- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106037788
作品紹介・あらすじ
日本にしか見られぬ特殊な時代区分「縄文」は、なぜ、どのように生まれたのか? 「狩猟採集し、貧しくとも平等に集落生活を営む日本人の起源」――学校ではそう教わったはず。だが本当は、戦後、発展段階史観により政治的に作られた歴史概念だった?……。曖昧で多様な時間的・空間的な範囲、階層性を伴う社会構造、さらには独自の死生観、精神文化まで、最新の発掘考古学から見えてくるユニークな「縄文」の真の姿。
感想・レビュー・書評
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「縄文時代」という概念が戦後におけるマルクス主義歴史学の発展段階論に強く規定された時代区分だとして、その見直しを謳う一書。縄文時代の実態は時期や地域の差があって多様であり、一つの文化としてとらえるか複数の文化としてとらえるかは今後の課題だという。ただ、「狩猟・採集・漁撈による食料獲得経済を旨とし、土器や弓矢の使用、堅牢な建物の存在や貝塚の形成などからうかがうことができる高い定着性といった特徴によって、大きく一括りにすることができる文化」(p.232)ということはできる。この時期を一括して叙述するためのタームとして「縄文時代」というタームの有効性はあるという。
結論をよめば時期区分としての「縄文時代」は有効だが、「貧しい」「平等」「未発達」といったイメージは改めるべき、という印象を持った。
また、本書では「縄文時代」という概念を検討するさいに戦前の研究史から話をしている。「若い研究者を中心に研究史をないがしろにする風潮が出てきており、論文を執筆する際にもこの一〇年間程度の先行研究しか引用しないという話」(p.9)も聞くという。研究史を大事にすべきというのは僕も同感で、日本近代史でも戦後歴史学はもはや史学史的検討対象か実証の成果のみがピックアップされがちだが、もっと総体として研究史を大切にすべきだと思っている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
山田康弘
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昭和24年生まれの私が習った時代の縄文時代の記述と、戦後続々と発掘される縄文遺跡の数々。どんどん、新たな考え方、学説が続出している。
そういう経緯を踏まえ、縄文時代とどう付き合っていったらいいのか、著者が、素人が一定縄文時代、縄文文化に接するときの情報整理をしてくれた本ということにいなる。
内容だが、
第1章 縄文時代はどのように語られてきたのか
第2章 ユートピアとしての時代と階層化した社会の
ある時代
第3章 縄文時代・文化をめぐる諸問題――時空的範囲
第4章 縄文のキーワード――定住・人口密度・社会複雑化
第5章 縄文時代の死生観
おわりに
日本列島という大陸から乖離したところで、世界史上でも稀有な歴史を重ね積み重ねた所謂縄文時代。
縄文人が残してくれた「モノ」からその精神文化を我々日本人が未来に向かってどう生かしながら歴史を積み重ねていくのか、今後の研究の成果に期待したいものである。 -
縄文時代という言葉が政治的な意味を持っていて,新たに作られたことは意外な事実だ.また,一律に縄文時代と一括りにできないことやかなり高度な社会生活や優れた文化が発達していた事実も知らなかった.第5章の生死観を読むと,縄文人も現代人と変わらない感覚を持っていたことが分かり,縄文人に親しみを感じた.
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他の縄文本との違いは、縄文人の死生観の記述。墓がご専門ということで非常に面白い。
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講談社現代新書「弥生時代の歴史」と合わせて、同じく歴博の研究者から縄文時代の本が出たので、対比して読むと興味深い。上述の弥生本と同じく縄文時代の定義に加え、本書はより研究史や、縄文時代をめぐる思想について重点を置いているのが大きな違いである。縄文・弥生という時代区分が語られ始めたのは戦後であるというのは初めて知った。それ以前は弥生時代とあわせて「石器時代」として考えられていたという。また縄文時代研究の幕開けであるお雇い外国人モースによる大森貝塚についての研究は「考古学者にすら意外と知られていないことが多い」とのこと。
また、これまで教科書的には、縄文時代と弥生時代の変遷は、縄文時代=狩猟採集で集めた食糧を平等に分けて身分がなく、弥生時代は農耕により格差と戦争が起きる、というように単純化されて書かれてきたが、その点については民族考古学的アプローチまで拡張した上で議論を展開しているのが興味深い。後半は、著者の大きな研究テーマである埋葬方式からの死生観についての記述が特徴的である。全体的に著者の率直な研究姿勢が垣間見れる。