仏教入門法然の「ゆるし」 (とんぼの本)

  • 新潮社
4.22
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106022258

作品紹介・あらすじ

知識も修行も必要なく、「南無阿弥陀仏」と一心にとなえるだけで、誰もが必ず極楽浄土へ往生できる-。戦乱や災害が相次ぎ、人心が荒廃を極めた平安時代末期、法然(1133‐1212)は当時の仏教の常識をくつがえして万民救済の教えを説いた。厳しい求道の末にたどり着いたのは、弱い心を断てない凡夫をも救う阿弥陀仏の本願の力、すなわち他力。激しい弾圧に屈せず市井の人々に教えを広め、鎌倉新仏教勃興の嚆矢となった日本仏教の革命家にして浄土宗の租・法然の生涯を豊富なビジュアルとともに辿り、その思想のエッセンスを気鋭の宗教学者・町田宗鳳がわかりやすく解説。知の巨人・梅原猛による白熱の論考、法然ゆかりの地をめぐる紀行&ガイドマップも収録した充実の入門書。

感想・レビュー・書評

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  • 法然上人像は優しく温和な表情のものが多い。その表情の裏にある革命的な一生をコンパクトにまとめた本。小説『法然の涙』と並行して読みました。

  • 法然上人。日本の仏教会に革命を興した人物。最澄の中国からもたらした教えを発展させ専修念仏思想を確立した浄土宗の開祖。
    法然が南無阿弥陀仏を只管唱えることを教えとしたのに対して弟子である親鸞は、ただ一度でも唱えれば悪人も浄土に行けるとし浄土真宗を興した。親鸞は法然を超えたと観る向きもあるが、二人の悟りを得た時代背景の違いが大きいようだ。
    平安時代から鎌倉時代にかけて仏教者の中に多くの僧が仏教の真髄を求めて只管修行に励んだ。そして自分の世界を築いた。それが各宗派に分かれたもの。したがって、どの宗教が正しいなどと言うべきではない。どれも正しい。自ら信じる教えに従うべきだろう。
    そこは、死とか冥土とか、お寺とか檀家、墓をどうするかなどの現世の狭い考えに煩わされている自分がちっぽけな存在に思える。
    世の常としてお寺を選場ざるを得ないのだが、その場合、宗派よりその寺の僧侶のが何を求めているか、何を語るかを尺度にしたい。今の世に法然のような僧が必要と思う。

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  • 浄土宗を開いた法然の教えについて語られた本。
    五木寛之の『親鸞』を読み、彼の一生は漠然なりと理解できましたが、親鸞の師である法然については良くわからないことも多いため、彼の一生について書かれた本を探していました。
    著者は二人。

    良く読んでみると、同じ本に書かれているのに、二名とも若干歴史の解釈が違います。
    父親が殺されたのは、法然がまだ親元にいる頃だという説と、すでに比叡山に登った後だという説、双方をそれぞれが支持しており、折り合っていないところが逆におもしろく感じられます。

    「悪人正機」とは親鸞のオリジナルではなく、もともと法然が説いていたことを、親鸞が声高に言ったものだそうです。
    善悪の勝ちを転倒させるかのような、革命的かつセンセーショナルな内容なので、親鸞が言ったかのようですが、それを穏やかな法然が言い始めたというのが驚きでした。

    さらに、法然は僧侶でありながら「神仏に祈っても病気は治らない」と喝破したそうです。
    当時は神仏にすがり、疫病払いの祈祷などに頼っていた時代。
    さまざまな迷信に縛られていた人々にとって、これまた衝撃的な言葉だったことでしょう。

    「祈って、病気が治ったり、寿命が延びたりすることがあれば、誰一人として病気で死ぬことがないはずです」
    当時の閉塞的な時代において、このような正直かつ大胆な言葉を発せたとは、ひとかたならぬ勇気を持った人物だと思います。

    日本には今でも檀家制度が残っており、キリスト教国でも教会税なるものが存在すると聞いたことがありますが、ヨーロッパでは死ぬ前に「テスタメント」という遺言を用意して、財産の一部を協会に寄付しなければ、破門され、死後、敷地内の墓地に埋葬してもらえないという仕組みになっていたとのこと。
    洋の東西を問わず、宗教は人の弱みに付け込む側面があるというところは残念です。

    仏教では「ただの人」になることが一番望ましいとされます。
    一見、なにも頑張らなくてもよい、楽なことのように思えますが、「優越感と劣等感、自信過剰と自己不信という二つの川に落ちずに、その真ん中をすーっと渡るのが、一切のとらわれのないただの人」という定義を知ると、人でいる限りなかなか到達しえない境地なのではないかと思います。

    巻末には、法然が弟子とかわした「一百四十五箇条問答」が掲載されていました。
    「酒を飲むことは罪になるのか?」という問いに対し、「本当は飲むべきではないのですが、この世の習いです。」と答えている(第57条)ところが、とても人間らしくて親しみを感じられました。

    個人的に一番スッキリしたのは、法然に関係する人物として、熊谷直実と九条兼実がごっちゃになっていたのが、区別がついたことでした。
    穏やかな性格とラディカルな思想を併せ持った宗教家。
    興味が尽きません。

  •  著者である町田宗鳳は、14歳で出家し、20年間大徳寺で修業の後、34歳になって寺を離れて、ハーバード大学で神学を学んだという経歴の持ち主。法然も15歳で比叡山に入り、18歳で西塔黒谷に入り、43歳になって黒谷を出て専修念仏を始めて浄土宗を開いている。経歴が似通っていることが、著者を法然に引き寄せたのかもしれない。もう一人の著者である梅原猛も、浄土宗鎮西派が設立した東海中学の出身であり、校長の講話を聴いて法然の思想に惹かれるようになったという。
     我が家は浄土真宗で、父は朝晩「正信偈」を欠かさず、祖父も晩年は暇さえあれば「歎異抄」の分厚い解説書を開いており、祖母も事ある毎に「ナムアミダブツ」を称える妙好人であった。私も吉本隆明の『最後の親鸞』に出会って初めて親鸞の思想の深さに気付かされたものの、親鸞の師である法然に目を向けることはなかった。
     ところが、親鸞は『歎異抄』の中で「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりともさらに後悔すべからずさふらふ」とまで述べている。親鸞の思想の原点は法然にあるのではないかと思い至り、法然についても読み始める。
     読めば読むほど、「念仏」により民衆を救済しようとした革命的思想家としての法然が浮き彫りになってくる。法然は「念仏ができないならば妻帯してよい」と柔軟に教えており、「悪人正機説」も実は法然が唱えている(『醍醐本』)。親鸞は師である法然からこれらの考えを受け継いだことがわかる。
     仏教思想の大きな転換を図ったのは、内乱と天災による混迷の時代を生きた法然であった。町田宗鳳が指摘するように、法然の<鷹揚さ>に対して、親鸞の<厳格さ>を対置してみると、法然は懐が深く庶民に愛されたのに対し、親鸞は自分を厳しく見つめ追いつめて知識人に高く評価されてきたことも納得できる。法然と女性とのやりとりを記した『一百四十五箇条問答』も面白い。法然が如何に器の大きい人であったかが窺われる。「他者に優しい法然」と、「自分に厳しい親鸞」が見えてくる。

  • 写真があると新たになるところがある。

  • 11/10/04。

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著者プロフィール

哲学者。『隠された十字架』『水底の歌』で、それぞれ毎日出版文化賞、大佛次郎賞を受賞。縄文時代から近代までを視野に収め、文学・歴史・宗教等を包括して日本文化の深層を解明する〈梅原日本学〉を確立の後、能を研究。

「2016年 『世阿弥を学び、世阿弥に学ぶ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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