友だち (新潮クレスト・ブックス)

  • 新潮社 (2020年1月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784105901639

作品紹介・あらすじ

物言わぬ犬の哀しみを抱きとめて、わたしは静かに言葉を紡ぎつづける。誰よりも心許せる初老の男友だちが自殺し、大きな空洞を抱えた女性作家の狭いアパートに、男が飼っていた巨大な老犬が転がり込む。真冬のニューヨーク。次第に衰えゆく犬との残された時間の中で、愛や友情のかたち、老いること、記憶や書くことの意味について、深い思索が丹念に綴られてゆく……。2018年全米図書賞受賞作。

みんなの感想まとめ

深い喪失感と孤独をテーマにしたこの作品は、作家である主人公が友人の自殺を受けて、その思い出とともに彼の飼い犬との新たな生活を描いています。老犬アポロとの日々を通じて、愛や友情、老い、そして言葉の意味に...

感想・レビュー・書評

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  • 全米図書賞受賞作
    主人公で作家の「わたし」、友人作家の「あなた」の回想から始まる
    単語1つが美しく感じる瞬間があり、あなたが如何に大切な男友だちなのかがエッセイのような感覚で綴られる

    しかし、そんな男友だちが命を絶つ
    深い喪失感を抱えたわたしの元に、主を失った大きな老犬がわたしの家に転がり込む
    狭いアパートで「2人」で暮らす

    フラッシュバックのようにエピソードが挟まれる

    あなたの犬、アポロと暮らしている内に
    あなたがここにいるような気がしてくる


    これは果たして小説なんだろうか
    大変不思議な読書体験だった
    恐らく、文字を読みながら色々考えてしまう人向け

    物語を読みたい方には合わないと思われる
    犬という完璧には理解し合えない存在をあなたに重ね、時間を重ね、わたしとあなたの時間を補完していく
    あなたから少しずつ友だち、アポロに変わる



    のだが……………………えっ!?!?!?!?
    僕は疲れたよアポロぉ
    特殊ゆえ誰にでも勧められる作品ではないですが
    僕は心に深く槍が刺さりました
    表紙、やっべえ

  • 思索がわたしを生かす日々-『友だち』シーグリッド・ヌーネス(米2018年 日本2020年刊行)|ユキ(2024年8月8日)
    https://note.com/yoruyonaka24/n/n35d33d47a8a2

    友だち | AERA dot.(週刊朝日  2020年3月20日号)
    https://dot.asahi.com/articles/-/34580?page=1

    友だち シーグリッド・ヌーネス著 - 日本経済新聞(2020年3月21日 会員限定記事)
    https://www.nikkei.com/article/DGXKZO57001450Z10C20A3MY6000/

    ◆一人と1匹 生と死見つめる[評]美村里江(女優、エッセイスト)
    友だち シーグリッド・ヌーネス著:東京新聞デジタル(2020年3月29日 有料会員限定記事)
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/3449

    思索からあふれる言葉 【評】村田沙耶香(作家)
    友だち シーグリッド・ヌーネス著 新潮クレスト・ブックス 2000円 : 読売新聞
    https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20200404-OYT8T50159/

    『友だち』 シーグリッド・ヌーネス、村松潔/訳 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/590163/

  • 恋人ではないが大切な友だちである作家の男が自殺した。同じく作家である私は喪失のただ中に落とされ内省に沈む。男の妻からは、男の飼っていたグレートデンを引き取るよう頼まれ、「やさしい巨人」である犬との生活がはじまった。初老の女性作家と犬が、互いに孤独をもちよって男の不在をみつめる。

    文学について、死について、愛について、物言わぬ動物(特に犬)についての考察が豊かで、どこを切りとって読んでもいいような、思考の漂いともいうべき作品だった。文学や映画からの引用も豊富で、言葉を大切にする作家さんだなという印象をもった。
    とりわけ書くことの限界や可能性について、友だちの男性作家(実は死んでいなかったのか?)と対話している部分は、ひとつの文学論ともなっていて、この作品をただならぬものにしている。

  • 語り手の師でもあり30年来の友だちでもあった老教授の自殺、彼の飼っていたグレートデーンの老犬アポロとの生活、作家としての葛藤という三つのテーマがランダムに綴られる。リルケの「守りあい、境界を接し、挨拶を交わしあうふたつの孤独」という愛の定義に沿って亡き友、そしてアポロとの交感の日々が描かれる。アポロの心を推し測る場面では、「あなたのペットが病気になり、あきらかに具合が悪いのだが、それが何か、どこが悪いのかわからない。ペットは自分では説明できないからである。あなたを神だと信じている犬が、あなたは苦痛を止める力をもっているのに、なぜかそうしてくれないと思っている、という考えほど耐えがたいものはない。」と心を傷める。物語の終わりの方で、唐突にメタストーリーが挿入されるが、物語の転換させるこの挿入の必要性に戸惑いを覚えた。

  • 久しぶりの外国ものでした。学生時代はよく読んでいたけれど、最近は日本人作家さんのものばかりだったので翻訳になかなか慣れず、苦戦しました。原文の表すことを取りこぼさないようにするほど読みにくい訳になるし、読みやすくしようとすれば何かが原文と変わってしまうし、やはり翻訳で読むのは違和感が付きまとうなと改めて感じました。

     語り手は、一人暮らしの初老の女性作家。親密な友達だった先輩作家の男が不意に自殺し、深い喪失感にとらわれていたところ、その男性作家が飼っていた巨体の老いた犬、グレートデンを引き取ることになる。

    主人を亡くして失意の老犬の、晩年にあたる時期を共に過ごしながら、彼女は生きること死ぬこと、自死、作家であることなどを考察し、散文のように書き綴る。

    〈 わたしたちがその不在を寂しがるもの、それこそわたしたちを心の底でほんとうにわたしたちにしているものではないか。〉

    という提示が心に残りました。

    小説として読むとしっくりこず、頭に?が溢れてしまうけれど、一部フィクションを交えたエッセイのような物として読むと、心の奥を少しだけ揺さぶられるような面白さがありました。

    私にとって、認知症で夜中吠え続ける、自身の愛犬の側で、老犬の最晩年を描くこの本を読んだ記憶は、後に忘れ難い思い出になると思います。

  • なんと表現したらいいのか悩む内容で、実は半分も理解できていないかもしれない。大切な男友達を失った女性作家の、フィクションともノンフィクションともつかぬ内省的な独白が延々と続く。それは2人で過ごした日々であったり、仕事でもある文学や教育に関することであったり、犬や猫についてだったり……。膨大な人名(作家、音楽家、俳優等々)や作品名、そこからの引用などがページを埋め尽くす。それを通して浮かび上がるのは彼への哀悼の念で、その深さに息苦しさすら感じる。

  • 『友だち』は、人生の終盤を迎えた語り手による、深遠な思索に満ちた随筆的小説だ。作者は「オートフィクションではない」と明言しているものの、作者自身の思考と重なり合う語り手を通して、自死した師であり親密だった友人との対話や、その友人が遺した大型犬グレートデンとの生活を軸に、文学や映画を引用しながら、喪失、孤独、友情、痛み、愛などを文学的に探っていく。

    作者は、生粋のニューヨーカーでとても遅咲きの作家である。大学卒業後は「英語圏で最高峰の知的文芸誌」といわれる『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌で編集アシスタントを勤めた。また、『反解釈』『他者の苦痛へのまなざし』などの鋭い批評で世を風靡したスーザン・ソンタグと一時期共に暮らし、良き師と認めているように、後年その伝記『Sempre Susan』(未訳、2021年)を表し、本作にもその影響が感じられる。その後、雑誌に寄稿しながら、コロンビア大学などで文学とライティングを教え、1995年44歳のときに自伝的な作品『神の息に吹かれる羽根』(水声社)でデビューした。小説は高く評価されたが、商業的にはふるわず、2018年に67歳で発表した本作で全米図書賞を受賞するまで、執筆で生計を立てることはできなかったという。

    本作ではこの作家としての苦闘の経験や、長年文学教育に携わってきた作者ならではの視点で、商業的成功を追い求める文学界の現状や、SNS時代の表層的な読書体験の蔓延に対する批判的な考察も展開される。文学とは何か、なぜ我々は物語を必要とするのか、そうした根源的問いかけが、作品全体を通底している。

    人身売買の被害者たちへワークショップを行ったくだりがとくに印象的だ。女性たちの書く作品は、「いつもだれかがたたかれ、だれかが痛めつけられていた。いつもだれかが奴隷みたいに、物みたいに扱われていた」。また、次の章では大好きな作家の作品を読み返すなかで、見過ごしていた「女性に対する敵愾心」を発見し、作者に嫌悪を覚える。ある経験を通して、いままで見えていなかった物事に気づき、二度と以前のような見方ができなくなることがある。特権を得てきた者たちのとくに父権的な世界観に、いつのまにか取り込まれていたことを示す場面がたびたび挟まれ、わたしはそこに作者の意図を大いに感じた。

    これらの深い考察を積み重ねながら、後半で読者を驚かせる構造がこの作品の小説としての最大の妙味だろう。その詳細は読み手それぞれの発見にゆだねるが、この仕掛けによって、喪失感こそが自我の中核であることや、種を超えた「友だち」の存在意義を浮き彫りにし、喪失と孤独を抱えながらも<守りあい、境界を接し、挨拶を交わしあうふたつの孤独>を認め、互いに寄り添う共感と思いやりの価値を力強く謳う作品へと昇華するのではないか。

    作中では、ヴァージニア・ウルフやリルケなど、他にも作者が影響を受けた作家や作品への言及が散りばめられ、ちょっとした読書や映画案内にもなっている。流れるように思考が連なり、一見取り留めのない内的独白のようだが、緻密に組み立てられた表現は、ウルフらが駆使した意識の流れの手法と、書くことをあきらめず、時代と文学に真摯に向き合ってきた作者ならではの、現代的な感性を融合させた独自のスタイルといえるだろう。

    本作と次作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア(原題:What Are You Going Through/あなたはどんな思いをしているの?)』(2020年)、そして最新作『The Vulnerables(こわれやすいものたち)』(未訳、2023年)は、一種の三部作で、作者本人であるかのような名前のない語り手が、さまざまな喪失や痛みに出会い、考察し、寄り添う作品となっているようだ。本作と『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、ともに2024年に映画化され、後者はベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞している。これらすべての作品が、日本でも翻訳、公開されることを願ってやまない。

  • 初老の女性作家が、友人であり自殺した男性作家の愛犬を引き取ることになる。
    というあらすじからぼんやり浮かんだほのぼの動物ものとはまるで違った。
    書くとはどういうことなのか、それによって何を得て誰を傷つけるのか。
    フィクション、私小説、エッセイ…プールのコースラインをくぐって泳ぐように、思考が巡らされ、会話が交わされる。
    私も共にぐるぐる思考する感じが面白い。
    衝撃もあるのだけど、読後感は良かった。
    たくさんの引用元、全部読みたく/見たくなるー!

  • 『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』が面白かったので、同じ著者のこの本を手に取った。
    2冊セットで読むと、より楽しめる作品だと思う。

    小説の構造としても両作品は似ている。
    つきあいの長い(しかし最近は疎遠だった)知人の死に向き合う。気力も体力も衰えて死にゆく高齢パートナーとともにゆったりとした時間を過ごす。主要な登場人物に名前がない。語り手がひたすら思索を重ねる。文学作品や映画などからたくさんの言葉が引用される。ときどき小説だったことを思い出したかのように、駒を動かして物語を進展させる。

    とても個性的なスタイルだと思う。
    シーグリッド・ヌーネスの作品はまだ2冊しか読んでいないが、あまり形式にとらわれないタイプの作家なのだろうか。
    小説といえば小説かもしれないが、エッセイや日記を読んでいるようでもあり、語り手の頭の中を覗き見しているような体験でもある。
    普通の小説だと「脱線」にあたる部分がメインディッシュになり、登場人物の動きや物語の展開は添えものに近い。それが縫い目無しにつながっている感じだ。

    語り手の「わたし」は、頭の中の引き出しからたくさんの言葉を取り出して考察を重ねる一方で、後先考えずに動く一面もあり、たびたびピンチにも遭遇する。
    狭いアパート暮らしなのに、犬を受け入れてしまう。ペット禁止のルールがあるから、3カ月以内に犬を手放すか引越しなければならない。猛暑の日に散歩に出かけてしまい、犬が道端にへたりこみ動けなくなる。部屋の中に悪臭が立ち込め、いくら掃除してもにおいがとれなくなる。
    語り手は他人の好意や寛容さ、ときに偶然にも助けられながら、なんとかやり過ごす。
    ものを考えるのは得意だが、直近の課題を先送りにし、主体的に動こうとする意欲に欠け、先を見通す力も乏しい。
    そのへんのテキトーさというか、他人任せな描写には笑ってしまった。

    思索するテーマはさまざまだ。
    愛する人の死にどう向き合うか。死にゆくパートナーとどう寄り添うか。
    動物は飼い主の死や自身の死期をどこまで認識しているか。動物の気持ちをどう察し、どう触れ合うか。動物を介したセラピーについて。
    言葉を紡ぐ作家の存在意義。あらゆることを材料にしてしまう作家の暴力性。
    書くことと快復することの関係。移動することと考えること。
    どんな読み手をイメージして書くか。読み手の受け取り方が可視化されてしまう時代をどう乗り切るか。

    語り手はそれらについて、ああでもないこうでもないと迷い、考え続ける。そして、最後にはうっすらと光明が差す。

    P18
    <お別れの会で人々が--あなたを愛し、あなたをよく知っていて、しかも言葉が巧みな人たちが--あなたのことを話すのを聞けば聞くほど、わたしはあなたが遠のいていくような、ますますホログラムみたいなものになっていくような気がする。>

    P206
    <ライティングのワークショップでは(略)登場人物の思考の流れを伝えようとするとき、彼らはほとんどかならずその人物を動きださせる。彼または彼女をなんらかの輸送手段、たいていは車か飛行機に乗せるのだ。その当人が空間のなかを動いているのでなければ、人が考えているところを想像できないかのように。>

    P240-241
    <なにひとつ変わっていない。依然としてじつに単純なのだ。彼がいなくて寂しい。毎日寂しい。>
    <彼がいなくて、寂しいという気持ちがなくなっても、わたしがそれで幸せな気持ちになることはないだろうと。愛を急かせることはできない、という唄がある。哀しみを急かせることもできないのだろう。>
    <しかし、なにひとつ変わっていないというのも事実ではなかった。<治癒>とか<快復>とか<傷口がふさがる>というような言葉を使うつもりはないが、なにかが違うことにわたしは気づいている。なにかが準備されている感じ、かもしれない。まだそうなってはいないが、いまにもなにかが解き放たれるような感覚。解放。>

    P240
    <人がなにかについて書くのは、それをつかまえておきたいと思うからだ。経験したことについて書くのは、その意味を理解するためであり、時間に押し流されてそれを失ってしまわないようにするためである。忘却の淵に。しかし、いつだってそれとは反対の結果になる危険がある。その経験そのものの記憶が失われ、それについて書いたことの記憶ばかりが残ることになるかもしれないからだ。>

    P241
    <亡くなった人たちについて書くことは--あるいは、彼らについて話しすぎるだけでも--彼らを永久に埋葬してしまうことになるのかもしれない。>

    P242
    <彼女はいつバラを植えたのだろう? (略)悲しいのはもうこれを見られなくなって彼女が寂しがっているだろうと思うからではない。もう見られなくなって寂しいと感じることもできなくなってしまったことだ。わたしたちがその不在を寂しがるもの--わたしたちが失い、失ったことを嘆き悲しむもの--、それこそわたしたちを心の底でほんとうにわたしたちにしているものではないか。>

  • ふむ

  • 5歳くらいのグレートデンのアポロと暮らすようになった女性作家のお話です。

    いろいろなことについて、多くの本、映画を引用して独特な世界観を醸し出しています。

    特に犬についてどうこうというものではありませんでした。

  • ・・・最近のテレビのドキュメンタリー番組で、郊外のモーテルを根城にして働いていた元売春婦がいちばん忙しいのは月曜日の午前中だと言っていた。妻や子供たちと週末を過したあとほど、このビジネスは活況を呈するらしい。・・・

  • 表紙の犬、そしてシンプルなタイトルにひかれ。仲の良かった男性小説家が亡くなり、彼の飼っていた犬を引き取った女性小説家。犬と女の友情の話。と単純に言い切れるものでもなく。物語は終始、主人公のモノローグ、日記のような形で進み、犬はそこにいるだけ。そして月日の流れと共に犬は次第に年老いていく。

  • かつての恋人は自殺し残された老犬を引き取る羽目になった女。アパートの一室で大型犬との暮らしは恋人の不在を懐かしむが…回想的な展開で終わると思いきや結末で絶妙な仕掛けがあり、小説としての面白さが一気に増大する。老犬というフィルターを通した人間の営みを風刺しているようでもある。

  • 犬との穏やかで充実した関係性は、人間同士の関わり合いよりどんなにわたしらしくあれることか。
    死や老いが日常に溢れる日々のなかで、思考を逡巡させる。

  • なかなか読んで考えてしまうところのある小説だった。物言わぬ動物との関わりについても。アメリカにはライティングという学問の分野がしっかりあって、大学のゼミとかも当たり前にあるよなあと。日本もあるのかな?

  • 主人公は女作家。
    かつての恩師であり、愛し、そしてかけがえのない友人の「あなた」が突然自殺しこの世から消え去った。
    「あなた」の三番目の妻から、「あなた」が飼っていた巨大な犬「アポロ」を引き取ることになり…。

    かけがえのない人がいなくなった喪失感。
    とにかく喪失感、喪失感、喪失感。
    主人公のとっちらかった心情を表すように、文章も過去、現在、空想、日々の感じたこと、小説について、いろいろな作家について…と入り乱れる。
    はっきり言って読みにくい作品だ。

    引き取ったばかりの頃は全く主人公に関心をしめさなかった「アポロ」とも、いつしかお互いにかけがえのない人を亡くしたことで繋がっていく。

    けれど、年老いてきた「アポロ」が今後いなくなった時の、さらなる喪失感はいかばかりか。
    それが想像できる中での、最後の海辺での穏やかな日は、かけがえのない時間だろう。

  • 友人であった男性作家を自殺で亡くし、その友人の買っていた老犬を引き取った女性作家。
    最初は慣れない大型犬に手を焼いたが、少しずつ人と犬の間に温かい感情が生まれていく。

    人間の心の回復の物語。時に優しく、時にシニカルに書かれていて、とても面白く読めた。挿話のように差し込まれる、文学作品や映画がとても多くで興味深かった。

  • 物語のようで長く美しい詩のようでもあり
    詩のようで奥深くささやかな物語のようでもある。
    難解なところも
    過ぎる時間のまま流してしまえばいい。
    死期をむかえた友だちと海辺で過ごすとき
    波、風、光、その情景が切なく胸に迫ってくる。

  • 長い間大切な友人であった男性が自殺してしまう。ショックを受ける初老の女性“わたし”は、亡くなった男性の飼い犬アポロを引き取るはめになる。
    亡くなった男性も“わたし”も作家であり、大学でライティングを教える教師でもあった。古今東西の作家たちが残した言葉が次々と引用され、現代の学生たちと自分たちが文学を志ざした若かりし頃を比べ、友を失った寂しさで心が不安定になりながらも、“ わたし”はどこか冷静に状況を捉えているようだ。だが主人を失って落ち込んでるアポロについてだけは、とてと冷静にはなれない。言葉で表現できなくとも、動物だって悲しみでおかしくなることだってあるのだ。“わたし”の朗読にアポロが癒されて寛ぐ描写はしみじみと良い。そしてラスト近くの文章に激しく共感を覚えた。「わたしたちがその不在を寂しがるもの、ーわたしたちが失い、失ったことを嘆き悲しむものーそれこそわたしたちを心の底でほんとうにわたしたちにしているものではないか」

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