マザリング・サンデー (新潮クレスト・ブックス)

制作 : 真野 泰 
  • 新潮社
3.81
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本棚登録 : 139
レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901455

作品紹介・あらすじ

あの秘密の裏道を通って、わたしは本当の人生を漕ぎはじめる。一九二四年春、メイドに許された年に一度の里帰りの日曜日(マザリング・サンデー)に、ジェーンは生涯忘れられない悦びと喪失を味わう。孤児院で育ち、帰る家のない彼女は、自転車を漕いで屋敷を離れ、人目を憚らず恋人に逢い、書斎で好きなだけ本を読む。そこに悲報が――。のちに著名な小説家となった彼女の、人生を一変させた美しき日をブッカー賞作家が熟練の筆で描く。

感想・レビュー・書評

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  • 小説を読んで久しぶりに主人公に対して「私が彼女で彼女が私で」というような錯誤的な酩酊感を味わいました。
    幸せな時間でした。

    まるで読んでいる自分が体験したような‘特別な一日’。

    美しい言葉で綴られた、あるメイドの休日。
    彼女の人生を決定づけた出来事の連なり。
    ひとつひとつの瞬間が光に満ちているかのよう。
    たくさんの記憶の中でその一日は光をたたえながらも、彼女が死ぬまでずっと抱えているのだろう。誰にも語らずに。

    人ってそういうもので出来てるのかもしれない。

  • なんとも奇妙で美しい小説。セックス、死、ものを読むこと書くこと、自由、階級…、さまざまなピースがちりばめられて、ちょっと他にない雰囲気を醸し出している。何と言ってもすばらしいのが、どの書評でも言及されている場面だ。よそのお屋敷の中を裸で歩き回るメイド。まったく度肝を抜かれる。緊張感をはらみつつ、ゆったり描かれるこの場面の意味が、読了後じわじわとしみてきた。

    蓄積された富を見せつけながら、過去のものとして埋もれていきつつある邸宅。その中を何も身につけず歩くメイドは、まさにその通りの者だ。孤児院から奉公へ。何も持たない彼女が、実は、若い体と明晰な頭脳という、この後の時代を生き抜く強力な武器を持っている。まったく鮮やかな対比だが、まあ、そういう理屈抜きに、この場面には魅了される。

    翻訳の文章には、シャープさとともに、馥郁たる陶酔感がある。おそらく原作の雰囲気もこうなのではないかと思わせられて、とても良かった。

  • 一九二四年のマザリング・サンデー、三月三十日は六月のような陽気だった。マザリング・サンデー(母を訪う日曜)は、日本でいう藪入り。この日、住み込みの奉公人は実家に帰ることを許される。そのために雇い主の家では昼食をどこかでとることが必要となる。料理をする者が暇を取るからだ。ニヴン家のメイドであるジェーン・フェアチャイルドは孤児院育ちで帰る家がなかった。ジェーンはニヴン氏にお許しをもらって家にとどまり、外のベンチで本を読もうと思っていた。

    そこに電話がかかってくる。相手はポール・シェリンガム。ご近所に住むシェリンガム家の一人息子で、もうすぐ結婚が決まっているが、七年前からジェーンとこっそりつきあっている。エマ・ホプディと結婚すれば、二人は二度と会えなくなる。両親も使用人もいなくなるこの日が二人で過ごせる最後の一日だった。ポールはジェーンに家に来るよう誘った。ジェーンは主人の手前、間違い電話の振りをしながら同意の由を伝えた。

    誰もいない家の中、ことが済んで裸のままの二人がベッドの上で煙草を吸っている。男は二十三歳、女は二十二歳だ。今日もこの後、婚約者と会うことになっている男の悠揚迫らぬ態度を見ながら女は考える。その間、男は時間をかけて服を一つ一つ身に着けてゆく。まるで結婚式にでも行くような正装だ。それを見ながら女は、裸のままでベッドに寝そべり、男の結婚相手のことを考えている。男は女に服を着るよう命じもしないし、自分も急がない。

    三月なのに六月のような好天の日曜の午後、開け放たれた窓からは日が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえている。着替えを終えた男は、彼女一人を残し、車で出てゆく。残された女は、裸のままで屋敷の中を探検する。今日一日だけは何をしても許される、それが彼の最後の贈り物のように思えたからだ。

    不思議な小説である。性体験はすでにある二十二歳の女性の目で見たことが語られるのだが、言葉があけすけで、慎み深さが感じられない。普通ならいくら男女の間であっても、メイドと他家のお坊ちゃんだ。言葉遣いや態度にそれらしい関係が出るはずではないか。話が進むにつれ謎が解けてくる。実は話者は小説家で、今読者が読んでいるのは、その小説なのだ。

    小説家ジェーン・フェアチャイルドは九十歳になっている。インタビューでは、いつ小説家になったのか、と必ず聞かれる。そのひとつが、この日だった。この特別な日、彼女の胸に湧き起こった、自分の人生が始まったという自由の感覚だ。それは家の探検を終え、服を着て玄関の扉に鍵をかけ、言われた場所に鍵をかくして自転車で走り出した時に感じた。自分の人生は終わったのでなく今始まったばかりだ、という感覚だ。年に一度の休暇はまだ残っている。どちらに自転車を走らせるか、ジェーンは迷う。

    まだ運命の出来事は起きていない。小説家は、インタビューに答えるように、自分の過去を語りはじめる。孤児院で育ち、十四歳で奉公に出た。読み書きができ、計算もできる彼女は雇い主に重用され、図書室の本を読む許可も貰う。冒険小説が好きだった。やがて、スティーヴンソンの『宝島』その他の小説を経て、この日はコンラッドを読んでいた。『闇の奥』ではない。『青春』だった。

    不思議な小説である。老作家の考える小説論が、書きかけの小説の中に混じり、後に結婚し、早くに死に別れた夫との思い出話が挿入される。言葉に敏感な娘だった時代のある種の言葉に対する違和感が語られる。「それにしても、へんてこりんなことばだ、『ズボン(トラウザーズ)』って」。<trousers>のどこがおかしいのか、このあたり、訳注があってもいいと思う。少なくとも自分は知りたいと思う。

    ミステリではないし、途中でジェーン自身も明かしてしまうから書くが、この日ポールは事故を起こして死んでしまう。婚約者との待ち合わせに遅れているので、裏道を飛ばし、曲がりくねった細道で木に衝突したのだ。ただの事故なのかもしれない。しかし、ニヴン氏はシェリンガム邸に出向いて、何か書いた物が残っていなかったかメイドに尋ねている。一日のうちに自分に起きた自由の感覚と大きな喪失感。人生というものの謎めいてはかり難いことへの衝撃が一人の作家を生んだのかもしれない。

    ある日の一日限りの出来事の記憶の想起と、想像力豊かな作家のそれに対する自己の批評を絡み合わせ、なおかつ第一次世界大戦の少し前、一九〇一年生まれらしい孤児が老作家になるまでの人生を撚り合わせるという凝りに凝った中篇小説である。読後心に残るものの豊饒さと静謐な印象に圧倒される。

  • 舞台は1924年。大戦と大戦の間のイギリスのお屋敷である。
    19世紀ほど階級社会がかっちりしてはおらず、さりとてまったく身分の差が消え去ったわけでもない。そんな中でのお屋敷の「坊ちゃん」と、別のお屋敷のメイドの秘められた情事の物語である。
    そう聞くと安っぽい三文小説のようでもあるが、この中篇小説が見せる世界は驚くほど濃密で深く、五感を揺さぶる。あふれかえる光、むっとした暑さ、むせかえりそうな蘭の香り、しんとした館に響く振り子時計。
    メイドの視点から語られる物語は、読者をメイドの身体のなかへと誘う。

    マザリング・サンデーとは、かつて、メイドに許されていた年に一度の里帰りの日を言う。母(mother)と会う日、その日ばかりは、ご主人から1日、休暇をいただき、花や菓子を持って家に帰る。母は、滅多にない休みをもらった愛娘を精一杯のごちそうでねぎらう。
    だが、この物語の主役の彼女には母はなかった。「ジェイン」という名すら、仮のものだった。赤子の彼女は、孤児院の前に置き去りにされていたのだった。だから彼女には帰る家はなかった。
    どう過ごすか、迷っていた彼女だが、7年来の仲である「坊ちゃま」からお誘いの電話が来る。両親も召使も留守で、彼はお屋敷に1人きりだった。
    3月とは思えないほどの陽気の中、彼女は自転車を漕いで、彼のお屋敷に向かう。
    その日がどんな1日になるか、知ることもなく。

    彼は2週後に別のお屋敷のお嬢様と結婚することになっていた。
    おそらくは最後のあいびきとなる束の間の逢瀬の後、2人は別れる。
    その日を境に、彼は破滅へと向かい、彼女は二本の足で力強く進み続ける。
    あるいはそれは20世紀という時代がもたらした、没落貴族の敗北であり、中産階級の勃興であったのかもしれない。彼は負け戦とわかった闘いに臨むには、あまりにプライドが高すぎ、あまりに脆弱でありすぎたのかもしれない。だが、いずれにしろ、彼が破滅を選んだ理由を彼女は知らず、著者も示さない。
    彼女が(あるいは著者が)幕切れに語るように、「人生にはどうしても説明のつかないことが多くある」ものだから。

    その日、孤児の彼女には訪れるべき母がなかった。
    その日、彼と彼女の情事は、終わりを告げるはずだった。
    その日、彼女は素裸で、初めて訪れた館のあちらこちらを歩き回った。
    その日、彼女はその後に出会う怖ろしい悲劇を知らなかった。
    そうしてその日、彼女の中に目覚めたものは、メイドや孤児というレッテルとは無縁の、「自我」であったのだろう。

    彼女の語りは、メイドであった過去、書店員となったその後、作家となったさらにその後と行き来し、縦横無尽に自由な翼で飛んでいるようにも見える。
    しかし、これは非常に注意深く精緻に紡がれた織物のような作品である。
    彼女というメイドの視線から見えるものは、彼女の人生ばかりではなく、人生というもの、そのものなのかもしれない。

    濃密な言葉の海に酔う。

  • これほどまでに衝撃的でなくても人生を決定的に変えてしまう一日って、誰にでもあるような気がします。

    主人公が物書きとして歩み始める十分な素地と理由が緻密にゆっくりと描き出されており、しみじみと味わい深い人生です。
    言葉を得ること、知識を得ること、深く愛するけど多くは求めないこと、決して人には語らない語る必要もない人生の秘密を抱えて生きるということ。様々なことを考えさせられる名作です。

  • 裸族としては、コンラッドを読まねばならんなと思った次第。
    <オックスフォード>期、斜にかまえた感じがよき。主人公の虚勢はってる部分と老練ぷりの混在がストンときて、中編でも充足感ある。

  • 愛というのは線ではなく点だ(と私は思う)、とぼんやり頭にあったのがはっきり言葉になったのは、アリス・マンローの「クマが山を越えてきた」を読んだ時だった。
    同様に、青春というのも一定期間繋がった線ではなくて点なのではないかと今作を読んで思った。
    そしてもしそうなのであれば、ジェーンにとっての青春は1924年のマザリング・サンデー、その一日なのだろう。
    静かで、豊かで、皮肉で、とても美しい物語。
    また文章の見事なこと!
    「むかしむかし、男の子たちが戦死する前、まだ自動車よりも馬の方が多かった時代、つまり男の使用人たちが姿を消し、アプリィ邸もビーチウッド邸も、料理番一人とメイド一人で間に合わすことを余儀なくされるより前のこと、シェリンガム家は邸内の馬屋につなぐ四頭の馬ばかりか、これぞ本物の馬といいたくなる競走馬、サラブレッドも一頭所有していた。」
    完璧なでだし。
    大好き。

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