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Amazon.co.jp ・本 (528ページ) / ISBN・EAN: 9784105901295
作品紹介・あらすじ
ラジオから聞こえる懐かしい声が、若いドイツ兵と盲目の少女の心をつなぐ。ピュリツァー賞受賞作。孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド――。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描く感動巨篇。
みんなの感想まとめ
悲惨な第二次世界大戦を背景に、若いドイツ兵と盲目の少女の心の交流を描いた物語は、静かで美しい印象を残します。物語は、彼らの短い邂逅を中心に、戦争の中での人々の苦悩や希望を繊細に表現しています。詩的な描...
感想・レビュー・書評
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2017年日本翻訳大賞
2017年本屋大賞翻訳小説部門2位
2015年ピューリッツァー賞
2015年アンドリュー・カーネギー賞
2015年アレックス賞(米国図書館協会)
2014年全米図書賞
悲惨な第二次世界大戦中の物語でありながら、作品全体にはどこか静かで美しく、優しい印象が流れている。
とにかく長く、なくてもよさそうな描写や、詩的で理解しづらい文章も多いのに、読み進めるほどじわじわと心に染み込んできて、読後には大きな衝撃がずしんと残る壮大な物語。
ところどころ、胸をぎゅっと締めつけられるような苦しさを感じた。
物語としてはもっとドラマティックに盛り上がるように演出ができそうなのに、肝心の場面で会話が少なかったりして物足りない気もする。
しかし過剰にエンタメに寄らず、誠実で重みのある表現がまたこの作品のいいところなのだ思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すばらしい小説だと、多くの書評から知ってはいたが、積読していた本書を読むきっかけになったのは、Netflixでのドラマ化であった。
一刻も早くドラマを見たい!
小説を読んでから映像を見るか、
映像を見てから小説を読むか?
私は前者が好きなのです!
なので、とうとう読みました。
で、予想を裏切らない傑作でした。アンソニー・ドーアはこんな懐の深い小説を書く人なのですね。「シェル・コレクター」も読まなければ!
1994年のある日と、そこに至るまでの数年前が交互に描かれる構成と、マリー・ロールとヴァルナーの視点が交互に描かれる構成が巧みで、まるでパズルが解かれていくような面白さ。
そして、2人の視点に、もう1人の視点が加わり、錯綜していく。その構成が延々と続くかにみえるのだが、ヴェルナーが不毛な営みだと絶望していたささやかな生の営みの美しさに気づいた時、ヴェルナーが関わった全ての人間の視点が一つになる瞬間が来る。
この瞬間に痺れた。
さて、Netflixを今から見ます! -
ナチスドイツの技術兵となった少年と、パリの博物館に勤める父のもとで育った目の見えない少女をラジオがつなぐ。戦時下のフランス、サン・マロで交差する二人、つかの間の邂逅。
マネック夫人の気骨。エティエンヌの愛情。ヴェルナーの迷いと決断に至るまで。ユッタに襲いかかる暴力。父親を待ち続けるマリー。
ずっと気になりつつ、なんとなく、読めずにいたのだが、、読んでよかったとおもう。
アメリカ人である作者がなぜという疑問があったのだが、訳者あとがきに、この物語を書くことになった経緯が書かれている。
フレデリックが、キセキレイを見て、ヴェルナーに話す場面が印象に残っている。
”たいした鳥に見えないだろ。せいぜい五十グラムちょっとの、羽毛と骨の塊だ。でも、あの鳥はアフリカまで飛んで戻ってくる。虫と、ミミズと、欲望に動かされて”
“千年前。あの鳥は何百万羽もここを通っていった。この場所が庭だったとき、端から端まで果てしないひとつの庭園だったとき”
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一九四四年八月七日、フランスを開放すべくアメリカによる空爆が始まったサン・マロの市街に、十六歳の少女マリー=ロールと、十八歳の少年ヴェルナーはいた。
少女はドイツ占領軍に対する抵抗活動に参加しており、少年は無線を傍受してレジスタンスを摘発する技術兵として赴いている。二人は相容れぬ敵国民同士なのだ。
燃え落ちる街の中で二人の運命が一瞬交錯する緊迫の五日間が、六つの章にて語られる。
そして各章の合間に、一九三四年から始まる少女と少年がそれぞれに過ごした十年間が挟み込まれてゆく。
時代に翻弄されながらそれぞれが辿ってきた年月が少しずつ明かされてゆき、冒頭でのサン・マロの一日へと至るという本書の緻密な構成と、濃密なエピソードの積み重ねは、二人の短い邂逅に対して、しっかりとした奥行きを与えている。
“戦場の奇跡”といった浮ついた言葉では、少年の覚悟と少女の決意を言い表わすことはできない。彼らには悔やみきれない思いがあり、受け継いだ果たすべき思いがある。
読み手としてその思いに向き合ってきたことで、二人が出会うことも、その行動の気高さも、深く実感を持って受け止めることができるのだろう。
国家が掲げる正義や優生思想、勝者と敗者が入れ替わった後の悲惨な報復、戦地における女性への凌辱など、第二次世界大戦から現在進行形で続く、悲惨な出来事も描かれる。
だが、ドーアの作品からはいつも、悲惨さのなかでも無垢な希望を感じることができる。
それは、センス・オブ・ワンダーと呼ぶことができるんじゃないだろうか。
たった50gの小鳥が、アフリカからヨーロッパへと季節ごとに渡ってくること。
小さな軟体動物が、信じられないほど精巧で美しい貝殻を造り上げること。
ラジオ波が、静かな夜には遠く地球の裏側からでも、音楽を、声を届けられること。決して会うこともない人の声をだ。
目を向けさえすれば、世界は驚きと奇跡に満ち溢れている。
そのことに気づける人は、心の中に善きものへの指向性が、大人になっても損なわれずに備わっているのではないだろうか。
無垢で純真なるものへの過剰な信仰と笑われるかもしれない。
でも、少なくともドーアは確信をもっているように思う。
21世紀という暗い時代に、悲惨さから目を背けずに、衒いなく希望の物語を書くことはとても困難なことだろう。
ドーアは人類の未来に対して、希望を失わない。
自然科学に接するときの謙虚さや、自然の中に美しさを見いだす感覚は、己れが知ることがすべてではないことを教えてくれる。
そして、知覚することのできない世界が存在することを夢見る想像力と、地球規模の生命の営みの中では人類は生態系のピースにすぎないというやさしい眼差しを育んでくれるだろう。
“きみの家のストーブで赤く光るひとかけらを考えてみよう。それが見えるかな?その石炭の塊は、かつては緑色の植物、シダかアシだった。百万年前か二百万年前、ひょっとすると一億年も前に生きていたのだよ。一億年なんて、きみには想像できるだろうか?その植物が生きているあいだ、毎年夏になると、その葉は日光をとらえて、太陽のエネルギーを自身に変えた。そして今、あの日光、一億年前の日光が、今夜はきみの家を暖めている”
“彼女は思う。一時間が過ぎるごとに、戦争の記憶を持つだれかが、世界から落ちて消えていく。わたしたちは、草になってまた立ち上がる。花になって。歌になって” -
第二次大戦時、ドイツの占領下にあったフランスのサン・マロ。目の見えない少女とナチスの技術兵となった孤児の少年。空爆の夜、瓦礫に閉じ込められた少年は、何とか聞こえるようにした無線機から、少女の声を耳にする。二人の短い邂逅と分かつ運命。時代に翻弄されながらも、何とか生き延びようとする人々に、心打たれる物語でした。
「数学的に言えば、光はすべて目に見えない」という言葉にはっとっせられます。人類が見えている世界なんて、本当はごく一部んなんだと。そんな小さい世界で、いまだに、傲慢に、殺し合いを続けている。かの有名なキツネ君も「大切なものは、目に見えない」なんて言っていたなぁ。この物語の二人には、それが見えていたのだろう。 -
滅多にない…「本物」に出会えた。
多分、今年最高の一冊だと思う。
「すべての見えない光」とは何か…
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盲目の少女とナチスドイツの少年兵。
パリに暮らす少女、マリーとドイツの孤児院で暮らすヴェルナー。
深夜、「教授」の語る「世界の真理」についての放送が始まる。。。ラジオの周波が言葉を運ぶ。
それは、戦争という狂気の中で唯一の光。
マリーとヴェルナーを結ぶ奇跡の糸。
戦況は益々、絶望的な色を増しナチスの降伏が近づく中、サン・マロの街は米軍の激しい砲火で崩れてゆく…盲目のマリーはそれでもマイクの前で朗読をする…行方の知れない父と叔父に話しかける…
瓦礫と血と炎と暗闇…戦争のもたらすあらゆる業火の中で…ヴェルナーは合わせた短波から、懐かしいあの曲を聴く…ドビュッシーの「月の光」…
そして、かつて「教授」の語りに耳を傾けていた同じ短波からの少女の声が、、、ヴェルナーに再び「生きる力」を呼び覚ます…
彼女は誰なのか?
あのラジオはどこにあるのか?
真実とはなんなのか?
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「戦争」という狂気の中で、やがて出会う2人の奇跡…
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「すべての見えない光」こそ「本当の光」…
大切なものは…「見えない光」なのだと。
ラジオから流れる2人を繋いだ糸も、見えない光だった。そして、それは「希望」であり「倫理」であり「愛」であり…「未来」であり…「世界の真理」だった。
今の時代はどうだろう。
見えない光が溢れている…
カラフルな映像を毎日送り出すTV
いつでも誰とでも繋がるSNS
現実なのか、非現実なのか戸惑うほどのリアルなゲーム…そこには、世界中、どこにいても繋がる友人がいる…会ったこともない人々…
情報は次々と物凄いスピードで現れては消えてゆく。山となって、すぐに灰となる…溢れる言葉達。
マリーとヴェルナーを繋いだ「見えない光」にあった「生きるための輝き」は、、、まだあるのだろうか?
今、私の周りに渦巻く「見えない光」は…本当の光を放つ「見えない何か」は、もっと注意深く観察しないと見つからないのかもしれない。
それでも、探したい…と思う。
そして、そんな「見えない光」は、それほど沢山…山になってすぐに灰となるほどには多くない…そんな気がしている。
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余談だが、Netflixでの映像作品も見てみた。
だいぶストーリーは脚色されていて、もはや原作の形は無い…ただ…原作の「こうあったら良かったのに」
という部分が美しく描かれていた。救いになる部分だと思う。ヴェルナーを演じたドイツの俳優は、「ヒトラーの忘れ物」という他の作品にも出演しており、その作品では男優賞を受賞している。。。その役どころが、この「すべての見えない光」のヴェルナーとの関連性があり…また同じナチスドイツの若い兵士役ということもあり、歴史を知る…という意味でも興味深いと思った。とても素晴らしい俳優さんだと思う。
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Twitterなどで流れてくる本書の感想に、ときどき「読み終わるのが惜しい」という言葉を見たが、たしかに読み終えるのが惜しい、けれど読み進められずにはいられない本だった。
「物語の力」という言葉はよく聞くけれど、これこそがその力なのだろう。
父親や周囲の大人たちに深く愛され、盲目ながら世の中というものを信頼しているフランス人の少女。両親に先立たたれ貧しい孤児院に身を寄せながら、同じく院の先生と妹からの愛をよりどころに、厳しい軍事訓練を耐えて前線に出るドイツの少年。
彼らにはどうしようもないところで誰かが始めた戦争が、じりじりとそれぞれの生活を侵食していく。
接点などないはずの二人が、いつどうやって出会うことになるのか、そこまでの道のりを、私たちは時に息をのみ、小さな喜びにほほえみ、そして涙しながら一緒にたどる。
ページをめくるだけの私の指先にも、盲目のマリー・ロールが感知するにおいを、感触を、空気の動きを察知させるその文章の見事さよ。
彼女を疎開先で受け入れるマダムが素敵だ。物資の少ない戦時下で手に入るもので美味しい何かをこしらえては、近所の弱った人たちに配り歩く。不安に震えるマリー・ロールの顔を温かな両手ではさみこむ。想像の中で、昔むかし私が下宿していたリスボンの大家さんが彼女の姿に重なる。
戦場ゆえのつらくむごい場面も容赦ない描写で私たちに見せるし、決して大団円のストーリーでもない。それでも温かなものが胸に深く残るのは、人の善意のうつくしさと尊さをゆるぎなく伝えているからに違いない。 -
「エティエンヌ、知っていますかね」マネック夫人は台所の反対側から言う。
「沸いているお湯にカエルを入れたらどうなるか」
「答えを教えてもらえるわけだな」
「カエルは飛びでてくるんですよ。だけど、冷たい水の鍋にカエルを入れて、ゆっくりと沸かしていったらどうなるか知っていますか?そのときどうなるか?」
マリー=ロールは待つ。ジャガイモから湯気が出る。
マネック夫人は言う。「カエルは煮えるんですよ」 -
先に読んだ短篇集『記憶に残っていること』で初めてアンソニー・ドーアという作家の存在を知った。記憶に誤りがなければ、自然に対する畏敬のようなものを感じさせる作品を書く作家との印象を持ったが、それから間もなく彼が書いた本書のレビューの評価が高いことを知り読み始めた。
盲目の少女が戦時下をどのようにして生き抜くのか、最初の数ページでは不安で重苦しいストーリー展開を想像したが、全くの杞憂。周囲の大人達の愛情溢れる暖かい支えに、五感を使って前向きで好奇心旺盛な少女へと成長していく過程は、少女の将来を思い描かさせてくれる。
対称的にドイツの少年兵は、戦争が大義名分のため人間を変えていく世界を生きる。選民思想の危うさや、人間が潜在的に持っているだろう自己保身のための弱い者いじめなど、人間の負の本質をついているゾットする表現もあり、後に少年兵の妹ユッタが当時のドイツの人々の感情を代表して描かれたところも興味深かった。
ただ私自身、第二次世界大戦下のフィクションである本作に、作者は何処まで事実に基づいて表現しているのか、という点を気にしながら読み続けてしまった。読み終えた直後、向井和美氏著『読書会という幸福』のあとがきだったか、『テヘランでロリータを読む』の一節を引用する形で「どんなことがあっても、フィクションを現実の複製と見なすようなまねをしてフィクションを貶めてはならない。私たちがフィクションの中に求めるのは現実ではなくむしろ真実があらわになる瞬間である」そう、これこそが文学の力だ。… というくだりにハッとした。今後も肝に銘じ読書しなければと痛感した。
ともあれ、著者の詩情豊かで印象派の作品を想い起こさせるような文章や、ラジオを通して少女と少年兵が一瞬邂逅する演出のための巧みな構成、涙が出るほど美しい光の世界を感じさせる表現に、深く心揺さぶられた。第二次世界大戦下という悲惨な時代背景の物語だが、絶望的なものにしない。 本書はあらゆる人にお勧めしたい本です。
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第二次世界大戦末期のお話。ドイツ少年兵のヴェルナーとフランスの少女マリーが戦争に翻弄され家族と離れても必死に生きていく話。物語終盤で、生き残った人達の邂逅も描かれています。
本も分厚かったけど、その厚さにふさわしい大河ドラマでした。戦争は何というか、戦争しようと思った人だけが人に迷惑をかけない場所と規模で勝手にやるべきで、その他の未来ある若者や一般市民を巻き込むべきでないと痛切に思いました。
読後感が切なすぎて、この本を手元に置いておくかどうか迷う。でも何年かしたらまた読みたくなるかもしれません。 -
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悲惨な戦禍の中にありながら
ラジオがつないだわずか一瞬のラブストーリー
光は見えないけれども
そこにはたしかに光があった
目の見えないマリー=ロールが
人の心情やモノを自分なりに描写する表現がおもしろい
文章が淡々としたところと豊かに描かれてるところのメリハリが効いていて好き
表紙のキャパの写真が美しい
こんなイメージの大切な作品 -
ナチスによる侵略が始まり、パリを離れ、父親と共にサン・マロの叔父エティエンヌの家に逃げてきた盲目の少女マリー=ロール。
父親は、勤めていた博物館から、『炎の海』という伝説の石を隠し持たされていた。それが本物であるのか、ダミーであるのかも知らされていない。
ドイツ、ツォルフェアイン。妹と共に孤児院で育った少年ヴェルナーは、父親を炭鉱の事故で亡くしている。
この町にいる限り貧しい家の男の子はみな、大人になったら炭鉱ではたらくことになるだろう。
でも、ヴェルナーには才能があった。
フランスとドイツ、彼らを繋いだのはラジオ。
物語は、1944年の夏と
彼らがまだ子どもだった1934年、ヴェルナーが国歌政治教育学校に入り、マリー=ロールがパリを逃れた1940年、それらの年代を行き来しながら進んでいく。
悲しい描写を避けるとして、私が心打たれたのはサン・マロの叔父エティエンヌの存在。彼は先の戦争の後精神を病み、家から1歩も出られない。街の人からは狂人扱いされている。
でも、一番まともな神経を持ち合わせ、マリーを愛を持って迎え入れた人だった。マリーに音楽や本を与え、父親がパリへ発った後も彼女の保護者として守ってくれた。
そのエティエンヌの世話をする家政婦マネック夫人も素晴らしい人!
彼女と街の女たちの行動力には本当に励まされ、夢を見させてもらいました。「奴ら(ドイツ人ども)の世界を動かしているのは私らだよ」といって、女たちで何かしようと企む。そしてそれは本当に小さなことから危険なラジオの暗号放送まで、《老婦人レジスタンス団》により、実行に移されたのです。
その最初の1歩が、本当に洒落ていた。5フラン紙幣に〈今こそ自由フランスを〉と書く。それを使うことで、ささやかなメッセージが、ブルターニュ中に広がると。
不思議な石の力のせいなのか、運命は引き寄せられていきます。
暗い影も。ドイツ人上級曹長フォン・ルンペルは、『炎の海』を探している。
ヴェルナーの妹の正義、マリーを励ましたたジュール・ヴェルヌの本、『海底二万里』盲目の娘への父の愛。鍵。
どれも詩のようでした。
ヴェルナーの忘れられないことば、
「もう何年も生きていない。でも、今日は違う。今日はそうした(自分の人生を生きた)かもしれない」
作者のアンソニー・ドーアはアメリカ人。サン・マロを訪れたときに、この町がアメリカ軍の爆撃で破壊されたことを知り、この町を舞台に小説を書くことになったようです。
アメリカの目を通して描かれたことがこの物語を公平にしている、つまり、ドイツ人もフランス人もユダヤ人も同じ心を持った人間だということを描いているけれど…
ロシア人の描き方だけは否定的だったように私には写りました。皮肉なことです。
今この小説をよむのはかなりつらかったですが、私もヴェルヌを読みたくなりましたし、
サン・マロのおばちゃんたちみたいに、私にも何かできることないかしらと、考えました。
日本版の装幀が素敵ですが、戦争写真家のロバート・キャパの写真だというのは、もちろん偶然ではないですよね…。
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短編小説が積み重なったように綴られる、静かな物語である。
物語の主な舞台は第二次大戦下のフランスの港町、サン・マロ。
戦火で壊滅状態になった街にわずかに残った建物の屋根裏で、盲目の少女が息を潜めている。パリから逃れてきた彼女は、今、ひとりぼっちだった。階下に侵入者がやってくる音がする。見つかったら命はない。
一方、別の建物、<蜂のホテル>の地下室には、生き埋めになった若いドイツ軍兵士がいた。年若いが利発な彼は、機械を扱う能力を買われ、国家政治教育学校から軍に送られていた。孤児としては異例の「出世」だった。爆撃のために仲間と閉じ込められ、出口は見つからない。このまま飢え死にするのを待つしかないのか。
およそ異なる境遇の2人の間に、無線の音声が行き交う。その発信器は、奇しくも、遥か以前から、少女と兵士をつないでいたものだった。
物語をつなぐもう1つのものは、「炎の海」と呼ばれるダイヤモンドである。海のように鮮やかな青だが、中心がわずかに赤味を帯び、しずくに炎を宿したように見える。その宝石には不思議な伝説があった。宝石を手にする者は永遠に生きるが、それを持っている限り、持ち主の身近な人々の身には禍が訪れる。博物館に静かに眠る貴石は、戦禍を逃れることが出来るのか。
少女と兵士の過去・現在と物語は行きつ戻りつし、あるいはパリに、あるいはドイツの炭坑地に、あるいはまたサン・マロにと飛ぶ。ときには彼女の、ときには彼の小さなエピソードは、それ自体が短編小説のようでもあり、詩のようでもある。
優しい父、生真面目な妹、博物館の職員、孤児院の先生、先の大戦で心を病んだ大叔父、癌に体を蝕まれ宝石を追う将校、レジスタンス活動に身を捧げる市民、鳥を愛する心優しい少年、脂ぎった香料商、ラジオから流れる謎の「先生」の声。
少女と兵士に関わるさまざまな登場人物が物語を紡いでいく。
大半が現在形で書かれた物語は、戦争の破壊をさえ静謐に描き、深い郷愁を誘い、悲しみを湛える。
少女と兵士はサン・マロで出会うことができるのか。
すべてが過ぎ去り、記憶を持つ者もいずれ消える。
けれどどこかに、その気配は残る。
美しい、静かな強い物語である。 -
「ヴェルナー、きみの問題はさ」とフレデリックは言う。「きみがまだ自分の人生を信じていることなんだ」
自分のままではいられない、誰もが怯えて「何か」にならなければならなかった時代のある場所で起こる、とんでもなく回り道をした先の、一瞬の邂逅と、その後の話。戦後のドイツ人が、欧州でどんな風に息を潜めて暮らさなければならなかったのか、この本を読んで初めてそのことに思い至った。誰もが無傷では済まないが、それでも時代は続くのだなと感じる。感動作、とはとても言えないが、読み返す度に味わえる箇所は増えていくようにも思える。
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ストーリーとしてはありふれた域を出ていない気がするし、果たして宝石は必要だったのかと思わないでもない。
ではあるが、科学に深い興味を抱くドイツの孤児の少年ヴェルナーとフランスの盲目の少女マリー=ロールが、戦争の苛酷な潮流に翻弄される境遇を断片を積み重ねるかのような手法で追い、やがてドイツ占領下のフランス、サン・マロの町でのほんの束の間の交感に収斂させる展開には脱帽。
対象と距離を置いた叙述は気安い共感や同情を抑制させるが、それでもヴェルナーとユッタの兄妹には視界が滲んだし、静かに胸に打ち寄せてくる。
細部への行き届いた描写、鳥や貝、小さな生き物達への眼差し、草花、風や光、海辺の町やドイツの寒々しい鉱山町、その空気感が素晴らしい。
何というか、映像的、映画的な小説に感じられた。 -
ドイツ人の少年兵ヴェルナーと、目の見えないフランス人少女・マリー=ロール。第二次世界大戦の只中、日常が激流に流されていく荒れ狂った日々の果てに、ふたりはたった一瞬だけ、かけがえのない邂逅を果たす。
そのほんのわずかな出逢いと別れまでは、戦争がもたらした無慈悲な日々が淡々と連綿とつづられていく。少年兵の訓練学校では苛烈な苛めが、ドイツの占領下のパリの街では迫りくる戦火と隣人の密告におびえる日々が。戦況の変化によりそれぞれの環境もみるみる変化していき、戦争がもたらす悲惨を兵隊や市政の人々の細やかな様子により抉り出していく。
その辛さとともに、温かな人々のやり取りも描かれる。戦争を起こして悲痛を呼び起こすのが人ならば、その状況に苦しむ人を救うのもまた人でしかない。少女の眼の代わりとなり尽くしつづけた父親、彼女を匿う気丈な夫人、ひきこもってしまったやさしい叔父。少年兵には、心のよすがとなりつづけた妹、共に戦の道程を歩むことになる巨体の戦友、訓練校で体と心を壊された鳥を愛する少年。彼らのたどる運命には悲痛も伴うけれども、存在は確かに温かく、言葉は台詞となって読み手の心に残り、物語の重さを和らげてくれた。
物語の構成そのものは、まるで父親の作る家の模型のように緻密で計算されつくしていて、ミステリ的な要素を備えている。謎めいた伝説を持つ宝石の存在、時代を前後させて綴られることでなかなかわからない「現在の彼ら」の置かれている状況に、物語の先を、真実を早く知りたいという思いを嫌にでも加速させてくれる。
詩的な比喩がちりばめられた文章は、センテンスそのものが短いので意外と読みやすいし、書き留めたいほどの美しい表現も多い。とはいってもこの長大なボリュームは気軽に読み切れるとはいえず、なにより戦争の話だから親しみやすいとも言えない。
それでもなお、戦争がやまない現代において、戦争の愚かしさと悲惨さを静かに確実に語ったこの物語は、広く読まれて欲しいと思う。誰しもこの話を読めば、「この少年と少女は時代を違えて生きていれば、戦争が無い世の中に出会えていたら」と願わずにいられないからだ。その願いこそが、戦争を押しとどめる、ほんの小さな、けれど大切なひとかけらになると、思いたいからだ。 -
静かな余韻を残す。
見えない「光」を巡る2人の物語。
通信技術を評価されてドイツ兵になる少年ヴェルナー、視力を失っても好奇心旺盛で勇敢なマドモアゼル マリー=ロール。ドイツの攻撃で落ちる間際のフランスの地で、その2人がほんの数時間出会う奇跡。
ヴェルナーやマリー=ロールを支える人々もいい。マネックス夫人、マリー=ロールのお父さん、ティエンヌ、エレナ先生。。。
再読したい良書。 -
この小説を要約するのはちょっと難しい。炭坑の孤児が蜘蛛の糸をたぐるように這い上がっていく成長譚であり、呪われた宝石をめぐるサスペンスであり、大戦下の空を飛び交う電波が結びつける、奇跡のボーイ・ミーツ・ガール小説でもあり…。ごく短い章立ての一篇一篇がさまざまな彩りに輝いて、複雑な構造色を造りあげている。まるで物語に象徴的に登場する貝殻や鳥の羽根のように。巨大な物語に目を凝らせば、そこには微細なポエジーが息づいている。それは、歴史が、微視的には個々の人生によって駆動しているのとよく似ているかもしれない。現在進行形で織りなされる「歴史」を目の当たりにしながら、そんなことを思う。
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アンソニー・ドーアの作品
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