- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106035869
作品紹介・あらすじ
イスラームの「原理主義」と「リベラル」、対極の勢力が信奉するのは同じコーラン。また、戦前日本の日蓮主義からは、テロによる暴力と慈愛にみちた文学が同時発生した。なぜ同じ教義から、「テロ」と「救済」が派生するのか?イスラームから日本まで、原理主義を検証し、解釈によって「愛」も「憎しみ」も生まれる両義性を解剖。宗教問題の本質に迫る力作評論。
感想・レビュー・書評
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イスラーム教は危険と単純に思ったことはないが、そういう空気が世の中に浸透してきている感は確かにある。本書はイスラームにも様々な考え方が混在している点の指摘、一神教と多神教の二元論への批判、仏教において発生したテロを分析することでイスラーム原理主義との共通項を導く思考によりステレオタイプな評価に警笛を鳴らす。
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イスラム教が「好戦的で女性蔑視」の宗教であるという誤解を解くのが目的らしいが、結局、宗教自体がそういう危険性を孕んでいる(=原理主義化)ことを主張している。どの宗教もそういった記述はあるが、他の宗教は世俗化し、当該部分に触れないようにしているのに対し、イスラム教は世俗化を拒否している(少なくとも周囲はそう認識している)こと自体が問題なのに、それに対する回答はなく、現在のISに起因するイスラム教への嫌悪感を全く払拭できていないと感じた。
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本人が書きたいこと書いただけ、という内容になってしまっている感じ。そら、どんな宗教であれ、暴力を導く考え方はあるだろうし、紛争は他者との差異から生まれるのだから、こういう共通化をしてどうなるんじゃろう。
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この分野に知識がないためか全体の構成がわかりにくい 論法でした。結局 テロは宗教的な概念よりも国際政治と密接に結びついているということ?もう少しイスラム教のことを勉強せねば。
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原理主義に走るのは一神教に限らず、仏教やヒンドゥー、神道なども歴史的にいって実例があり、前近代的であるかのようでその精神的指導者は近代的教育を受けていてその反動に走ったものだと説く。問題は宗教であるよりナショナリズムであり、現代は富が著しく不平等なのと同じくらい、誇りが不平等であることが過激な行動に走る原因であり、単に物質的に満たされるだけでは怒りは収まらないというのは説得力がある。
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160.4/O24
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基金の勉強会でご本人からいただいた一冊。
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非西洋に対する歪んだ見方を解いてくれる。近代化は普遍的願望であるが、同時にそれは苦渋の選択でもあるという当たり前の事実に気づく。世界を席巻するグローバリズムとそれに反発する動きは北京五輪の聖火リレーを思わせた。グローバル化が進むほど、それに対する反動は大きくなり、西洋と非西洋の争いはますます激化する。同時に西洋社会の中でも、富と誇りを失う者が増え、失った者は他者の誇りを傷つけることで自らの誇りを確認する。米において失った者は誇りの補填をキリスト教右派に求め、アラブにおいて失った者はアルカイーダに染まる。本来、両者は似たもの同士のグローバリズムの犠牲者なはずだが、それぞれが対極に位置するように憎しみをぶつけ合う。そんな救われない世界の輪郭が浮かび上がる。