アダムの考えは自分の立ち位置が「列車に乗っている人」ではなく、「駅にいる人」なのだろう。なんとなくだが、自我の視点からすると、「列車に乗っている人」の視点を最初に直感するような気がするのだが。それがアダムという人物が持つ独特の視点なのだろうか。
     巨大な波が橋の下を通過したとき、彼女はなぜか下を見ずに空を見上げた。頭上をどんどん流れていく、低く垂れこめた鉛色の雲の塊が、その下を滔々と流れる川を反射しているみたいに見えた。
    (p121)
     あの初めての日に、パブで、冷やかすように笑いかけたり、いろんな話をしてくれたけど、彼はかならずしも彼女といっしょにいたわけではなかった。それとおなじように、いま彼の頭のなかで、彼がいっしょにいるのは彼女ではないのかもしれなかった。これまで一度でも、彼女にとって、彼が完全に存在したことがあったのだろうか?
    (p123)
    この2文は老アダムの妻アーシュラの視点(老アダムにはどうやら先妻がいたみたい)。川と雲の流れが全く別物ではなくそれぞれが反映されていると考えること。逆に存在している人物が完全にはそこにはいないと考えること、これらはこの作品の下部にずっと横たわっている。
     時間も難題のひとつだった。というのも、彼女にとって、それは次のふたつのどちらかだったからである。ねばねばする自分の分泌物にまみれて、森の地面の小枝や枯れ葉の上を引きずられていくみたいにうんざりするほどのろのろしているか、さもなければ、壊れた映写機にかけられてカタカタいっているフィルムのなかのシーンみたいに、ちらついたり切れて飛んだりしながら、猛烈な勢いで過ぎ去っていくか。
    (p125)
     彼女の父は言ったものだった、時間には小さな欠陥がある。ほんのかすかなずれがあり、この世界がはじまったとき、それが無形の流れを妨げて、形をつくりだしたのだ。ちょうど爪が絹織物に引っかかるように、と彼は言った、引っかかるまではそれがあるとはわからなかった小さな突起物に引っかかるみたいに。
    (p126)
    今度の2文はビートラ(息子アダムの妹)の視点かつ時間論。後者については対称性の破れとか似たような(といっていいのか)理論が現代物理学でも考えられている。
    時間が流れるものだとして、その速度が自分のペースとぴったりだ、と感じる人は多分そんなにはいないのではないだろうか。
    あと、先のアーシュラの視点のところで、死にかけている老アダムの爪を切っているアーシュラの場面があった。呼応しているとは思うが次はどこへ。
    これらの意識や考えが流れる場である自然描写もまた美しい。

    沈む足とヴェネツィア
    夜読んだ分
     悲哀は彼の胸のなかに無造作に押しこまれた巨大な球体で、その扱いにくいぬめぬめする重みに足がふらついていた。そういう重荷を背負ったまま、彼はその沈める都市に逃げてきていた。
    (p132ー133)
    妻のアーシュラが「自分でがなく先妻と今は一緒にいるのでは」と言っていた昏睡状態の老アダムだが、ここに神ヘルメスの導きで回想している(のか)のは、先妻が亡くなった後のヴェネツィアで、とある娼婦とともにした時のこと。一方後の展開と関連して、このふらついている足取りの重みというのは、第二部で突然現れた男ベニー・グレースが椅子に座っているところの表現ー
     坐っていると、男は自分のなかに沈みこんで、首がなくなったように見えた。
    (p152)
    ーというのとよく似ている気がする。
    …と、先取りし過ぎたので、第一部最終章に戻る。先妻ドロシーが亡くなる(自殺だったらしいが)前の数週間前ー
     彼がだれかわかってはいるのだが、一瞬、思い出せずにいるかのように。そういうとき、彼はそっと静かに言葉をかけたが、それでも自分が想っていたよりもはるかに大声で名前を呼んだような気がしたものだった。すると、彼女はギクリとして、ようやくわかったというように顔に明るみが差しはじめ、あのいかにもうれしそうなーはるか遠くではじまって、果てしない困難な道のりを経て、やっと彼にたどり着いたかのようなー途方にくれた笑みを浮かべた。
    (p140)
    また、意識なのか存在そのものなのか、完全に他とは区別できるものではない、異物と交信あるいは交わっているかのような…こうした意識、自分にはそんなに遠い存在ではない。時間的に繋がっている世界かどうかはわからないが、何か別の者の意識が混入しているような気がする時が、たまにある。
    これだけ今日書いて、読んだのは50ページちょっと…
    (2020 05/04)

    ジグソーパズルと無限と「無限」との付き合い方
     ビートラにとって、この館での暮らしはー彼女はそれしか知らなかったがー果てしない、骨の折れるはめ込み作業のようなものだった。あたかもピースが無数にあるジグソーパズルか膨大な単語が隠されているクロスワードを目の前に突きつけられて、解けと言われているかのように。いま、彼女はパズルのなかにベニー・グレースというピースをはめ込める場所を、ベニーの形にぴったり合う空隙を見つけなければならなかった。
    (p157)
    無数、膨大と小説タイトルの「無限」という言葉を故意に避けたような趣き(原文が、あるいは訳が)。

    ジグソーパズル実践編
     「父はこの部屋がいちばん好きでした」と彼女は言った。ほんとうにそうなのか、なぜそんなことを言ったのかは、自分でもわからなかった。その部屋が好きなのは彼女であり、彼女の父はそんなものをわざわざ好きになったりはしなかった。いずれにしても、部屋だとかとかそういうものは。「ここがお気にいりでしたーお気にいりなんです」と、まるで反論されるのを恐れているかのように、大声で言った。「この家全体のなかで、ここが、いちばんお気にいりの部屋なんです」
    (p158-159)
    この部屋ー斧とか投げ槍とか棍棒とか「原住民の武器」(そう書いてある、どこの? 熱帯地方の民族学的資料? それともこの土地、アイルランド辺りを想定した土地の過去の遺物? 時空がなんとなく歪んでいるようなこの小説世界ではいかなる可能性もありそう)が埃と共存しているーと新たな乱入者であるベニー・グレースとをどう自分のなかで位置付けるか、ビートラの中でまさにジグソーパズルが展開している。そのとりあえずの彼女なりの解答。このジグソーパズルはピースをはめると周りのピースが無限に変形するような造りになっているらしい…
    もう一つ。「いずれにしても」の一文は唐突に現れて、唐突に切られている。こういう唐突な文はこの小説では「神の視点」でよく現れるものだが、だとすれば、「神」は何に若干苛ついて?いるのだろうか。部屋というものは、人間それ自身の頭や意識の反転されたものである、というのを、ひょっとしたら神は羨んでいるのか。そういう観点からいうと、この小説は「部屋」小説と言ってもいいのかもしれない。

    ちょっと戻って。
     ビートラは母が好きでなかったが、母を愛していると思っていた。憐憫と悔恨と憧れが分かちがたく絡み合ったこの感情を、愛でなければいったい何と呼べばいいのだろう?
    (p157)
    その三つが元々別のものでそれらが絡み合うというより、なんだかわからない混合物をなんとか理解しようとしてほぐしかけたものがこれら三つのものなのか。とにかくこの文は残しておこう。

    無限と別世界、そして海
     むかしから、死は多かれ少なかれいまの状態がつづくだけのことだとわたしは好んで考えていた。すこしずつだんだん暗くなり、縮まっていくのだが、あまりにも徐々に縮まっていくので、実際に終わってしまうまで、それが近づいていることに気づかないというような。
    (p170-171)
     カモメ、海カモメ、そのしゃがれた鳴き声。それがふいに耳につく。彼らは海からはるばる飛んできて、この家の使われていない煙突に巣をつくり、空に舞い上がって、切れた大鎖になって屋根のまわりを旋回し、その羽ばたきで空気をしわくちゃにして、甲高い越えで猛烈に鳴く。わたしはむかしからこの毎年の大騒動を歓迎していた。それはわたしの一年を刻む目印のひとつになっていた。雛鳥は威圧的なほど大きな生き物で、ときおり、煙突から部屋のなかに落ちてきた。羽根が煤で汚れてぼさぼさになりながら、暖炉の前で滑稽な灰色の脚を踏ん張り、薄膜に覆われた目をわたしのほうに斜めに向けるのを見つけたのも一度ではなかった。別の世界、別の世界、わたしたちはいないが、それでも存在する別の世界。
    (p183)
    第2部終了。p168に描かれている、老アダムが幼な子だった時に見たといういっさい波だたない平らな海と空、円盤のような海、というのも含めてバンヴィルは海の描写が特徴。「海に帰る日」という作品(同じ村松潔訳、同じ新潮社クレストブックス)もある。上の文は無限について、下の文は別世界についての文章。パラレルワールドが煙突から落っこってきた海カモメの雛鳥、というのがすとんと心に残る。
    近づいているのに気づかない、というのは「ない」というのと同じことではないのか。
    ということで、第2部最後の章はベニーとビートラが老アダムの部屋に来たところを、老アダムが見ている(昏睡状態だけど見えるの?)ところ。見つつ、老アダムはベニーと初めて会ったとき、先妻が亡くなってすぐの頃の、北欧辺りの学会を思い出している。「わたしは」と言いたい時に、老アダムは「彼は」と言う、と言う。とすれば、このベニーは海カモメの雛鳥と同じくパラレルワールドからの使者なのか。(パラレルワールドなるものは、身近に存在する異物を、あるいは異物としておきたいと自意識が認識するものを、指し示すものなのか?)
    (2020 05/09)

    犬の視野、神の別称、人間の死
    第3部開始。アーシュラはなぜか、夫の老アダムが死んだら、息子アダムとヘレンは別れて、無限アダムとそれからビートラと3人でこの館に住むのだろう、という予測を立てている。
     彼はこの秘密に気づいていた。彼らが何をするときにも、その底に恐ろしい意識があることに。たとえ幸せなときでさえ、彼らの幸せには疵があった。彼らの笑いには甲高い響きがあり、笑っていると同時に泣き叫んでいるようにも聞こえたし、彼らが泣くとき、その泣き方や悲しみ方は度を超えていた。涙のきっかけになったことは単なる口実にすぎず、じつは、彼らの苦悩はもっと別の恐ろしい、彼らが知っていながら知らないふりをしていることから湧き出しているかのようだった。
    (p215)
     彼は四足動物なので、よく知っているのは二足動物の下半身である。脚は、テーブルの下の薄暗がりのなかで、その持ち主が思っているよりもずっと忙しく動いている。
    (p217)
    この二つの文の「彼」は犬のレックス。このレックス、今までも出てきてはいたけど、いつそこにいる名脇役としての犬、という範疇を超えて描かれることはなかったけれど、ここに来て神の考察の中心になってきた。
    この昼食の最後に神ヘルメスが話すアルクメーネーと夫アンビトリュオーン将軍の夫婦とそれから神ゼウスの図式は、第1部でのヘレンと息子アダムとゼウスの図式そのもの。神というのは別世界に通じる通路を開く力の別称か。
     ふたつとしておなじものはなく、等しいということはスキャンダルの始まりにすぎない。それこそ問題の核心であり、わたしが初めからそこに釘付けされていた十字架なのだ。差異という言葉そのものが余分であり、慰めとごまかしのためにでっちあげられた、その場かぎりの用語にほかならない。そう、等しいというのは同一ということではない。
    (p231)
    等しいというのは、バリエーションということなのか。この文から始まる老アダムが回想するベニーとマダム・マックの話というのはこの前の章の昼食のバリエーションなのか。ベニーを起点として鏡のような対称関係にあるともいえる。ベニーが突然口に出す「心配する必要はない」という言葉を通して。
    p244まで。
    (2020 05/10)

     ふだんの出来事がある時点で圧縮され、スピードアップして、加熱したかのように、束の間、強烈になった現実が目の前に現れるのだ。幽霊が出てくるのはそういうところからだった。実体のない亡霊が彼女を押しのけ、彼女の邪魔をして、一日中彼女につきまとう。
    (p257)
    圧縮した幽霊ー幽霊と神々というのはどんな関係?親戚?

     夏はとてつもない高みから、青々とした一日を見下ろす高貴な人物であるかのようだった。
    (p268)
     ロディは彼女に似ているのだ。彼もまだ自分自身になりきっていなかった。いつかなるべき十全たる自分にまだなりきっていないのだ。彼には匂いがないことに、彼女は気づいていた。
    (p271)
    ロディとヘレンの相似点。空っぽで自分を作り上げようとしている。
    ここの章は地続きで語りが入れ替わる。
    p279からの章の語りはヘルメス?老アダム?
    p280の一つ目の「わたし…」の行までは神ヘルメス。次の「わたし…」の行は老アダム。その次の段落は神ヘルメス。その次からp283の「それもわたしとの共通点なのである。」までは老アダム。あとは神ヘルメス…というところだが、渾然一体と言えなくもない。
     われわれにとって、諸君の世界は諸君にとっての鏡のなかの世界のようなものなのだ。ピカピカ光る水晶のような場所、光り輝く透明な場所。すべてがこちら側とそっくりだが、ちょうど正反対で、どうしても手の届かない場所。
    (p281)
    (2020 05/16)

    夕暮れの稜線
     父の隣に横向きに、顔を彼の顔の近くにして横たわった。父の横顔は、夕暮れに遠くから眺める山脈の稜線みたいだった。
    (p293)
    ビートラと死に行く父。このカーテン引いて光が差し込まない部屋で、土砂降りの雨の中、彼女の相手だったロディとヘレンがキスしてるのを覗き見したビートラは、彼らより早く家に戻ってこうして父の部屋にいる。次のページでのこの部屋で雨が上がったのを感じるシーンも印象的。
    (2020 05/17)

    ジョン・バンヴィル「無限」を読み終えた。
    p299にはビートラのリストカット(自分の両腕を剃刀の刃で傷つける)をする場面が描かれるが、異様に静かに冷たい視線を貫く。
     アーシュラはゆっくりと目を覚ました。ひとつの階層からその上の階層へ、暗がりから暗さの薄れたもうひとつの暗がりへ、海の深みからしだいに浮き上がるように上昇していった。体が重いのに浮きやすく、ひょっこり生き返ってしまった死体のような気分だった。
    (p300)
    目覚めの表現といえば「失われた時をもとめて」の第5巻…なんだけど、ここは段階的、眠りの国にある部屋割りがいびつなビルに迷い込んだかのよう。
     あの古い騒々しい機械のなかに舞い戻って、舞台の天井の観客席からは見えない空間に吊り上げられてしまったのかもしれない。
    (p323)
     恋をするということは、無限に疲れることなのである。
    (p323)
    上の文はベニー・グレースについて。下は「無限」のバリエーション。

    最後のページ、医者までやってきてアダム、ビートラ兄妹が呼ばれて、老アダムは亡くなったのだろうか?少なくとも明言はされてない。
    (まさかノーテボーム流に永遠この生死の境でループしているわけでは…小説タイトルがタイトルだけに)
     たとえどんなに束の間であろうと、どんなに細々とであろうと、自己という消えていく夕暮れのなかで、ひとりで、と同時にこの場所でいっしょに、死に赴きながらかもしれないが、それでも光り輝く終わることのない一瞬のなかに刻みこまれて、人間が生きていける世界なのである。
    (p324)
    …ちらちら、読んでいる最中に、作品全体をパラパラとめくって見ていたため、この作品最後が「ああ!」という一行で終わっているのは確認していた。老アダムが死にゆく一日を描いた作品で最後が「ああ!」ってことは、これで老アダムが亡くなって幕かな、となんとなく思っていたけど…そうではなかった。これはヘレンが新しい生命を受けた-懐妊-を知った感嘆。ヘレンにはゼウスが知らせ、息子アダムには語り手-ヘルメスが教えた。そしてアダムがヘレンのお腹に手をあてがう…
    父ゼウスが知らせたということは、第1部であったように、これは神の子? そしてひょっとしたら、今死にゆく老アダムもまた神の子だったのかも…
    (2020 05/18)

  • 文学

  • 「神の視点」。私、僕など一人称で自分を表す語り手による物語に対し、登場人物全てが彼・彼女といった三人称で呼ばれる物語が、神のように俯瞰した立場から書かれているとき、使われる言葉である。
    ここでの「神」は比喩なのだが、近年この言葉を逆手に取ってか、神そのものが人格を持って物語を綴る「神の視点の一人称小説」が現れるようになった。本書もそんな中の一冊である。
    舞台はアイルランドの片田舎にある屋敷。ここに降臨している語り手は、古代ケルトの神でもなければ、カトリックの神でもない。ギリシャ神話でお馴染み、オリンポス十二神の一人であるヘルメスだ。
    ヘルメスは神々の伝令で、旅人の守り神。ひいては死者の魂を冥府へ導く神であるともされる。
    そんなヘルメスが見守っているのは、屋敷で死にかけている一人の老数学者・アダムと、彼を取り巻く面々。アダムの妻、息子と娘、息子の妻、使用人、訪問者、飼い犬……。
    ヘルメスは皆の間を縦横無尽に飛び回り、昏睡状態にあるアダムも含めた彼らの心の機微を陽気にさらけ出す。
    ヘルメスの父である天帝ゼウスも時折登場しては神話通りの好色ぶりを発揮、アダムの息子の美しい妻に戯れかかる。そんな父に呆れつつ、ヘルメス自身も人間に変装して彼らの間に立ち混じり、いたずらを楽しむ。
    人間以上に人間くさいギリシャ神話の神々ならではの行動で、だからこそ著者に語り手として白羽の矢を立てられたのだろう。
    不死の存在が死すべき人間にちょっかいを出し、新鮮な生命の刺激を享受する、という設定には既視感があるものの、微笑ましい描写となっている。
    「神が降りた」とか「魔が差した」という瞬間の出来事がすべてこうした人格神たちのいたずらであるとしたら、腹立たしくも可笑しいものだ。
    死にゆくアダムを遠く近く取り巻いて紡がれる夏の一日。悔恨や追憶に浸ったり、意外な新しい関係が芽生えたり。すべてを見ている「神の視点」は透徹しつつも温かく、死という容赦ないものに向き合いながらも読後感は明るい。ラストはヘルメスが「思いがけない幸運」や「家畜の増殖」をも司る神であったことが思い出され、にやりとさせられる。

  • 「無限」(ジョン・バンビル:村松 潔 訳)を読んだ。いきなり神が語りはじめる。(神といってもヘルメスとかそっちのほう。)そして彼らの創造物である人間の生活に見えざるちょっかいを出しまくるのだ。かなり捻れたユーモアが笑える傑作。ひょっとすると神様も退屈なのかもしれないな。
     『われわれが彼らのためにこしらえてやった、彼らの慰めになるかもしれないもののなかで、うまくいっているのが夜明けである。』という書き出しがいいな。この作品の素晴らしさを象徴してます。やっぱり神様は神様なんだよね。お薦め。

  • ジョンバンヴィル「無限」読んだ。http://tinyurl.com/3hvsch5 死にゆく父アダムのために集まった一家のある夏の一日が神の視点で語られる。手法としての神の視点じゃなく本当にギリシャ神話のヘルメスやゼウスが語る。メタ神の視点?笑。で語り手はころころ変わる(つづく

    神たちは男たちに乗り移るし、登場する親子の名前は両方アダムだし、同じ人称のまますっと語り手が変わるしで、うっかりすると読み違える。一昔前の時代設定かと思いきや近未来で、妙なねじれのある時間と場所を舞台に、スコットランド女王がエリザベスを処刑する(笑)とかの歴史が挿入される。

    最後)パラレルワールド?読んでいて混乱するし何度も前に戻ったけど楽しい。最後は、不協和音で緊張を続けていた曲が最後の最後に見事な美しい音で解決する感じ。人の一生、神の時間、際限なく広がる思考、「無限にある無限」。神の糸のひと引きが無為になるほどに人間は不可思議で理屈を超えている。

  • 緩やかに死へと向かうある男と、家族たちの物語。語り手が神様という点からぶっ飛んでいるが、中身は丁寧でしっかりしている。

  • 死にゆく父親の周りに集まる家族たち。一見暗そうな話なのだが、逆に生に溢れている。登場人物は、なんと活き活きとした、愛しい人間達だろうと思った。

  • 前作の「海に帰る日」がおもしろかったので書店で手にとる、
    立ち読みした1ページ目の文章がすごく良かったので購入、
    でもなかなか読み進めない。

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ジョン・バンヴィルの作品

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