ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)

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感想 : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900939

作品紹介・あらすじ

舞台は内戦状態にある架空の国の首都。行方不明者を探すラジオ番組「ロスト・シティ・レディオ」の女性パーソナリティーのもとを、ある日ひとりの少年が訪ねてくる。ジャングルの村の人々が少年に託した行方不明者リストには、彼女の夫の名前もあった。次第に明らかになる夫の過去、そして暴力に支配された国の姿-。巧みなサスペンスと鮮烈な語り。英語圏、スペイン語圏の双方で高い評価を獲得してきたペルー系アメリカ人作家による初長篇。PEN/USA賞、ドイツ・国際文学賞、受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 中南米のどこかと思われる架空の国の物語。
    内戦によって大勢が亡くなったり行方不明になったりした後、
    身内を探す人のリクエストで
    捜索対象者の名が読み上げられる「ロスト・シティ・レディオ」が
    人気を博し、高い聴取率を誇っている。
    だが、その番組のパーソナリティで
    美声が持て囃される女性ノーマも
    帰らぬ夫を待ち続けていた……。

    現在進行形の事象と、
    主要キャラクターの回想が縒り合されるような
    グネグネした叙述が、
    名前と記憶を巡る奇妙な世界を織り上げている。

    生と死が隣合わせの状況で、裏切りや気紛れが生じ、
    それが誰かを傷つけるのだが、
    危ない橋を渡って相応の報いを受ける男に振り回される
    女や子供は堪ったものではない。
    もちろん、戦争さえなければ、
    そんな悲劇は起きなかったのだけれども。
    何となく場の空気に流されたまま帰らなくなった夫を待ち続け、
    裏切られたことを知って尚、
    愛情を持て余すヒロインが憐れだが、
    彼女もまた苦痛に酔い痴れているかに見えて、
    読んでいて醒めた気分になってしまった。

  • 舞台はペルーの首都リマを思わせる架空の都市。反政府勢力との戦争が終ってから十年、首都は再建下にある。たった一つ残ったラジオ局のアナウンサー、ノーマは、政府による検閲済みのニュースを読むほかに日曜深夜の人気番組のパーソナリティーをつとめている。「ロスト・シティ・レディオ」は、聴取者からの電話を受けて、探したい人の情報を流し再会を仲介する、かつての日本にもあった「尋ね人」コーナーだ。戦争は終わったが、戦争に狩りだされた男たちの多くが家に帰ってきてはいなかった。

    ある日ラジオ局に、ジャングルの村から、村を出て行ったまま消息不明の者たちのリストを携えて少年ビクトルがやってくる。戦争終了後、政府は戦争をなかったことにするため、かつての地図をすべて回収、焼却し、地名は数字に変わった。一七九七村は大量虐殺が噂された村であった。そのリストには、民族植物学者としてジャングルに出かけたまま帰らないノーマの夫レイの名があった。首都への旅に同行した教師なら知っているはずだ、という少年の言葉にすがり、ノーマはマナウというその教師を探す。

    リアルタイムで行なわれるノーマとビクトルの首都における探索行についての叙述に、ノーマとレイの出会いから結婚、別離に至るまでの回想、レイの視点から説き起こされる、政府とその転覆を図る勢力「不法集団」(IL)との戦い、ビクトルの村での「タデク」にまつわるエピソード、といった複数の視点人物による複数のストーリーが、改行もなく突然に入り込んでくるポリフォニックな語りは、多数のピースで構成されたジグソウパズルを思わせる。あるピースが、全く関わりを持たないパートとパートを結びつけ、最後のピースを嵌めた時点で一枚の絵柄が完成する。

    パズルの主題は戦争だ。不正選挙で再選を果たした大統領は買収によって集められた大群衆を前に「混乱を引き起こして公共の秩序を崩壊させる扇動者どもの不法集団」と戦うことを宣言する。政権が権力を維持するために仮想敵を持ち出すのはどこの国でも同じだ。敵が国外の場合もあれば国内にいる場合もある。「不法集団」とされるのは、リーダーもいなければ、組織さえはっきりしない、無数のゲリラやテロリストたちだ。首都から離れた土地で警察を焼き討ちしたり、騒動を起こしたりしながら首都に迫る。

    一方、政府は軍を使って、検問や民衆による互いの密告、通報を受け、逮捕、拘留、拷問による転向といった手段で対応する。そのやり方に整合性などない。何か人と異なって目に付く表徴があれば、それが起きる。対象は誰でもいい。恐怖が疑心暗鬼を引き起こし、民衆は声を出すことをしなくなり、支配は容易になる。互いの勢力に供給できる人員が続く限り戦争は継続する。どちらかが人員を供給できなくなった時点が戦争の終わる時だ。

    過去に逮捕歴を持つレイは、ノーマとの初デートの最中検問に引っかかり、矯正施設である「月」に送られる。そこは、無数のクレーターで地表を覆われた地雷原で、直立姿勢でいるしかない狭い穴に七日間放り込まれたレイは、政治運動から手を引くことを受け入れるしかなかった。しかし、そんなレイを「不法集団」は放っておいてはくれなかった。執拗に接近し連絡係にしてしまう。こうしてレイはいくつもの名前を持ち、首都とジャングルを定期的に行き来するようになり、首都ではノーマと、ジャングルの一七九七村ではアデルと暮らす二重生活者となる。

    ビクトルにも触れたくない過去がある。戦争が終わった頃、村に食料を求めて現われたILの兵士が、タデクを行なった。麻薬効果のある植物を服用させ、譫妄状態になった少年を使って泥棒の犯人を当てさせる、古くからある方法だ。名指しされた者は両手を切り落とされる罰を受ける。ビクトルは友人の父、ザイールの両手を切らせた過去を持つ。そのザイールにも人に言えぬ秘密があった。金のため情報を流していたのだ。しかも犯罪小説ファンだったザイールは、自分が拵えた物語をその中に混ぜてしまうという罪を犯したのだ。

    因果は因果を生んで、めぐりめぐる。ギリシア悲劇かシェイクスピアのそれを思わせる悲劇が、封建主義には遅すぎ、民主主義には早すぎる国家を舞台に繰り広げられる。王や為政者ではない名もない民衆が国家の戦争に巻き込まれ、傷つきながら、人としての思いを次の世代に託す。英雄でもない賢者でもない、どちらかといえば好い加減な生き方で身を処す男たちの等身大の人生を、押し殺したような声音で、息をつめ、ひっそりと物語った、ダニエル・アラルコンの長篇第一作である。

    ヨーロッパと変わりない首都と、未開の自然を残し官能的な魅力溢れるジャングルの村。二つの土地を対比的に描き、そのどちらにも愛着を覚えながら、戦争という機械を動かし続けるための歯車のひとつになるしかなかった男。男を愛したために悲劇の主人公にならねばならなかった女。架空の都市といったが、どこの国のことでもある。

    国民が知っておかねばならないニュースは流れることがなく、独立騒ぎや不倫騒動、学歴詐称のタレントを次々と名指ししつつ公開処刑にかける裏側で、着々と事態は進展している。権力によって「不法集団」とされた勢力は、とうの昔に壊滅され、この国では「戦争」の起きることを憂慮することさえできない。限りなく民主主義から遠ざかりつつある国にいながらこの小説を読むと、その超がつくほどのリアルさが身にしみる。ダニエル・アラルコンの罪は、小説をフィクションとして読む愉しさを奪ってしまうところにあるのかもしれない。

  • いわゆる中南米の内戦もの。

    内戦が終結して10年後の架空の国。
    国民的ラジオパーソナリティの妻と、反政府ゲリラ(?)の夫。

    個人的な事柄である愛が、社会的な活動によって阻まれざるをえないという、
    とっても悲しい(恋愛)小説。

    内戦はすべての国民の幸せを奪う。

  • 古本で見かけて話題になってたの思い出して読んでみた。
    話が現在と過去を行ったり来たりするのが慣れるまではけっこうキツい。2度読みして納得するところちょこちょこあり。あと、南米のジャングルだからといっていつも不思議なことが起こるわけではないし、湿度高い描写が続くわけやない。南米の作家誰もがマルケスやリョサ、ボルヘスではない。とはいえ、文体と内容があってるかというともったいない気はするんやけどまぁ好みの問題。それはそれとして、ハマったら読ませるものはあるよね。

  • ダニエル・アラルコンは、『夜、僕らは輪になって歩く』に続いて二作目だけれど、すごくジャーナリズムだなあというのが印象。
    錯綜した物語の書き方、すごい。進んだかと思った時間軸が行きつ戻りつ、語る視点はつねに一転なのに映される空間も行きつ戻りつする。ILとは、月とは、一七八七とは・・・と考えながら物語を必死に追っているうちに、予想外の人間構図が立ち現れ、徐々にレイという人物が浮かび上がっていく。
    そういえば、今年のラジオが出てくる小説、第二弾。(一段は、『すべての見えない光』)

  • うむむ……イマイチ入り込めず途中から流し読み……

  • ペルー生まれのアメリカ在住作家。少しカズオイシグロのようなイメージを想像して読んでみた。

    作品の舞台設定(ペルーをモデルにした?架空の国)は良かった、ラジオの最高人気番組の神の声を持つパーソナリティーの存在も良かった。
    ただ現在と過去を行き来する描写に翻弄されて消化不良。

    あ、ジャケ買いってのはあったかも(買ってないけど・笑)
    表紙を飾る写真の感じが非常に良くて、ストーリーの世界観をうまく表現している。
    蜷川実花の作品を使ったみたい。上手いね。

  • ロスト・シティ・レディオ
    今日は少し迷ったものの、予定?通り、ダニエル・アラルコンの「ロスト・シティ・レディオ」にしました。新潮クレスト・ブックスは初? 新潮社も最近海外文学に本気出してきたから(笑)
    というのも、このアラルコンという作家(1977年生まれ)はペルー生まれのアメリカ在住作家。英語とスペイン語両方で作品を書く…こういう今までの国別文学におさまりきらない作家をフォローしてきたから。
    さてさて、この作品(英語)はペルーをモデルにしたような架空の国で、ラジオの最高人気番組が失踪者捜索番組という、ペルーの小近次(字あってる?)みたいなその番組を軸に、さまざまな挿話で構成されている。
    かつては、どの町にも名前があった。神のみぞ知るような消え去った民から千年に渡って受け継いできたような、なじみの名前。石をこすり合わせたような硬い子音を持つ名前の数々。
    (p10)
    「戦争」後、体制は街中から村から地図を強制回収し、数字の村名をつけられる。
    ー世界の片隅にあり、歴史の外にある偽りの国家。
    (p15)
    これはアラルコンのペルーに対する印象なのかなあ。
    (2016 04/18)

    記憶と鍵
    「ロスト・シティ・レディオ」は第4章まで。
    そこかしこで、虚しいイデオロギーか地方の不満によって寄せ集めの民兵に火がつき、理想を追い求める上流階級の落ちこぼれによって、軽く武装した集団が率いれられる。それはいつものこと、一世代に二度起こることで、結果は同じだった。反乱分子たちは窮乏に向かって進み、マラリアの熱に倒れた。
    (p64)
    発展途上国でのクーデター騒ぎや反乱というものの起こるシステムは、まあこんなものだろう。
    彼女だけのものだった空間に。封をされた場所、もう十年近くにわたって時が止まったままの、堅固な記憶の倉庫。
    (p67)
    この小説の一つのテーマは記憶。少年の持ってきたリストがきっかけとなって、ノーマの記憶が活性化する。
    そこで、話は途切れる。自分の王国、空の監房の鍵をいじる。
    (p71)
    ここもなんだかこの鍵が自分の記憶にアクセスする鍵みたいに感じるところ。
    記憶は、ない記憶を後から挿入し植えつけることができる…
    (2016 04/20)

    「ロスト・シティ・レディオ」第1部読み終え
    だいたい100ページ…
    時間と場面の断片化と揺らぎが特徴。まあ、断片化手法は映画の影響もあって古くから行われているのだけど、この作品の場合は映画的というよりもっと自然な人間の奥底にある記憶のリズムに合わせているような感じがする。例えば第1部最後にラジオ局のブースで「問題が起きた」と言われるシーン。回想しているノーマとそれに付き添う読者の夢から覚めていくようなそんな微妙な感じになっている。作品のテーマが記憶というものに深く関わるだけにここは注目かな。
    今のところレイとビクトルの視点がいつ交わるのかが筋や構成的にはポイント。
    (2016 04/22)

    ヘリコプターの残像
    「ロスト・シティ・レディオ」第二部始め、第6章。少年ビクトルの村の話で、視点が先生のマナウとビクトルの二者でさまよう。前に時間処理のことを書いたけど、視点の移動も同様に変わったのに一瞬気づかないくらい自然に入る。
    少年の視点といっても、感傷的なものを排した淡々としたもので、饒舌なものとは異なる。そんな中から少年が木の上に登ってみたヘリコプターの残像がずっと残る。第6章の時点からは少し前のその残像は、第6章で描かれている友達に突き倒されたビクトルの脳裏に入り込む。それが何らかの予兆を感じさせてゆく。
    詰まり…
    (2016 04/25)

    記憶の喪失と再生産
    大がかりなタイトル挙げましたが、あんまり進んでいない「ロスト・シティ・レディオ」の印象です。この話は国家によって消し去れようとする記憶の話なはずなんだけど、薄れ行く記憶というより、新たな記憶を植え込んでいくという意味合いがある、絶えず生成されてゆく記憶…もしそれらが実は同じことを示しているというのならば、記憶とは何だろうか。

    ふるいにかけられる砂と小石
    「ロスト・シティ・レディオ」は第7章。ここまでで印象的なビクトル少年の初めての海を見る場面。残念ながら、ビクトルの村はアマゾン側なので、首都(たぶん)リマとは反対側になってしまって、母親もみつからないのだけど…
    ノーマとビクトルの2人の前に現れたのは、海の砂をふるいにかけている女。この小説ではなんでも記憶と結びつけてしまうから、ここも記憶に残るものと残らないものの象徴だと考えてしまう。砂は残らず、小石は残る。実際には、女は建設現場で使う小石を集めているだけなのだが。
    (2016 04/28)

    タデクとビクトル
    「ロスト・シティ・レディオ」10章まで、第二部読み終わり。
    まず、今日読んだ第10章から3つの文章を引用。
     ラジオと同じように、電話は距離をなくす。そしてラジオと同じように、想像力という奇跡に頼るー深く集中し、想像に身を委ねる必要がある・・・(中略)・・・全世界がばらばらになってしまったが、彼らはすぐそこ、手で触れられるほど近くにいる。匂いがするほど。目を閉じて耳を澄ましさえすれば、そこにいる。
    (p200)
     長年にわたって、戦争は執念深いほど暴力的な一つの存在だった。彼はそれに飲み込まれてしまった。それは一つの機関、一つの機械だったー銃を持った男たちなど、使用人にすぎない。彼らの死者が十分な数に達すれば、終わりだった。
    (p205)
     ジャングルでは何も長くはもたず、永続する状態などなかったー暑さとじめじめした空気と光が、すべてを駄目にしてしまう。天気は一日のうちに十回変わった。それは流動する大地で、海と同じく移ろいやすく、恐ろしく、美しかった。
    (p212)
    なんか3つとも「ー」が使われているけれど・・・最初のはアラルコンのこの長編を書く動機と密接な関係がありそう。アラルコンの書き方全般に言えることなのかもしれないけれど、個別の物語を感情を追走するというより、集積して抽象化して何かの社会システムのように描写するような特徴を2番目の文章は示す。最後のはジャングルの大地と海との、絶妙な対比。
    さて、この第二部の最初でレイが現代国家でも行われていると指摘し問題となった古い村の習俗「タデク」。それは強い催眠作用のある茶を子供等に飲ませ、その子供がふらふらしながらたどり着いたところの人が事件の首謀者ということで両腕を切られるというもの。ちょっと前の箇所で、ザイール(ニコの父親)をそのタデクによって選んでしまった(単に友達の父親というだけだったのに)乃がビクトルだということが明かされるのだが、この第10章では、レイとノーマの戦争開始、大停電の夜の再会の場面と、ノーマとビクトルが教師マナウに合いにいく場面、この場面が閉じてゆきついには交わるところで、ビクトルの父親が実はレイだったことが明らかになる(その前にマナウの母親がノーマのことをビクトルの母親と思い込んでいることが書き入れてあるが、実に巧妙な目配せといえよう)。ということはレイとビクトルはタデクの加害者であり被害者であるのか・・・
    ビクトルが首都に旅立つことになった原因もこの辺にあるのかもしれない。
    (2016 05/01)

    記憶の作り替え
    「ロスト・シティ・レディオ」は地道に13章。前に「記憶は植え付けることができる」とか書いたけど、植え付けるというより、寄せ集めて回路を作り替えるといった方が正しい…かな。
    記憶とは大いなる騙し屋なのだし、悲しみと渇望は過去を曇らせ、鮮やかな思い出すら薄れていってしまう。
    (p281)
    記憶が作り替えられるとしたら、それはもう一つの世界、アナザーワールドの入口かも。
    (2016 05/04)

    「ロスト・シティ・レディオ」読了報告
    案外に時間がかかりましたが…
    その人たちは行方不明者を探しているわけではないの。その人たちが行方不明になってるの
    (p305)
    というノーマもまたそう。p315でそう書かれている。記憶回路を発動させることが、記憶や人生を生き生きとさせるのなら、記憶の手掛かりが見失われた時はどうなるのだろうか。この物語は地名の抹消から始まって常にそれを描いている。
    (この文の前にもう一つ引用したかったのだけど、みつからない…)
    私たちが見ているものはすべて幻覚なんだと言っていた。
    (p328)
    幻覚に出てくるものは、ずっと存在して、出てくるときを待っていたものなんだ。そのスリルと驚き。自分のなかで埋めて隠していたものとは?
    (p331)
    たぶんノーマの想像(これも幻覚?記憶?)の中で、レイの言葉がいろいろにこだまする。幻覚というものが人間が生きていく為に必要な方略の一種だとすれば、幻覚か現実かはたいした違いはないのかもしれない。現実もこうした幻覚の一変種にすぎないのだから。そして記憶についても同じようなことが言えるのだろう。

    知覚とは一種の賭けである。
    (2016 05/05)

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