小説のように (Shinchosha CREST BOOKS)

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  • Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900885

作品紹介・あらすじ

子持ちの若い女に夫を奪われた音楽教師。やがて新しい伴侶と恵まれた暮らしを送るようになった彼女の前に、忘れたはずの過去を窺わせる小説が現われる。ひとりの少女が、遠い日の自分を見つめていた-「小説のように」。死の床にある青年をめぐる、妻、継母、マッサージ師の三人の女たちのせめぎあいと、青年のさいごの思いを描く「女たち」。ロシア史上初の女性数学者として、19世紀ヨーロッパを生き抜いた実在の人物をモデルに、苦難のなかでも潰えることのなかったその才能とたおやかな人物像を綴る「あまりに幸せ」など、長篇を凌ぐ読後感をもたらす珠玉の10篇。国際ブッカー賞受賞後第一作。「短篇の女王」70代の集大成。最新作品集。

感想・レビュー・書評

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  • いちばんはじめの短篇「Demensions」で涙がとまらなくなってしまった。やるせないような救いと赦しが訪れたから、そして彼女じしんにどんなにか辛い過去があったのだろう、なんてかんがえてしまったから(あるいはそこに至ることがあったかもしれないという最悪の妄想)。
    そしてなにこれ。
    「『 いかに生きるべきか』は短篇小説で、長篇小説ではない。このこと自体ががっかりだ。なんだか本の格が落ちるような気がする。この本の著者は文学の門の内側に安住している存在ではなく、門にしがみついているだけのような気が。」
    ほんとうチャーミングなひと。
    ここも。
    「純粋な子供、異常で卑劣な大人、あの誘惑。うかつだった。最近はやたら流行りで、ほとんどお決まりになっている。森に、春の花々。ここで著者は現実から抜き出した人物や状況に醜悪なでっちあげをくっつけるつもりなのだろう、話を作り上げるのは面倒だが中傷はできるというわけだ。」

    あぁ、完璧。と読み終えるたびにおもうのだが、まいかいそれをさらに超えてくる。これまでの短篇たちがまるでプロトタイプだったかのように(もちろんそれらも素晴らしくてだいすきのだけけど)おもえてしまうほどの。なんてこった。ようく熟れた、ちょうどたべごろをみわけて差し出された極上の果実。とろける。なんて、アボカドのことをかんがえていたらなんだかおなかがすいてきちゃった、AM 4:00。満たされない、幸せ。Too much happiness。

    ほんとうはこの巻で、彼女は"ほんとうに"最後にしようとしたのかもしれない。そうだったらさらに完璧なラストだったのに。なんて。だからもう次を読むのはやめたいとおもったりしたのだけれど、彼女の衝動に共鳴するように(したくて)、わたしも最後の巻の物語たちのもとへと、手をのばさずにはいられない。




    「カチッ。今度は恋に落ちている。とてもじゃないけれど、こんなことがあり得るとは思えない。眉間への一撃、突然の災難ともでも考えない限り。人間を無能にしてしまう運命の一撃、澄んだ目を見えなくしてしまうたちの悪い冗談。」

    「いつも小説なのだ。ニータは小説に絡めて「逃避」という言葉が使われるのを耳にするのが嫌だった。現実の生活こそが逃避なのだと、冗談半分にではなくくってかかりたいところだった。たが、これは議論することなどできないほど重要な問題だった。」

    「概して、わたしは男に対するほうが用心しないでいられる。男はそんな交流を期待しないし、まずたいした興味も持たない。」

    「どんな女に対してであれ結婚の祝いを述べるなど、わたしには偽善的行為の極みに思えただろう。」

    「ピントがずれている。だが、妻なんて── そして夫もたぶん同じく── だいたい五割がたそんなもんじゃないか?」

    「「男が部屋を出ていくときは何もかもそこへ置いていくのだということを覚えておきなさいね」と彼女は友人のマリー・メンデルソンに言われたことがある。「女が出ていくときは、その部屋で起きたことを何もかもいっしょに抱えていくのよ」」

  • う、う、う、おもしろかった・・・
    なんだかもうすっかりこの人のファンです。

    「林檎の木の下で」もすごく好きだったけど、そっちは読む人を選びそうなので、人に薦めるなら断然こっちかな。

    どの作品も始めは、お菓子などをぽりぽりかじりながらお気楽に読み始めるんですが、途中でギョッとさせられる。
    気の抜ける作品がひとつもない!
    でも、それでいて奇抜なストーリーで読ませるタイプの作家ではなくて、じんわり、しみじみ、一文一文を味わって読める、というか、そういう風にじっくり読んでしまう作品たちです。

    「林檎の木の下で」もそうでしたが、自分の心の中の奥の方に、名前も分からないまましまいこんでいる感情みたいなものが描き出されているような気がします。
    登場人物たちは不条理にも思える行動を取ったり、きつい出来事に遭遇したりもするんですが、でも、なぜかそれらは特別なことに見えず、どこかなじみのあることに感じられます。
    やさしいまなざしで日常を切り取る、っていうのとは全然違って、どっちかっていうとむしろ厳しくて意地悪な目線なんですが、でも読んでいて全然辛くなく、逆に読んでいる自分がやさしいまなざしになってしまいます。

  • 生者と死者を分かつ境界を、人は苦悩にかられて思いつめる行為を通して越えることができるのだろうか。触法精神障碍者の施設にいる夫からの手紙にあった、死んだ子どもが別の次元に存在するという言葉に動揺する妻を描いた「次元」。マンローの短篇ではお馴染みの、若い相手と夫の浮気というモチーフに植物毒と逃亡中の殺人犯とを絡ませ、ミステリ・タッチに仕立てた「遊離基」。「訳者あとがき」によれば、マンローの作品をアメリカの「南部ゴシック」にひっかけて「南部オンタリオ・ゴシック」と呼ぶらしいが、この短篇集に限っていえば、その呼び名に相応しい作品が揃っている。

    人の心の奥底に潜む暗い衝動や、無邪気に見える少女の笑顔の裏に隠された惨酷さ、平穏な日常のなかに突然表出する深い亀裂と、短篇ならではの凝縮された人間ドラマが続出するが、それだけに、苦い後味を残すものも少なくない。いつもと比べ、「悪意」の表出が露骨であるような気がする。自伝的な『林檎の木の下で』が最後の本と表明した作家が、それ以降に書いたものを集めた作品集である。ふっきれた、とでもいうところだろうか。

    そんななかで、「小説のように」が、作者ならではの独特の余韻を感じさせる。夫の心変わりで一度は傷つきながら、歳月を経て再婚し、美しく才能に溢れ、周りに羨まれる自分を取り戻した女性が、突然現われた若い女性によって過去を振り返ることを余儀なくさせられる話。自分の中では、整理がつき、すでに終わっていた物語が、新しい人物の登場によって、別の角度から照明を当てられ、全く異なる物語が立ち現われる、という仕掛けだ。新しい人物というのが、自分を捨てた夫が愛した女の連れ子で、今は小説家となっている。その小説の中に、かつての自分が描かれているのだ。

    誰にでも自分を贔屓目で見ることはある。ましてや、人並み優れた美貌や才能、知性に恵まれていたらなおさらだ。そんな自分が、どう見たって自分より下だと思える者に配偶者を奪われたら、自分に非があると思えるだろうか。夫も賢く夫婦に問題がなかったらなおのこと。主人公は、潔く身を引き、家を明け渡した。文句のつけようのない処し方である。そして今の自分がある。その優位は崩れない、はずだった…。傷つけられた自尊感情、長い恢復期、癒やされて一層高まったそれが揺さぶられ、打ちのめされる様を、主人公はさながら作家のような視線で見続ける。訳者が短篇集の邦題に「小説のように」を選んだのがよく分かる、心に響く一篇。

    個人的には、林地で薪にするための木を伐る男が陥る危機を描いた「木」がお気に入りだ。丸太小屋を建てるために、主人公のように独り携帯もつながらない山林に入り、チェーンソウと手斧で木を伐った経験がある。誰もいない場所で窮地に陥ったらどうしようもないのだが、危険と隣り合わせの澄明な孤独感には他の何物にも変えがたい魅力がある。まして妻が欝気味とあれば、林地での単独行動は、息抜きでもあっただろう。他の作品とちがい、読後に残る後味がすがすがしい。この短篇集における一服の清涼剤の感がある。

    原著は著者にはめずらしい実在の人物に材を採った「あまりに幸せ(Too Much Happiness)」を表題としているが、姉が、あのドストエフスキー作『白痴』に登場するアグラーヤのモデルだったという数学者で小説家のソフィア・コワレフスカヤを主人公にした一篇は、素材としての面白さはあるが、マンローの作品としては普通の出来。邦訳の表題となった「小説のように」の方が、格段に面白く、アリス・マンローらしさに溢れている。もっとも、原題は、“Fiction”と素っ気ない。短篇集の題が『小説』というわけにもいかないだろう。訳者の苦労がしのばれる邦題である。

  • 今は(あるいは、今も)悪くない生活を送っている人物にも、心の奥底に常に引っかかり続ける棘のような記憶・人物が存在する。その決して心地よくはなく、ぬぐい去ることのできない感覚をクールに描く。どの作品も、もやもやした思いを見事な場面構成で描き出している。何度か読み返した方がより得るものの大きい作品であるような気がする。

  • 短編でありながら、濃い。

    10話それぞれが、凝縮されたレシピで作られた料理のようで、お皿の上に乗る一つ一つをゆっくり味わいながら、噛み砕くことで、なんだか経験したことのない感情に出くわす。
    そう、けっしてファストフードでは無い。

    ぜひ、それなりに時間をかけて味わってみることを、オススメします。

  • ラストの女性数学者の話が一番心惹かれた。これを短編にまとめ上げるのが、名手の手腕か。
    「子供の遊び」は、アンファンテリブル的な一種のホラーかな。
    巻頭作の「次元」が衝撃的なので、それ以降も結構衝撃的内容の作品があるんだけど、免疫ができてしまった。
    この作家の短編の締め方が面白い。

  • やっと読み終わった。手強い。
    自分では言葉にできない奥底深くの名前もつけられない感情が誰しもあると思うのだが、それを鮮やかに言葉に出来る作家だと思う。
    後味は決して良いものではないが、こんなにも様々な人物の深淵を描くというのは、とんでもないことだ。すごい。

  • 新著ディア・ライフをチェックしていて前作を読んでいないことに気付いた次第。ノーベル賞効果で図書館は予約待ち。短編の女王との評価の通りのうまさ、繊細な描写と深い洞察力を備え、密度が濃い。ただし読みやいわけでも分かりやすいわけでもない。

  • 淡々とした筆致の中に、登場人物の心情が浮かび上がってくる。どちらかといえばnegativeな感情が多いのだけど、日常を過ごしていくことで気持ちが浄化されていくようだ。「次元」偏執的な夫が、自分の不在時に子供を殺してしまう話。「小説のように」夫が、若い女と不倫関係になり、その女の娘が自分の教え子となり、やがては小説家となる話。「深い穴」穴に落ちたことをきっかけに、理解できない人生を歩むことになってしまった息子と母の話。どれもするすると読めるのは、翻訳が上手なためでもあると思う。いつか原文でも読んでみたい。

  • ノーベル文学賞発表の翌日に購入。奥付けはブッカー賞受賞の翌年2010年11月30日初版。ノーベル賞便乗で増刷されるだろうが好き嫌いが別れるかもしれない。短編ばかり10編からなる。最後の[あまりに幸せ]は19世紀ロシアの女性数学者ソーニャ・コワレフスカヤの晩年の数年を題材にしているがそれ以外は割りとありきたり。決して悪くない作品集だが、だったら英訳も多く国際的な評価が高い吉本ばななも選考対象になってもおかしくない。そしてマンローを自身の翻訳集に入れた村上春樹もまた、やはり紛れもなく候補者なのだろうと思う。

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著者プロフィール

Alice Munro
1931 年生まれ。カナダの作家。「短編の名手」と評され、カナダ総督文学賞(3 回)、
ブッカー賞など数々の文学賞を受賞。2013 年はノーベル文学賞受賞。邦訳書に
『ディア・ライフ (新潮クレスト・ブックス) 』(小竹 由美子訳、新潮社、2013年)、
『小説のように (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2010年)、
『 林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2007年)、
『イラクサ (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2006年)、
『木星の月』(横山 和子訳、中央公論社、1997年)などがある。

「2014年 『愛の深まり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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