戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037740

作品紹介・あらすじ

右でも左でもない「史実」をつかむ必読書。なぜ今も昔も日本の「正義」は世界で通用しないのか――国際社会との「ずれ」の根源に迫る歴史シリーズ第一弾。日露、第一次大戦の勝利によって、世界の列強の仲間入りを果たした日本。しかし、戦間期に生じた新しい潮流を見誤り、五大国から転落していく。その三〇年の軌跡を描き、日本人の認識構造の欠陥を読みとく。

感想・レビュー・書評

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  • 「「世界史」と「日本史」に分裂している歴史観を、現代史として一つに統合した上で、二〇世紀前半に国際社会の中で日本が辿った道を描写」した著作。
    「はじめに」と序章で掲げられる本書の目的は「「現代史」を、国際社会の中での日本、という視点から概観すること」であり、「われわれは自らが自由に歴史を考えていると思いながら、色々なかたちで鎖につながれて、視界が遮られている」とし、「イデオロギー的な束縛」「時間的な束縛」「空間的な束縛」という三つの束縛から戦後史を解放して、「戦後史」を位置づけ直すことである。

    著者は歴史認識を共有することの難しさを指摘している。例として挙げられているのは、村山談話を発表した村山内閣内での共有、現代の日本国民の間での共有、第一次世界大戦後のドイツでの共有がそれに当たる。

    歴史認識論は序章で語られる。著者は次のように指摘する。「歴史認識を語る場合には、広い視野と深い知識、そして多様な要因をバランスよく総合する、知的な努力が求められる。それは自らに都合が良くないような事実も真摯に受け止める勇気と誠実さが求められている」。さらに、「まず必要なのは、可能な限り多くの史料を用いて、よりいっそうわれわれが歴史的事実に接近して、いったいなにが起こっていたのか、なにが起こっていなかったのかを、より正確に理解することであろう」と述べ、客観的で公平な視点をもって歴史を見極めることの必要性が論じられる。歴史学の方法論、歴史観や歴史理論についても触れられ、ランケの実証的な歴史学、ランケを批判するもポストモダニズムを前にしてランケを擁護しようとしたエヴァンズ、20世紀における新たな歴史理論を提示したカーなどが紹介される。
    歴史認識問題の一つとして、歴史家が実証的な研究を発展させる一方、運動家や政治が自らの目的を実現させるための道具として歴史を利用するようになったことが挙げられる。
    これらの問題を踏まえた上で著者は「これまでの歴史学の歩みをふまえながら、公平且つ謙虚な姿勢で史実と向き合い、可能な限り広範な歴史的史料を用いて、他者とのある程度の歴史認識が共有可能となるような土台を構築する必要がある。絶対的な歴史的真実を確定することは不可能かもしれないが、それを踏まえた上でなお真摯に歴史に向き合う姿勢を持つことによってはじめて、われわれは前進することができるのではないだろうか」と小括する。カーの主張にも共通する部分があり、謙虚なその姿勢には、まさにその通りであると共感できる議論であった。

    また、「戦後史を知るためにも、「戦後」の前の時代を知る必要がある」と述べるとともに、日本の歴史教育では「世界が出てこない日本史」や「日本が出てこない世界史」が教えられていると指摘した上で、「戦後史の源流を遡り」、「国際社会のなかでの日本のあるべき位置」を考えることで「真の戦後史に接近できるのではないか」と問題提示されている。

    上記の問題提示に基づいて、ナポレオン戦争以後の戦争、特に日露戦争後の歴史が展開される。歴史認識論の記述は主に序章のみにとどまっており、大半は戦争と外交の歴史が描かれる。そこでは主に第一次世界大戦後の日本と国際社会との間の「ずれ」が論じられ、終章ではなぜ「ずれ」が生じるのか、またそれがどのようなものかを理解、認識する必要性を指摘している。そして、戦前の日本で致命的だったのは「国際主義的な精神が欠落して、国際情勢を適切に認識できなくなっていったことであった」という。「だとすれば、国際主義を回復することが戦後の日本の大きな目的でなければならない」との展望が述べられている。

    豊富な史料を用いて多くの註釈を設けている手堅さや、国内外の先行研究を幅広く引用し、要領よくまとめられている点は評価できる。ただし、判然としない記述もあった。戦後史を語るには「第一次世界大戦の時代までさかのぼらなければならない」と言いつつも、ナポレオン戦争や日露戦争まで遡って記述されている理由の説得力が弱い。また、第一次世界大戦後のヨーロッパ諸国では平和を強く願い、戦争を嫌悪したというが、これはナチス=ドイツやイタリアの視点が欠落している。仏印も単に「ベトナム」と記述するにとどまっている。テーマ設定が複雑で本論との整合性がいまいちよくわからない印象もあった。さらに言うと「戦後史の解放」や「歴史認識とは何か」というタイトルは内容と一致しないとは言えないが、やや期待はずれを招く表現かもしれない。

    いろいろと書いてしまったが、端的に言えば、本書の目指す、日本史と世界史の統合、特に世界史の中の日本史像を描くことに関しては一定の成果を挙げているものと言えるだろう。「世界の中の日本」という視点から歴史を理解することを目指したいという想いがよくわかる著作だった。

  • 学習指導要領では「世界史」と「日本史」に分裂しているけれども、近代になればなるほどその分け方は明らかにおかしい。とくに、「日本史」として国内だけの話をするから意味がわからなくなる。
    本書はその課題をクリアにしてくれる。日露戦争あたりからだけども。
    ぜひ、大航海時代からの歴史を統合したバージョンも書いてほしい。


    本書の参考資料の著者たち
    細谷千博(ほそやちひろ)
    秦郁彦(はたいくひこ)
    五百旗頭真(いおきべまこと)
    波多野澄雄
    戸部良一
    北岡伸一
    伊藤之雄
    佐藤卓己
    森山優
    服部龍二
    小谷賢
    奈良岡聰智(ならおかそうち)

    右派ナショナリストは、日本の歴史的正義や国民的プライドの回復を目的に歴史を利用する。
    フェミニストは、女性に対する抑圧への批判として過去の史実を使う。
    ポストコロニアリズムの歴史観では、支配と被支配の関係として世界を展望する。
    日本における女性史研究者は韓国の運動家と呼応して慰安婦問題を使って日本政府を批判する。

    このように戦後史は、さまざまなイデオロギーに束縛され、さまざまな運動に利用されている。

    基本的には2種の歴史観どちらかに偏った著書がたくさんある。
    対米「追随」…アメリカに従う。つまり反中。
    対米「自主」…アメリカに依存しない。ときには中国寄りに。

    陰謀とインテリジェンスは違う。
    インテリジェンスは、あらゆる大国がみずからの安全と利益を確保するために行う活動のことである。
    アメリカの対日政策は、自国の利益に基づいてなされる以上、日本と利益相反となる場合もある。

    アメリカのパワーは強大であるが、万能ではない。インテリジェンス活動によって、朝鮮戦争やベトナム戦争に勝利をもたらすことはできなかった。

    権力政治が支配する国際社会において、より大きな国力を持つ国が、国際政治で多くの影響力を行使して、より多くの利益を得ることは驚くべきことではない。

    1928年8月27日 パリで不戦条約に署名
    1931年10月8日以降 関東軍が爆撃機で中国の錦州を爆撃
    1945年6月26日 サンフランシスコで国連憲章二条四項に調印
    1945年8月14日 日本政府がポツダム宣言受諾を米英に回答
    1945年8月15日 「忠良ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)」に向けた録音放送
    1945年8月16日 大本営から陸海軍へ停戦命令が出される
    1945年9月2日 東京湾上の戦艦ミズーリで降伏文書が調印
    1946年11月3日 日本国憲法公布(第九条含む)

    →終戦は8月15日ではなく、国際的には9月2日。日本国の決断としては8月14日が正しい。

    日本の歴史教育の最大の問題点は、以下。
    ・世界が出てこない日本史
    ・日本が出てこない世界史

    第二次世界大戦以前は、以下3つに別れていた。
    ・国史
    ・東洋史
    ・西洋史

    1951年 第二回学習指導要領において、東洋史と西洋史が結合して「世界史」となる。

    ※ここまでが序章

    牧野伸顕…大久保利通の次男。1918年パリ講和会議で日本代表として参加。帝国主義を控えめに、国際社会における日本の回復増進をはかることを主張した。

    1906年 カリフォルニア州で日系人の学童が隔離される問題
    1913年 カリフォルニア州外国人土地法
    などで、欧米諸国におけるアジア人差別は顕著だった。

    日本は欧米諸国に対して人種平等を訴えていたにも関わらず、台湾領有や韓国併合のより、ナチュラルに東アジア諸国の民族を下に見ていた。ダブルスタンダードであり、普遍的な「人種平等」を求めていたわけではない。牧野はこの日本の外交スタイルを批判し「二重外交」と揶揄した。

    欧米諸国が掲げる「人類平等」「平和」には、アジア人は含まれておらず、東洋は永遠に西洋の奴隷諸国であるとする考えがベースにあったのは間違いない。ただ、それと同じことを東アジア各国に対して、帝国主義的日本がやっていたのは確か。日本が求めた「人種平等」は、欧米諸国における日本国のポジションあげのみを求めていたことに等しい。他のアジア諸国はどうでもよい。
    この主張は、欧米諸国から見ても、納得できるものではないので承認できない(上から目線)

    1915年 中国に対して帝国主義的な二十一箇条を突きつける。これぞ、下に見ている証拠。

    第一次世界大戦後は、欧米諸国において、国際秩序を変革して平和をつくろうという動きが出た。もちろん、欧米諸国が中心となり、東洋諸国は「参加させてあげる」くらいの気持ちで。上から目線。

    日本国内では、海軍と陸軍の予算取り合戦という、なんとも視野の狭い攻防が繰り返されており、それが元でトップダウンにならずに事が進んでしまう。
    トップが国際情勢を見極めていなかったこともあるし、軍が教育課程から国際主義に関するものを撤廃したのも第二次世界大戦の引き金となっている。

    陸軍だけでみても、満州に在留する関東軍が本国の命令を待たずに満州事変を起こし、進軍する。一時的に領地支配が広がったので、関東軍としては功績となる。この軍規律を無視して軍功を上げることが、規律違反とされるどころか、勲章になるとされたことで、トップダウンの体制は崩れた。命令無視しても成果を上げれば良いのだとなる。

    一方、海軍は予算獲得のために、アメリカ海軍拡張計画を主張する。海の驚異に備えるために軍備が必要という言い方。

    ナチスは日本と敵対していたソ連と不可侵条約を結び、イギリスにけしかける。ドイツがイギリスに勝つであろうと楽観視する日本は、日独伊三国同盟を結ぶ。なのに、イギリスには勝てずにドイツは再びソ連進行する。ドイツの二度の裏切りもあり、国際情勢も読めない日本は、アメリカから石油もらえなくなり、油田獲得のためインドネシア目指して南進する。無策で目先のことしか考えない愚策により、八方塞がりとなる。

    陸軍省軍務課の戦争経済研究班の分析により、アメリカとの開戦後2年までは抗戦可能だが、それ以上は生産力の問題で必ず負けるという分析結果が出た。が、しかし、これを東條陸相は机上の演習として一蹴。このときの日本は、合理的な判断はできず、日本特有の場の論理や対外強硬料論が蔓延しており、そこからの逸脱はできない空気だった。

    アメリカとイギリスによる大西洋憲章に示される「民族自決」の理念は偽善だったが、日本が掲げる「アジア解放」の論理も同じ程度の偽善だった。
    ★国際政治の世界において、純粋な正義など存在しない。通常はそれぞれの政治的思惑から偽善を含む正義が唱えられる。かといって、純粋な権力政治が展開することもほとんどなく、多くの場合は「正義の衣」で覆っている。

    誠実な正義感と、権力政治な考慮、冷静な国益の計算のバランスの中から、おおよそ政治的スローガンが生まれる。

    1941年9月から12月あたりの話。
    日露戦争以後大きな戦争を経験していないエリートによる官僚主義、成績至上主義がはびこっていた陸軍・海軍。
    そんな環境下で国際情勢認識を有する人間は出世できず、無能で上司のご機嫌伺いに長けていたものや、人格円満だが決断力に欠ける者たちが出世していた。

    歴史家・森山優(あつし)「日本が戦争に突き進んでしまったのは、陸軍にとっては海軍がやってくれる戦争だという認識があったからだ。対米戦を名目に予算獲得してきた上、1941年9月の御前会議で対米交渉が上手くいかなかったら開戦することを明言してしまったので、海軍は『戦争しない』とは言えない状況にあった。それを見越して、陸軍の東條は対米戦を主張する。戦争するのは海軍であって陸軍ではないから。」

    ※ここまでP.203

    1941年12月8日(日本時間午前1時半)イギリス領マレー半島東海岸コタバルへの日本軍奇襲上陸作戦によりアジア太平洋戦争開幕。
    その2時間後にアメリカ領ハワイ真珠湾への攻撃開始。

    同時期には冬に強いロシアに対して苦戦しているドイツ。合理的な計画や戦略的思考があれば、わざわざ落ち目のナチスドイツ側にまわるという判断をして太平洋戦争を開幕したりしない。

    ★石油資源不足による「自存自衛」が危ぶまれるなら南部仏印からの撤退または、他国から石油を輸入すればよかった。
    ★「アジア解放」を訴えるのであれば、大西洋憲章の民族自決の理念を支持すればよかった。

    日本の官僚や軍人はドイツ留学が主流で、アメリカ留学が少なく、アメリカの強さを理解するものが少なかったのも孤立を招いた原因のひとつ。アメリカの過小評価。

    「太平洋戦争」ではなく「アジア太平洋戦争」

    日本帝国占領経歴
    1941/12/25 イギリス領香港占領
    1942/1/2 マニラ占領→2/15にイギリス軍降伏
    1942/2/15 イギリス領シンガポール占領

    陸軍支配
    米領フィリピン
    英領ビルマ、マラヤ、ボルネオ、香港
    蘭印ジャワ・スマトラ

    海軍支配
    米領グァム
    蘭印ボルネオ
    蘭・豪委任統治領ニューギニア
    豪委任統治領ビスマルク諸島

    1942年4月アメリカ ドゥーリトル隊による東京空襲がはじめて日本が受けた空襲。
    これもあり、そもそも軍人が国際法を学んでおらず、捕虜を蔑ろに扱う方針をとったことで、白人捕虜が大量に殺された。後に、BC級戦犯裁判というかたちで復讐されることになる。

    スターリングラード攻防戦にてソ連が勝利し、ドイツは西へ押し戻される。
    エル・アラメインではイギリス軍がドイツ・イタリア枢軸軍に勝利し、ドイツは北アフリカを失う。
    これらにより、勝利を確信した三大国は1934/12/1にテヘラン宣言。英米露。
    テヘラン宣言前には英米が中国の蒋介石とカイロ首脳会談。アジア太平洋戦域における最高レベルでの協議。

    カイロ会談では、ローズヴェルト大統領と蒋介石総統の間で、日本軍が占領している領土の奪取を確認しているが、「尖閣諸島」は含まれていなかった。しかし、満洲と台湾の返還については強く固執していた。
    ★あくまで、1931/9/18以降に奪った領地を返還する、という明記。1895年に日本が合法的に領有した尖閣諸島は返還すべき領土にはあたらない。

    1943/7/24 ファシスト党のムッソリーニから国王へと権限が移り、ムッソリーニ逮捕でファシズム体制が終了したイタリア。

    大東亜戦争、東條英機率いる日本政府の方針は、アジア諸国の自決ではなく、トップダウンの組織作りだった。
    日本人の人種的優越意識に基づいた勘違いした秩序観であったが、当時の日本はそれを当然のことと理解し、戦争を進めることに拒否する空気ではなかった。
    「大東亜共栄圏建設」は表向き民族自決・民族解放を謳っていたが、まったくもってそうではなく、あくまで帝国日本の資源圏獲得とその有効利用が目的だった。英米が占領し、直民地化していった流れや目的と変わらない。軍部の判断。特に、遠征する海軍の意向が強い。

    1943/11/6 大東亜宣言。この時点でガダルカナルから撤退していて、日本の敗戦は濃厚だったが、アジア諸国を戦争に協力させるために行った。
    日本によるプロパガンダ。「アジア民族の解放」

    重光葵による、水平的な民族間の協力という政策は、垂直的な支配を進める軍部には受け入れられず、孤立していった。

    1945/5/8 ヨーロッパ戦争終結

    しかし、英米露で確認したはずの民族自決の理念に反して、ロシアは自国の利益のため、ポーランドを傀儡政権とすべく、ルブリン政権を擁立。この擁立のために反対派である15人の政治指導者たちを逮捕してモスクワへ連行。
    どんなに綺麗事を言っていてても、結局は自国の利益を優先する。強いては自己利益を求めるのが人間。

    ヨーロッパ戦争終結とともに、ソ連が東ヨーロッパへ勢力圏を拡大。

    1945/4/25サンフランシスコにて国際連合創設のため、50カ国の代表が集まっていたが、ここでもポーランド代表としてどの政府を呼ぶかで米露で揉めていた。

    ローズヴェルトが提唱した「四人の警察官」→英米露中
    ここに、パリ解放でシャルル・ド・ゴール政権になったフランスが追加希望。他4カ国から反対はあったものの、最終的には安全保障理事会の常任理事国となる。国連において拒否権を持つ。

    五大国が拒否権を持っている以上、その大国が平和を破壊するときにそれを食い止める想定はされていない。この点が国連の設立時からの課題。

    国連憲章の全文にある敵国条項は、当時の日本に向けた書き方であるが、日本が国連に加盟したことをもって、この敵国条項は死文化されたというのが世界的コンセンサス。

    1945/7/17 英米露でベルリン郊外のポツダムで首脳会談。この時点で欧州戦争は終わっている。

    1945/7/24 米国で原発実験成功。トルーマン大統領はスターリンに脅威を与える。東西のいがみ合い。

    1945/7/26 ポツダム宣言。

    1945/8/6 広島に原爆投下。
    1945/8/9ソ連の対日参戦。長崎に原爆投下。
    1945/8/10 日本がポツダム宣言受託。
    1945/8/14 天皇がポツダム宣言受託したという電報をスイスへ打った。終戦。
    1945/8/15 玉音放送により全国へ終戦が伝えたられる。

    沖縄、北海道、台湾、朝鮮半島の一部においては、玉音放送は聞くことはできなかった。

    1945/3/26 米軍が慶良間諸島上陸。
    1945/4/1 米軍が沖縄本島に上陸。その後、民間人・軍人あわせて21万人死亡。
    1945/6/23 沖縄守備軍壊滅。
    1945/9/7 残存兵が米軍へ正式降伏。
    1972年まで米軍が占領、かつアメリカ領。

    1945/8/18 ソ連が千島列島に上陸。
    1945/8/20 ソ連艦隊が南樺太の真岡港に入港。その後、死者1000人。

    1945/9/2 東京湾停泊のミズーリ号にて降伏文書調印式。マッカーサー。

    ここまで第2章

    国際政治学者 高坂正堯(こうさかまさたか)「国際政治に対する日本人の想定と現実にずれが原因で、戦前の日本外交が失敗してアジア太平洋戦争に進んでしまった」
    ★ずれがあったとしても、日本は国際社会のなかで生きるしかない。各国が巧みに利益を確保して国民の安全を守るのと同じように、やらないといけない。だとすれば、なぜそのようなずれが生じてしまうのかを理解するところからはじめるべき。

    軍国主義であったことが要因であったかもしれないが、致命的だったのは、国際主義的な精神を養う機会を軍教育から撤廃してしまったことが、日本の孤立化を招いた。
    →つまり、国際主義を回復させることを、大きな目的にすべき。と、戦後に考えられた。

    戦前の日本は「軍国主義という名前の孤立主義」であり、
    戦後の日本は「平和主義という名前の孤立主義」である。

    ★平和主義や戦争放棄の理念は、1928年不戦条約や、1945年国連憲章二条四項にあるにもかかわらず、日本国憲法九条のみに存在するかのような言い方などは、まさに平和主義な孤立。

    島国だから、他国は見えないし、気にならないし、関係ない精神が強くなってしまう可能性。

    ★世界の中からみた日本、という視野で現代史を語ろう。
    →地元から一度も出ずにローカルルールで俺強い、って言ってるDQNみたいなのはやめて、他所の出来事や知識を身につけるよう行動しようぜ。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    はじめにで書かれているように自分たちにとっては最も身近であるはずの現代史は小中高の歴史の授業では一度でも学んだ記憶がない。
    その状況に危機感を抱く著者が現代史に対する認識を改めさせ、より良く現代史を学ぶために本書は書かれていると思う。
    本書で取り扱う時代は日露戦争~太平洋戦争までで戦後史がどのような状況なのかを解説し、その源流として戦前の解説がある。
    日露戦争後から第一次世界大戦にかけての日本は国際社会における自国の立ち位置をしっかりと見極め、国際的な地位を高めていく様子が解説されている。しかし、第一次世界大戦という大きな出来事の主流から外れていたことで国際社会の変化に気が付かず、古い認識のまま国際社会を突き進んだ結果が太平洋戦争に繋がるということがよく分かる。
    これは現代においても同様で、より国際社会とのつながりが重要となった現代の方が国際社会がどのような状況であるかを適切に認識し、正しい選択をすることが国際社会の中で日本の立ち位置をしっかりとすることに繋がるということを指しているのではないだろうか。

  • HY2a

  • ちょっとタイトルから期待した内容とは違ったな。
    歴史認識というよりは「国際情勢の認識」であり、しかも扱う年代の日本の指導者が、どのように国際情勢を認識していたかが検証されている。でも、それは既に先行研究により自明なこと。なぜそういう認識しか持てなかったのかが知りたいんだけどね。
    それにしても太平洋戦争では東條英機が戦犯の筆頭に挙げられるけど、近衛の方が何倍も罪深いと思うけどね。そして近衛って国民に絶大な人気だった事実が開戦の原因なんだと思うんだ。

  • 歴史認識が時事問題化する中で購入した書籍。

  • これは良書であるが、「歴史認識」の在り方そのものを掘り下げているというよりは、基本的には第一次大戦以降の国際政治動向を最新の研究動向を踏まえて叙述した内容。

    現代に通じる多くの教訓を「戦間期」と呼ばれる時代(二つの世界大戦の間、1920-30年代)は含んでいることを改めて実感。
    過去に学ぶ、ということは、「戦争反対」の平和協調主義が力の空白を生む(戦争の原因になりうる)ことの危険から目を離さないということであり、同時にそれは、当時の日本がどうにも正当化できない過ちを犯したことを正視することでもある、ということ。

    文献を詳細に検討して事実(と呼びうる何か)を掘り下げる努力に右翼も左翼もない。

    (以下、備忘メモ)

    ① 大戦の悲劇→国際協調による平和主義→大戦回避失敗→実効性のある抑止、という流れ
    - 欧州では第一次大戦によって1,000万人を超える死者を出した。これにおののき、各国とも真剣に国際協調による平和という仕組みを追求するようになった。1928年の「パリ不戦条約」は紛争解決に武力を用いないことを規定した「戦争放棄」条項を持つことで画期的であった(”Renunciation of war”。これは日本国憲法第9条の「戦争放棄」の訳語でもある。戦争放棄の概念は憲法9条で新しく導入されたわけではない)
    - 一方、わずか1,000人の死者しか出なかった日本はその切実さはなかった。満州事変で国際連盟を脱退した時、欧州を襲った「戦後秩序崩壊」への危機感を日本は共有できなかった。
    ‐ 平和のために軍縮条約を締結し、それが結果的に力の空白を生みナチスの台頭を許したこと、さらにそのナチスへの宥和外交の失敗などの経験から、欧米においては一旦決められた国際ルールを軍事力で変更することへのアレルギーが強固。ちなみに、今ホットな「海洋航行の自由」は、まだ日本と開戦してもいない1941年8月、太平洋憲章という形で英米により発表された。

    ② 「協調主義」に悪乗りした日本という認識
    - 日露戦争のとき、日本の捕虜に対する人道的な扱いは世界の称賛を受けた。国際協調主義のおかげで、国際連盟においてアジア唯一の5大国となる名誉を得た
    - 一方、大国となった日本は協調を軽視するようになった。その象徴が(個人的には大変残念な新しい知識だが)当時の日本は捕虜の人道的扱いを定めるジュネーブ条約を批准しなかった、という事実。日本軍は捕虜になるのを恥としており、軍部は「ジュネーブ条約があれば、捕まっても大丈夫と思う敵軍が冒険的に本土を空襲するであろうから不利である」として反対した。太平洋戦争突入後、シンガポールで大規模な降伏を行った英国が、自国捕虜を条約に即して扱うように日本政府にもとめたとき、我々がした回答は「準適用」であった。結果的に、ドイツ軍の捕虜になった連合軍兵士の死亡率が5%だったのに対し、日本軍指揮下では20%超が死亡した。
    - これも大変残念だが、第1次大戦以降、最初に一般市民を巻き込む都市爆撃を行ったのは(ゲルニカのドイツよりも前に)日本(錦州爆撃)だった。
    - 例えば石橋湛山や吉野作造のように、日本の対中国政策を明らかに侵略的だと批判する人も当時からいた(「・・・鼻息ばかり荒くして、大国民の襟度を以て彼等(中国人)に接することを解せぬから・・・排日の感情を・・挑発する結果に(以下略)」)(吉野作造、P.86)。

  • 非常に面白く、ノンフィクション本としては最も再読したと思う。


  • 戦前から戦後へかけて共通するのは、日本社会・政治の視野の狭さかな。
    平和主義の萌芽を踏み潰した日本に対する世界の眼は、日本人が思っている以上に厳しいんだろう。世界史的な視野を持たない現代の日本人も未だそのことに気づいていないか…。世界で唯一の平和憲法などど誇らしげにしている日本人の、なんと滑稽なことか。

  • 戦後史については、イデオロギーの偏向、時間的な誤り(1945年にいきなり戦後が始まったとする)、空間的な偏狭さ(日本一国のみで判断する)の3つの誤りが重なって、まともな議論ができない状況が続いている。

    本書は、史実に基づいて、また、世界史的な視野から見て、また、戦前の歴史も視野に入れることで、まとまりのある論述になっている。

    知らなかった事実も多かった。

    現在が「一国平和主義」という偏狭な陥穽に陥っているのでは、という末尾の指摘に全編を通した後では深く頷かざるを得なかった。

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著者プロフィール

1971年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程修了、博士(法学)。慶應義塾大学法学部教授
著書に、『倫理的な戦争――トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会、2009年)、『外交――多文明時代の対話と交渉』(有斐閣、2007年)など。

「2020年 『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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