- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106037498
作品紹介・あらすじ
風景とは、かくも危険なものである――。見る人の気分や世界観によって映り方が変わる風景は、“虚構”を生み、時に“暴力”の源泉となって現実に襲いかかる――。沖縄の米軍基地、連合赤軍と軽井沢、村上春樹の物語、オウムと富士山……戦後日本を震撼させた事件の現場を訪ね、風景に隠された凶悪な“力”の正体に迫る。ジャーナリズムの新しい可能性を模索する力作評論。
感想・レビュー・書評
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わたしたちはしばしば同じ風景を目にしながら違うものを見ている。それは、風景が同じ構成物の集合である以上に、それぞれの主観において統一的な全体性・意味を提示するものであるからだ。
著者は、ジンメルや柄谷行人の風景論を引きながら、それぞれの「気分」や「世界観」を反映する虚構としての風景を唯一絶対の現実として取り違えることは暴力につながりかねないと指摘し、戦後史における暴力事件の「風景」をジャーナリズム的手法でたどろうとする。
日本を世界にただひとつのユニークかつ優れた「風土」をもつ空間として描いた和辻哲郎『風土論』はその問題性も含めてよく知られているが、冒頭で紹介されているのは、それよりもずっと早い1894年に刊行された志賀重昂(しげたか)の『日本風景論』だ。日清戦争に勝利し欧米諸国と肩を並べる国民国家となろうとしていた当時日本でベストセラーとなったこの本で、志賀は、それまで詩歌で称賛されてきた日本の名勝地ではなく、近代国家日本にとってよりふさわしいと考えられる日本の優れた風景を再発見し定義したという。その中心におかれたのが富士山であり、さらには富士山よりも標高が高い国後島や台湾の高山にまで「〇〇富士」という名前をあたえることで、心理的風景においては富士山を頂上とする「日本の風景」の中に階層的に配置していく操作を行っていたという。
さて本書第一部では、「戦後日本」というナショナルな「風景」の形成過程が、米軍基地とアメリカンカルチャーが満たす沖縄、連合赤軍事件が起きた長野の避暑地、田中角栄の日本列島改造論を通して論じられる。ややつまみ食い的になってしまうが、開発の遅れた「裏日本」という概念が早くも1900年代に登場していたこと、角栄の「日本列島改造論」が、同じ新潟出身の北一輝による「日本改造法案大綱」に影響を受けたものであったということも、本書で初めて知った。
さらに第二部においてはこのナショナルな戦後風景の暴力的解体を示唆する宮崎勉事件、オウム真理教事件、酒鬼薔薇聖斗事件、秋葉原殺傷事件の現場や、村上春樹の小説世界などがルポルタージュ的手法で論じられていくことになる。このあたりが評論家としては本領発揮ということになるのだろうが、こちらはあまりついていけず…暴力と風景の議論も正直あまり納得できる気はしなかったのですが、しかし歴史的事実に関してはいろいろ学ぶところ多い本ではありました。 -
社会
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武田徹節ともいえるハイブリッド的な方法で描かれたノンフィクション+評論。沖縄、ノルウェイの森、田中角栄、宮崎勤などが取り上げられる。膨大な数の参考文献を引用し、風景を読み解いているが、もう少し見たままの描写が多い方がよかった。評論的な部分は、それぞれのテーマで書かれた本があるだけに既視感があった。一冊をまとめるような加筆修正をもう少ししてもよかったような気がした。
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14/06/16。