すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901295

作品紹介・あらすじ

ラジオから聞こえる懐かしい声が、若いドイツ兵と盲目の少女の心をつなぐ。ピュリツァー賞受賞作。孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド――。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描く感動巨篇。

感想・レビュー・書評

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  • すばらしい小説だと、多くの書評から知ってはいたが、積読していた本書を読むきっかけになったのは、Netflixでのドラマ化であった。
    一刻も早くドラマを見たい!
    小説を読んでから映像を見るか、
    映像を見てから小説を読むか?

    私は前者が好きなのです!

    なので、とうとう読みました。

    で、予想を裏切らない傑作でした。アンソニー・ドーアはこんな懐の深い小説を書く人なのですね。「シェル・コレクター」も読まなければ!

    1994年のある日と、そこに至るまでの数年前が交互に描かれる構成と、マリー・ロールとヴァルナーの視点が交互に描かれる構成が巧みで、まるでパズルが解かれていくような面白さ。
    そして、2人の視点に、もう1人の視点が加わり、錯綜していく。その構成が延々と続くかにみえるのだが、ヴェルナーが不毛な営みだと絶望していたささやかな生の営みの美しさに気づいた時、ヴェルナーが関わった全ての人間の視点が一つになる瞬間が来る。
    この瞬間に痺れた。

    さて、Netflixを今から見ます!

  • ナチスドイツの技術兵となった少年と、パリの博物館に勤める父のもとで育った目の見えない少女をラジオがつなぐ。戦時下のフランス、サン・マロで交差する二人、つかの間の邂逅。

    マネック夫人の気骨。エティエンヌの愛情。ヴェルナーの迷いと決断に至るまで。ユッタに襲いかかる暴力。父親を待ち続けるマリー。
    ずっと気になりつつ、なんとなく、読めずにいたのだが、、読んでよかったとおもう。

    アメリカ人である作者がなぜという疑問があったのだが、訳者あとがきに、この物語を書くことになった経緯が書かれている。

    フレデリックが、キセキレイを見て、ヴェルナーに話す場面が印象に残っている。
    ”たいした鳥に見えないだろ。せいぜい五十グラムちょっとの、羽毛と骨の塊だ。でも、あの鳥はアフリカまで飛んで戻ってくる。虫と、ミミズと、欲望に動かされて”
    “千年前。あの鳥は何百万羽もここを通っていった。この場所が庭だったとき、端から端まで果てしないひとつの庭園だったとき”

  • 一九四四年八月七日、フランスを開放すべくアメリカによる空爆が始まったサン・マロの市街に、十六歳の少女マリー=ロールと、十八歳の少年ヴェルナーはいた。
    少女はドイツ占領軍に対する抵抗活動に参加しており、少年は無線を傍受してレジスタンスを摘発する技術兵として赴いている。二人は相容れぬ敵国民同士なのだ。

    燃え落ちる街の中で二人の運命が一瞬交錯する緊迫の五日間が、六つの章にて語られる。
    そして各章の合間に、一九三四年から始まる少女と少年がそれぞれに過ごした十年間が挟み込まれてゆく。
    時代に翻弄されながらそれぞれが辿ってきた年月が少しずつ明かされてゆき、冒頭でのサン・マロの一日へと至るという本書の緻密な構成と、濃密なエピソードの積み重ねは、二人の短い邂逅に対して、しっかりとした奥行きを与えている。
    “戦場の奇跡”といった浮ついた言葉では、少年の覚悟と少女の決意を言い表わすことはできない。彼らには悔やみきれない思いがあり、受け継いだ果たすべき思いがある。
    読み手としてその思いに向き合ってきたことで、二人が出会うことも、その行動の気高さも、深く実感を持って受け止めることができるのだろう。

    国家が掲げる正義や優生思想、勝者と敗者が入れ替わった後の悲惨な報復、戦地における女性への凌辱など、第二次世界大戦から現在進行形で続く、悲惨な出来事も描かれる。
    だが、ドーアの作品からはいつも、悲惨さのなかでも無垢な希望を感じることができる。
    それは、センス・オブ・ワンダーと呼ぶことができるんじゃないだろうか。

    たった50gの小鳥が、アフリカからヨーロッパへと季節ごとに渡ってくること。
    小さな軟体動物が、信じられないほど精巧で美しい貝殻を造り上げること。
    ラジオ波が、静かな夜には遠く地球の裏側からでも、音楽を、声を届けられること。決して会うこともない人の声をだ。

    目を向けさえすれば、世界は驚きと奇跡に満ち溢れている。

    そのことに気づける人は、心の中に善きものへの指向性が、大人になっても損なわれずに備わっているのではないだろうか。
    無垢で純真なるものへの過剰な信仰と笑われるかもしれない。
    でも、少なくともドーアは確信をもっているように思う。

    21世紀という暗い時代に、悲惨さから目を背けずに、衒いなく希望の物語を書くことはとても困難なことだろう。
    ドーアは人類の未来に対して、希望を失わない。
    自然科学に接するときの謙虚さや、自然の中に美しさを見いだす感覚は、己れが知ることがすべてではないことを教えてくれる。
    そして、知覚することのできない世界が存在することを夢見る想像力と、地球規模の生命の営みの中では人類は生態系のピースにすぎないというやさしい眼差しを育んでくれるだろう。


     “きみの家のストーブで赤く光るひとかけらを考えてみよう。それが見えるかな?その石炭の塊は、かつては緑色の植物、シダかアシだった。百万年前か二百万年前、ひょっとすると一億年も前に生きていたのだよ。一億年なんて、きみには想像できるだろうか?その植物が生きているあいだ、毎年夏になると、その葉は日光をとらえて、太陽のエネルギーを自身に変えた。そして今、あの日光、一億年前の日光が、今夜はきみの家を暖めている”

     “彼女は思う。一時間が過ぎるごとに、戦争の記憶を持つだれかが、世界から落ちて消えていく。わたしたちは、草になってまた立ち上がる。花になって。歌になって”

  • 滅多にない…「本物」に出会えた。
    多分、今年最高の一冊だと思う。

    「すべての見えない光」とは何か…

    *******************

    盲目の少女とナチスドイツの少年兵。
    パリに暮らす少女、マリーとドイツの孤児院で暮らすヴェルナー。
    深夜、「教授」の語る「世界の真理」についての放送が始まる。。。ラジオの周波が言葉を運ぶ。
    それは、戦争という狂気の中で唯一の光。
    マリーとヴェルナーを結ぶ奇跡の糸。

    戦況は益々、絶望的な色を増しナチスの降伏が近づく中、サン・マロの街は米軍の激しい砲火で崩れてゆく…盲目のマリーはそれでもマイクの前で朗読をする…行方の知れない父と叔父に話しかける…

    瓦礫と血と炎と暗闇…戦争のもたらすあらゆる業火の中で…ヴェルナーは合わせた短波から、懐かしいあの曲を聴く…ドビュッシーの「月の光」…
    そして、かつて「教授」の語りに耳を傾けていた同じ短波からの少女の声が、、、ヴェルナーに再び「生きる力」を呼び覚ます…


    彼女は誰なのか?
    あのラジオはどこにあるのか?
    真実とはなんなのか?


    ****************

    「戦争」という狂気の中で、やがて出会う2人の奇跡…

    ****************

    「すべての見えない光」こそ「本当の光」…
    大切なものは…「見えない光」なのだと。

    ラジオから流れる2人を繋いだ糸も、見えない光だった。そして、それは「希望」であり「倫理」であり「愛」であり…「未来」であり…「世界の真理」だった。

    今の時代はどうだろう。

    見えない光が溢れている…

    カラフルな映像を毎日送り出すTV
    いつでも誰とでも繋がるSNS
    現実なのか、非現実なのか戸惑うほどのリアルなゲーム…そこには、世界中、どこにいても繋がる友人がいる…会ったこともない人々…

    情報は次々と物凄いスピードで現れては消えてゆく。山となって、すぐに灰となる…溢れる言葉達。

    マリーとヴェルナーを繋いだ「見えない光」にあった「生きるための輝き」は、、、まだあるのだろうか?

    今、私の周りに渦巻く「見えない光」は…本当の光を放つ「見えない何か」は、もっと注意深く観察しないと見つからないのかもしれない。

    それでも、探したい…と思う。

    そして、そんな「見えない光」は、それほど沢山…山になってすぐに灰となるほどには多くない…そんな気がしている。


    ****************

    余談だが、Netflixでの映像作品も見てみた。
    だいぶストーリーは脚色されていて、もはや原作の形は無い…ただ…原作の「こうあったら良かったのに」
    という部分が美しく描かれていた。救いになる部分だと思う。ヴェルナーを演じたドイツの俳優は、「ヒトラーの忘れ物」という他の作品にも出演しており、その作品では男優賞を受賞している。。。その役どころが、この「すべての見えない光」のヴェルナーとの関連性があり…また同じナチスドイツの若い兵士役ということもあり、歴史を知る…という意味でも興味深いと思った。とても素晴らしい俳優さんだと思う。




  • Twitterなどで流れてくる本書の感想に、ときどき「読み終わるのが惜しい」という言葉を見たが、たしかに読み終えるのが惜しい、けれど読み進められずにはいられない本だった。
    「物語の力」という言葉はよく聞くけれど、これこそがその力なのだろう。
     父親や周囲の大人たちに深く愛され、盲目ながら世の中というものを信頼しているフランス人の少女。両親に先立たたれ貧しい孤児院に身を寄せながら、同じく院の先生と妹からの愛をよりどころに、厳しい軍事訓練を耐えて前線に出るドイツの少年。
     彼らにはどうしようもないところで誰かが始めた戦争が、じりじりとそれぞれの生活を侵食していく。
     接点などないはずの二人が、いつどうやって出会うことになるのか、そこまでの道のりを、私たちは時に息をのみ、小さな喜びにほほえみ、そして涙しながら一緒にたどる。
     ページをめくるだけの私の指先にも、盲目のマリー・ロールが感知するにおいを、感触を、空気の動きを察知させるその文章の見事さよ。
     彼女を疎開先で受け入れるマダムが素敵だ。物資の少ない戦時下で手に入るもので美味しい何かをこしらえては、近所の弱った人たちに配り歩く。不安に震えるマリー・ロールの顔を温かな両手ではさみこむ。想像の中で、昔むかし私が下宿していたリスボンの大家さんが彼女の姿に重なる。
     戦場ゆえのつらくむごい場面も容赦ない描写で私たちに見せるし、決して大団円のストーリーでもない。それでも温かなものが胸に深く残るのは、人の善意のうつくしさと尊さをゆるぎなく伝えているからに違いない。

  • 「エティエンヌ、知っていますかね」マネック夫人は台所の反対側から言う。
    「沸いているお湯にカエルを入れたらどうなるか」
    「答えを教えてもらえるわけだな」
    「カエルは飛びでてくるんですよ。だけど、冷たい水の鍋にカエルを入れて、ゆっくりと沸かしていったらどうなるか知っていますか?そのときどうなるか?」
    マリー=ロールは待つ。ジャガイモから湯気が出る。
    マネック夫人は言う。「カエルは煮えるんですよ」

  • 先に読んだ短篇集『記憶に残っていること』で初めてアンソニー・ドーアという作家の存在を知った。記憶に誤りがなければ、自然に対する畏敬のようなものを感じさせる作品を書く作家との印象を持ったが、それから間もなく彼が書いた本書のレビューの評価が高いことを知り読み始めた。

    盲目の少女が戦時下をどのようにして生き抜くのか、最初の数ページでは不安で重苦しいストーリー展開を想像したが、全くの杞憂。周囲の大人達の愛情溢れる暖かい支えに、五感を使って前向きで好奇心旺盛な少女へと成長していく過程は、少女の将来を思い描かさせてくれる。

    対称的にドイツの少年兵は、戦争が大義名分のため人間を変えていく世界を生きる。選民思想の危うさや、人間が潜在的に持っているだろう自己保身のための弱い者いじめなど、人間の負の本質をついているゾットする表現もあり、後に少年兵の妹ユッタが当時のドイツの人々の感情を代表して描かれたところも興味深かった。

    ただ私自身、第二次世界大戦下のフィクションである本作に、作者は何処まで事実に基づいて表現しているのか、という点を気にしながら読み続けてしまった。読み終えた直後、向井和美氏著『読書会という幸福』のあとがきだったか、『テヘランでロリータを読む』の一節を引用する形で「どんなことがあっても、フィクションを現実の複製と見なすようなまねをしてフィクションを貶めてはならない。私たちがフィクションの中に求めるのは現実ではなくむしろ真実があらわになる瞬間である」そう、これこそが文学の力だ。… というくだりにハッとした。今後も肝に銘じ読書しなければと痛感した。

    ともあれ、著者の詩情豊かで印象派の作品を想い起こさせるような文章や、ラジオを通して少女と少年兵が一瞬邂逅する演出のための巧みな構成、涙が出るほど美しい光の世界を感じさせる表現に、深く心揺さぶられた。第二次世界大戦下という悲惨な時代背景の物語だが、絶望的なものにしない。 本書はあらゆる人にお勧めしたい本です。

  • 戦争ものってなんでもお決まりの「悲惨さ」に集約される気がして正直あまり好きではないんだけど、これはすごく良かった。細かい章分けがなされ、目の見えないフランスの少女と、数学や工学に熱中するドイツの孤児の少年の話が同時に進んでいく。連合軍の激しい攻撃を受ける町へ二人が(別々に)いる、という未来が最初に提示されてから、そこに至るまでの二人の運命、砲撃や空爆を受ける町で二人が懸命に生きようとする様子が交互に、切れ切れに進んでいくのだ。二人の運命を手繰るのは、「見えない光」であるラジオで受信する電波信号だ。少女の父親の作る精巧な細工付きの家と町の模型が作中には出てくるが、まさにそのように時系列も場所もバラバラな文章の断片が巧みに組み合わされていて、続きが気になって読むのがやめられずにほとんど一気に読み切ってしまった。このような構成でストレスなく読めるのもすごい。登場人物たち一人ひとりの仕草がリアルに浮かんでくるような重い存在感が、物語を支える。
    何より好きなのは、たんたんとして抑制された文章でありながら、自然科学への憧憬と知識に裏付けされた静かな美しさが小説に満ちていることだ。盲目の少女の世界は、におい、触覚、様々な音でいっぱいだ。本で読んだ海の世界を夢見て、危険を冒して毎日、大好きな巻貝がたくさんいる小さな洞窟へ通う。少年の興味は、科学的な光、機械、数学へと向かっている。全くの暗闇にいる脳が、光に満ちた世界を作り出す。数学的には、光はすべて目に見えない。ラジオで聞いた美しく印象的な言葉たちが、少年をやがては戦場へと導く。
    「目を開けて、その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ」
    このフレーズが何度も作中でリフレインする。そう、できるかぎりのものを見たいし知りたい、と私も思う。そうして鳥の観察にふけっていた少年の親友には悲惨な末路が待ってはいたが。自然であろうと化学であろうと、美しいものはいつでも目の前にあふれているのだし、その見えない光を捕まえるのは私たちの目であり、耳であり、心なのだ。ハッピーエンドというわけではないが、あの作中の宝石が心に沈んでちらちらとその炎を燃やし続けているような、いい読後感のある小説だった。

  • 第二次世界大戦末期のお話。ドイツ少年兵のヴェルナーとフランスの少女マリーが戦争に翻弄され家族と離れても必死に生きていく話。物語終盤で、生き残った人達の邂逅も描かれています。
    本も分厚かったけど、その厚さにふさわしい大河ドラマでした。戦争は何というか、戦争しようと思った人だけが人に迷惑をかけない場所と規模で勝手にやるべきで、その他の未来ある若者や一般市民を巻き込むべきでないと痛切に思いました。
    読後感が切なすぎて、この本を手元に置いておくかどうか迷う。でも何年かしたらまた読みたくなるかもしれません。

  • 様々な場面の重なり方が本当に美しい。重く苦しい場面が多いけど、静かで澄んだ文章に引き込まれるようにページを捲り、特に後半は一気に読み切ってしまった。読み応えがある本。
    少年と少女の邂逅はほんの一瞬で、でもそれは雲の切れ間から一瞬差し込む光のような美しさ。

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