未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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  • 新潮社
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レビュー : 58
  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037054

作品紹介・あらすじ

天皇陛下万歳!大正から昭和の敗戦へ-時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人はなぜ神がかっていったのか。皇道派vs.統制派、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕…。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、近代日本のアイロニカルな運命を一気に描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • 勝てるはずのない戦争に突入したのは、日本軍の過剰な精神主義が原因、との通念に違う角度から光を当てる本。

    ヨーロッパが焦土と化した第1次世界大戦。日本は日露戦争の教訓を生かし、兵士を無駄死にさせない最先端の砲撃戦を実践していた。本来は物量戦が望ましい。それはわかっている。しかし「持たざる国」日本では徹底的な突撃しかない(皇道派)。あるいは国家主導の経済強化で「持てる国」になるしかない(統制派)。いずれにせよ、勝てるようになるまで戦争はできない、それが軍部の(隠れた)意向だった。

    古代の政治の理想である「しらす」(天皇自らは決めず、いろいろな意思の鏡となり、人々はそれを仰ぎ見てしらされる)、の思想のもと、あえて権限を持たない機能の寄せ集めとして明治憲法は制度を設計した。それは維新の元勲の密室政治を前提とした仕組みであり、ファシズムなど目指したくても目指せる代物ではなかった(欽定憲法を改正するなどという主張はできるはずもなかった)。日本のファシズムは未完であった、という。

    権限の集中による総力戦体制も作れないまま、それを補うための神がかり的な玉砕が礼讃される。明治維新、大正デモクラシーと時代が進むほど、むしろ精神主義は加速した。

    大きな敵に小さな力で挑む、これを応援するのは日本に限らない。では小さきものの武器はなにか。工夫や手練手管か。はたまた「根性」か。別の話といえばそれまでだが、かつて松井選手への5連続四球を国を挙げてバッシングしたことを私はどうしても思い出してしまうのだ・・・

  • 戦術思想史を日露戦争から第二次世界大戦に至るまでの変遷を概観した快著。
    ・青島の火力に頼む近代戦
    ・ドイツフランスに輸出された日露戦争の勇猛果敢な突撃戦術
    ・ネタがベタになった短期決戦・包囲殲滅ドクトリン

  • 第一次世界大戦に衝撃を受け、総力戦を徹底的に知り尽くした陸軍軍人たちが資源のない「持たざる国」=日本が「持てる国」と戦争するにはどうすればいいか。精神力で補うしかない。この認識から生まれた軍人たちの戦争哲学を解き明かした内容。




    第一次世界大戦で戦争の形態が変わった。
    戦場で兵士が闘うだけでは勝てない。経済・社会・政治を巻き込んだ総力戦というものでになった。総力戦ではなにより、物量が勝敗を決める。そこでは火力が重要であり、最新の武器が必要であり、物を補給する力が勝敗を決める。国家総力戦となった。そこでは資源を持つ「持てる国」が勝つ。

    皇道派である小畑敏三郎や荒木貞夫は、日露のような肉弾戦のような戦い方では、これから戦争には勝てない。日本は資源がない。持たざる国だ。この徹底した認識。第一次世界大戦を観察し、洞察し、知り尽くした軍人たちは、そう認識した。


    だから、「持たざる国」が「持てる国」と闘うにはどうすればいいか。
    そこで皇道派の小畑は考えた。戦争は短期で、包囲殲滅作戦で、さっさと終わらせること。武器・弾薬、など足らない物量や戦力は精神力で補うこと。短期決戦- 包囲殲滅-精神力。これでなんとか闘う。決して強い持てる国と闘ってはいけない。



    これを明記したのが「統帥綱領」であり、「戦闘綱領」だ。しかし2・26事件で小畑・荒木皇道派が粛清人事で軍から追放されると、統帥綱領に記された本当の意味を理解するものが軍からいなくなり、文字に記された精神性だけが一人歩きし、暴走し始める。



    一方の統制派も皇道派と同じ認識を共有していた。代表格の石原莞爾。彼はこう考えた。「持たざる国」が持てる国と戦争をするにはどうすればいいか。外に資源を求め日本を「持てる国」しよう。そう考えた彼が進めたのが満州事変。ここから満州国建国という歴史の流れが生まれる。



    最も戦慄するのが工兵の中柴末純。彼の神がかった玉粋思想。持たざる国が戦争するには、兵士が喜んで、死んでいくこと。これが作戦である。
    玉粋こそ作戦である。兵士が喜んで死んでいく。敵は気味が悪いと思う。相手を怖じ気づかせられれば勝ち目も出てくる。そのために、日本人がどんどん積極的に死んでみせればいい、と考えた。これで「持てる国」も怖じけづく。持たざる国・日本にも勝ち目が出る。狂人だったわけではない。彼は工兵だ。軍のなかでも合理的思考ができないと勤まらない。中柴は合理的に考えて、戦争思想を突き詰めていった。



    今までイマイチ分からなかったことが腹に落ちた。陸軍の皇道派を自分は勘違いしていたかもしれない。ただの精神主義に凝り固まった頭の悪い軍人だと。昭和の陸軍軍人がなぜタンネンベルクの戦いに魅了され、短期戦・殲滅作戦に固執したか。石原莞爾が満州にこだわった動機。
    第一次世界大戦という日本近代史の空白地帯から、陸軍軍人たちの戦争思想を解き明かす。その鮮やかな手腕と斬新な視点は見事でした。
    お薦め。

  • 先日、「米軍が恐れた「卑怯な日本軍」」という書籍を読んで、玉砕までをも含む旧日本軍の戦術と、それに対応した米軍の戦闘マニュアルについての感想をあげたところ、本書を薦めていただいたので、読ませていただきました。
    本書は、日本軍の戦術の規範が、なぜ極端な精神主義に偏り、玉砕に突き進むようになったかを、第一次世界大戦以降の日本、そして日本軍人の描写を通じて解説しています。
    日露戦争で、肉弾による突撃を主とする戦法は、既に機関銃、重砲を備えたロシア軍の前では、既に時代遅れのものであり、きわめて大きな犠牲を払うこととなった。
    日露戦争の犠牲を踏まえ、長期間にわたった第一次世界大戦の動向を学んだ日本軍は、すでに第一次世界大戦以後の戦いが、大量破壊兵器同士の戦いになり、そしてその戦いを勝ち抜くには、大量の物資を必要とする物量作戦であることを、十分認識していた。
    だからこそ、日本軍は青島の独逸軍と戦った際に、いたずらに突撃を繰り返すのではなく、十分な砲撃を踏まえた、一気の突撃により、驚くほど短時間でドイツ軍を撃破することができたのだった。
    その、物量作戦を指揮した軍人が書き起こした「統帥綱領」や「戦闘綱領」は、その物量作戦を知ったうえで、運用すべき戦場のルールであったのにもかかわらず、第二次世界大戦に突き進む我が国では、いつのまにかルールに書かれたこと至上主義となり、モノより精神、武器の足りないところは鍛錬で補い、良く敵を殲滅するという方針だけが形成されていく。
    玉砕戦術しか指揮できない参謀本部、旧陸軍の高級将校たちは、やはり無能ではなかった。しかし、当初、このルールを策定した実戦経験を踏まえた先輩軍人たちの知恵を活かすことができず、ただ、ルール至上主義で破滅に向かって進まざるを得ない状況になっていたのかもしれない。

    作者は、あとがきをこう締めくくる。「この国のいったんの滅亡がわれわれに与える歴史の教訓とはなんでしょうか。背伸びは慎重に。イチかバチかはもうたくさんだ。身の程をわきまえよう。背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだ時の痛さや悲しさを想像しよう。そしてそういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある。そんな当り前のこともことも改めて噛み締めておこう。そういうことかと思います。」

    ただ、根拠のない安全をよりどころに、人間が制御できていない原子力発電に手を出して、万一のことには思い至らず、無視し、一時の利益のみに群がり、しゃぶり尽くす。そんな現代の日本人は、多くの犠牲を払って日本人が獲得した知恵を活かしているとはいえないのではないだろうか。
    そして、ルールルールとそれだけを拠りどころにし、そして言葉巧みに利用して自らの正当性を主張する、どこかの政治家は、その法が作られた意図を理解しているのだろうか。
    なるほど、この書籍は現代日本に読み替えても、なかなか示唆に富んだものだといえるだろう。

  • 日本が戦勝国として関わった第一次世界大戦を起点に「なぜ日本が勝てるはずもない戦争に飲めりこみ滅びたのか」を読み解く。

    未完のファシズムという意味は、明治日本は天皇中心の国家を築こうと試みたにもかかわらず、天皇以外にはリーダーシップをとれる仕組みがなかったこと。

    確かに日本のヒトラーと言われる東條英機も独裁者だったか?というとNO。この「本気で意見が一致してひとまとまりになり誰かの指導や何かの思想に熱烈に従うことは、いついかなるときでも、たとえ世界的大戦争に直面して総力をあげなくてはならないときでも、日本の伝統にはない」「幕末維新は尊皇派も佐幕派も開国派もいたからこそかえってうまく運んだ。いろんな意見をもつ人々が互いに議論したり様子を見合ったりして妥協点を探る。一枚岩になれない。逆にぎくしゃくしながらすすむ。・・・のが日本の伝統だ」

    今のコロナ禍の日本にも通ずるところがあるな!


    勇猛果敢な突撃で大国ロシアを打ち破り世界を驚かせた日本は、第一次世界大戦での欧州の戦闘から時代は砲兵・工兵の時代と見抜く。そこから「持たざる国」日本がどのように世界で生き残るかの模索が始まる。

    持たざる国を持てるに国変えようとした石原莞爾ら統制派、タンネンベルクの戦いや桶狭間のように寡兵でもって大軍を打ち破る短期決戦を目指す皇道派。しかし結局いずれもできない泥沼の日中戦争・対米戦争へと走り出してしまう。

    最後に残ったのが「精神で勝つ」ほとんど宗教的狂気に感じられる中条末純の「戦陣訓」。

    この物凄く不合理な飛躍を丁寧に読み解いているのだが…それでもやっぱりここの狂気への跳躍は理解できない。

    しかし…理解できないが…。アッツ島での玉砕、米軍従軍記者が恐れた日本の滅びの美学には、100%同意できない、と言い切れないところが怖い。自分の心のどこかの片隅に、えも言われぬ誇らしさのようなものがあり、恐ろしい。絶対に繰り返してはならない悲劇なのに。命令に従わざるを得ず母や妻、子供のことを考えながら死にたくなくても死なざるを得なかった祖父のような人たちがいっぱいいたはずなのに!

  • なぜ第2次世界大戦のときの日本は、勝ち目のない戦争に突入し、精神論を振りかざして、玉砕や特攻などを美化して破滅に突き進み、戦後は戦争責任がどこにあるのか分からない状態になっているのか。子どものころから疑問だった。わたしと同世代の著者は、第一次世界大戦に衝撃をうけた軍人たちの反応にルーツはあるとにらみ、当時の政治体制が中途半端なファシズムであったからだ、と考察する。その原因は明治の政治システムにあるという。天皇は自分の意思をもたず示さず鏡に徹して、権力が集中しないように、つまり誰も責任をとらないように分散させていた。精神論を鼓舞させたのは、「持たざる国」が窮鼠猫をかむ状態だったのか?いや死をも恐れぬ様子を見せて、戦意喪失を狙ったのだと!?おおまさか!それが作戦!?

  • ☆今だに「持たざる国」だな。

  • 日本のファシズムはファシズムではなかった、という。

  • 誰も本気で勝てるとは思っていなかった戦争へ、なぜ引きずり込まれていったのか?
    そこが知りたかったが、前提となった諸要素の解説に留まり、知りたいことが、もう一つ明確になっていなかった。戦争の直接の要因については書かれているものは他に多いため、違う切り口でのアプローチをされたのであろうと推測する。
    私は第二次世界大戦について書かれたものについては、ほとんど読んだことがなく、また知識もないため、今後知識を得ていくことにより、後日この本を再評価したい。

  • 【要約】


    【ノート】

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著者プロフィール

1963年、宮城県生まれ。思想史家、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。専攻は近代政治思想史、政治文化論。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテス・パブリッシング、吉田秀和賞・サントリー学芸賞)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞)、『「五箇条の誓文」で解く日本史』(NHK出版新書)、『鬼子の歌』(講談社)など。

「2019年 『革命と戦争のクラシック音楽史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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