学生と読む『三四郎』 (新潮選書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106035616

作品紹介・あらすじ

ある私大の新学期、文芸学部教授の授業「近代国文学演習1」に十七人の学生が集まった。「いまどきの大学生」が漱石の『三四郎』を教科書にして、講義の受け方、文章の書き方、テーマの絞り方、資料の収集など文学研究の基本を一から学んでいく。実際に提出されたレポートと辛口の採点結果を交えながら、テクスト論の実践が理解できてしまう一年間の"物語"。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルこそ「学生と読む『三四郎』」だが、学生のレポートや先生の講評などが書かれているのは、実はページ数の半分程度。
    それ以外は「石原先生おおいに語る」ってタイトルのほうが合っているのでは?と言いたくなるような内容。
    たとえば研究や論文執筆もロクにしていないくせに自分の都合ばかり口に出して我を通そうとする不良教員共の言動アレコレだとか、学生とのコンパや合宿での弾けぶり(学生のみならず著者自身も)だとか、(当時の東京の)主要大型書店の品揃えや接客態度などの比較だとか、果てには女子学生から言い寄られた?エピソードとかetc.
    このように大学を舞台に硬軟が交互に展開する作品として、私は文学部唯野教授(1)を連想する。

    もう1つ言うと、この本で石原先生が学生に教えるのは“レビュー”の書き方ではない。「批評」と明確に区別される「解釈」だと再三説いている。(2)
    それは「テクスト論」と称せられる、三四郎などの小説に対し、参考文献を多読し、自己の経験や知見を駆使して、何が読めるのかを徹底して解読し、大学生としての知的コミュニケーション能力向上につなげようとするやり方だ。
    だが今の私は大学生ほど時間も十分になく、頭の中も固まっているので、先生の要求に沿っての解読は難しい。それは重々承知だが、私なりの三四郎論を書くことで、先生へのリスペクトを表したい。(3)

    題:三四郎の“奥手”論を別の角度から考察する-奥手でなく女性への高い理想ゆえ

    三四郎が女性に対して知識などが乏しいと解釈する論評を目にしたが(4)、広い意味ではその通りなのだけど、三四郎が女性との付き合い方を全然知らない堅物と一括りにするのは面白味がないし、田舎者のリアルを精密に反映していない。では三四郎は知識不足ではなくて何なのか?そこから論を進める。

    1 郷里での三四郎の女性体験
    確かに明治40年代は男女の自由恋愛は希少であり、三四郎が郷里の熊本でそのような体験をしなかったと考えるほうが筋は通る。しかし(時代は下るが)三島や大江の小説の登場人物を引くまでもなく、田舎のエリートが女性に対する妄想を反動的に膨らませ、田舎なりの方法でその“処理”をし終えた可能性もないことはない。また、娯楽が少ない田舎の青少年のリビドーの渦のなかで、石原先生が指摘するように(5)日本的なイニシエーション経験を三四郎が故郷ですり抜けたと考えるのも、都会者が陥りがちな田舎者の過小評価と思う。
    だがもし女性との何らかの接触が郷里であったとしても、それは三四郎の意に沿ったものでなかったに違いない。それは三四郎がおみつさんを何となく避けようとする言動に表れている。おみつさんに代表される田舎の粗野な女性に三四郎はうんざりしていたのだ。

    2 三四郎の理想の女性
    では三四郎が女性全般を避ける性質だったかというと、それも早合点だ。
    ここで私の恥ずかしい経験を語るのを許してほしいが、私が大学入学とともに地方から上京したとき、音無響子さん(6)のような女性に東京で出会えることを夢見ていた。美人でやさしく、しっかりした所もあるがどこか守ってやりたくなるようなか弱さも併せ持つような女性との出会いを夢見ていれば、それ未満の女性は眼中からいなくなる。
    三四郎も、東京行の途中で同宿することになった女性に触れようとしなかったが、彼は東京で理想の女性と出会うまで、それ以外の女性とは関わりたくなかったのだ。

    3 東京での理想の女性との出会い
    三四郎は大学構内の池のほとりで美禰子をはじめて目にする。ここで言っておきたいが、三四郎がその場の第一印象ですぐに美禰子を理想の女性と認定したわけではない。一目でアンテナには引っかかったものの、その時点では美禰子はあくまでワンオブ理想の女性候補にとどまる。
    美禰子はその後も、三四郎が今まで出会ったことのない(そして三四郎が好もしく思える)女性の特質を数々の場面で表出する。しかし逆にそうでないものや、三四郎が解しえないような特質ももつ美禰子に対して、三四郎は郷里で手に入れていたはずの女性についての“手札”をどう切っても勝てないことに気づく。
    ――「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。――
    なお三四郎にとって不幸だったのは、美禰子への思いに加速をもたらす“おせっかい役”が周りにいなかったため、三四郎の妄想が成長不全のまま、美禰子を理想の女性へと翻訳しきれなかったことである。

    4 三四郎と美禰子の心象の推移
    美禰子の三四郎に対する思いはどうだったのだろうか?美禰子にすでに思い人がいたというのもあるが、勘のいい美禰子には三四郎の言動が女性を天秤にかけ品定めするように見えた。また、美禰子がある時「私そんなに生意気に見えますか」と三四郎に問わず語ったように、彼女は自分を第三者的に見ることができるという点で、三四郎がはじめて邂逅した新しいタイプの女性だった。
    一方で三四郎は、美禰子の顔色や目つきや歯並びは高い評価をするものの、彼女の新しいタイプの女性としての性質を同様には評価できなかった。そこが三四郎の限界だったのだが、それは彼が田舎者だったからでもない。奥手だからでもない。三四郎の妄想が欲張りすぎたのだ。音無響子さんみたいな女性はそう簡単に見つけられないという現実認識が不足していたのだ。

    5 まとめ
    女性への理想が強すぎたがゆえに、三四郎は自分に関わる女性に安易な妥協はしたくなくて、逡巡しているうちに、同衾した女性には「度胸がない」と言われ、美禰子にも見限られたのだ。
    つまり(私も含めた)地方出身者が、女性への屈折した妄想を抱き、都会で未知のタイプの現実女性と出会い、自分の妄想と現実女性の実際の性質との軋轢というプロセスを経て、挫折に至る過程を軸に、明治日本のBildungsromanとして書かれたのが「三四郎」だ。(7)

    注(1)筒井康隆「文学部唯野教授」岩波現代文庫
    (2)先生は「批評」自体の存在を否定していないので、念のため。
    (3)私の試論は先生が学生に求める意図に全く沿っていない。したがって「疑似的」と頭に付けるべき。(約2時間で書いたものなので、本書掲載の学生のレポートと比べて完成度は足元にも及びません。)
    (4)本書P160 成城大学学生の中井貴子さん(仮名)のレポートから引用
    (5)本書P252 成城大学学生の沢村果林さん(仮名)のレポートに引用された石原先生の論文から孫引き
    (6)高橋留美子「めぞん一刻」小学館
    (7)石原先生は地方出身者ではないので、あえて地方から東京の大学へ進学した私のような地方出身者でしか三四郎の真情は理解しきれない…そんな“意地悪”な書き方をしたのがよく読めばわかるね。なお夏目漱石は地方出身者ではないが、ロンドン留学で田舎者感を味わったはずであり、その点で夏目は石原先生よりも私たちに近い。

  • 成城大学で著者が担当している通年授業「近代国文学演習Ⅰ」における、著者の大学教育の実践を語っている本です。本書全体が、「鬼教授」の大学内での戦いと、その教え子たちの成長物語になっていることに、くすりとさせられました。

    本書で紹介されている学生のレポートのレヴェルの高さに、まずは驚かされました。もちろん著者のゼミに入ろうとする学生たちなのですから、読書量は豊富だとは思いますが、著者自身も本書で述べているように、高校までの国語教育における「人格形成」にどっぷり浸かってきた学生たちが、1年間の授業の間にテクスト論やフェミニズム批評のスタイルを身につけていくことには、やはり目を見張らされます。

    わがままな大学の講師たちとの格闘や、学生たちを相手にオシャレやギャグにも気を配らなければいけない著者自身の姿も描かれていますが、こちらはあまり関心が持てませんでした。ユーモア・エッセイのようなスタイルで綴られていたら、もう少しおもしろく読めたかもしれません。

  • 成城大学という明治時代の学園を思い出させる長閑な環境で、「三四郎」を教えていたことを語るこの人はきっと三四郎の世界との共通点を読者にも意識させたいのだろう。現代の大学生の生態を感じさせる前半、そして後半はゼミ生たちの「三四郎」理解の論文の紹介など飽かせない。学生たちが深く「三四郎と美彇子」の関係を理解しているのには驚いた。この作品を読み込むだけで、教育史のみならず日本史全般、心理学など幅広い学びができる格好の作品なのだ。「冷たいようだが、大学のレポートは人間としての君たちを知ろうとは思っていない。知りたいのは、君たちの思考である。「私は~思う」ではなく、「~は~である」という形式の文が求められる。」という学生への指導の言葉は大賛成である。このような鍛え方で、2年と4年のギャップを語っていることは興味深い。20歳前後の2年間の伸びしろの大きさを物語っている。「オンデマンド授業」への著者の厳しい批判は正にその通り。学生との触れ合いを実践している著者だからこそ迫力がある主張だ。

  • 文学論は分からないが、三四郎の読み方がわかるかと思って購入。
    頭から三分の一ぐらいまで成城大学のこと。
    後半も、厳しい授業をして、こんなに学生を育てましたよ、みたいな講義自慢。

  • 茂樹さんリリース

  • 石原先生の成城大学最後の1年における演習授業を通じて、テクスト論が紹介される。
    それ以上に、大学教育(特に人文科学)とはどうあるべきか、大学生に求められることを明確に提示する。石原先生の主張には100%同意。きっと少数意見だろうけど。この本が上梓されたのは2006年。2021年の今は、より大学教育、それも人文科学系にとって厳しい状況になっている。けれど教育に効率性を持ち込んじゃダメなんだ。

  •  成城大学2年生が1年かけて『三四郎』を読解したゼミの実況レポート。
     大学教育の裏話なんかも描かれています。
     紹介されている大学生のレポートはすごい。
     よく出来たレポートばかり掲載されているのでしょうが、それにしてもこんなレポートが毎年生み出されていたとは。
     学生のレポートとして埋もれてしまうのは惜しいようなレポートもあります。
     これらの指摘は学会で共有されているのでしょうか。
     毎年提出されたレポートは先行研究としてゼミ生は知っているのでしょうか。
     もし読んでいたらダブらないように書かなあかんのでそれもまた大変そう。
     毎年『三四郎』を扱っていると、偶然同じようなことを書くというケースはないのでしょうか。
     夏目漱石の『三四郎』は掘っても掘っても掘りつくせない井戸のような名作なんですね。
     ともかく文学の研究とは簡単ではない。適当に感想書いてるだけではただの感想文なんです。
     私も『三四郎』については思い入れがあったので感想文を書いたことありました。
      
    『三四郎』な人生論
      http://sanshirou.seesaa.net/category/4385159-1.html
      
     しかしそんなのはただの感想文であって、とても「書評」「研究」「批評」とまではいえないレベルです。
     よく「書評ブログ」などと銘打って軽々しく「書評」を名乗る傾向がありますが、軽々しく「書評」とは言うべきではないと思います。
     私もよく本の感想をブログに書くのですが、自戒したいと思います。
      
    ■[日々の冒険]今後軽々しく“書評”を書けなくなる本
      https://diletanto.hateblo.jp/entry/20110820/p1
      
     そして本の感想を書いている以上、レベルを上げていくために努力しないといけないと。
     石原先生の著書を始め、文学研究の本も読んでいくべきだと思いました。
     ところで本書には「研究」と「批評」の違いについて説明された部分があります。
     私は同じものだと思っていたのですが、専門家からしてみれば、区別されているようです。
     違いが分からない人は本書を読んで勉強しましょう。
       https://diletanto.hateblo.jp/entry/2020/03/28/201810

  • 2006年刊行。タイトルに騙されるといけない。本書は文学部において文芸評論を学んでいる学生を素材にした、大学教育論である。というより、大学生(文系に限られようが)の学び方、学生生活のノウハウ本に近いかも。◇今の学生さんたち、実によく勉強しているなぁ、というのが正直な感想。◇ちなみに、本書でも強調されるが、本屋をきちんと巡ること、また、文章を実際に書くということはとても重要なので、ぜひ頑張ってほしいところである。

  • <閲覧スタッフより>
    大学教員が学びのおもしろさを語った本、学生がゼミや授業で学んだ成果をまとめた本を集めました。大学での学びがよく分からない方、さまざまな学びに興味のある方、ぜひご覧ください!
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    所在記号:377.15||イシ
    資料番号:10221768
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  • ここまで三四郎を多様に読み込めるのか。感情移入して読むだけが小説ではないのだ。また、大学生への指導も興味深い。大学教員としての仕事に触れた部分はいまいち。

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著者プロフィール

1955年生。早稲田大学教授。著書に『漱石入門』(河出文庫)、『『こころ』で読みなおす漱石文学』(朝日文庫)、『夏目漱石『こころ』をどう読むか』(責任編集、河出書房新社)など。

「2016年 『漱石における〈文学の力〉とは』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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