マザリング・サンデー (新潮クレスト・ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901455

作品紹介・あらすじ

あの秘密の裏道を通って、わたしは本当の人生を漕ぎはじめる。一九二四年春、メイドに許された年に一度の里帰りの日曜日(マザリング・サンデー)に、ジェーンは生涯忘れられない悦びと喪失を味わう。孤児院で育ち、帰る家のない彼女は、自転車を漕いで屋敷を離れ、人目を憚らず恋人に逢い、書斎で好きなだけ本を読む。そこに悲報が――。のちに著名な小説家となった彼女の、人生を一変させた美しき日をブッカー賞作家が熟練の筆で描く。

感想・レビュー・書評

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  • 「マザリング・サンデー」とは、イギリスのメイドに1年に一度許された里帰りのための休暇の日。本書は、孤児からメイドになったジェーンの、最後のマザリング・サンデーの一日を描いた物語である。

    物語は、ジェーンと、近所の「アプリィ家の坊ちゃま」、ポールとの情事後から始まる。22歳にジェーンが最後のマザリング・サンデーを迎えるまで、ポールとの関係は7年間続いた。
    家族や使用人が出払い、誰もいないアプリィ邸にジェーンは招待される。勝手口からしか入ったことのない邸宅に正面玄関から迎え入れられ、彼のベッドでひと時を過ごす。お互いに素っ裸でベッドに寝転がり、タバコを吸いながら天井を眺める。

    マザリング・サンデーの2週間後、ポールはお金持ちのお嬢様と結婚することになっている。二人の逢瀬はおそらくこれが最後になるだろう。
    ポールからは別れの言葉は何もない。ただ、この後婚約者との昼食のため、ホテルに向かわなければいけないことが告げられる。ぐずぐずと、しかし優雅に着替えた彼はジェーンを一人残し去っていく。

    本書では、ポールを眺めるジェーンの心の内が詳細に描かれる。彼女は深い哀しみを感じつつも、どこか冷静で客観的である。彼が起きてシャワーを浴び、着替えている間、彼女は一つ一つのしぐさや行為、目に入るものすべてを観察し、言葉に変換する。ジェーンは後に著名な作家となり、この日のことを思い返すが、彼女がなるべくして作家になったことがよくわかる描写である。

    彼が去った後、ジェーンは何も身にまとわないまま邸宅を一人歩き回る。この、ある意味傍若無人なふるまいは、ポールへの当てつけのようであり、彼女が誰にも縛られない自由を得た証しのようにも感じられる。

    ポールは浪費家のお坊ちゃまで、関係が続いていたら、頭の良いジェーンはいつか彼に飽きていたかもしれない。しかし、彼との永遠の別れの日になった22歳のマザリング・サンデーの一日は、彼女の中で哀しくも美しい思い出として心の中に残り続けることになった。

    人生の中で忘れがたい濃密な一日をリアルに、しかし美しく描いた小説。自分が死を意識した時に思い出すのはどんな一日なのか、ふと考えてしまった。

  • 小説を読んで久しぶりに主人公に対して「私が彼女で彼女が私で」というような錯誤的な酩酊感を味わいました。
    幸せな時間でした。

    まるで読んでいる自分が体験したような‘特別な一日’。

    美しい言葉で綴られた、あるメイドの休日。
    彼女の人生を決定づけた出来事の連なり。
    ひとつひとつの瞬間が光に満ちているかのよう。
    たくさんの記憶の中でその一日は光をたたえながらも、彼女が死ぬまでずっと抱えているのだろう。誰にも語らずに。

    人ってそういうもので出来てるのかもしれない。

  • 『帰らない日曜日』谷川俊太郎、YOU、LiLiCo、辛酸なめ子、山内マリコら、各界著名人よりコメント&イラストが到着! | anemo
    https://www.anemo.co.jp/movienews/newmovie/sunday_10-20220518/

    波 酒井順子「彼女が自由へと超越していく日」| 新潮社の電子書籍(2018年4月号掲載)
    https://ebook.shinchosha.co.jp/nami/201804_04/

    グレアム・スウィフト 真野 泰・訳『マザリング・サンデー』 | Bookworm | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト(2018年7月8日 有料会員記事)
    https://www.fsight.jp/articles/-/43929

    イラストレーター | MAYUMI TSUZUKI・都築まゆ美
    https://www.mayumi-tsuzuki.com/

    グレアム・スウィフト、真野泰/訳 『マザリング・サンデー』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/590145/

    • 5552さん
      猫丸さん

      山内マリコに酒井順子にトヨザキ社長!
      好きな書き手です!リンクありがとうございます!
      この小説、映画になったんですよね。...
      猫丸さん

      山内マリコに酒井順子にトヨザキ社長!
      好きな書き手です!リンクありがとうございます!
      この小説、映画になったんですよね。
      四年近く前に読んだにもかかわらず、強烈に印象に残っています。
      映画も評判良いようで、楽しみ、楽しみ♪
      2022/05/19
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      5552さん
      ジャケ買い必至の一冊なのに登録していなかった、、、
      映画を観たら読みたいです!
      5552さん
      ジャケ買い必至の一冊なのに登録していなかった、、、
      映画を観たら読みたいです!
      2022/05/20
  • キビキビとした文章が小気味よい。
    頭の回転が速く機転が利くメイドが、階級の違うご主人様たちをちょっと皮肉を込めて見ている話かと思いきや、これが違うのだ。
    “一筋縄ではいかない作家”と後に評されることとなるジェーンが、人生の中で特別な一日となるマザリング・サンデーをじっくりと味わい、新しく生まれた自分を見いだす様が描き出される。
    “お前を舞踏会へ行かせてあげよう”と本書の扉にあったのが、ああそうかと納得される。

    裸でベッドに並んでいた二人にも時が来て、方や自らの階級へと戻る儀式の如く、いささか古めかしくも思える正装を身につけて玄関扉を開けて出てゆく。
    方や身分を脱ぎ捨て、生まれたままの姿で他人のお屋敷の中を歩き回り、導かれるように図書室の扉を開けて足を踏み入れる。
    子供時代に『宝島』の冒険活劇を読んでも、方や本は書棚を飾る装飾にすぎなくなり、方や本は自分自身の冒険に漕ぎ出すための地図となる。

    メイドが一年の中でたった一日だけ職務から解放されるマザリング・サンデーに、二つの階級、二つの種族の運命は劇的に交錯する。
    古い階級に生まれた重圧を背負うもの。孤児として生まれ自らの未来を切り開くもの。

    “人生はこんなに残酷になることができ、けれどもそれと同時にこんなに恵み深くなることができるのか。” この言葉に全てがぎゅっと凝縮されている。

  • 一九二四年のマザリング・サンデー、三月三十日は六月のような陽気だった。マザリング・サンデー(母を訪う日曜)は、日本でいう藪入り。この日、住み込みの奉公人は実家に帰ることを許される。そのために雇い主の家では昼食をどこかでとることが必要となる。料理をする者が暇を取るからだ。ニヴン家のメイドであるジェーン・フェアチャイルドは孤児院育ちで帰る家がなかった。ジェーンはニヴン氏にお許しをもらって家にとどまり、外のベンチで本を読もうと思っていた。

    そこに電話がかかってくる。相手はポール・シェリンガム。ご近所に住むシェリンガム家の一人息子で、もうすぐ結婚が決まっているが、七年前からジェーンとこっそりつきあっている。エマ・ホプディと結婚すれば、二人は二度と会えなくなる。両親も使用人もいなくなるこの日が二人で過ごせる最後の一日だった。ポールはジェーンに家に来るよう誘った。ジェーンは主人の手前、間違い電話の振りをしながら同意の由を伝えた。

    誰もいない家の中、ことが済んで裸のままの二人がベッドの上で煙草を吸っている。男は二十三歳、女は二十二歳だ。今日もこの後、婚約者と会うことになっている男の悠揚迫らぬ態度を見ながら女は考える。その間、男は時間をかけて服を一つ一つ身に着けてゆく。まるで結婚式にでも行くような正装だ。それを見ながら女は、裸のままでベッドに寝そべり、男の結婚相手のことを考えている。男は女に服を着るよう命じもしないし、自分も急がない。

    三月なのに六月のような好天の日曜の午後、開け放たれた窓からは日が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえている。着替えを終えた男は、彼女一人を残し、車で出てゆく。残された女は、裸のままで屋敷の中を探検する。今日一日だけは何をしても許される、それが彼の最後の贈り物のように思えたからだ。

    不思議な小説である。性体験はすでにある二十二歳の女性の目で見たことが語られるのだが、言葉があけすけで、慎み深さが感じられない。普通ならいくら男女の間であっても、メイドと他家のお坊ちゃんだ。言葉遣いや態度にそれらしい関係が出るはずではないか。話が進むにつれ謎が解けてくる。実は話者は小説家で、今読者が読んでいるのは、その小説なのだ。

    小説家ジェーン・フェアチャイルドは九十歳になっている。インタビューでは、いつ小説家になったのか、と必ず聞かれる。そのひとつが、この日だった。この特別な日、彼女の胸に湧き起こった、自分の人生が始まったという自由の感覚だ。それは家の探検を終え、服を着て玄関の扉に鍵をかけ、言われた場所に鍵をかくして自転車で走り出した時に感じた。自分の人生は終わったのでなく今始まったばかりだ、という感覚だ。年に一度の休暇はまだ残っている。どちらに自転車を走らせるか、ジェーンは迷う。

    まだ運命の出来事は起きていない。小説家は、インタビューに答えるように、自分の過去を語りはじめる。孤児院で育ち、十四歳で奉公に出た。読み書きができ、計算もできる彼女は雇い主に重用され、図書室の本を読む許可も貰う。冒険小説が好きだった。やがて、スティーヴンソンの『宝島』その他の小説を経て、この日はコンラッドを読んでいた。『闇の奥』ではない。『青春』だった。

    不思議な小説である。老作家の考える小説論が、書きかけの小説の中に混じり、後に結婚し、早くに死に別れた夫との思い出話が挿入される。言葉に敏感な娘だった時代のある種の言葉に対する違和感が語られる。「それにしても、へんてこりんなことばだ、『ズボン(トラウザーズ)』って」。<trousers>のどこがおかしいのか、このあたり、訳注があってもいいと思う。少なくとも自分は知りたいと思う。

    ミステリではないし、途中でジェーン自身も明かしてしまうから書くが、この日ポールは事故を起こして死んでしまう。婚約者との待ち合わせに遅れているので、裏道を飛ばし、曲がりくねった細道で木に衝突したのだ。ただの事故なのかもしれない。しかし、ニヴン氏はシェリンガム邸に出向いて、何か書いた物が残っていなかったかメイドに尋ねている。一日のうちに自分に起きた自由の感覚と大きな喪失感。人生というものの謎めいてはかり難いことへの衝撃が一人の作家を生んだのかもしれない。

    ある日の一日限りの出来事の記憶の想起と、想像力豊かな作家のそれに対する自己の批評を絡み合わせ、なおかつ第一次世界大戦の少し前、一九〇一年生まれらしい孤児が老作家になるまでの人生を撚り合わせるという凝りに凝った中篇小説である。読後心に残るものの豊饒さと静謐な印象に圧倒される。

  • なんとも奇妙で美しい小説。セックス、死、ものを読むこと書くこと、自由、階級…、さまざまなピースがちりばめられて、ちょっと他にない雰囲気を醸し出している。何と言ってもすばらしいのが、どの書評でも言及されている場面だ。よそのお屋敷の中を裸で歩き回るメイド。まったく度肝を抜かれる。緊張感をはらみつつ、ゆったり描かれるこの場面の意味が、読了後じわじわとしみてきた。

    蓄積された富を見せつけながら、過去のものとして埋もれていきつつある邸宅。その中を何も身につけず歩くメイドは、まさにその通りの者だ。孤児院から奉公へ。何も持たない彼女が、実は、若い体と明晰な頭脳という、この後の時代を生き抜く強力な武器を持っている。まったく鮮やかな対比だが、まあ、そういう理屈抜きに、この場面には魅了される。

    翻訳の文章には、シャープさとともに、馥郁たる陶酔感がある。おそらく原作の雰囲気もこうなのではないかと思わせられて、とても良かった。

  • 舞台は1924年。大戦と大戦の間のイギリスのお屋敷である。
    19世紀ほど階級社会がかっちりしてはおらず、さりとてまったく身分の差が消え去ったわけでもない。そんな中でのお屋敷の「坊ちゃん」と、別のお屋敷のメイドの秘められた情事の物語である。
    そう聞くと安っぽい三文小説のようでもあるが、この中篇小説が見せる世界は驚くほど濃密で深く、五感を揺さぶる。あふれかえる光、むっとした暑さ、むせかえりそうな蘭の香り、しんとした館に響く振り子時計。
    メイドの視点から語られる物語は、読者をメイドの身体のなかへと誘う。

    マザリング・サンデーとは、かつて、メイドに許されていた年に一度の里帰りの日を言う。母(mother)と会う日、その日ばかりは、ご主人から1日、休暇をいただき、花や菓子を持って家に帰る。母は、滅多にない休みをもらった愛娘を精一杯のごちそうでねぎらう。
    だが、この物語の主役の彼女には母はなかった。「ジェイン」という名すら、仮のものだった。赤子の彼女は、孤児院の前に置き去りにされていたのだった。だから彼女には帰る家はなかった。
    どう過ごすか、迷っていた彼女だが、7年来の仲である「坊ちゃま」からお誘いの電話が来る。両親も召使も留守で、彼はお屋敷に1人きりだった。
    3月とは思えないほどの陽気の中、彼女は自転車を漕いで、彼のお屋敷に向かう。
    その日がどんな1日になるか、知ることもなく。

    彼は2週後に別のお屋敷のお嬢様と結婚することになっていた。
    おそらくは最後のあいびきとなる束の間の逢瀬の後、2人は別れる。
    その日を境に、彼は破滅へと向かい、彼女は二本の足で力強く進み続ける。
    あるいはそれは20世紀という時代がもたらした、没落貴族の敗北であり、中産階級の勃興であったのかもしれない。彼は負け戦とわかった闘いに臨むには、あまりにプライドが高すぎ、あまりに脆弱でありすぎたのかもしれない。だが、いずれにしろ、彼が破滅を選んだ理由を彼女は知らず、著者も示さない。
    彼女が(あるいは著者が)幕切れに語るように、「人生にはどうしても説明のつかないことが多くある」ものだから。

    その日、孤児の彼女には訪れるべき母がなかった。
    その日、彼と彼女の情事は、終わりを告げるはずだった。
    その日、彼女は素裸で、初めて訪れた館のあちらこちらを歩き回った。
    その日、彼女はその後に出会う怖ろしい悲劇を知らなかった。
    そうしてその日、彼女の中に目覚めたものは、メイドや孤児というレッテルとは無縁の、「自我」であったのだろう。

    彼女の語りは、メイドであった過去、書店員となったその後、作家となったさらにその後と行き来し、縦横無尽に自由な翼で飛んでいるようにも見える。
    しかし、これは非常に注意深く精緻に紡がれた織物のような作品である。
    彼女というメイドの視線から見えるものは、彼女の人生ばかりではなく、人生というもの、そのものなのかもしれない。

    濃密な言葉の海に酔う。

  • 6月のように暖かい3月、マザリングサンデー、メイドのお休みの日、ジェーンは7年越しの秘密の恋人と会う。この突然の逢瀬とそれに続く悲喜こもごもの出来事が彼女を生まれ変わらせる。この日に起こったこと、起こったかもしれないこと、もしくは起こらなかったはずのことなどが次々に浮かぶ。
    前半の牧歌的な田舎の描写から後半は作家となって80、90歳となりインタビューに答える形で人生を振り返る。事実と想像のバランスについて語るところなど興味深い。

  • 1924年のイギリス。
    とあるお屋敷で働く利発なメイドの生涯秘密のロマンスと悲劇、そしてそこから始まったまったく新しい人生。

    年老いた主人公によって回想される女性の人生を想像することも面白かったけれど、なによりも、前半の「最後の逢瀬」とそれに続く「裸で歩き回る」シーンがものすごく印象的。ひとつひとつのシーンがキラキラしていて美しく、全てが映画を見ているかのように脳内で再現された。

    無駄にも思えるものすごく細かい描写にきちんと意味があり、あとでじわじわと効いてきて。

    読み始めて数時間で読み切ってしまう長さも良かった。余韻が残って、また読みたいと思わせる。

    それにしても、とにかく目で見て美しい小説だったというか… 『ダウントン・アビー』的な情景が頭の中に浮かんで、出てくるメイドやお屋敷、緑の丘陵地が見えるようだったなぁ。

  •  1924年の3月、使用人たちに許された年に一度の里帰りの休日(マザリング・サンデー)に起こった特別な出来事を描いた小説。

     ある屋敷に勤めるメイドのジェーンは孤児であるため、マザリング・サンデーの午後になっても帰る家もなく会いに行く家族もいない。代わりにジェーンは、数年前から密かに付き合っていた良家の御曹司ポールに呼ばれ、屋敷の中でひとときの、そして最後の逢瀬を楽しむ。
     若く聡明で想像力のたくましいジェーンがこの日の午後に経験したすばらしいひとときと、ある悲劇に巻き込まれる様子が、ゆっくりとした美しい筆致で回想風に語られていく。

     ポールの屋敷を後にしたあと、春の暖かい陽気の中、誰もいない田舎の道を、束の間の自由時間を得て颯爽と自転車のペダルを踏むジェーンの姿が、いつまでも頭の中に焼きついた。

    「力一杯漕いでから惰性に任せ、次第に速度が増してきて、車輪のぶんぶん回る音がして、風が髪を満たし、服を満たし、さらには体の中の血管を満たすような気さえした。血管が歌を歌い、どっと寄せてくる空気に口を塞がれなければ、自分も歌を歌ったかもしれない。このとき感じた純然たる自由、駆け巡る潜在力の感覚を、彼女は生涯説明することができない。この日は国じゅうでメイドや料理番、子守りに「自由」が与えられたわけだけど、そのうちの一人だって--ポール・シェリンガムだって--わたしくらいすっかり枷を外されてはいなかっただろう。」(P.101-102)

     あの当時、周りの人は何を考え、何を知っていたのか。
     すべてが終わって何十年か経ったあとでも、ジェーンはあの特別な午後へ想像をめぐらせ、いくつもの可能性をふくらませる。それが彼女の仕事の一部でもあり、持って生まれた才能でもあるからだ。人は結局すべてを知ることはできない。読者はジェーンと一緒に記憶をめぐり、想像の羽根を広げて、今いる自分を振り返る。
     書かれているのはたった半日の出来事で短い作品なのに、久しぶりにゆっくり噛みしめながら堪能できた小説だった。

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