反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 701
レビュー : 75
  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037641

作品紹介・あらすじ

民主主義の破壊者か。あるいは格差是正の救世主か。アメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、米国のキリスト教が育んだ「反知性主義」にある。反知性主義の歴史を辿りながら、その恐るべきパワーと意外な効用を描く。

感想・レビュー・書評

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  • イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ大統領当選、日本の民主党政権擁立…、マスコミ報道や雰囲気に呑まれて、あまり深く考えもせずなんとなく「感触がいい」からという判断で政治や経済を委ねてしまう、あるいはそういう市民層を意識してあえて分かりやすい行動をとる支配者層…

    俺は、この本のタイトルとなっている言葉の意味を、なんとなく漠然とそういう風にとらえていたのだが、その解釈は間違っていた。
    少なくともこの言葉が生まれたアメリカでは「反知性主義」とは「知性」と対立するものではなく、「知性主義」と対立するものだということ。そして、そこにはアメリカ合衆国誕生から深く根ざすキリスト教が大きく影響していたのだということ。なるほどなぁと目から鱗。

    反知性主義とは知性と権力の固定的な結びつきに対する反感。これが結論なんだが、その反知性主義が成立していく過程をアメリカ宗教(キリスト教)史を通じて分かりやすく書かれていて良い。勿論、宗教史以外から反知性主義を読み解く方法もあるんだろうが、今のところ、俺の中ではこの本の影響大である。

    ただ、日本の「反知性」は困ったもので、「分かりにくい真実より理解しやすい風評」みたいなもっと安易なとこがあるよなぁ。「あの人とは血液型が合わないから付き合わんとき」とか「水素水呑んだら肌ツヤが良くなるで」とか、自分で信じるのは勝手やけど、そういう安易な風評を人に圧しつける風潮、なんとかならんかなぁ。

  • 反知性主義とは何か。
    最近メディアでよく見聞きする「反知性主義」という言葉。日本では意見や考えが違う相手に侮蔑を込めて上品に誹謗したいときに使われる言葉として定着した。
    頭が悪い。なにも考えない。なんにでも脊髄反射する愚かな人々。など・・。
    否定的な意味が染み付いた言葉だが、元々はアメリカで生まれた言葉と考えである。決して日本で使われる否定的な意味はない。むしろ積極的で肯定的な意味があるという。

    「反知性主義」とは知性に反発し侮蔑する考えではない。まして学問を蔑ろにすることではない。「反知性主義」とは知性それ自体の権威化を拒否する。権力と結びついた知性を批判する。反骨の精神で伝統や慣習に囚われず新しい知の世界を作り上げるようとする。
    つまり「反知性主義」とは権威や既存の社会秩序に依存せずとも知性がそれ自体として自立できるという知的確信のことをいう。
    では、その確信を支えているものとは何か。
    キリスト教の信仰である。

    本書は「反知性主義」とタイトルにあるがアメリカがどのようにキリスト教をヨーロッパから受容し独自に発展させてきたかという歴史を建国時から辿る。いわば米国キリスト教受容史である。

    建国初期の頃のアメリカでは、キリスト教の信仰が広まるにしたがい教会の権威化と牧師たちの高学歴化が起き、信仰のかたちが極端な知性主義と権威に包まれる。しかし、そこはアメリカ。米国に土着したキリスト教は二つのベクトルをもつ。ひとつは神と交わした契約を忠実に履行し義務を果たせば神が祝福を与えてくれるという信仰と道徳による俗世の成功主義。もつひとつは神の前では誰もが平等であるという徹底した平等主義。

    この二つのベクトルが作用しエネルギーとなって、権威化した教会や知性に驕り高学歴化した牧師から信仰を個人に取り戻そうという運動が起きる。これが信仰復興運動(リバイバリズム)である。ここに「反知性主義」の土壌があるというのが本書の面白い視点と魅力だ。


    読み終えて思うのが、ハリウッド映画は(本来の意味で)「反知性主義」の内容が多い。本書のなかでもいくつかの映画が言及されている。ハリウッドが描く映画はまさに「反知性主義」に貫かれた人たちが活躍する物語が多い。

    例えば、地球が滅亡したり宇宙人やゾンビが襲ってきたとき勇敢に戦って地球やヒロインを救うのはどこかの研究室のなか机の上で理論を唱えているインテリじゃない。大方は組織に属さないアウトサイダーで、頭が良く知恵があって(まさに反知性主義!)勇敢で行動力がある主人公が事件を解決し危機から皆を救ってくれる。たとえ主人公が学者でも、どこにも属さない在野の研究者やエンジニアがいち早く危機に気づき人々に警告を発し謎を解いたりする。
    おそらくこの先もトム・クルーズやジョニーデップが大学教授やエリートを演じることはないだろう。
    この点に注目しながらこれから映画を観ると、違った面白みが増して楽しめるかもしれない。

  • 佐藤優氏の使っている「反知性主義」とは異なり、著者が使っている「反知性主義」とは、知性を軽蔑する事ではなく、知性が権威と結びつく事への反発であり、何事も自分自身で判断する事を
    求める態度である。

    これは、実はアメリカのキリスト教を背景として生まれた、一人ひとりが神に向かい合う事を大切にする主義主張を源にするもの。

    知性と理性がアメリカのキリスト教においてどの様な影響を与えてきているのかについて分かりやすく述べられています。

  • 昨今の日本における「反知性主義」は、佐藤優が「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義しているように、ネガティヴな意味で使われるケースが多い。著者はそういう側面があるということを認めつつも、しかし、反知性主義発祥の地であるアメリカにおいては、反知性主義はそれにとどまらないもっと積極的な意味を持っているとも言う。それを一言で言うと、「知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である」(p.262)。本書は、アメリカにおけるキリスト教の受容史をたどっていきながら、反知性主義の持つポジティヴな側面を浮き彫りにしていく。

    ヨーロッパのキリスト教はアメリカに渡った途端に土着化して変質した。その特徴を端的にあらわすと、神の前では万人が平等だとする「ラディカルな平等主義」と、人間が信仰という義務を果たせば神は祝福を与えるという「宗教と道徳と成功の直結」、この二点に集約される。紆余曲折を経ながら、両者が一体となって誕生したのが反知性主義である。

    建国当初から平等で民主的な国であったアメリカには、ヨーロッパのような伝統的な権威構造が存在しなかったため、知識人が国家の指導者となったり、権威や権力と結びついたりすることが多かった。しかし、「ラディカルな平等主義」はこれを許さない。すなわち、反知性主義は、知性そのものに対する反感ではなく、知性と権威とが結びつくことに対する反発なのであり、いかなる権威に対しても自分自身の判断で立ち向かっていくという精神態度のことである。その意味で、反知性主義とは「反権威主義」というニュアンスに近い。それがプラスに作用すれば、個々人の自尊心を高め、知性の越権行為に対するチェック機能が発揮され、アメリカの民主主義的な精神基盤を形成することになる。しかし、それがマイナスに働けば、独善的で自己中心的な世界観に立てこもることになる。よく悪くも「アメリカ的」である。

    こうした思想は信仰の確信によって裏打ちされており、それは正しい行いをした者だけが成功するという「宗教と道徳と成功の直結」によって大衆に浸透していく。それはあまりにも単純な同一化であるが、そうであるがゆえに大衆への強い訴求力を持っていた。これら一連の動きを期せずして主導していたのが信仰復興運動(リバイバリズム)である。しかし、リバイバリズムは本質的に矛盾を内包している。富や権力に対する民衆の反感を基盤として巨大化していくその運動は、その大衆的成功のゆえに自らが権威や権力の一部分となって、本来の反エリート主義的な性格を失って自壊していくのである。

    このように、反知性主義にはどこかアナーキーな要素が含まれており、アメリカにおいてリバタリアニズムが説得力を持っていることや、反進化論を唱える創造主義の影響力が強いことなども、こうした文脈で読み解いていかなければならないとする。

    アメリカというよくわからない国を理解するうえで非常に収穫の多い読書体験だった。

    さて、本書の最後に「日本に反知性主義は存在するか」と問題提起されている。そこでは明確な解は提示されていないのだが、自分なりに考えたところでは、「官僚主義」や「岩波文化人」、「大手マスコミ」に対する批判がそれに当たるのではないかと思い至った。本書末尾の著者の指摘はきわめて重要なので、そのまま引用してレビューを終える。

    「知性と権力との固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす。現代日本でこの結びつきに楔を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない。日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々と現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている」(p.275)

  • 反知性主義は、アメリカで独自の進化を遂げたキリスト教が生み出したもの。ピューリタニズムに平等主義とビジネスというアメリカの基本的思想が結びついた。平等主義は学問や芸術に権威を認めない考え方、ビジネスは形而上学問より実学重視の風潮に繋がる。
    ・18世紀の信仰復興運動。印刷業の発展が背景にある。
    ・19世紀の第二次信仰復興運動。メソジストとバプテスト。教派をこえた素朴な聖書中心主義、保守的道徳観の福音主義。

    日本では知的なものを軽んじる否定的なニュアンスで受け取られがちな「反知性主義」は、本来は学問や芸術そのものを否定している訳でなく、それらが自ら権威となることを否定している。つまり自らを振り返るという知性そのものの役割を代替している…という分析。「アメリカの反知性主義」で消化しきれなかった部分が、少し飲み込めたような気もする。

  • 反知性主義とは何か。知性主義に対する反発である。反"知性"主義ではなく、反"知性主義"である。
    この誤解が解けるだけでも、目からウロコ。
    それでは知性主義とはなにか。反知性主義の背景は?
    とても読みやすいが、知らなかったことばかり。
    話題となりながら、明らかに誤解されているワードを正しく理解し、さて、日本ではどうか、自分はどうか考えるきっかけとなる。読む価値あり、と思う。

  • トランプ絡みで聞くことが多い用語で、著者の名はオサレないまどきのライターみたい。てっきり現代社会レポートのたぐいと思いきや、アメリカ史に深く踏み込む内容であり、現在進行形のトランプだのヒルビリー・エレジーだのは(表層としては)関係ない。なお、著者は1956年生まれのオジサンで神学の学位を持ち、ICUの学務副学長を務める「ガチ」である。

    さてその反知性主義であるが、本来は昨今その文脈で使われるところのポピュリズムどうこうという意味ではなく、「反エリート、反権力」のことである。
    代表的なところでは、日本でも奇妙な愚行として語られる反進化論がある。あれは進化論そのものではなく、それをエリートの権力者によって「馬鹿な大衆に真実を教えてやるw」とばかりに押しつけられることに反発しているものらしい。「何を信じ、何を我が子に教えるかは、私(自身の知性)が決める」、かれらはそう言いたいのだそうだ。

    「馬鹿なお前らを啓蒙してやるw」という態度のエリート権力者が嫌われるのはどこでもそうだが、アメリカで特にそれが著しいのは、かの国が人工的にポッと出た近代国家であることに由来するという。
    旧世界に背を向けて新天地をめざした人々に、王も貴族も役人も存在しない。原始時代じゃあるまいし、いまさら「ケンカが強い者」でもない。新しい社会の唯一かつ強力な指導者となったのは、まず何よりも「頭がいい者」であった。
    故郷を遠く離れ、苛酷な環境で何ものも頼れない人々を、リーダーは強力に導いていく。つまりアメリカは、知性が権力に結びつきやすい土地だった。そして(ただでもそうなのに、まして)知性という自己正当化能力に長けた権力は、独善的になりやすい。かくて、それへの強烈な反感が生まれたという次第である。

    そう言われると確かに「なるほどなー」だが、当初は穏健・高邁だった運動が次第に俗化・堕落化していくのはお約束である。
    本書に登場する中で、私が唯一予備知識を持っていたのはビリー・サンデーだが、それは「世界変人列伝」的な本においてであった。最近のかの国のTV伝道師のたぐいについては詳しくないが、ビリー・サンデーの後継者・末裔であると聞かされれば、それもそうなのかもしれない、と腑に落ちた。

    日本は閉鎖的で欧米には自由がある、とよく言うが、実際そうでもないような気がしている。
    革命を扱ったミュージカル「1789」の演出につくづく思ったのだが、フランスでは何百人もの首が斬り落とされてなお、祖先たちが血で勝ち取った「革命」「共和制」を否定することは絶対に許されない。オーストリアも同様だし、アメリカでは「民主主義」「平等」だ。そしてそのいずれも、ここに「唯一絶対なる神」が加わる。総理大臣だろうが天皇陛下だろうが揶揄し放題で、神すら八百万として相対化されている日本は案外、「何でもあり」なのかもしれない。
    とまれ、アメリカの底抜けの明るさと、未来と平等と因果応報(努力は必ず報われる)を素朴に信じる楽観は、特異な魅力の源泉となるかの国唯一のものである。それが「なぜ、アメリカであったのか。なぜアメリカにしかないのか」が、とてもよくわかったように思えた。

    2017/5/20読了

  • 反知性主義を理解するとき、アメリカのキリスト教史の大前提を理解することが必須。この本は最高。時代を騒がせた教会の主役たち、心に語りかけるような筆者の言葉。深くて楽しい講義を聞いてるような素晴らしい本。

  • ここ数年バズワードと化した感のある「反知性主義」について、そもそもの出処であるアメリカの歴史を辿りつつ、「反知性主義」の解説をしている。もともとの提唱者であるホフスタッターの「アメリカの反知性主義」を踏まえながら論を進めていた。
    アメリカでの「反知性主義」とは、いわゆる国内の議論における「反知性主義」の意味とは異なり、知性主義に対抗した「より素朴で謙遜な無知」を尊ぶ運動のことであり、併せてプロテスタントの平等主義、アメリカ国内特有の自然主義と結びついた、国内で使われている意味よりももっと肯定的な意味である。
    著者はあとがきで、確固たる知性があったことが、反知性主義を産むことに繋がったとした上で、日本では確固たる知性がないことを嘆いている。ただ、キリスト教という宗教的バックボーンが国全体に根付いていると思われるアメリカと、日本を比較し、無いからどうとかはちょっと違うのではと感じた。あればいいとも思えないし。

  • キリスト教主義の学校に勤める私にとっては、面白かった。もちろん、その文脈を離れて存在する偉さなどあるべきではないと思うが、その組織運営において、誰もかれも平等だと主張し、組織の長の決定や権威性に反発することは、結局、誰もかれもを責任という咎から自由にし、無責任な言動を取ることにつながると思った。
    また、権威という組織によって生み出される仕組みと、Reflective selfというような誰でも持つ特性が結びつき固定化することが、知性vs平等という反するものとは考えにくい対立を作り出す可能性があることが興味深かった。
    最後に、日本に多くあるキリスト教系の大学は、知性を育むのか、平等を実践するのか、簡単に自由がどうのこうの無邪気に言う前に、自己矛盾を解消した方がいいとさえ思うようになった。私が言ったアメリカのリベラルアーツカレッジは、、多様性を尊重して、もはや礼拝は行わないそうだ。

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著者プロフィール

1956年生まれ。現在、国際基督教大学教授。著書:『使徒信条』、『アメリカ・キリスト教史』(いずれも新教出版社)、Jonathan Edwards and the Catholic Vision of Salvation(Pennsylvania State University Press)、『ジョナサン・エドワーズ研究』、『アジア神学講義』、『アメリカ的理念の身体』(いずれも創文社)、『反知性主義』(新潮社)ほか。

「2015年 『原罪論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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