甘美なる作戦 (新潮クレスト・ブックス)

制作 : Ian McEwan  村松 潔 
  • 新潮社
3.69
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本棚登録 : 251
レビュー : 38
  • Amazon.co.jp ・本 (410ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901110

感想・レビュー・書評

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  • 冒頭、話者であり主人公のセリーナは、この物語が、ほぼ四十年前の出来事であることを明かす。1970年代、彼女は若く美しく、小説を読むのが大好きな、ごくふつうの娘だった。家庭環境に恵まれ、数学ができたためケンブリッジに進む。成績は芳しくなかったが、不倫相手であった教授の口利きで諜報機関(MI5)の下級職員として働くことになる。ところが、ある日、スウィート・トゥース作戦の担当を命じられる。反共文化工作のため、有望な作家を支援するプログラムに、現代小説に詳しいセリーナが抜擢されたのだ。

    担当の作家は、トム・ヘイリー。大学で文学を教えながら小説を発表している。昇進のチャンスと意気込むセリーナだったが、作品を読み、相手を知るにつけ、トムのことが好きになり、トムもそれにこたえる。関係が親密になればなるほど、素性を隠していることがつらくなり、恋愛と仕事のジレンマに悩むセリーナをよそに、トムの小説は文学賞を受賞し、一躍脚光を浴びることに。ところが、有頂天の二人を待ち受けていたのはスキャンダルだった。

    美人スパイの恋愛と任務遂行の間で揺れる心理を描くスパイ小説であり、若い美女のそれほど豊かではない恋愛遍歴を語る恋愛小説であり、70年代英国の文化、政治状況を描いた歴史小説でもある。主人公が彷徨う、ロックが鳴り響き、ヒッピー風俗のサイケデリックな色彩に溢れた70年代の街頭風景の裏で、国際的には東西冷戦、国内ではアイルランド問題に頭を悩ます英国情報部。それだけでも十分に面白い小説なのだが、ヒロインの相手が売り出し中の作家であることが鍵になる。作家を素材にすることで、実名で登場する作家や編集者、批評と文学賞のあり方といった出版界の内情や、創作論に触れる自己言及的なテクストともなるからだ。

    事実、セリーナが目を通す、作者の未刊、既刊の小説から採られたらしいトムの小説は、概要にとどまらず、ほぼそのままで短篇小説として読めるような形で作品内に登場する。悪戯心から牧師である双子の弟の身代わりに説教をした兄がそれに魅了された女の狂気に支配され、自分と家庭を崩壊させてしまう話や、自分で家財道具を売り払っておきながら、盗みに入られたと嘘をつく妻に、どうしたことか欲情をつのらせる夫の話などは、マゾヒズムや自己懲罰の心理がにじむ独特の味わいを持つ短篇小説として、独立した一篇として読みたいと思わせるほど完成している。

    トムが編集者と交わす文学談義のなかにピンチョンが腰掛けた椅子が登場したり、作家自身が勤務した大学のキャンパスが描かれたり、と文学好きなら、それだけでもかなり楽しめるこの小説は、最後にとんでもないどんでん返しが待っている。最後まで読み進めた読者は「やられた!」と叫ぶや否も応もなく、もう一度冒頭に戻って再び読み返しはじめるにちがいない。それというのも、自ら中級の小説好きと認めている主人公は、「トリックは好きではない。わたしが好きなのは自分の知っている人生がそのままページに再現されているような作品だ」と、作中で意見を開陳しておきながら、この小説自体が、とんでもないトリックであるからだ。

    レビューという限界があり、これ以上、そのトリックについて触れるのは避けたい。ただ、手法自体は特に目新しいものではない、とだけ言っておこう。中級以上の読者なら、今までに一度ならず目にしているはずである。要は、アイデアを作品として肉付けしていくその手際にある。作家マキューアンの手腕は、自分の手持ちの作品、あるいはこの小説のために新たに考えた短篇小説のモチーフを、すべて、何らかの形で、この小説を形成するモチーフと重ねあわせている、という点に尽きる。一篇の小説を書くために、「小説のための小説」を複数ひねり出すという、きわめてメタフィクション的なあり方である。

    作家が小説を書くということはどういうことなのか、何もないところからフィクションを生み出す創作の秘密とは、どのようなものなのかを、懇切丁寧に、それも人を鮮やかに欺くかたちで示して見せるという、はなれわざをやってみせたマキューアンに拍手。ボードレールは『ボヴァリー夫人』を読んで、エンマのなかに、フローベールという男性が入り込んでいることを発見している。男である作家が、女になるということの難しさと、それゆえにうまく成就したときの歓びは、作家冥利というものだろう。セリーナという美女のなかに入りこみ、中年男とのセックスを含むいくつかの恋愛沙汰を経験した作家は何を得たのか、それを知るには、何よりもまず、この小説を読んでみることだ。

  • 美人女スパイ小説にして恋愛ものとは、マキューアンらしからぬ平凡なテーマじゃないの、作家の思想の裏にいる国家という設定は面白いけれど、と思っていたら最後にどんでん返し。こう来るとは思っていなかったので完全にマキューアンのたくらみに騙された。小説中小説を面白く読んでいたが、さらに振出しに戻る重層的なメタ構造だったというね。私は最後にどかんとオチを作る小説はさほど好きではないが、マキューアンの手練れのストーリーテリングの手腕には感服する。小説を読む楽しみを与えてくれる。

  • マキューアンは文章が濃い。だから読み飛ばしては意味がない。
    深い教養とシニカルな知性に裏打ちされた物語は、どれだけ細部まで自分が読み取れているか考えながら読むのが楽しい。
    それでいてストーリーは俗っぽいのよね。
    今回も作家と美人スパイの、騙し騙されの恋愛劇だからマキューアンじゃなかったらちょっと読む気になれないところ。そこを読ませる話にするのはさすがだし、挿入されたストーリーの数々が素晴らしく、「この話、ここで書いていいの?もったいない!」っていうくらい面白い。特に双子の兄弟の話と泥棒に入られる話。
    意外にハッピーエンドだったのが、ちょっと物足りなかったが、数日間、本当に充実した読書ができた。これを約束してくれる作家ってたくさんはいないから、マキューアンの作品の中では特別好きではないが、良かった。
    しかし、これが映画化されたら(『贖罪』もそうだったが)様々な味わい深いディテールは失われ、単なるどんでん返しのある恋愛ものになりそう。映画を見て小説までわかった気持ちになってはいけない作家だと思う。

  • 東西冷戦時代、共産主義に対抗して『動物農場』『1984』を無料で広めるなどスパイ達による情報戦が繰り広げられた!MI5の女スパイと若き作家。冷戦のさなかの甘美な作戦!わくわくしながら読みはじめると…美人で勉強ができるけどおとなしい女学生の思春期が半分近くまでつづく…。初老の教授と一夏の不倫もなんかパッとしない。むしろ妹や友達の方が華やか…。作家との恋愛も普通のOLみたいと見事な肩透かしをくらう。さすがマキューアン!平凡な私の期待をはぐらかしつつ作中作のメタフィクションの世界になっていく。楽しく読みながら、高度なマキューアンの作戦にはまってしまったようだった。

  • またやられたな、この作家に。
    確かに70年代の英国の空気を感じさせてくれるものの、まぁ異色のスパイ小説かとパラパラと読み進めていたが、、、最終章で全てが変わる、とんでもない怪物小説家だな。
    新作が出ているようなので、数年後には翻訳されるかな?何にしろ追いかける作家に決定。

  • やられた! 見事にやられてしまった!
    こんなことがあるから読書は止められない。
    この小説を読者が手に取っているという事実がセリーナとヘイリーのその後を、21世紀を生きているはずの2人の状況を説明するという、なんとも心憎いエンディング。

    やっぱりマキューアンはすごい。

  • スウィート・トゥース(甘党)なスパイ小説。
    私のなかでマキューアン作品が甘くないから、余計にスウィート・トゥースな作品に思える。
    最後まで読んで、もう一度始めに戻って"校閲"したくなる。ほんとうにこの人の振り幅の大きさにはいつも驚かされる。
    それからこれは、セリーナ(主人公)のように「自分がすっぽり入りこめるヒロインを探して」小説を読む女性にぜひ読んでほしい作品だ。

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