閉された言語・日本語の世界 (新潮選書)

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  • 新潮社
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106001697

感想・レビュー・書評

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  • 読むのは3回目です。

  • 出版年を考えると、いささか時代的に古い論もあるが、日本語というものを考えるときにいろいろなヒントをもらえる本だと思う。

    内容は、日本人の考える日本語、文字(表音文字、表意文字、同音衝突など)と言語の関係から考える文字論と言語論、世界の中の日本語(比較言語学方面より)、日本文化と日本人の言語観、日本語の外国語教育の意味の全5章である。

    エッセイ的な散文的な語り口なので、データや論文という形で立証するわけではないが、当時の事例を用いて日本語の持っているものを明らかにしている良書だと思う。ただし、やはり古いという面は否めなかったが古典的な名著として読んでもよいと思う。

  • 言語人口で見て、世界に何千何万とある言語の中で多い順に並べると、ダントツで中国・そしてアメリカ・スペインとロシア・そしてインド・日本となる。
    日本語人口は六番目だけれども、外国でどれだけ日本語を学んでいる人がいるかとなるとホントに微々たるものでしかない。
    最も利害的に日本と近い関係にあるアメリカでさえ、年間に日本の文献が英語に翻訳されているのはわずか25点にすぎない。(1968年調べ)
    逆に英文献が日本語になっている二千件以上に比べてあまりにも少ない。
    又日本語を専攻している大学生は、4千人台でその内日系人が60%をしめている。

    日本人にとっては日本語を空気のように意識に止めておく必要がなく、固有名詞を使わずに只「国語」と呼べる鎖国環境にある。
    しかしほとんどの国では、国語で済まずにENGLISHなどと固有名詞で呼ぶ。
    それほどに意識していなければアイデンティティーを保てない事情が歴史的にある。

    日本でもアイヌ語を封印したことがあったし、台湾・朝鮮・東南アジア・満州などで日本語を押し付けてきたこともあったが、諸外国では当たり前のように言語や宗教や文化を武力で否定し禁止し合ってきた。

    日本は混血民族でなるけれども、古代以後異民族に侵略されることがほとんどなかった。
    自分の判断で言語・文化・宗教・学問・技術を一方的に輸入して、自分達風に咀嚼して吸収してきた。
    ほどほどに隔離された島国であったし、南北に長い自活できる国でもあったので、独自の発展を可能にしたようだ。
    特異な言語と文化は個性を育て、複雑化することなく一つの筋を通してシンプルに発達してこられた。

    現在国際語となった英語はその母国や文学と切り離して扱う必要がある。
    もはや文化を引きずった狭い意味での言語ではなく、公用語なのだからENGLIC=イングリックと言う別の道具として扱わなければならない。
    それによって母国人に対するハンディーを少しなりとも薄めることができる。
    発音の間違いなどから解放されて、遠慮や引け目から逃れることができ、内容に集中した議論を可能にする。

    外国語の教師は文学者ではなく、事実を正確に伝えるための実践を担当できる者であるべきだろう。
    実用(日用)英語や文法英語でもなく、考えや意見や質問や報告を簡潔にまとめて伝える道具としてのイングリックを身に付けるべきだとこの本は言う

  • 第一章 日本人は日本語をどう考えているか
     日本語は外国語と接すると、外国語の方にのまれてしまって急速に薄れる性質があり、これは日本人が日本語をあまり信頼していない点に原因がある。しかし日本語で書かれた議論文の中には、明晰さを避け、暗示を好み余韻を残そうとするものがあり、日本人がこのような日本語の曖昧さ、晦渋さに酔い、それを誇る気持さえも持っていることも否定できない事実である。以上のような日本語に対する日本人の、アンビヴァレントな心的態度、つまり愛憎併存の矛盾的心理こそ、実は日本人が自国の文化すべてに対して抱いているコンプレックスと軌を一にするものである。

    第二章 文字と言語の関係
     日本語の中に用いられている漢字は、音声を表す代理記号としての文字表記であるよりは、むしろそれ自体がきわめて視覚的な性格を持つ独立した伝達媒体となっており、音声とともに、これと密接な相補関係に立っており、これは本質的な影響を日本語という言語に与えている。このようにして日本語においては表記も言語そのものを構成する重要な要素となっており、それが今なお日本語を積極的に変化させて行く力の一部ともなっているのである。日本語が漢字を豊富に使い、しかもそれを音と訓の二通りに読むという習慣を確立したことが、高級な概念や、難しい言葉を一部の日本人が独占することを妨げている。さらに日本語は漢字仮名交じり文という性質と、漢字の音訓両読という特殊な性質のために、画一的な正書法が本質的にできない、そして必要のない言語なのであって、だからこそこれまで正書法なしですんできたのである。日本人は「日本語には正書法がない」といったような言語全体から見れば瑣末的な問題に完璧を求めすぎているように思える。

    第三章 世界の中の日本語の位置
     日本人は自分の国の言語をまず他の世界の言語と同一の次元に置いて、それらと区別対比することのできる、人類の言語の一種としての自分の国の言語を見るという習慣が少ないが故に、自己を国際的な場面において客観視する経験と能力が欠如している。一般の日本人自身が日本語の国際場裡における重要性に目覚め、日本語に対する誇りを持ち、日本語をかけがえない大切なものと自覚することができなければ、外国人に日本語を習わせ、使わせることなど到底できない。

    第四章 日本文化と日本人の言語観
     理想的な島国に単一民族の住む我が国は、有史以来絶えず外国文化の強大な影響にさらされながらも、国内において他の文明社会にその比を見ない程の、純度の高い等質文化を形成することが出来たのである。そのような国に生まれた日本人は、自分たちの言語を他の言語と対立させ、それとの拮抗関係という一種の対立状態の中で母国語を見直すことが絶えてなかったのである。つまり、日本人は空気の存在を日常生活では意識しないのと同様に、日本語の存在を意識する必要がないのである。

    第五章 日本の外国語教育について
     今ではもはや英語の能力は、大多数の学生個人の知識欲の補充や、社会における成功に直接つながらなくなっていることを、学生自身が半ば直感的に知っている。また、英語が世界的な広がりを手にしてしまったため、英語の多様化を招き、結果として日本人が学びづらいものとなってしまった。そのような状況の中で、日本における英語教育をより良いものとするには、何が書いてあるかを掴むことを主眼とし、それについての討論を学生自身が英語を用いて行ったり、英語の教師が徹底的に英語を使って授業をしたり、文学作品を教科書から除外する必要がある。外国語を学ぶということは、実は日本語を知ることであり、自分を知ることなのである。

    要旨
     日本人ほど自己を分析し、自分自身について語りたがる民族は少ない。本書には、日本人のローマ字化反対、漢字礼讃の主張を述べたようなところもあるが、筆者にそのような意図はなく、日本語を世界のコンテクストにおいて考え直してみようと試みられている。

    感想
     明治時代以来、日本語の非論理性、非効率性が日本の近代化を遅らせたという主張の不毛さ、世界の視点で見た場合、日本語、日本文化というものがどのように写るのか、その独自性、日本人が海外のことばに憧れを抱き、日本語を捨てようとする人がなぜ多いか等が、筆者の言語学、比較文化学の知識をもって、非常に分かりやすく書かれている。また、英語教育にまで議論は及んでいて、英語学習(あるいは外国語学習)の選択性の導入、文化と言語の関係を教えることの意義等が、説得力ある形で書かれている。今このような視点をもって日本語という一つの言語をとらえることが、国際化し多様化していく世界を考えるうえで自分の中で重要な思考の枠組みを形成したことは言うまでもない。

  • 宮崎さんから。

  • 改めて日本語という言葉を考え直しました。
    難しい事が書いてある割に、説明や文章が分かりやすくて読みやすかったです。

    個人的に英語教育の話とか、すごくおもしろいなーって思いました。

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著者プロフィール

1943年岩手県生まれ。三菱系エレベーター会社を経て1967年に独立創業し、鈴木エレベーター工業(現在のSECエレベーター)を1970年に設立。独立系エレベーター保守会社という新しい業態を日本に誕生させる。エレベーターの構造を知り尽くす「技術屋」で、ビジネスの面でもエレベーター業界の風雲児として活躍する。

「2017年 『技術屋が語るユーザーとオーナーのためのエレベーター読本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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