本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (392ページ) / ISBN・EAN: 9784105901066
感想・レビュー・書評
-
本書を知ったのは、「母の友2023年8月号」の特集で、作家の「温又柔」さんが、『自分が世界にしっくりと馴染んでないような、疎外感を覚えたときに読む、呼吸が深くなる本』の一冊として紹介されていたのが、きっかけでした。
短篇小説って、単純に長篇小説よりも限られた、短いページ数で、比較的、簡単に書けるのではなんて思っていたけれど、そんな浅い思い込みを恥じたいくらいに実感させられたのは、それを書ける人の方が、様々な人生模様を我が事のように深く感じ入ることが出来る上に、様々な彩りがなされた自分自身の人生も作品の味として活かせることから、絶対的な決めつけ方をしない、多様な思考法を持つことの出来る方なのではないかということで、もしかしたら、温さんもそこに呼吸が深くなる要因があったのではと思われる。
「アリス・マンロー」は、2013年にカナダ人初の『ノーベル文学賞』を受賞されたが、その人生は、パーキンソン病に苦しむ母の代わりに12歳のときから家事を担い、若くして結婚して22歳で母親となり、4人の子を産み育て(1人は生後すぐに亡くしている)、子どもたちを昼寝させている間にタイプライターに向かい、掃除洗濯をしながら物語の構想を練り、様々な世代の様々な女たちの人生を主な素材として、ひたすら短篇という形式を磨き上げてきたそうで(以上、訳者「小竹由美子」さんのあとがきより)、そうした大変さを経てきているのだが、本書に於ける自伝的連作の中にも書かれているように、『不幸せなものとして記憶していない』のであり、ここに私は、ひとつ注目したいものを感じた。
厳密にそれは、母が病に苦しむ時期だったのだが、別にそこだけが不幸せだったとは思えず、学校ではその時代的背景による、苛めに近い苦痛を感じた、その印象が最悪であったことや、心乱されて寝つきが悪くなった、『わたしは自分ではなかった』時期には、父からの言葉により、『嘲りも警告もなしに、わたしたちの暮らしていた世界に落ち着かせてくれた』と感謝することが出来たが、おそらく今の時代だったら、病院に連れて行かれていたのかもしれない。
しかし、そうしなくても良かった場合もあることを、ここでは実感させられながら、こんな父にも問題点があることも当然書かれており、要するに、それが人間であり、人生なんだということではないか、幸せか不幸せかを自分で判断するのも、ものの見方や考え方次第で変わるのではないかということではないかと私は思い、人間は神のように絶対的存在ではないからこそ、絶対的なことはないであろう世界に、私たちは生きているのだと思えたのである。
そして、そんな思いは、自伝的連作以外の短篇からも感じさせられ、それは「日本に届く」の、当時ではその存在自体が珍しく、立場も小さかったであろう、女流詩人グレタの、あるパーティーで最初に感じた、誰からも相手にされない孤独感から、
『この不快さについての理論を組み立ててしまうと、彼女は気分が軽くなり、誰かが話しかけてくれようがくれまいがさほど気にならなくなった』
と、その柵みも自分次第で軽く逸脱してしまうことや(ちなみにこのエピソード、メインストーリーと殆ど関係ない事から、マンローの物語の豊潤さが実感出来ると思う)、「ドリー」の、自分達が死んだときに備えてやるべき事を話し合う、フランクリン(83歳)と私(71歳)夫婦の状況に於いて、私が感じた、
『わたしたちの人生にはもう何も起こらないという思い込み』
が、見事に覆された、その過去から降って湧いたような驚愕の展開には、年齢など関係ない人生の妙味を思わせる、そんな中でも『僕たちには喧嘩してる余裕なんかないんだ』という、彼の台詞には、物語を経た上で読むと、人生と共に深まった二人の愛情による感動を覚えながらも、最後の最後には、二人の価値観の違いを如実に表して終わるという、その縦横無尽さに振り回される爽快感に酔いしれながらも実感したのは、人間の持つ自由で多様なその存在感の確立であり、こうしたところにも、人間って、人生って、もっと色々あって多様であっても良いんだなと感じさせられられた。
しかも、本書の舞台は、現代だけに留まらず、1940年代から様々であることに(一つの短篇の中で時代が移り変わるものもあり)、尚更、勇気づけられて、たとえこの先、私が世界に馴染んでないような疎外感を覚えたとしても、それはものの見方や考え方次第なんだということを改めて教えてくれたし、自伝的連作を除いても10編ある、マンローの物語の、喜怒哀楽含めた多様な人生を語る、その豊潤な言葉たちは、きっと何度も読み返すことで、また違った味わいを感じられるのだろうと思うと、それが返却日の為に叶わないことが、唯々残念である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「人間と言うのは抱かないほうがいい考えを抱く。生きていくうえではそういうことが起こるものなのだ。」
母として、女としての、後悔と讃歌。どうしようのない欲望の奔流とそのあとにおとずれるひっそりとした罪悪感と諦めのような赦し。なんだかすべてが言い訳みたいで、だからそれがとても生々しくってさびしくて、とてもすきだった。
終焉にむかってゆく、それまでの宝物のような(あるいは解くことのできなかったパズルみたいな)記憶の欠片という、(わたしにとって)最高のご褒美をおいて、Ave atque vale。
こんなにもたくさんのことを"覚えている"ことのできる彼女だから、幾多の 宝物 が次々とこぼれ落ちてゆくことを、どんなにか恐ろしく、さびしくかんじるのだろうとおもった。
「Leaving Maverley 」のレイがレアに"映画" を説明する場面もたまらなくすき。なんていう偏屈。愛すべき偏屈。けれど、何故、わたしはそれが彼女じしんの考えである、なんておもったのだろう。きっとただそう思いたかっただけなのだろう。でも、それのなにが悪い??じぶんを慰めることばをしぶんで言い聞かせながら、「わかってるけど、そんな簡単にできるかー」なんてしぶんでつっこみを入れている。そんな毎日、そんな人生の??
Dear Life ,For dear life、ごにょごにょ...
「陰鬱な恋しさ、雨に濡れそぼつ夢のような悲しさ、心にごろごろする重さ。」
「たいていの場合、わたしは自分を出し惜しみしている。」
「これからの彼という存在が、この状況の月並みな快適さをすべて吸い上げてしまい、代わりに、贅沢なというよりは、張りつめた、神経がぴりぴりするような喜びを与えてくれるだろう。」
「やたら興奮を求め、大事なことに注意を払おうとしないのは、時間の無駄、人生の無駄使いだ。」
「なんて素晴らしい言葉だ──「Ramains」。戸棚のなかの煤けた堆積のあいだで干からびるがままにされているものみたいだ。」
「これからは生きるのだ、読むのではなく。」
「たとえ何があろうとな。まあやってみろよ。君ならできる。どんどん楽になるぞ。状況なんて関係ないんだ。どれほど快適か信じられないぞ。すべてを受け入れるんだ、そうすれば悲劇は消える。というか、ともかくも悲劇は軽くなる。そして君はただそこにいる、世の中で気楽にやりながらね」
「たぶん五十は越えていて、そういう年齢の女というのは権威を振りかざす習慣を身につけていることがある。」
「ちょっと気になるのはただひとつ、わたしたちの人生にはもう何も起こらないという思い込みがあることだ、とわたしは言った。わたしたちにとって重要なことは何も、何とかしなければならないようなことはもう何も。」
「わたしはちょっと気を良くしたが、同時に警戒心も感じた、生徒に熱をあげられていることに気づいたときの気分だ。それに決まり悪さもあった。そんなに持ち上げられる資格がないような気がしたのだ。」
「店や店の看板も侮辱だし、止まったり動いたりする車の騒音もそうだ。どこでもかしこでも、これが人生だと宣言している。わたしたちにはそれが必要なのだと言わんばかりに。さらなる人生が。」
「詩人にむかってその詩について完璧なことを言うなんて、誰にできる? しかも多すぎず、少なすぎず、丁度じゅうぶんなだけ。」
「一種のぞくっとするような高揚感があった。何もかもが吹き飛ばされる、平等に── こう言わずにはいられない ── 平等に、いきなり、私のような人たちも、私よりひどい人たちも、世間の皆のような人たちも。」
-
去年の終わり、自分へのクリスマスプレゼントを何にしようか考えたすえ、
「そうだ、どれでも好きな海外文学の単行本を一冊、買っていいことにしよう!」
と思い立ち、本屋さんへ。
本当は、いちいち決心しないでも買いたいところですが、私にとっては、単行本、しかも、海外文学ともなれば、ちょっとした贅沢品なのであります。
あれこれ迷ってぐるぐると売り場を歩き回り、最終的にクリスマスリースのあしらわれた美しい表紙にひと目惚れして、こちらの一冊に決定。
本書は、1931年カナダ生まれの作家、アリス・マンローによる短編小説集。
マンローは2013年にノーベル文学賞、2009年に国際ブッカー賞を受賞しています。
ひととおり読み終わった結論としては、本書は、最後に収録されている「訳者のあとがき」を読んでから、読むのがおすすめです。
特に、私みたいに、そんなに海外文学はたくさん読んだことがないんだけど興味がある、とか、マンローという作家さんの作品を読むのが初めて、という方は。
というのも、冒頭の「日本に届く」をはじめとする4編目くらいまでをまず読んで感じたのは、「何だこれは!?」という戸惑いで。
基本的に、描かれているのは夏休みを夫と別に過ごすことになった母娘、児童のためのサナトリウムで教職につくことになった女性教師、小さな街で夜勤巡査として働く男性など、ごく平凡な人々で、文章もとりたてて難しい言葉が並ぶわけではありません。
いっぽう、はっきり言葉にされるわけではありませんが、読み進めていくとそこに、わかりあえない夫婦関係、突然の結婚の破談、配偶者の重い病気と死、家庭内の性的虐待など、非常に厳しい現実があることが浮かび上がってきます。
そして、夫と妻、母と子といったごく身近な人間関係も、決して密なものとしては描かれず、分かり合えなさと孤独を抱えており。
それが作品中で解決されるわけでもなく、彼らは一見淡々と日々を過ごし、話が終わる。
時々、映画や小説で「そして10年の歳月が流れた」という言葉とともに、作中の時間が経過することがありますよね。
本書ではそういった言葉は使わずに、印象として1ページくらいで40年ほど人生が一気に展開する場面があり、ぼーっと読んでいると「え、なになに!? 今のどういうこと??」と慌てて読み返すことになります。
「訳者のあとがき」では、そうしたマンロー作品の特徴がとてもわかりやすく説明されているので、読むことでよりそれぞれの話の面白みが味わえるようになります。
戸惑いに耐えて(?)読み進んでいくと、いつしか短い数十ページの中で、凝縮された人生が静かに、時にダイナミックに展開する味わいが癖になってくるというか。
そして、最初は突き放されたように感じた、それぞれの登場人物の生き様も、やがて、ままならない人生をただ生きるしかない人間を、そのまま受け止めようとする作者の愛情なのかな、と思えてきます。
個人的に特に好きだったのは、「列車」という一編。
ある帰還兵が、目的地に到着する間際の列車から飛びおりる場面からはじまり、めまぐるしく展開する日々の中で、徐々に過去の人生が明らかになる……という話なのですが、短編の中に、長編の人生が浮かび上がって、読書の醍醐味が味わえます。
例えていえば、カカオが濃厚でほろ苦いくらいで、ドライフルーツがぎっしり入っている、ずっしり重いチョコレートパウンドケーキのような本書。
できれば素敵な紅茶と一緒に、ほろ苦さと酸っぱさをかみしめて読みたい一冊だと思います。 -
1篇1篇がとてつもなく苦く、重たかったので、読み終えるのに半年ほどかかってしまった。時代時代における、市井に生きる人々が日々を生きる中で、ふとのぞき込む偶然・人生の深淵を捉えたどの作品もクオリティが高い。最近の小説によくあるお決まりのストーリーに飽き飽きしている人は是非読んでみてほしい。もしかすると、新たな自分を発見できる…かもしれない。
-
「罪。彼女はほかのことに注意を向けていた。なんとしてでも探し求めようとする注意力を、子供以外のものに向けていたのだ。罪」。グレタは女流詩人だった。夫と子どもがいる女にとっては、あまり誉められる生き方ではない。夫は寛容で干渉しないが、積極的に応援するわけではない。ハリスとは一度会っただけだった。なのに忘れられない。夫が仕事で家を空ける夏、グレタはトロントに住む友人に休暇旅行中留守にする家の番を頼まれる。ハリスに到着日時を知らせる手紙を書く。住所は知らないので、コラムを書いているトロントの新聞社宛てに。瓶に詰めた手紙をバンクーバーから海に投げ、日本に届くことを祈るようなものだった。
マンローは、短篇集を編む時、作品の選択だけでなく順序にも気を配るという。その意味でも、巻頭に置かれた「日本に届く」は、アリス・マンローの短篇の見本のような作品だ。主婦という役割と、書かずにはいられない欲求との葛藤がある。自分を理解してもらえていないという不満の裏返しとしての理解しあえる相手に出会った時の一途な愛情の奔出がある。トラウマのように何度も描かれる我が子の消失事件がある。詩の引用がある。目まぐるしい人物の出入りと錯綜した時系列が駆り立てる焦燥がある。出会いと別れを主題とする話を、その象徴たる「駅」で始まり、「駅」で終わらせる、というため息をつきたくなるような見事な構成がある。
北米大陸を走る大陸横断鉄道を舞台に繰り広げられる、女流詩人の「蹌踉めき」ドラマである。バンクーバーの駅で見送る夫に手を振り、トロントの駅で別の男の腕に抱かれてキスされるまで、たかだか三十ページの短さであるのに、次々と移り変わる車窓の風景同様、一人ひとりの登場人物がくっきりした輪郭を持ち、生き生きと動いて見せるので、回想シーンを含め、主人公の揺れ動く心情がいちいちこちらの胸に迫ってきて、まるで長篇小説、『アンナ・カレーニナ』や『ボヴァリー夫人』でも読んだような気にさせられる。これが、引退宣言した八十二歳の老作家の筆になるものとは信じがたい。
何度もこれが最後といいながら、出版社の求めもあろうが、次々と出てくるアイデアにも促され、書き続けるマンロー。『小説のように』に次いで2012年に上梓された短篇集である。衰えを微塵も感じさせない十篇の短篇に、「フィナーレ」として括られた『林檎の木の下で』第二部の流れを汲む自伝的な四篇を含む。母親が目を離した隙に子どもに危機が及ぶという「日本に届く」と同じモチーフを、子どもの視点から描くことで、別の罪の物語として見せた「砂利」。徒に帰りを長びかせる帰還兵の見せる度重なる逡巡にも、その一時の隠れ場所となったあばら屋の女主人の独り居にも人には言えぬ理由があった。巧みなプロットに唸らされる「列車」。
人生の危機は、躊躇や油断といったほんの一瞬の隙を目がけて襲い掛かる。その一瞬の記憶がその後の人生の長きにわたって人を苛む。何故目を離したのか、何故言われた通りしなかったのか、あの時、自分は、相手は何を考えていたのか、いなくなった者は答えを返さないから、残された者はいつまでたっても問い続けるしかない。誰かが自分に代わって罪を引き受けてくれることを信じられるなら救われるのかもしれない。罪を背負ってくれる他者を信じない者にあるのは、何度でも同じ問いから繰りだされる物語を紡ぎ続けることだけだ。凝縮された短篇の中に読む人の数だけ物語がある。迸るような激情から、ほの温かいぬくもり、或はほろ苦さを感じる結末まで、人生の有為転変を緩急自在の筆使いで描き分けるアリス・マンローの熟練の手業に身をゆだねる悦び、これに尽きる。 -
登場人物の人生にそっと寄り添い、綴ったような短編集。読むと私もその人生を追体験したような気持ちになる。これが創作だなんて信じられない。
ただし後半の数作品は作者自身が自伝的要素がある作品だと断っている。母親との関係が興味深かった。そのストレートにいかない関係がまさに人生だなと思った。彼女が簡単に納得したりごまかしたりせず、冷静に自分を観察するから小説を書く人になったのだと思った。 -
日本に届く * / アムンゼン * / メイヴァリーを去る / 砂利 / 安息の場所 * / プライド / コリー / 列車 / 湖の見えるところで / ドリー * / 目 / 夜 * / 声 * / ディア・ライフ *
-
アリスマンローを読んで2冊目の本。短編だから気楽に読めそうだから、マンローの場合文の密度が濃いので実際そうはいかず、二ヶ月かかってしまった。人間の日常の断片がこんなに輝くのは素晴らしいと思う。
-
-
2013年のノーベル文学賞受賞を受賞した著者が、80歳を超えて著した短編集だ。
自己の人生を振返り、いろいろな記憶をもとに語られる表題作のディア・ライフが珠玉のように感じられる。齢を重ねた作家の、その人生を振り返る作品を読むと、自分の老いた両親の人生であったり、自身の行方を考えさせられ感慨深い。
テンポの速いストーリー展開だったり、サスペンスのような盛り上がりはないが、小説を読むということを再考させられた一冊だった。 -
なかなか読みづらいというか不親切に感じるところもあったが、そのあたりをなんとか踏ん張って読み進めると、意外にも多様な女の人生がじわりと広がっていくような読みごたえがあって、ああ女の作家だ、と実感した。女たちの胸の奥に確かな欲望が息づいているところが、いい。「砂利」は結局今思い返してもどう処理すればいいのか分からない悲劇を題材にするが、こういう取り返しのつかない「どうしたら良かったのか」を扱う作品に私はいつも弱い。そして「声」、よかった。男たちの柔らかで甘やかな声に憧れと欲望を抱く少女。男に対する女の一面的ではない熱情。
-
良い短編って、魔法みたいだな。
タイトルに惹かれて買いました。
ほんとうに魔法みたいだった。 -
文学
-
あぁ、読み終わっちゃった。。。
アリス・マンローのノーベル文学賞受賞はほんとうに嬉しかった。
社会的活動などをしなくても、ただ黙々と名作を書いていればもらえる賞だったのね、
上から目線で書かせてもらえれば、見なおした。
なにもいうことはありません。
ただ読んで世界に浸るのみ。
男性はこういう作品どうなのかな?
日本に届く
アムンゼン
メイヴァリーを去る
砂利
安息の場所
プライド
コリー
列車
湖の見えるところで
ドリー
目
夜
声
ディア・ライフ -
配置場所:摂枚普通図書
請求記号:933.7||M
資料ID:95140786 -
距離を置きたい(あるいは一定以上深入りすることを恐れる)、人間たちの話。プライベートスペースは人それぞれだから、「あ、ちょっとそれ以上こっちこないで」と思う事は確かに日常であるなあと読みながら思った。愛し愛されることを夢見る純粋な人間には少々シビアな現実かもしれない。
この短編集全体に通奏低音のように流れている無責任さはいったいなんなのだろう。友人は親友ではなく、恋人は伴侶ではない。お互いの行動にも言葉にも心は動かされず、「ああ、そうなんだ」と流れるように過ぎていくのみ。それがこの人の言う「ディア・ライフ」ならば、なんと皮肉な作家なのだろう。最後の一文でそれと確信した。「何かについて、とても許せることではないとか、けっして自分を許せないとか、わたしたちは言う。でもわたしたちは許すのだーいつだって許すのだ。」
吹けば飛んでいきそうな軽やかな語り口で語られる、なかなかにエグいエピソードの数々。絆など、幻想だ。そう言われているような気がする。 -
読んだけど、不思議なくらい、言葉が頭に入ってこない。
なぜ?
この小説の言葉を、脳が、拒んでる。
ギブアップしそうだったんだけど、ムリして、2つの短編を読んだ。
あまりにも、小さな家の中の出来事すぎて、どうでも良いとしか思えなかった。
アリス・マンローは性格が悪い。
著者プロフィール
アリス・マンローの作品
本棚登録 :
感想 :
