遁走状態 (Shinchosha CREST BOOKS)

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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901080

作品紹介・あらすじ

幻想と覚醒が織りなす、19の悪夢。驚異の短篇集、待望の邦訳刊行! 前妻と前々妻に追われる元夫。見えない箱に眠りを奪われる女。勝手に喋る舌を止められない老教授。ニセの救世主。「私」は気づけばもう「私」でなく、日常は彼方に遁走する。奇想天外なのにどこまでも醒め、滑稽でいながら切実な恐怖に満ちた、19の物語。ホラーもファンタジーも純文学も超える驚異の短篇集、待望の邦訳刊行!

感想・レビュー・書評

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  • 私の肉体は、精神は、どこからどこまでが私の物なのか。私のいる世界と他の人々との世界は本当に同じ世界なのか。そもそも私とは、何をもって私といえるのか。そういうことがこちらの夢にも出てきそうなほどぎっしり描かれた短編集。これは超ビンゴ!短編19編というと、あれもこれもで読むそばから忘れていくかと思ったけれど、そんなことはなく、非常に印象に残る話ばかりだった。「居心地の悪い部屋」で作者の名前覚えておいて、よかった!長編も読んでみたい。

  •  ブライアン・エヴンソンは1966年、アメリカ、アイオワ州生まれ。モルモン教徒として育つが、デビュー作が冒涜的だとして破門されている。O・ヘンリー賞を三度受賞している有名人だが、翻訳初短編集であるという。

    【追われて】は殺人者の一人芝居。ずっと逃げ続け、追い続ける車のシーンが印象的だ。左手が妻になっていて、その妻に追われているという妄想にびくびくしながらも、おそらくその妻は主人公自身が殺していて操縦している車のトランクのなかに入れている。殺人者当人でありながら、殺したという確かなものが何もなく、生きていることと死んでいることの二つが同時に起きている妻という存在を抱えながら、永遠にこの恐怖のなかを生きようとする。
    【マダータング】は言葉がうまくしゃべれなくなる大学の教授と、それを介抱する娘の話。文脈を共有できず、ディスコミュニケーションが続くなか、教授が自死をとうとう選ぼうとするのだが、うまくいかずミスする。慌ててかけつけた娘に見つかったとき、教授が返す台詞も、まったく文脈の共有できないもの。鮮やかに浮かび上がる孤独とむなしさの最後の場面が、とても良い。
    【供述書】はとても痛快な聖書のパロディ。それでいて、聖書を馬鹿にするだけで終わらない。主人公は最後に、教祖めいてくるのだ。神はつくられたものだというのはよく伝わるが、主人公が死刑が確定したとき、自分を神としてしまう、そこもキリストの物語のパロディーなのだが、うまく書きすぎていて、信徒はぐうの音もでないのでは。うまいこと書きやがって……ともし自分がキリスト教徒だったらうなるしかないぐらい面白く書かれてある。
    【テントの中の姉妹】は育児放棄の話で、テントをはる感じが原始キリスト……のような感じで、父親を待つのも、父なる神を待っているように思える。宗教小説として読むと非常に面白い。
    【九十に九十】はエンターテイメントだと思える。出版業者の狂想曲というか、異常さを描いている。人形におびえる編集長と、その編集長が主人公に下す罰ゲームがすさまじい。
     この短編の一番の名場面はこれ。
    『彼の右側からはじめて、順に回っていった。ポール・マスウェンは、保守的で煽動的な下院議員が書いた、女装趣味の弟が神の御心に背いたゆえエイズで死にかけていることを書いた本を提案した。シンチーはH・Hを見て、彼女がうなずくと自分もうなずいた。ターコは有名人によるほぼ同内容のーーどれも父親に犯されたが「生き抜いた」のみならず「乗り越え」もしたというーー回想録を四冊揃えていた。ふたたびうなずきがチックのごとく営業部長から人民のボスに伝わった。ジョン・バーナム・ガッタはJ・エドガー・フーヴァーとジョン・ウェインの所有していた服の写真史を提示した(「いいぞ!」とシンチーが声を張り上げた。「いいぞ!」)。ダフ・マクウェイドはアフリカン・アメリカン研究で全米第一人者の教授を口説いて、『アフロ=アメリカーナ!』なる文化事典の編纂を引き受けてもらっていた。「何よりいいのは」とダフィは言った。「仕事は学生たちが単位を取るためにやってるんで、金を払わなくていいんです」。H・Hのうなずきはなかなか生じなかったが、ようやく生じ、ほどなくシンチーのうなずきも続いた。ベルヴァ・アデアは三冊の回想録を買っていて、一冊では女性ロックミュージシャンが子供を産まないという決断を語り、もう一冊では女性詩人が子供を産まないという決断を語り、もう一冊では女性作家が四十五歳にして子供を産むという決断を語っていた(H・Hはこれに対してわざわざ言葉を発したーー「よく探したわね!」)。テッド・ピルナーはあっさり「三つの崇拝物、三つの簡単な言葉、三つのシンプルなタイトルですーー『ゴム』『革』『絹』」とだけ言った。「結構!」とシンチーが言った。「素晴らしい!」

     読んだらわかるのだが、ほんとうにゲラゲラ笑える。
    【見えない箱】のパントマイム師とセックスしたという話は、今まで恋愛の心理を色々描いてきたものを読んできた中でもかなり濃くて深くて好きだった。箱がそこにずっとあって……というのは切ないし、よくわかる。パントマイム師というかピエロというかクラウンというか、そういう存在と寝たという描写は、詩的でちょっとグロテスクで美しい。
    【助けになる】での夫婦のすれ違いかたの描きっぷりといい、人と人とのずれの表し方がこの作者はえげつないのだ。つらくかなしい恐怖がいつもある。
    【父のいない暮らし】も、ほとんど自殺していたような父のとどめをさして、警察に追求されるも、母のせいにする少女の話。「話したって理解してもらえないから、沈黙するしかない、決して説明できない殺人」というものを設定したのが凄い。
     それと、【アルフォンス・カイラーズ】は幽霊船ホラー小説も楽しめた。
     いったい何が書いてあるのかわからない、ちんぷんかんぷんなものも多いけれども、充分楽しめた。ただ、タイトルになっている【遁走状態】が、一番面白くなかった……。ぜんぜんわからない……。

  • 「私」は気づけばもう「私」でなく、日常は彼方に遁走する―
    (クレスト・ブックスの帯のキャッチ)

    エヴンソンが繰り出す世界は、読んでいると脳みその後ろから襲ってくる。
    妄想なのか現実なのか、寝ているのか目が覚めているのか、生きているのか死んでいるのか、あなたなのかわたしなのか……。

    いったいなんだ、これは!
    あまりに理解困難で、読み始めてから100ページほどで読めなくなった。
    決して「つまらない」訳ではない。
    向き合う覚悟が途切れてしまった。

    すこし他の本に浮気したあと再び向き合うと、とたんにその世界に引き込まれていく。

    読後に振り返ってみると、独特で比較できるものがなく面白いのかどうかすらわからない。
    訳者柴田元幸氏のあとがきによると、エドガー・アラン・ポーやスティーヴ・エリクソンなどを挙げて傾向を解説している。

    まだ短編であったから、ぶつ切りでも読み切ることができたけど、長編だったら「途中で放り投げる」か「没入して帰って来れない」ことになったかも。

    とにかく不思議な読書体験でした。

  • 多少内容が異なることがあっても、一日という単位は、日常という言葉に置き換えても何も不都合はない。
    そして、その日常がたまに壊れることがあっても、手元にある経験や知識を使えばなんとか元の姿に修復出来、たとえ1日2日で出来なかったとしても、日常生活が根元から崩れてしまうことは滅多にない。
    生きることはそういう時間の流れに乗って、ちょっとした風化や事件を受け入れた後にも、自然に癒される仕組みがあり、それぞれがそれなりに生きていく。
    だが、この本ではそうであってそうではない。



    年下
    父が狂い母が自殺した、その時から全てのものが破壊的に感じられるようになった妹と、現実をうまくかわしているような姉。

    追われて
    一番目の妻から男の筆跡のようなサインをした手紙がきた。家に行ってみると、暖炉の上に血の跡が見つかったので、一泊程度のバッグを車に積んだままで逃げた。
    だがどうも二番目の妻につけられているらしい、逃げているうちに、三番目の妻も追って来ている気がする。どこに向いても、どこに止まっても、後ろの車が気になる。車を止めて見に行けば、二人とも死んでいるのはないか、もしかして私も。

    マダータング
    勝手に舌が喋り出した。言いたいことと違った言葉がでてくる。指もかってにくねくね動きだした。娘が入院させたが、。勝手に舌が言葉を作る。言葉に飲み込まれる前に死のう。銃を用意したが見つかり、言い遺そうとした言葉は「昆虫 」「イワシ、テント柱の合図」になって出てきた。

    供述者
     中西部の荒れ地で、現地人に囲まれ、逃げ道に窮した弾みに言った言葉で、ジーザスにされてしまった。

    脱線を伴った欲望
     彼女を捨てて家を飛び出したが、うちを離れられずぐるぐる周っていた。決心して帰ると彼女は骨になっていた。

    恐れ
     動けない、まるで死体のようだったが、医者は原理的に死んでいることと、実際に死んでいることを説明する。わたしはガラスに自分を写して見た。

    テントの中の姉妹
     離婚して世話をしてくれていた母親が勤めに出て、次第に帰りが遅くなっていった、父親の元に行く日も決まっていた。両親の二人の帰りが遅くなり、帰ってこない日もあった。父の家でも姉妹は毛布を家具に渡しテントを作りその下で遊んでいた。

    第三の要素
     報告書を出し次の任務につく。そういう任務は常に監視されている。それが事実でもそうでなくても、どんな方法でもいつまでも生きていけるとは思えない。

    チロルのバウアー
     旅行先のチロルのベッドで妻が死にかけていた。妻は次第に変容してついに死んだ。彼は紙に線をひいた。その線から妻に形が見えて来るようにと。何も出ては来なかったが鉛筆を離せなかった。

    助けになる
     ワイヤーがかれの目と鼻を割いた。処置をして家に帰ると、妻が「出来ることはある?」と聞いた。ない。周りは暗闇だった。彼は家の明かりを消してしまった。帰った妻がこちらの世界に来るように。なにか手伝うことはない?と妻に聞けるように。

    父のいない暮らし
     父は袋をかぶる様になった。紐で首のところを縛って家をうろついては倒れた。倒れると紐を緩めてあげた。とうとう床に倒れたままで死んだ。お母さんが出て行ってから父は父のようではなかった。おばに引き取られたが、父の死について警察に尋問された。そこに母が捕まってきた。母は無実だと言えといった。なにも言うな、何もするなと明晰な自分の心が言った。

    アルフォンス・カイラーズ
     カイラーズを殺して国外に出ろと言われた。船にもぐりこむと、名前を問われ「カイラーズ」だと名乗った。 海でおぼれかけていた男が救われたが、彼がカイラーズだった。救命ボートで流されたがカイラーズに救われた。気がつくと大きな船に乗っていた。自分はカイラーズを殺したらしい。しかしヒゲをそろうとして見た鏡にはカイラーズの顔が映っていた。カイラーズで暮らしていくしかない。

    遁走状態
     被験者はアルノーに遁走状態と言って、目から血を流して死んだ。アルノーも遁走状態に罹った。どこかおかしいがそれがわからないまま、精神は遁走状態になった。俺はいったい誰だろう?

    都市のトラウブ
     夕暮れ近く、トラウブの顔が変化していき、分解し、トラウブはベッドの上に浮かんでいた。空の中で時は少しずつ早くなり自分のことが分からなくなっていった。

    裁定者
     大火の前は何でも引き受ける男だった、やってきた男に紙切れを渡され、玄関に来た男を手斧で殺せと書いてあった。男が来た、地所をもらって耕して暮らしたいと言った。「あなたがこの共同体の裁定者なのだから」
    それを許可すると次々に人がやってきた。外に出ると農場は遺体でいっぱいだった。隣人に一部始終を話し、それ以後ずっと家に籠っている。



    平板に見えた時間や空間が歪み、異常な事態に遭遇することがある。
    異空間や出来事の真ん中に滑り込んだり投げ出されたり、存在根拠のない、自覚もない場所に立っていたりする。
    生まれて物心がつくと、周りが歪な形に見え始める。世界は自分側なのか、外にあるのか。
    覚めない夢なのか、特異な体験に巻き込まれた恐怖、おぞましい環境、不都合な出来事に巻き込まれたひとたちの、終わりの見えない不快な苦痛や驚愕や戦慄に巻き込まれそうな、不思議な気持ち悪さに沈み込んでしまいそうな、戦慄の合間には、ときどき笑ながらも凍りつきそうな19篇の短編集。

    見慣れた状況が形を変えたシーンになり、暴力と流血の中、不幸な環境でありながら自分が明確ではなくなっていく。不思議な短編集だ。抽象的な物事をはっきりとした言葉で書き表し明確なイメージを創り出す。難しい世界を築いている。

  •  19編からなる短編集。
     うち1編は漫画によって表現されている。
     読み進めていくうちに面白さが加速度的に増してくる。
     どういう順番に並べられているのか判らないが、とにかく後半になっていくにつれて、読むのを止めることが困難になるほどに面白くなってくる。
     別に連作短篇でもないし、それぞれの短編に繋がりがある訳ではないのだが、どんどん面白い作品が登場してくる。
     きちんと物語の背景が説明されている作品は少なく、よって何故登場人物がこのような状況に陥ったのかは想像の範疇を出ることはないのだが、この状況そのもの、またそんな状況に翻弄される登場人物の状態そのものに、たまらない面白さを感じる。
     登場人物も、そんな状況を把握することが出来ないままに受け入れるのだが、そもそも自分自身が誰なのか、といった根本的な問いに答えられなかったりもする。
     中にはなかなか理解しづらい内容の短編もあったのだが、本書の残り半分くらいからは、まさにノンストップで読み切ってしまった。
     久しぶりに夢中になって読み進めることが出来る作品だった。

  • この短編をおかしいと思う私はおかしいのか?
    この短編をおかしいと思う私は私なのか?
    私はこの短編をほんとうに読んだのか?

  • ポップな陰惨。陰惨なポップ。
    まとめながら再読の必要。

    年下
    追われて
    マダー・タング
    供述書
    脱線を伴った欲望
    怖れ 絵/ザックサリー
    テントのなかの姉妹
    さまよう
    温室で
    九十に九十
    見えない箱
    第三の要素
    チロルのバウアー
    助けになる
    父のいない暮し
    アルフォンス・カイラーズ
    遁走状態
    都市のトラウブ
    裁定者

  • 不条理・ホラー寄りの短編集。理解の難しい作品も多いが、「年下」「父のいない暮らし」「助けになる」は記憶・認識の相違「マギー・タング」は病が原因で無関係の言葉が出るようになる(失語症に近い?)話だが、家族にも医者にも理解されないまま終わる恐ろしさが強烈。「九十と九十」は出版界への皮肉?
    すぐ側にある日常が遠くなり認識が不安定になる感覚、もどかしさや不安や苦痛自体は分かる…のだが。作品の癖が強い
    よく分からないまま終わる作品と、自分も同じような状態にあるのかもしれないと思ってしまうコミュニケーションの上手くいかないもどかしさとそれが故の転落が恐ろしい作品と、「世にも奇妙な物語」的な強烈な視覚イメージを呼び起こす作品と混交している。1冊の中で好みの幅というか落差が大きく、悩んだ末の星3評価

  • わりと評判がよくて気になっていたもの。不思議な本だった。私にはこの世界観を理解するだけの力が足りないようだ。

  •  アメリカの作家の短編集で柴田元幸訳。全19話の短編が掲載されている。SFとまではいかないものの、表紙とは裏腹にファンタジー色が強くてオモシロかった。話自体は大きな設定ではない。しかし小説の持つ跳躍力をふんだんに生かして登場人物をどんどん不確かな存在へと変貌させていく。この不確かさがどの短編にも共通して描かれていて彼の魅力と言えると思う。前半に顕著だけれど登場人物の名前もないままに物語が進んでいくので読み進めるのに体力いる部分もある。あと存在が不確かであることが推進力になって物語が展開するわけでもなく、ただ「不確かだよねー」とだけ終わっていく話もあるので好き嫌いは別れるかもしれない。つまりは場面が想像しにくい。
     しかし19個あるので明確に場面が想像できて話がぐいぐい転がるような短編も存在していて、それらはどれも映画化したら良さそうと思えた。個人的にfavoriteだったのは「温室で」「九十に九十」「供述書」「裁定者」。結構バイオレントな表現が多くて血が出る場面が特に頻出していた。タイトルの「遁走状態」が本著におけるブライアン・エヴンソンの要素をすべて含んでいるのでタイトル作になるのも納得した。設定のぶっ飛び具合とバイオレンスの交わり方を考えると中原昌也とかなり近いムード。柴田元幸のあとがきにある、「私」の連続性が保証されないアメリカ的自由と不安という話がとてもしっくりきて自分の中で本著に対してモヤモヤしていた部分が解消されたような気がする。

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著者プロフィール

1966年生まれ。現代アメリカを代表する作家の一人。ブラウン大学文芸科教授。邦訳に、『遁走状態』(新潮クレスト・ブックス)などがある。

「2015年 『居心地の悪い部屋』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ブライアン・エヴンソンの作品

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