低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
4.38
  • (74)
  • (43)
  • (20)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 566
感想 : 65
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (477ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901103

作品紹介・あらすじ

若くして命を落とした弟。身重の妻と結ばれた兄。過激な革命運動のさなか、両親と身重の妻の眼前、カルカッタの低湿地で射殺された弟。遺された若い妻をアメリカに連れ帰った学究肌の兄。仲睦まじかった兄弟は二十代半ばで生死を分かち、喪失を抱えた男女は、アメリカで新しい家族として歩みだす――。着想から16年、両大陸を舞台に繰り広げられる波乱の家族史。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  何度か挑戦したけれど、いつも途中で挫折したり、かなり読み飛ばしてしまい苦手意識があるクレストブック。今回、初めてしっかりと読めました。それでも最初の60ページぐらいは、やはりかなり辛く、多くの方のレビューで評価が高いのを励みに読み進めました。

     何がそんなに苦手なんだろう?今回は、映画のノベライズ本のような感覚を持ってしまうからかなと感じました。情景描写や土地や風景の説明が、自分が普段読み慣れているものより詳しく、そしてドライに書かれているところが、自分にとっては退屈に感じてしまうのかもしれません。映像で先に何となく見たシーンを、とても詳しく文字にしているようなまどろっこしさを感じる。文字から映し出される風景を、もっとじっくりと味わう心の余裕を持たねばと自省しました。

     ガウリ。夫ウダヤンを若くして亡くし、その人との子ベラを宿し、愛した人の兄と再婚し、インドからアメリカに渡り子育てをする。同情する余地はあるけれど、どうしても彼女のことを好きにはなれなかった。ガウリは世の中の母親の多くがしているように手放しで子供を愛することができない。

    [ベラと二人で過ごす時間がたっぷりあったというのに、かつてはウダヤンに感じたような愛情が再び立ち上がってくれることはなかった。逆に麻痺したように動きの取れない無力感が広がっていた。どこの女でも、当たり前にしてのけていることが、一人だけうまくいかないという気がする。こんなもので苦労することになったのがおかしい。]

     子供を心から愛せないのが悪いと言っているのではなく、自分の人生を生きたい、もっと勉学を極めたいという自己完結ともいえる欲望が根本にあり、子供を捨てたと感じるからだ。愛せないから捨てたのではなく、子供のそばにいることより自分の欲を取っただけに感じられた。上手く愛せなくても捨てることはない。もう亡くなっている、若き日の恋人ウダヤンとの思い出は、記憶の中で濾されていって甘美であったり固執するに十分な特別なものになるのは当然だ。その思い出まで言い訳にして自分勝手な自分を心のどこかで慈しんでいる気がしてならなかった。


    「あたしのこと好きだって言うより、あたしの方がおとうさんを好き。」
    というスパシュとベラのシーン。物語全体に孤独感ややるせなさがはびこる中で、どんな仄暗さをも寄せつけない愛の強さを感じ、輝かしく印象的だった。

  • ガウリを想う。
    祖父母の家で育ち、16歳で両親を交通事故で失う。大学に通う頃には兄しか側にはおらず、ずっと一人で生きていくんだと心に決めている。
    結婚後に勉強を続けたくとも、婚家では働き手と見なされる。姑との関係も微妙だ。そしてウダヤンの死。異国へ渡る手段としての再婚の末に、亡夫の子を出産する。
    子育てをしながら彼女は「ウダヤンと私の子なのに父親面して欲しくない」/「自分は100%子供を愛しきれない」という背反する二つの思いに挟まれて自らを苦しめている。更にインドで犯した過ち故に、自らを罰し続けている。

    失意の底にあった二人が始めた新しい家族の形が、更にまた壊れていく様を読みながら、救いの手や再生を求めてしまう自分がいる。子供と二人で家にいることに耐えられず、束の間の自由を求めて外出することは、どれほどの罪なのか。子供に無償の愛を注げない母親は許されないのか。

    家族が崩壊した後、それぞれが人生をどのように生きていくかが、誠実に丁寧に描かれていく。
    そしてラストの描写がなんと美しいことか。470頁全てが、この数行のためにあるかのようにさえ思えるほどに胸を打つ。

  • 『停電の夜に』『その名にちなんで』についで、ラヒリ3作目。いつものことだが、読了後に他の方のレビューや書評を読み比べ、自分の読後感や読み落としなどをチェックする。この作品ほど、人によって読む観点がそれぞれなんだな、と感じた作品も珍しかった。

    作者はこの作品で、性格の真反対な兄弟を登場させ、陰―スバシュ―ロードアイランド vs 陽―ウダヤンートリーガンジ と対比させ、その心象風景として見事に描いている。それはラヒリが米国とインドのふたつの故郷を持つがゆえに持ち続けた、2カ国への想いとも受け止められる。彼女は陰と陽、真逆の立ち場にあるものを、どちらが良いとか悪いとかではなく、それを第三者的な視点から描きたかったのでは、と私は思う。
    それに対し私は、自身の性格か、長子として生を受けたためか、"陽"には敵わないと感じてきたし、自身が信じる正義のため若くして亡くなった人物には勝ち目がないと、ついついスバシュに感情が入ってしまう。人間は"努力"だけではどうしようもない"持って生まれた役割"が有るのだと思う。スバシュが行きている限り、彼の中でウダヤンは生き続け、葛藤は続く。インドを去り、米国に渡り自分の居場所を見つけ、ウダヤンの妻子を引き取ることで、どこか自分が優位な立ち場に立てるのではと、結果的には考え違いをしてからも。娘として育てたベラの想いにより、そして亡き友人の妻を伴侶にすることで最終的には報われているはずなのだが。

    この物語の前半の、政治色の濃い、共産主義や革命運動といった、少々苦手な内容さえも、ぐいぐいと惹きつける勢いを感じたのに、『その名にちなんで』に引き続き、後半に違和感を感じた。人の"死"や"出逢い"が安易というか、都合よく描かれているな、特にラヒリが"アメリカ人"と表現していると人たちが、と。その点、残念に思われた。
    そこが、ラヒリの作品は短編のほうが良いと感じる理由だろうか。

  • 母と娘の再会の場面が強く印象に残った。

  • やっぱりジュンパ・ラヒリはすばらしい。長編で、すごく読みごたえがあった。満足。わたしはこういう長い話が大好きだ。まさに人生そのものが描かれているというか。
    人生、って、自分の思いどおりに生きなきゃいけないとか、楽しく生きなきゃ損だとか、過去にとらわれずつねに前向きに、とかいろいろいわれるけれど、実際は、そういうものでもない、どうしようもないこともある、ということがわかるような。なんだか人生について考えさせられた。スバシュもガウリも、まったく思いどおりの人生ではないし、楽しくも生きてない。過去に、死者にとらわれて、悲しみばかり。それでも人生は続く。
    とくにガウリについて、じゃあ、どうすればよかったのか、と思うけれども、どうしてもああいう生き方しかできなかったんだろうな、と。

    それと、だれも感情や思いをあらわにしない。自分の思いをのみこみ、人にも尋ねない。なぜ?ときかない。わかりあえない。それでも人間関係は生まれるし、やっぱり人生は続く。
    せつなくて苦しい話だけれど、スバシュやガウリの、もがかないというか、なるようになるしかないとでもいうような、淡々とした生き方がいっそ潔いというか、ここちいいような気さえして。
    でも、ラストにそれぞれ少しの希望が見えるところがすごくよかった。救われた気がした。

    短くて淡々としたような文章がすごく美しくて。インドのトリーガンジやアメリカのロードアイランド、カリフォルニアの風景や季節の描写がすばらしい。

  • 親子というものは奇妙な関係である。
    「家族」というくくりは、子どもが独り立ちするまでは確かにあった。
    が、その後の「家族」には後悔や苦悩、時として束縛の香りすらする。

    スバシュとウダヤン、1940年代生まれの西ベンガルの兄弟。
    弟は凶弾に倒れ、アメリカで暮らす兄は弟の妻と子を引き取る。

    物語は兄弟や妻ガウリ、その子ベラの視点で、様々に揺れ動く感情を、淡々と描く。
    三人称だが、短いフレーズでそれぞれの想いがよく伝わる文章。

    作者ラヒリは、これまで描いた「インド系移民」というテーマはやや離れて、人間ドラマの色合いの強い物語をかたる。

    60年代に吹き荒れた「革命」という熱病、家庭という伝統の崩壊、それでも関わっていく人々の長いドラマを、舞台となる土地の様子とともに、痛々しくも清々しく、味わうことができた。

  • 読む時期を選んでずっと何年も本棚にあったジュンパ・ラヒリの長編。
    ラヒリが好き過ぎて、読む時期が来た、と感じたら読もうと決めていたが、何年もかかった。大事にしすぎ?

    ようやく読む日が来た。

    一人の男の罪を、兄が、妻が、娘が、それぞれに真摯に自分の一生をかけて問うていく。
    この人たちは、それに一生涯費やす。
    そういう人をジュンパ・ラヒリは描く。

    そういう人なんだな、と改めて思った。

  • 本の裏に書かれている山田太一の解説から持った印象とは、だいぶ異なるものを感じた。善良であったり利己的であったり正義感に燃えていたり。どんな人でも、自分としてしか生きられない。特にガウリの生き方には動揺した。悲惨な状況から救ってくれたスバシュも愛した人の子である娘も捨てるという選択までは何とか理解できても、何故数十年たった後にのこのこ会いにいけるのか。残酷な言葉を娘にぶつけられてショックを受けても、当たり前だとしか思えない。甘い言葉をかけてもらえると思うほど、愚かではないはず。この行動の意味を分かる気もするが、簡単に分かった気にもなりたくないとも思う。
    ガウリとウダヤンの新鮮な愛。スバシュとウダヤンの兄弟愛。スバシュがベラにかける損得抜きの愛情。こういった描写が本当にうまい。何よりも大切なのは愛だと分かっているのに、それだけでは生きていけずにもがく一人一人をとてもいとおしく思える作品だ。

  • 同じように丸く明るく空に輝いても太陽と月はちがう。遍く人を元気づける太陽に比べれば、月の恩恵を受けるものは夜を行く旅人や眠れず窓辺に立つ人くらい。健やかに夜眠るものにとって月はあってもなくてもかまわないものかも知れない。カルカッタ、トリーガンジに住む双子のような兄弟、スパシュは月、ウダヤンは太陽だった。よく似た顔と声を持ちながら、独り遊びの好きな大人しい兄に比べ、一つ年下のやんちゃな弟は人懐っこく誰にも愛されて育った。

    時代は1960年代。アメリカがベトナムを爆撃し、チェ・ゲバラが死に、毛沢東が文革路線へと走り、紅衛兵の叫ぶ「造反有理」のかけ声の下、世界中に学生運動の嵐が吹き荒れた。二人が住むカルカッタの北方、西ベンガル州ダージリン県にあるナクサルバリという村でも共産主義の活動家による武装蜂起が起きた。何が人の運命を左右するかは分からない。その地方にも稀な秀才として市内の大学に通っていた二人の運命はそれを境に二つに分かれ、二度と出会うことはなかったのだ。

    海洋化学を専攻する兄はアメリカ留学の道に、弟は教師となり家に残ったものの、家族の知らぬ間にナクサライトの一員として革命の道を歩いていた。ロードアイランドの下宿屋に弟の死を告げる電報が届いたのは1971年。アメリカに来て三年経っていた。身重の妻を独り残し、弟は官憲の手により殺されていた。帰国した兄は弟の子を身ごもったガウリをアメリカに連れ帰り、自分の家族とする。やがて娘ベラが生まれるが、妻は頑なに心を開かず、育児より自分の研究を優先する。ある日、妻は娘を残し家を出、そのまま帰ることはなかった。スパシュはベラを男手一つで育て、困難もあったがベラは逞しく育つ。ベラが身ごもったのを知ったスパシュは今まで秘していた事実を告げるが…。

    ジュンパ・ラヒリの最新長篇小説である。それだけの情報で、読む前から期待が高まる作家というのも、そうはいない。その名を一躍有名にした『停電の夜に』以来、『その名にちなんで』、『見知らぬ場所』と、短篇、長篇という枠に関係なく、どの作品も期待を裏切ることはなかった。そして、本作。両親が生まれたカルカッタと、作家自身が育ったロードアイランドの地を主たる舞台にとり、双子のようによく似たベンガル人兄弟と、その家族の半生に渡る人生を描いている。喪失とそれによる孤独からの回復を、静謐な自然描写と精緻な心理描写で描いてみせ、長篇小説作家としての資質を今更ながら明らかにした。著者の代表作になるといっていいだろう。文句なしの傑作である。

    すぐ下に誰にも愛される弟を持った兄の気持ちが痛いように分かる。両親の愛も周囲の賞賛の声も弟の方に集まることを、兄は羨むでもなく自然に受け止め、自分ひとりの世界にふける。誰も追わず、入り江のように孤独に、波が運ぶ漂流物のような人や愛を受け容れる。弟の愛は分け隔てなく、恵まれぬ者、貧しい者にそそがれるが、かえって自分の近しい者はなおざりにされる。兄はそれを拾うようにして自分の近くに置くが、相手は弟の喪失を嘆くあまり兄の愛に気づかない。なんて哀しいのだろう。いちばん弟を亡くしたことを悲しんでいるのは兄なのに。

    淡々とした筆致で綴られる文章は、章が変わるごとに母や妻の視点が現われては、魅力的な弟の在りし日の姿を回想し、読者の前に広げてみせるので、読者がスパシュの傍に立って相憐れむことを許さない。社会正義は弟の側にあり、母親から見れば故郷を捨て、望まれもしない弟の嫁と再婚をする息子など弟の比ではない。すぐ近くにいて、ウダヤンの思想と行動力に影響を受けた妻にしてみれば、善人ではあるけれど、自分と家族のことしか念頭にないスパシュは物足りない。

    疾風怒濤のような時代に、西欧の地図で見るごとく大西洋を真ん中に挟み、東のカルカッタと西のロードアイランドを行き来しながら、主人公の眼や耳がとらえるのは、日没の入り江に立つ鷺の姿であったり、屋根を打つ雨音であったり、とあまりにもデタッチメント過ぎるようにもみえる。二人の兄弟はコインの表と裏。二人で一つだった。いつも弟に付き従うように行動していた兄は、独りでは半身をもがれた生き物のようなもの。喪失の重さを人一倍感じていたにちがいない。物語の終盤、事態が一気に動き出す。喪われたものは、贖われることで、報いをもたらすのだろうか。余韻の残る終幕に静かに瞑目するばかりである。

    • usalexさん
      まだ読んでませんが、ぜひ読みたいと思いました。
      まだ読んでませんが、ぜひ読みたいと思いました。
      2014/09/27
    • abraxasさん
      これは間違いなく、おすすめです。是非お読みください。
      これは間違いなく、おすすめです。是非お読みください。
      2014/09/27
  • 訳者があとがきで述べているように、最後は希望ある終わり方だったと思う。スバシュがアイルランドの田舎を旅している時の描写が美しく、自分もその場にいるようだった。ベラが母ガウリに怒りを抱き赦せないのは当然のことだと思う。しかし、手紙を送ったときベラに多少の赦しの感情があったのかもしれない。

全65件中 1 - 10件を表示

ジュンパ・ラヒリの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
レアード・ハント
恩田 陸
エリザベス・ボウ...
フェルディナント...
宮部みゆき
ピエール ルメー...
64
横山 秀夫
小川 洋子
松家 仁之
カズオ イシグロ
ブライアン エヴ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×