オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

  • 新潮社 (2011年2月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (416ページ) / ISBN・EAN: 9784105900892

感想・レビュー・書評

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  • 以前から様々なところで紹介されているのを見て気になっていた本書、デヴィッド・ボウイの愛読書100冊にもリストアップされているのを見て、読んでみることにしました。

    主人公・オスカー、彼の姉、母親、そして祖父…彼ら一族の人生を描いた物語。
    ドミニカの政治や歴史、猥雑さ、オスカーの愛するSFやファンタジーや日本のアニメ、濃厚なカリブ海の空気、支配、苦痛、そしてフクという名の呪い…。
    あらゆるものを、巨大な手でぐぅっと束にして練り上げたような、密度と情報量に圧倒されました。
    痛々しくて顔をしかめてしまうような場面もあるのに、雑多なものの中から立ち上がってくる、主人公やその家族たちの凄まじいパワーや純粋な部分から目が離せないのです。

    ドミニカという国についても、アニメやSFについてもよく知らないけれど、著者による膨大な注釈と物語そのものや登場人物たちのエネルギーに引っぱられて読了。
    読み終えたときの疲労感と満足感にしばし、茫然としたのでした。

  • アメリカのオタク少年への迫害が日本とは比にならない。
    語り手であるマッチョイズムの男、オスカーとは正反対である、の男が本文にやたらとアニメやSFなどの用語が沢山出てくることが、オタクであるオスカーへの愛を感じるような作りになっている、、、と個人的には解釈した。

    原作は英語とスペイン語の混合らしいが、日本語訳なのでこの著作の真髄を味わうことは難しいのかもしれない。

    • 福神漬けさん
      読むの早くてすごいねー!
      読むの早くてすごいねー!
      2024/10/05
  • 世界文学の新潮流、ラテンアメリカ発マジックリアリズムというものを読む。

    加えて、 オタク文化といわれているマンガやアニメ、ロールプレイングゲームとか、 あたらしき、めずらしきものを知らされたる文学なり。

    いわゆるファンタジー文学や読み物にうといわたし、 とっつきは悪かったが、ぐんぐん引っ張って行かれたおもしろさであった。

    それはもちろん小説がリアリズムにつらぬかれているから、 いまや世界どこにでも共通する普遍の物語であったからであった。

    まず、舞台がほとんどドミニカ!
    うっすら知ってはいても、それは「どこじゃ?」という場所、国、 南北アメリカのど真ん中、アンティル諸島の中の小さな島のそのまた半分の国、ドミニカ共和国。

    あのキューバに近くて、アメリカ合衆国に近くて、実際主人公のオスカーは子供の頃、家族とともにニュージャージーに移住。それがそもそもこの文学のみそなんだが(アメリカのグリーンカード万歳?)

    第三世界から第一世界にワープしたような、 つまりテレビも電気もほとんどない世界からそれがあふれている世界へ。

    そもそも移民自由国なのに、あるある人種差別!
    移民たちは群れる(それをこの小説は「ゲットー」といっているが) 怒れる移民は内にこもる、性格が内気な少年は世の常、いじめられる、ふとってくる、 そうして立派なオタク青年になったオスカーが遭う悲恋の数々が縦糸。

    横糸はドミニカ共和国の歴史、残額無比の独裁者トルヒーヨ時代の話、わたしだってこの本で知っただけなのだが、ものすごい迫害治世(1930~1961年)
    いつの時代も、どこの国にも恐怖政治があるのだなあ、今もあるし。

    オスカーの祖父母、母、姉と3世代にわたって、家族の壮絶な道のり、最後には泣けてくる、オタク青年オスカー本人の短い人生。

    それをあちらからもこちらからもの切り口でする、語り文学。ま、いろいろ賞(ピュリッツアー賞など)をもらったのもうなずける

    わたしも感動と共にすこしはファンタジーに慣れたかも
    でも、この本はファンタジーではないのだ。

  • 軽妙で読みやすい語り口の文章はとても上手く、定期的に「うおおお」とテンションが上がるシーンが来るかんじ。

    表題やあらすじからは非モテオタク男子の話を想像するが、実際は半分くらい彼の姉・母・祖母の来歴が物語られて「荒々しくたくましい女性たちの小説」という印象。特に姉ロラの第2章が白眉。男と家出した彼女を迎えに来た母から走って逃げようとするシーンの疾走感と迫力はすごい。

    肝心のオスカーの話は正直そんなに……持てない男の哀れな自己憐憫と破滅を物語る手付きはウエルベックのほうが好みかな。

    オタク・サブカル要素も表層の面白さ以外の意義があるのか疑問。『AKIRA』とかTRPGとか、俺らの知ってるやつが出てきてうれし〜以上の何かがあるのか。オタク的想像力を、ドミニカの独裁者トルヒーヨの悪夢的治世と対置というか衝突させて描いている……的なことがあとがきにあったが、そこまで成功しているのかは怪しいと思った。

    ラストで姪にあたる少女を新たに登場させていい感じに結ぼうとしてるのもなんだかなぁ。。

    文章が上手くて読みやすくてキャッチーで物語の筋は単純で
    、良くも悪くも『Twitter文学賞1位』に相応しく、それ以上の何かではないと感じた。

    あとこれマジックリアリズムではないと思います。超自然的な要素が少しでも出てきたらマジリア判定なの?
    訳者あとがきでも、本書のバルガス・リョサ『チボの饗宴』への目配せ(対抗意識)を紹介したすぐあとで「この、中南米マジックリアリズム全体に喧嘩を売っているとしか思えないディアスの態度…」と書いているが、いい加減、中南米文学=マジックリアリズムという無理解にもほどがある図式はやめませんか。出版社が商業的意図でやるならまだしも(新潮社だし)、翻訳者・研究者がって…… 裏表紙に推薦文が載ってる高橋源一郎も。(まぁゲンちゃんへの信頼はとっくに失せているので今さら幻滅とかはしないけど)

  • ここ最近読んだ小説の中で一番面白かった!虚実入れ乱れての物語の「うねり」みたいなものは訳者の方たちの力にもよるんだろうなぁ…そして中南米の知らなかった強烈な歴史にも興味を覚えるきっかけにもなった。

    それにしても「謝辞」に「下北沢」が入っているのは何故だろう…

  • 主人公のオスカーは、『指輪物語』とSF小説、マーベル・コミックス、日本のアニメをこよなく愛するデブのオタク。当然ながら女の子にはまったくモテないが、本人の中には、愛を求めてやまないドミニカ男の血が脈打っているのだ!かくして、恋に落ちてはフラれて落ち込むことをくりかえすオスカーの人生を、姉のロラや語り手のユニオールは、はらはらしつつ見守ることになる。
    これだけなら、オフビートでちょっと切ない青春小説にしあがっていたことだろう。だが、登場人物たちが共有するドミニカのルーツには、より暗い側面がある。ユニオール言うところのフク、カリブ海の呪いが。それはまるで、トルヒーヨ以降、ドミニカ人の愛とセックスは無垢のままではありえず、政治と暴力がつきまとうことになってしまったかのようだ。超自然的なほどの絶対的権力をふるう独裁者、世代が下り、場所がアメリカに移っても子孫たちを追いかけてくる呪い・・・これではまるで、オスカーが夢中になるファンタジーかSFマンガみたいではないか。
    国中の女たちをわがものとするために、その父親や夫たちをサメのプールに投げ込んだというトルヒーヨ、独裁者に美しい娘をさしだすことを拒んだために一瞬にして破滅したアベラードの、ファンタジー小説めいたエピソードから始まる一家のサーガに低い旋律を添えるのは、ラ・インカ、ベラ、ロラという3代にわたる女たちだ。主要な産物は売春婦だと言われるドミニカで、セクシーな身体をもつ女の子たちは、自分の身体を武器に自由を手にするつもりで利用され、傷つき、ときに生命の危機にさらされ、そんな娘たちの運命を知りぬいている母親たちは、娘たちを守ろうとしながらも支配し、憎みあい、愛しあうのだ。
    こうして、アメリカのニュージャージー州で育ち、アメリカ国籍をもつベラの子どもたちのひとりは、あまりにも冷酷で強靭な母親に押しつぶされながら必死にもがき、もうひとりは、まるで超自然的な何かに導かれたように、ひきこもりのオタク生活から命をかけた愛へと跳躍し、サトウキビ畑へと消え、母親とは違って、二度と還らない。
    読み手が理解しようがしまいがおかまいなく吐き出されるオタク・ワードとスペイン語をちりばめた饒舌にして思慮深い文章は、実に圧倒的なパワーで、ドミニカ移民の子どもたちをとらえつづける、個人と歴史をつなぐ大きな力を示している。
    あとがきによれば、ジュノ・ディアスはこの語りの形式にたどりつくまでに11年をかけたとか。それだけの執念とみなぎるパワー、切実さを感じる傑作だ。

  • 単行本400ページの密度の濃い長編を読了。主人公はドミニカ系アメリカ人のオタク青年オスカー。小太りで女性には縁がなく、アニメやSFに関しては博覧強記(アメコミはもちろん、日本の「AKIRA」や「ガッチャマン」まで!) 
    そんな彼の『短く凄まじい人生』を描いた本書は青春小説と言えるが、決して軽快なものではない。それは、彼の姉、母、祖父母それぞれの人生を描くことで厚みを増していることと、何よりも彼らの人生を翻弄し続けたドミニカ共和国大統領トルヒーヨとその独裁統治を詳細に描くことによってこの小説の足腰が強固にできあがっているからだ。
    正直、本書を手にするまでドミニカの国情やトルヒーヨについてほとんど知らなかったが、読み終えた今は、ドミニカについて少し語れるくらいにはなったと感じる。(もちろん、読後に興味を覚えてドミニカやトルヒーヨについて自分で調べるという、読書がもたらす好循環を実践してみたわけだが 笑)
    この家族それぞれの人生は悲劇としか言いようがない。でも、そこは独特のユーモアと、たびたび登場する「マングース」や「顔のない男」といった隠喩によって、読後には悲壮感ではなく、ある種の爽快感が残った。オスカーも、日本でいう「オタク」などではなく、ドミニカ男のプライドを持った奴だったんだということが分かって声をかけてやりたくなった。アッパレ!と。

    また、本文中に著者自身によるかなりの量の注釈が入っているためページ数が増しているが、この注釈も秀逸で読み飛ばすべきでないことも付記しておこう。

  • カバーに書いてある通り、南米文学の豊穣さ・マジックリアリズムと、アニメ・ゲーム・マンガなどのオタクnerdが激突している。びっくりする面白さ!リョサの「チボの狂宴」と併せて読むと面白さ倍増。



  • 新潮社 ジュノディアス 
    「 オスカーワオの短く凄まじい人生 」

    トルヒーヨ独裁政権の失脚のきっかけとなった ガリンデス をモデルとした マジックリアリズム小説。非現実や時代背景の入れ方が素晴らしい。注釈も本の理解に大いに役立つ


    フクは 呪いや運命、サファは 祈りや耐えるという意味に 捉えた。この本のテーマは、フクを乗り越え、サファから一歩踏み出す勇気だと思う


    ヒーローもの、戦闘もののなど戦うことを主題とした多くのオタク作品が登場する。サファから一歩踏み出す勇気を意図している?


    トルヒーヨ独裁時代(1930-61年)のサントドミンゴは、トルヒーヨの支配空間そのもので「変化は不可能という共通了解にかかわらず、それでもなお変化を渇望した」国民感情との対比描写は秀逸


    ドミニカでは、マングースとサトウキビ畑が何か特別な宗教的意味があるのか?マングースは神や霊、サトウキビ畑はあの世とこの世の境界?






























    #本好き #読書好き #税理士 の #読書記録 #読書感想














































  • 文学

  • 私に分かるかな~と思いつつ読み始めたけど、登場人物たちの凄まじい人生にからめとられてしまった。たくさんある注釈は分からんことばかりだが、それでも充分に魅力的だ。悲惨な出来事だらけなのに、たくましく生き抜くドミニカの人々の力強さ。一見何の強さも持ってなさそうなオスカーが最後にやらかしたことに心打たれた。

  • 評判通り、すごくおもしろかった!
    物悲しいけど、どこか少しだけ温かい気持ちになってほろりとしてしまう。
    ほんとに凄まじい家族の歴史に触れて、生きる意味ってなんだろうと久しぶりに改めて考えさせられる。それから、歴史を自らの手で、意志で語る意味も。

  • 小説を読んだあと、こんな気分になったことはない。ひとこと、疲れた。どっぷり、疲れた。内容が濃かった。濃すぎた。悲惨だけどどこかおかしみもあって、感情をゆっさゆっさと揺さぶられた。そんな高ぶった気持を抑えるかのごとく、ラストはなんか、かなしくて。そしてなぜか、面白くてガシガシ読んでたはずなのに、なかなか進まなかった。脚注、読み切れず…。将来、息子に読ませたい。これが面白いと思える男になってほしい。

  • 本書の本質はあらゆる権威への反抗にある。それはマッチョで父性主義なアメリカ的価値観であり、英語一辺倒な活字文化であり、聖書や歴史からの引用が持て囃され先人がのさばる文学界であり、家族や両親という血縁、そしてそこから遡る血の輪廻であり、ドミニカ共和国に存在した最低最悪な独裁政権に対しての反抗だ。だからこそ主人公はナードで不細工なオタク野郎である必要があり、サブカルもマジックリアリズムも乗り越えて100%のリアリズムに闘いを挑み、残酷なまでの悲劇で結末を迎える。最高だ。笑って泣けるのに勇気の出る、類い稀な本。

  • ジュノ・ディアスの名前は以前から知っていた。デビュー短篇集の『ハイウェイとゴミ溜め』。すごく気になりつつ読み逃しているのだ(絶版)。で、2作目の本作でピュリツァー賞と全米批評家協会賞ダブル受賞っていうんで、ほー、スゴイねと期待して読み始めた。

    うん、面白かった。
    でも“まったく新しいアメリカ文学”かどうかは疑問だなぁ(笑)
    英語圏でもスペイン語圏でもない日本で、日本語に翻訳されたものを読む時点で、“英語とスペイン語が激突する新しさ”は堪能できないわけだし、黒船来航以来、外国語と日本語の混ぜ合わせに慣れている日本人からしたら、英語とスペイン語がミックスされてるのがそんな新しいかっていう…


    独裁政権下のドミニカで、悲劇と不運に見舞われた一家。世代を経てもその呪いは連綿と続いていく——のわりに、あんまり広がりを感じないんだなぁ。
    独裁政権下でのズッシリとした家族の物語だと、マルケスをはじめ、すでに先逹がいる。だから全然ドミニカ男らしくないヲタクを主人公にして、情報過剰投入したのかなと勘ぐってしまう。
    正直、主人公が最後に想いを遂げたゆわれても、果たしてそれは愛だったんでしょうか本当に…というモヤモヤ感が残る。
    面白かったんだけど。

  • これもジャケ買いした1冊。
    予想と違い、歴史的背景の濃い物語だった。
    けっこう下品でヴァイオレンス満載なんだけど、そんなに嫌な気がしないのは、オタク文化、オタク言語で溢れているからだと思う。
    読みにくい部分もあるけど、オタク的比喩がユニークで生々しさを感じさせず、俯瞰的視点で読めた。
    ドミニカ共和国の暗黒時代って凄まじかったってのを知れる作品。

  • すばらしい。
    これを読んで、百年の孤独を読んだときの感動を思い出した。

    解説、背表紙のコメントではしきりにこの小説の新しさを強調しているけど、SFとかRPGなどオタク的要素を取り入れていたとしても南米マジックリアリズムをしっかりと踏襲した純純文学だと思う。

    マコンドの村とパタソン、サントドミンゴが重なったし、デ・レオン家とブエンディーア家がシンクロしました。

    まさにこの小説はデ・レオン家サーガです。

    南米小説が好きな人は是非一読あれ。

  • 誰もが知らず知らずのうちに誰かの歴史を背負っている。

    呪いの女神の足は後ろ向きについている。彼女は常に過去へ向かう。

    今までに知っているどんな物語も、カラブル家の歴史よりは穏やかで上品で礼儀正しかった。

    訳者がオタク用語?に細かく注をつけてくれているけど、なくてもいいんじゃないかな、これ。
    訳者後書きによると、これほど詳しい訳者注をつけているのは今のところ日本語版のみらしい。日本人は凝り性だね、ホントに。

    人と人が関わりを持つようになれば、その関わりはまるで生きもののようだ。ある時は天使のように彼らを守り、またある時は怪物のように食らいつくす。
    人と人をつなぐ引力は生きものなんだ。得体の知れない生きものだ。人が増えるほど複雑に、力強く、手に負えなくなってしまう。

    自分の人生には自分で責任を持つこと。誰もアテにするな。つまりそういうことね。

    この本に出てくる地名の9割は、聞いたことはあるけどこの地球上のどこにあるのかきちんと説明できる自信がない。地味にショックだ。

    シェイクスピアの時代から、いえもっと昔、オイディプスの頃にはもう、先祖から受け継いだ呪いに子どもたちは苦しんでいた。
    一体どういうことなの?呪いを更新して、苦しみの遺産を残すことが人生だとしたら、人間の尊厳や人生の価値や美しさはどこにあるの。
    私たちの祖先は子孫達を愛していなかったの?どうして誰も、その身を挺して全ての呪いを持ち去ってはくれなかったの。
    人に期待するなってコトでしょ。わかってるよ。うん、それに人身御供を求めるのは間違っているよね。

    愛が破滅の呪いを引き寄せた一族。やがては愛が希望を呼び寄せる……はず。

    暴力に晒されて生きている子どもたちがいることを、私は知っている。けれど自分が知っていることを信じ切れずにいるのかもしれない。

    南米って一体どういうところなの。何が起こっているの、この世界で。

  • ティッシュで目頭を抑えながら出てきた言葉は「これはずるいよー」。だって童貞でオタクで純粋な男を特別残忍な国で愛のために死なせるなんて泣かせる物語の王道じゃないか。愚者が愛の為に死ぬほど(そして無駄死にすることほど)泣けることはない。事実ですといわれればそれまでだけど、安易に泣ける設定はカタルシスがわかりやすくて後味がいいだけに少し悪い。
    ひとつ不幸なことは、恐怖政治を経験したこともなく、カリブ海の国々の政治にも暗い極東の人間には、この恐ろしい歴史も『指輪物語』や『スター・トレック』などのフィクションと同じようにリアリティを感じない、といって悪ければ物語と感じてしまうこと。
    最近、こういう個人史と自国の歴史と現代のカルチャーをミックスしたような海外文学作品をよく見かける気がするけど、またかとも思った。そのまたかには、手法の類似ということと別に、いくら語られてもフィクションとしか見られない罪悪感も含まれてる。

  • これはすごい。まさにハイブリッド文学の傑作。繊細さと力強さ、怒りと笑い、愛と憎悪、ポップと土着etc,etc…まだまだいくらでも続けられそうに思うほど、今を生きる人間の諸相を詰め込んである。圧巻だ。

    「本の雑誌」5月号6月号で三人の方が本作について触れている。山崎まどかさんが、タイトルロールのオスカーよりも姉のロラに感情移入したと書かれていて、まったくその通りだと思った。ロラや母のベリの激しさや悲しさが強く胸に迫る。

    また、豊崎由美さんの評には(豊崎さんの言い方を借りれば)「感服つかまつり候」であった。読後胸の中で渦巻いていたものが見事に言葉になっていた。

    大森望氏が短く触れているように、確かにこれは「オタクごころ」を激しく揺さぶるものであることに間違いはないだろう。でも、そこを強調しちゃうと、じゃあ読まなくていいやと思う人も多いんじゃないだろうか。私自身、第1章のオスカーのところを読んで、この調子でずっと続くのかと思い、もう少しで挫折するところだった。ページ左にある著者註もいい加減に読みとばしていた。でも、ページが進むにつれて展開する濃密な世界にどんどん絡め取られて、途中でもう一度最初から丁寧に読み直したのだった。

    ドミニカの独裁政権のことを何も知らず、知ろうともしなかったことが心に突き刺さる。とても現実とは思えぬ恐怖政治のもとで生きることの対極に、最後の最後にオスカーが知った「親密さ」があるのだろう。「素晴らしい!」

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