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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784105901998
作品紹介・あらすじ
自分自身をべつの言葉に置き換え、変化を恐れずに生きてきた――。ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ、アメリカで育った著者は、幼い頃から自らや家族のことを、頭のなかで常にベンガル語から英語に「翻訳」してきた。大人になってから習得したイタリア語に見出した救い、母の看取りなど、自身の半生をひもときながら綴られる、小説を書くことを鼓舞してくれる「翻訳」について考えたこと。
みんなの感想まとめ
テーマは「翻訳」とその深い意味であり、著者は自身の経験を通じて言語の持つ特別な役割を探求しています。ベンガル語と英語の間で育った彼女が、イタリア語との出会いを通じて感じた新たな視点や、母を看取る際の思...
感想・レビュー・書評
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先に読んだ、ラヒリがイタリア語で書いた『べつの言葉で』がさらりと読めたので、本書も簡単に読み終えるだろうと思っていたが、いい意味で期待外れだった。
インドのベンガル地方出身の両親の娘として生まれ育った彼女にとって、知らず知らずのうちに、親の母語であるベンガル語と彼女が
教育を受けてきた言語である英語の間にあって、『翻訳』というものが如何に特別な地位を占めるかを、自身の翻訳経験を含め、『翻訳』を、『接ぎ木』やオウィディウス著『変身物語』に登場するエコーに例えて論じているのは大変興味深い。しかし、それは『べつの言葉で』でのように彼女の心の声を書き留めたのとは違い、少しでも読み流そうものなら、もう理解できずに後戻り、というのを何度か繰り返すことになるような、本格的な学究的な作品だ。
実のところ、ラヒリが英語で書こうが、イタリア語で書こうが、残念ながら日本語に翻訳したものでラヒリ作品を読む私には、ある意味どちらだって変わらないではないか、という気がしないでもない。『べつの言葉で』のあと『わたしのいるところ』にも手を出したが、作者が英語で描いた作品とは明らかに違う。イタリア語で書かれた作品には、どことなく浮遊感のようなものを感じた。この感覚は原作の言語の持つ特性なのか、それとも…。
読んでいると、どうしても須賀敦子さんのエッセイと比較してしまう。彼女のエッセイが、私が全く無縁であったイタリア文学に、多少ながら触れるきっかけとなった。その後、まさか米国文学を読んで、いつの間にか再びイタリア文学の世界に迷い込むことになるとは思いもしなかった。
今後『靴ひも』やイタロ・カルヴィーノの作品を読んでみたいと思う。
良書はいつもべつの優れた作品に繋がると感じていたが、今回も同様そう実感した。 -
翻訳についてのエッセイ。翻訳についての専門的な内容や、ラヒリが英訳したドメニコ・スタルノーネやグラムシについての解説なので、理解しきれずこの点数。ラヒリの小説が好きだからといって面白く読める本ではない。
インドをルーツにしつつ、人生半ばにして学んだイタリア語にスイッチして小説を書くというユニークな作家だが、さらに多言語を操る、言語そのものに造詣が深い人だと知る。翻訳を語るのにラテン語や古代ギリシャ語などの知識も援用する。グラムシ(知らなかった)もカルヴィーノ(読んでいる、好き)も多言語使いらしく、英語もおぼつかない自分とは別の世界が見えているのだと思う。ラヒリの英語作品もイタリア語作品も同じ一つの言語、日本語でしか読まないわけだが、違ったテイストがあるのは事実。言語が変わると語り口も語る内容も変わる。
翻訳家は、翻訳元の外国語が得意な、翻訳先の言語ネイティブのパターンがほとんどだと思うのだが、ラヒリは英語ネイティブでイタリア文学の英訳を手掛けるまでに習得している。そこまで他の言語にのめり込み体得した、稀有な人の体験談としては興味深い。 -
『本が出版されてしまえば、今度は読者がドアとして私の前に立つ。だが読もうとして本の扉を開けるのは読者だ。私が書いた言葉を受け入れて、歓迎してくれるかもしれない。そうでないかもしれない。どんな本にとっても、そういう不安定な運命はあたりまえのことで、むしろ当然なのだろう。どの言語で書かれようと、出版された一冊は、その運命の入口に立つ。読むということは、文字通りには本を開くことだが、また同時に、自身のどこかを開くことでもある』―『なぜイタリア語なのか』
Ce n'est pas le nouveau roman de lahiri. C'est l’écriture.
と思わずに別の言葉で書きたくなる。これはジュンパ・ラヒリの久しぶりの英語による一冊。だが、小説ではない。ひどく生真面目な翻訳論とでも言うべきもの。イタリア語に惹かれ、イタリア語でエッセイを記し小説を書いたラヒリがイタリア語の小説の翻訳をする。そして自著のイタリア語から英語への翻訳にまで至る。その過程で広がっていく彼女の言語世界。そして言葉が連想させるものへの洞察。時に学術的であり、時に感覚的に。だが、感覚的と言ってしまってもそれは何か言語学的に導き出されたものに劣後することを意味しない。何故なら、全ての言葉の定義は言葉の呼び起こすものと必ずしも常に同じとは限らず、時と共に、また人によって変化するから。変化しても残る何か、それをラヒリは見通そうとする。翻訳を通して、言葉が伝え得るものにまなざしは戻ってくる。
故郷は遠きにありて思うもの、と室生犀星が歌った心情は、もちろん文字通りの意味でもあるだろうけれど、離れてみて解るものがある、ということもまた歌われているのだろう。そういえば、初めて外国に暮らしてみて見えてきた日本の景色のあることを実感したことも思い出した。ラヒリのイタリア語をめぐる旅もまた、母語への理解を深めるものだったのだろうと想像する。もっともラヒリにとっての母語が何語であるのか、それは彼女自身が語るように決して定かではないのだろうけれど。言葉に「置き換え」てみて、それを離れたところから眺めて改めて「解釈する」、その過程で見えて来る「言葉の元になるもの」。それこそがラヒリにとっての母語ということになるのだろう。
『もう一つ言いたいのは、「翻訳」と「トランスレーション」では、語感に差があるということだ。おそらく、それぞれの前半、つまり「翻」と「トランス」の差が、大きくものを言うのだろう。ラテン語起源の「トランス」には、どこかに渡る、越える、という意味がある。その場でくるりと翻すのではない。トランスレーションとは、越えて運ばれるもの。別の状態・形態に移すこと。変換・変容である。まだ生きている人間が天国に上げられたら、それもトランスレーションになる』―『訳者あとがき』
個人的に、小川高義の日本語は既にジュンパ・ラヒリの言葉と混然一体となってしまっているのだけれど、今回ばかりは少し調子が違うのかも知れない。美しい日本語、という表現は余りにも陳腐だけれども、小川さんの翻訳したラヒリの小説の言葉は滑らかで上品で読んでいて心地よい。もちろん、それは作家本人の言葉の持つ力が強く影響してのことだとは思いつつ、その日本語を読みたさにジュンパ・ラヒリの翻訳を読むという面も間違いなくある。ただし、今回はラヒリの言葉に「翻訳家」としての気持ちが共鳴して、素の翻訳家の言葉が聞こえてくるような感覚を覚えないでもない。もちろん、錯覚だ。だが、翻訳を越えたメッセージのようなものがあるような気がしてならない。現に訳者あとがきに寄せられた言葉にその強い意志のようなものが読み取れる。そう言えば、内田樹師範が「翻訳の神髄は憑依」と言っていたのを思い出した。字義通りに考えれば、それはトランス状態にある、つまりaltered state of consciousness、通常ではない自意識下の状態にある、あるいは「させられる」ということなんだろうね。 -
縁故のないイタリア語に恋(そんな事あるんだ!)して、ついには家族でローマに移住までした作者。しかも40歳を過ぎてから。その情熱が瑞々しい感性と明晰な思考で綴られている。
どっぷり日本人で日本語しか分からない私にとって、翻訳の秘密を垣間見たようで、とても興味深く読んだ。
作者は母を亡くしたが、信仰する宗教が無くても、彼女には文学が精神的な支えになっているのだと思った。 -
イタリア語を知ってたらもうちょっと理解できたかなぁと思う。
最後の方、お母さんの亡くなる前後の部分が面白かった。
Translation とは、翻るーその場での変化ではなく、越えていく、変容するということ。Transというラテン語には越えるという意味がある。
作者は、翻訳を外科手術に例えることが多いのが興味深かった。 -
ラヒリ本人のファンか、本作で語られるラヒリの訳書や翻訳自体に興味がなければかなり退屈。
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【書評】『翻訳する私』“翻訳された作品はオリジナルと同等と見なせるのか?”翻訳における言語間の相克を知る上で有益な一作
NEWSポストセブン 2025.07.04 16:00
https://www.news-postseven.com/archives/20250704_2049865.html?DETAIL&from=imagepage_f-button
2025/12/05 更新 -
『イタリア語を訳すのは、この愛する言語から遠く離れて、なお接触を保つ方法なのである。』
考え、感じ、文字表現することを多言語の中で自由に飛び回ることのできる彼女に驚きと憧れを感ずる。 -
出版社(新潮社)のページ
https://www.shinchosha.co.jp/book/590199/
試し読み、目次、著訳者プロフィール、書評等
『停電の夜』が2000年と書いてあるからすでに4半世紀もたったのか。2015年にプリンストンに移り再び英語での執筆に戻ってからの著作。 -
https://www.shinchosha.co.jp/book/590199/
https://www.shinchosha.co.jp/book/590199/#b_othercontents
https://www.shinchosha.co.jp/images_v2/free_details/book/590199/references.pdf
今月(202505)の表紙の筆蹟は、ジュンパ・ラヒリさん。
https://www.shinchosha.co.jp/nami/backnumber/20250430/
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ジュンパ・ラヒリの作品
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