- Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106036422
作品紹介・あらすじ
迷ったとき、悩んだときは、漱石流でいこう!「生きていることが奇跡」「人間は恥をかくために生まれてきたようなもの」「世の中に片付くものなどありはしない」「自由になるのは自分の心だけ」等々、文豪が一生をかけて残した言葉には、時代に関係なく通用する、物事の本質を見通す力が宿っている。漱石の生涯をなぞりながら、その時々の印象的な言葉と効用を紹介。生涯49年分の名言を、丸ごとあなたの手に。
感想・レビュー・書評
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漱石の言葉は私のこころの奥に深く浸み入ってくる。私も「木曜会」に参加して、黙って漱石と門人たちの会話を聞いていたい。 内田百閒の『漱石先生臨終記』の一節には思わず泣かされそうになります。
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読みたい。
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人間はある目的をもって生まれたものではない。税所からある目的を拵えて人間に押し付けるのは、人間の自由を奪うことになる。だから生きる目的は生まれてきた人間本人が自分自身でつくったものでなければならない。自分がこうしたいという自己本来の目的こそ、生きる目的である。
人間の価値はやってみないとどのくらいあるかわからない。君、どうぞ勉強してやってくれたまえ。
人生の意味とは、われわれが人生の中で見つけたり、あるいは発見できるような何かしら隠されたものではなく、われわれ自身が自らの人生に付与しうるものであることを教えてくれる。
私は今のところ自殺を好まない。おそらく生きるだけ生きているだろう。
漱石の小説は自らの心の病との戦いの記録でもあった。
不安や恐怖を取り去る最良の方法は、現実を受け入れること。不安や恐怖は現実からの逃避のしるし。否定しようのないものは受け入れるしかないではないか。
運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。
本当に黙することのできるものだけが、本当に語ることができ、本当に黙することのできるものだけが本当に行動することができる。沈黙は内面性である。
精神の存在を自覚するとは、持って生まれた心の作用=人情を自覚することにほかならない。
昔の自分に戻ることは不可能である。可能なのは新しい自分を作り上げることである。自分は探すものではなく、自力で作りあげるしかない。 -
漱石とウエーバーとで悩みを切り開けるか【赤松正雄の読書録ブログ】
「強い返事をしようと思うときは黙っているに限る。無言は黄金である」―漱石の小説『虞美人草』からの引用である。漱石の小説や書簡集から59の言葉を集めて6つの章に分けた木原武一『人生に効く漱石の言葉』を読んだ。いろいろ参考になったが、冒頭に引いた一節は妙に気になった。なぜなら、普段から私など「沈黙は会話の停滞、意思疎通の障害、決裂の前兆などを暗示」すると思い込み、「無駄口を叩き、言わなくてもいいことまで言って、物議をかもしたり」してきたからだ。政治家を志して20年あまり。人様の玄関先や軒先で、工場や会社の事務室や社長室で、そして国会の議場でと、ありとあらゆるところで喋ってなんぼの世界を生きてきた。まさに“饒舌の徒”としての我が身を嫌悪(?)したこともしばしば。「無言は黄金」とは、一対一の人間関係にあって威力を発揮すると分かっていても、習慣は恐ろしいもので、あらゆる場面で私など沈黙を恐れてしまう。「沈黙のなかで、人間は考え、行動への力をためる」との著者の指摘を肝に銘じよう。
漱石の言葉に思いを寄せている最中に、マックス・ウエーバーと漱石の二人をヒントに「悩む力」について考えた本に出くわした。姜尚中(カンサンジュン)『悩む力』がそれで、著者によると二人は「個人の時代の始まりのとき、時代に乗りながらも、同時に流されず、それぞれの悩む力を振り絞って近代という時代が差し出した問題に向き合った」とする。「私とはなにか」「金」「青春」「働く」「変わらぬ愛」「老い」など普遍的テーマを扱ったこの書は、昨年上半期にかなり売れたようだ。
興味深く読んだものの、あまり感銘は受けなかった。この手の本を読む際には、私は「宗教観」を見ることにしている。姜さんは「信じるものは救われるか」の章で、「自分を信じるしかない」として、「超越的存在に恃むという他力本願のことではない」という。自身に内在する最高の力としての仏性を引き出すことは、まさに自力に頼ることになることをご存知ないのは惜しい。