森にかよう道 (新潮選書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106004612

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/447951

  • ☆日本の森から神々はいなくなった

  • 森の時間と人の時間。
    森を生活共同体から経済的価値とみなす思想、社会に移り変わっていったことで森と山村の荒廃が進んだ。
    悠久な森の時間を人間の一瞬な時間軸に置き換えてしまった罪と罰。
    『森とともに暮らす人々の営み、森で働く人々の営み、そしてそんな人々を支えていく私たちの営み。そのさまざまな営みが、永遠に循環しつづけるように展開していく森の時空とともにあるとき、森は永遠である。』

  • 連載モノであり、編集も雑駁なので、やや話があちこちの森に飛ぶし読みにくいが、そんな中でも面白い話がちょこちょこ出てくる。
    また、個人的に思い入れのある西目屋や木曽の森のこともいろいろ出てきて、知見が深まった。

    森といっても各地様々な事情がある、そんな中でも、
    森をめぐる生活(山仕事、兼業農業)の本質さや、
    それに比べ(近代の)林業というものの危うさ・薄っぺらさがあぶりだされていく。
    また、西目屋(白神)と国有林の関係や、木曽川の筏流し(川と森の連続)とダムの関係等、河川をはじめとして社会資本整備・地域づくりにおいても重要な指摘を含む書である。

  • 2冊

  • 森の営みと人の営み。人の営みは経済の営みといいかえてもいいのだけど、その時間軸は圧倒的に違う。森は循環する時間で動く。そして基本的に「かわらない」。人の営みの時間は直線的に動く。そして本質は「変化」。かつて人は森のそばにすみ、そして森の循環する時間のなかで同化していきてきたが、近代以降は、森は人が利用する資源としてあつかわれるおうになり両社の関係が破壊され結果として森がどんどん駄目になってきている、というお話。

    1960年代に山村の過疎化がはじまる。それに対して山村を「近代化」する方策で対抗しようとしてリゾート化、道路、工場誘致などを展開。しかし過疎化に歯止めはかからない。過疎化に対処する策は山村の近代化だったのか?35

    日本の森林の割合は67%、ドイツは30%、フランスは27%、イギリスは9%。38

    民間の優良林業家の森を訪ねると自然保護か林業かという争いは無意味。美しい森は林業として見ても優れている。すぐれた農地は美しいのと同じように一次産業を長期にわたって持続させる基礎には、その土地の美しさは基盤としてある70

    森は海の恋人103

    それはもしかすると変わることのなかった景色がつくりだしているものなのかもしれない。おそらく十年前も、いや千年も二千年も前に私がこの場所を訪れたとしても、赤石川はいまと同じように原生的な部案の森の下を流れおちていたことだろう。するとその日の私は百年前の景色に出あい、千年も二千年も前の景色にであったことになる。そのことに私はめまいがするほど不思議なことにかんじられた。なぜなら今という時間を経験しながら、同時に過去の時間も経験しているのであるから。人間が作り出した歴史がめまぐるしい変化をとげてりう間、白神山地の森と川は何もかわることなくそこにどどまっていた。115

    (森のように)循環する時間世界の中で暮らすものたちは、変化を求めてはいない。だが現代の人間はそんな時間世界のなかでいきていない。私たちはけっして循環することなく変わりつづける直線的な時間のなかで生きているのである。119

    森の時間は多様。草のように1年でまわるもの、動物のように数年でまわるもの、木のように何百年でまわるもの。そういった多様な時間が流れている。

    鮭は森に帰る136

    現在の私たちは時間とは矢のように過ぎ去るものだとかんがえている。現代の人間にとって時間とは時計の秒針のように同じ速度で動きしかも時の矢のごとく直線運動をしていていちど過ぎ去った時間は二度とかえってこないものととらえられている。折口信夫はこうした「直線運動としての時間」と呼び、日本にはこれとは別の「循環する時間」というものがあると提唱。234

  • ありがちな、心情的な自然保護の話かと思って読み始めたら、途中でそうではないらしいことに気づいた。著者は渓流釣りをやるひとで身近に森を知っており、農村に住んで畑を耕してもいるらしい。その知見は地に足がついており、理想論に走らず、示唆に富む。

    日本人はずっと森を利用し、一緒に暮らしてきた。共存するということは接触を断つことではない。足を踏み入れることもできない「自然保護」ってのはなんなんだろう。「森は、人間たちの営みの確かさをとおしてしか守れないであろう」。という言葉が重い。

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著者プロフィール

内山 節:1950年、東京生まれ。哲学者。1970年代から東京と群馬県上野村を往復して暮らす。NPO法人・森づくりフォーラム代表理事。『かがり火』編集長。東北農家の会、九州農家の会などで講師を務める。立教大学大学院教授、東京大学講師などを歴任。

「2021年 『BIOCITY ビオシティ 88号 ガイアの危機と生命圏(BIO)デザイン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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