戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編: 冷戦開始から講和条約まで (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106038303

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  • 太平洋戦争の敗戦直後の歴史については、中高の学校の授業では時間切れで教えて貰うこともなく、また大学以降今日に至るまで、個人的にも知りたくないという感情もあり、これまでこの時代の本を手にすることは少なかった。
    その心境に最近変化が現れ、たまたま本書を手にした。
    結果として、読んで良かったと思っています。

    本シリーズは3部作であるが、その最後となる本書に興味が魅かれたので、この本から読み始めた。
    サブタイトルの通り、日本の憲法制定後以降から講和条約までの戦後史であるが、当時の日本の動きというより、世界の動き、つまり第2次世界大戦を勝利に導いた連合国間の協調、特に戦後初期の米ソ協調を基調とした時代から、米ソ対立を基調とする冷戦の時代へと、音を立てて回転し始めていたという時代が、日本にどのような影響を与えたかというアプローチを取っている。

    本書では上記の時代における下記の疑問に答えてくれる最良の道しるべとなると思う。
    ・第2次大戦の連合国間の亀裂の原因
    ・ソ連の膨張主義の背景
    ・アメリカが孤立主義(モンロー主義)を捨てソ連と対峙するに至った経緯
    ・戦後すぐになぜ社会党内閣ができたのか。
    ・日本の「進歩的知識人」の発想と歴史の試練に耐えられなかった現実。
    ・「戦争放棄」「戦力不保持」を謳った日本国憲法を作らせたアメリカが、何故日本に再軍備を求めたのか。
    という疑問に答えてくれる。

    以下、長くなってしまったが、内容を纏めてみた。
    (纏めが長くなってしまったのと、ネタバレなので、それほど興味がない方は以下をカットして下さい)
    *************************

    戦勝国であるアメリカ、ソ連、中国においても戦争を通じて経験した恐怖が、指導者たちの心理に大きな影響を及ぼしていた。
    ソ連においてはヒトラーにより、ある日突然に自国が侵略されるという体験はその後スターリンの心理に恐怖を植え付け、原爆の被害の大きさを知ったときに、歴史が新しい局面に入ったことを実感した。もはやソ連は安全ではない。
    アメリカもまた、真珠湾攻撃という心理的衝撃を経験したことで、自国の安全保障についての深刻な不安を抱えることになる。それまでの自国の孤立を墨守すれば安全が保障されるという「モンロー主義」に基づいた発想は、この戦争を契機に崩れていった。

    そうした中で、ソ連はより広範な自国の勢力圏を確保しようとし、それは西側諸国からみれば、膨張主義であり、また中国で共産党政権が発足したことにより世界は大きく変わっていく。(それはその後の東南アジアでの新しい戦争に繋がっていく)
    イギリスのチャーチルは「鉄のカーテン」を指摘し、アメリカにおいてもジョージ・ケナンは、それらに対して適切に対処する必要があると訴え、アメリカ政府のこれまでのソ連に譲歩を続けていた方針に大きな変化が起こり、米ソ協調から米ソ対立の論理へと、アメリカの対ソ政策が転じていく。

    その時、国内においては、戦争末期の米軍による激しい空爆や原爆により、戦争に対する漠然とした恐怖心と、そのような恐怖心から解放されるような平和を渇望する心情は、実感としても理念としても、日本国民の間で深く根付いていった。
    そして当初、日本を占領した連合軍は日本が二度と他国を攻撃することがないようにすることが重要だと考え、憲法に「戦争放棄」や「戦力不保持」を盛り込んだ。
    さらにマッカーサーやGHQ民生局は理想主義に燃え、文明論的な使命感から日本における精神革命を断行することになみなみならぬ意欲を燃やしていた。
    そのような発想からGHQ民生局は、保守思想の第一次吉田内閣を蛇蝎のごとく嫌い、中道左派政権を望み、公職追放を強力な武器として活用し、社会党などを中心に片山・芦田内閣が成立する方向へ導いた。

    そうしたGHQ民生局の動きと言論界の活況と結びついて、戦争を放棄し戦力不保持をすれば、平和で安全な世界がこれから恒久的に続くものと楽観視するような日本独自の平和主義の思想が醸成されていった。
    具体的には、吉野源三郎が創刊した雑誌「世界」を中心に、清水幾太郎・久野収・丸山眞男らが活動を活発化させてゆき、世論に対して大きな影響力を与え、こののち学界では「非武装中立論」や後の「反戦運動」「日米同盟批判」を唱えるのが、「進歩的知識人」であると称された。

    マッカーサーのGHQが、戦争放棄や非武装の夢を語り、理想を育んでいる間にも、世界では冷戦の進行と、軍事的衝突の勃発の危険が広がりつつあった。
    インド独立後にインド・パキスタン戦争が勃発し、英領マラヤ(マレーシア)では共産主義者の暴動が起き、さらに中東戦争も勃発した。さらに2年後には朝鮮戦争が始まった。
    特にソ連の膨張主義と中国の共産化は、アメリカの対日政策に大きな変化をもたらし、日本での主導権がマッカーサーからアメリカ本国の国務省のケナンやマーシャル国務長官にシフトするという大きな変化が生まれる。

    国内においては、芦田内閣が汚職事件、社会党の左右対立、アメリカ政府の政策転換に翻弄されて、7ケ月の短命で終わり、第2次吉田内閣が発足する。

    そうした世界情勢の中で、サンフランシスコ平和条約へと進んでゆく。
    事前のダレスとの交渉で、特に問題となったのは、アメリカ側の意見として、アメリカに従属した日本ではなく、自立して、自らの防衛力で自国民を守り、この地域で責任ある役割を担えるような国家となることであった。これに対して吉田首相は執拗なまでに抵抗した。後に「吉田ドクトリン」と呼ばれることになる、経済成長と日米同盟重視の外交路線である。
    そして「サンフランシスコ平和条約」締結後に、吉田首相が強調したのは、その「平和条約」の和解と信頼の精神であった。
    これらは何よりも、冷戦という環境下においてアメリカ政府が、勢力均衡の観点からも日本が大国としての国力を回復することを期待して、友好国としての同盟関係の形成と維持を求めたからである。
    過酷な国際政治の歴史を知る吉田から見れば、この対日平和条約は、「過去の平和条約に比べて比類なく公正で、寛大」であったのだ。第1次世界大戦後の「パリ講和会議」や「ヴェルサイユ条約」と比較して初めてその深い意味が理解できるはずであると言う。

    1964年に、このような吉田の外交哲学を高く評価して、さらに学問的な検討を行ったのが、京都大学の高坂正堯であった。
    共産主義思想が学問世界を席巻し、進歩派の思想こそが知識人である証左であるとみなされていた1960年代にきわめて稀な主張であり、激しい反発を喚起することが必至の勇気ある言論であった。

    その後、国際政治の厳しい現実を直視しない戦後の日本人に苛立ち、厳しく批判したのが、政治学者の永井陽之助であった。
    「日本は敗戦後、選択によってではなく、運命によって、米ソ対立の二極構造のなかに、編み込まれたのである。これは米国も同様である。米国は、かつて国際秩序が英仏の手に掌握されている限り、孤立主義を選択しえたが、第2次大戦後、ソ連という強大な新しいパワーに対抗しうる唯一の強国が米国以外になくなったという歴史的運命によって、冷戦にコミットせざるをえなかったのである。これはノーチョイスであった」

    それは憲法制定や、講和条約締結、そして安保条約署名の際の日本の決断の瞬間においても、同様であった。そのような歴史をよく知る吉田茂が宰相だったからこそ、日本は非現実な夢想に酔うことなく、厳しい現実を直視して、その中で困難な交渉に臨み平和(サンフランシスコ講和条約)と安全(日米安保条約)を手にいれたのだ。

    ************************
    以上内容の纏めが長くなりすぎたが、この時期の歴史は学校の授業でも、時間切れでカットされ、今日でも学界・マスコミによって批判が多く、中々分かりにくい時代であると思うが、この本を読んで、一気に目の前が晴れた感じがした。

    著者のいう「政治とは、真っ白なキャンバスの上で、自由に絵の具の色彩を並べる作業とは異なる。国内政治においても国際政治においても多様な制約があって、限られた選択肢の中から最良のものを選ぶことが政治の本質である」という言葉の重みをひしひしと感じる。

  • 本書は「戦後史の解放」というシリーズタイトルの通り、イデオロギーや時間、空間の束縛から離れて、戦後史を語ることを狙ったものだとう。
    素人には類書との比較が難しいが、本書が国内だけの視点ではなく、海外との逃れない関係の中で戦後史をとらえ、戦後の指導者が日本の何を守り、何を変えようとしたのかという視点は新鮮だった。戦後の首相がいずれも元外交官である、という指摘も今更ながら認識を新たにした。
    読み進めたのが、ちょうど平成から令和に変わる時であった故に、新憲法や天皇制の維持などのくだりは一層感慨深かった。

  • 日本国憲法制定、サンフランシスコ講和条約締結、日米安保条約締結の流れがよくわかる。

    著書も書くように、外交は限られた中から最もましな選択肢を選ぶもので、自分の好きに絵を書くようなものではない。

    刻々と動く周囲の情勢を踏まえて決断しなければ、国家の舵取りを誤る。
    国内政治も国際関係も同じだと思うが、後者にしくじりが多いのは何故か。

  • 東2法経図・6F開架 210.6A/Se64s/2(2)/K

  •  本書の出だしの第4章では、冷戦の萌芽やX論文を含むケナンの構想が丁寧に記述されており、国際政治史の本かと思うぐらいだ。だが、それが筆者の狙いだろう。続く第5章では、共産中国の誕生、アチソン・ライン、ダレスの登場、朝鮮戦争勃発という冷戦が進む国際政治と、保守・中道左派・保守の政権交代、吉田政権下での単独講和の経緯という日本の状況が2本の糸のように絡み合っていく。
     著者は丸山眞男や雑誌「世界」に代表される「左派系知識人」に対しては、教養は認めつつも思想には批判的だ。戦前から外交に関わってきた政治家吉田茂と、国際政治を「いままで勉強していなかった」若い政治学者丸山眞男を対比させてもいる。また他の箇所では、占領下日本では、またそもそも現実の国際政治では、実際に取り得る政策の選択肢は限られてくることも書かれている。すなわち、現実という枠の中で、単独講和で西側の一員として生きることにした吉田茂の「主体的な選択」は正しかった、というのが著者の主張だろう。
     なお、米国人の理想主義と英国人の勢力均衡・地政学という両者の思考の違いが時折出てくるのも、元々英国外交が専門の著者故か。

  • http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/603830/


    【〈後編〉目次】
    目次 [003-009]

    4章 分断される世界 013
    1 リアリズムの復権 013
      不安が交錯する世界
      ソ連の不安
      アメリカの不安
      グルーの懸念
      急転する世界情勢
    2 再編される世界秩序 030
      勢力圏分割による平和
      ロシアの膨張主義
      イギリス帝国とロシア帝国
      スターリン演説の衝撃
      「鉄のカーテン」演説の余波
      東アジアの地殻変動
      日本の退却
      イギリス帝国のアジア
      イギリスの帝国防衛
      イギリスの対日占領政策
      若きイギリス人の経験
      マッカーサーとガスコイン
    3 ジョージ・ケナンと日本 057
      ケナンのリアリズム
      「長文電報」の衝撃
      「確固として注意深い封じ込め」
      世界における「五つの拠点」
      ドイツと日本
      日本の戦略的価値
      新しい戦略の胎動
      マッカーサーとケナン
      対日占領政策の転換
      ケナンの見た日本

    第5章 国際国家日本の誕生 083
    1 吉田茂と新生日本 083
      開花した民主主義
      鳩山一郎とウィロビー
      「戦争で負けて外交で勝った歴史」
      娘との散歩
      吉田茂の首相就任
      新憲法の公布
      国際主義者吉田茂
    2 芦田均の国際感覚 101
      中道左派政権の成立
      リベラリストの矜恃
      明治憲法から日本国憲法へ
      芦田修正と自衛権の思想
      芦田修正をめぐる混乱
      「芦田メモ」とアメリカとの提携
    3 吉田茂と政治の保守化 119
      戦後史の転換
      アメリカの方針転換
      新しい政治の始動
      総選挙での勝利
      吉田茂の「非武装国家」論
    4 冷戦のなかの日本 132
      アジア冷戦と二つの危機
      中国問題の重力
      対日講和への動き
      イギリスの勢力均衡観
      「太平洋協定」という構想
      アチソンの憂鬱
      NSC四八/一と戦略の転換
      国際情勢のなかの対日講和
      ダレスの登場
    5 平和という蜃気楼 152
      戦争への嫌悪感
      吉野源三郎と「世界」
      思想から運動へ
      平和問題談話会
      丸山眞男の平和思想
      平和主義の矛盾
      「いままで勉強していなかった」
    6 講和会議への道 174
      二つの要望
      吉田茂の密使
      池田蔵相の渡米
      東アジアの勢力均衡
      ダレスの極東視察
      東京におけるダレス
      吉田=ダレス会談
      朝鮮戦争の勃発
      国連軍と共産主義圏
      サンフランシスコへ向けて
      「太平洋協定」の挫折
      再軍備への道
      吉田茂の宿題
      マッカーサーの退場

    終章 サンフランシスコからの旅立ち 211
      和解の条約
      「戦争犯罪という嘘」
      「拘束と選択」のなかの自主独立
      サンフランシスコへの旅
      サンフランシスコ講和会議
      吉田首相の受諾演説
      二つの条約の調印
      予期していなかった歓迎
      愛国者の独立心
      国際環境と日本の針路
      戦後日本の自主独立 

    おわりに(二〇一八年七月三日 細谷雄一) [243-256]
    註 [257-281]
    図版提供 [282]
    関連年表 [283-286]

  • 卒論へ向けて。
    以下、本書より。

    日本は幸運であった。日本は第一次世界大戦後のドイツのように、「恥辱的な和平」を強制されることはなかった。また、「戦争犯罪という嘘」に対する怒りが、多数の国民の間で爆発することもなかった。さらに、日本は第二次世界大戦後のドイツのように分割占領されることもなかった。あるいは、天文学的な数字の賠償金が科され、日本経済が破綻するようなこともなかった。
    これらは何よりも、冷戦という環境下においてアメリカ政府が、勢力均衡の観点からも日本が大国としての国力を回復することを期待して、友好国としての同盟関係の形成と維持を求めていたからである。苛酷な国際政治の歴史を知る吉田(茂)から見れば、この対日講和条約は、「過去の平和条約に比べて比類なく公正で、かつ寛大」であったのだ。そのような歴史的な視座を持たず、また敗戦国であるという現実を直視せずに、あたかも日本が戦勝国であるかのように、何もかも自由自在に選択し決定できると夢想することは、あまりにも非現実的と言わざるをえない。
    アメリカを中心として作成された講和条約を、それがアメリカの正義を押しつけるものであって、アメリカの利益に基づくものであると批判するのはたやすい。だが、国際政治の基調が、各国が国益を追求する中で、その国の国力が反映されるものであることは、国際政治学の教科書でわれわれが教わる基本でもある。われわれが考慮しなくてはならないのは、歴史上のそのほかの講和条約と比較したときのサンフランシスコ講和条約の特徴であり、歴史上のそのほかの占領と比較したときのアメリカによる対日占領への評価である。われわれは、より広い視野から、より長い時間軸の中で、戦後の日本の歩みを振り返ることが重要であろう。

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著者プロフィール

1971年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程修了、博士(法学)。慶應義塾大学法学部教授
著書に、『倫理的な戦争――トニー・ブレアの栄光と挫折』(慶應義塾大学出版会、2009年)、『外交――多文明時代の対話と交渉』(有斐閣、2007年)など。

「2020年 『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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