謎とき『風と共に去りぬ』 矛盾と葛藤にみちた世界文学 (新潮選書)

  • 新潮社 (2018年12月26日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784106038358

作品紹介・あらすじ

それは時代の先端にして、生まれながらの古典だった。『風と共に去りぬ』は恋愛小説ではない。分裂と融和、衝突と和解、ボケとツッコミ――高度な文体戦略を駆使して描かれたのは、現代をも照射する壮大な矛盾のかたまり。全編を新たに訳した著者ならではの精緻なテクスト批評に、作者ミッチェルとその一族のたどってきた道のりも重ね合わせ、画期的「読み」を切りひらく。

感想・レビュー・書評

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  • 新潮文庫で既に『風と共に去りぬ』の訳を手がけられた、鴻巣友季子さんの『風と共に去りぬ』論。100分de名著の名講義をオンデマンドで見て、すごく面白かったので、これまたようやく退院が見え始めた頃に病室で読み始め…本日読了した。

    初めて中学生で『風と共に…』読んでからずっとの、私の疑問は3つ。

    『アシュリ・ウィルクスとは、本当はどんな男の人なのだろう?(カッコいいって言われる割に、どんな男の人か、性格とか今ひとつよく判らないのよね)』

    『スカーレットって賢いのに、こんなにおばかさんに書かれているのはどうしてだろう?』

    『逆に、メラニーが、ばかだの意気地なしだの(ボロカスに書かれているのに)ひ弱には見えなくて、案外スカーレットと二人、いいコンビに見えたり…。そのくせアシュリを巡っての恋敵なら、私がスカーレットだったら、ウィルクス夫妻、まとめて手を離してしまうのに。なんだ?この関係?』

    ぼんやりと疑問に思い、そして形にはしないで、こうかな、ああかな、と考えてきたことが、疑問氷解!すっきりした。実はこうだったんだよ、ということを詳らかに書いてしまうと、この本の面白いところがネタバラシになってしまうので、自粛しておくけれど。難しいと思って『風と共に…』に???が一杯ついてる方や、映画や小説の、定着したイメージから一度離れて、じっくり小説を読んでみたい方には、面白い本だと思う。

    アレクサンドラ・リブリーの公認続編や、ヴィヴィアン・リーの評伝は読んだし、十分自分は詳しいわ、という方も、ざっと小説を読んだんだけど、という方も。笑ったり膝を打ったりしながら、きっと夢中で読んでしまわれるのではないだろうか。

    ところで。本書に引用されていたミッチェル自身の書簡の訳がとても興味深くて、もし評伝や書簡集も出ているなら、ぜひ読んでみたい。ミッチェル自身は、周到に作品の大ヒットの名声から、一枚ヴェールを上手に身に着け、作品とはまた別の、自分の人生を生きた人のように思えたからだ。

    面白い本に当たると、こうやって深堀りして行きたくなるから、読書ってやつはたまらない。

  • おなじみ、NHK「100分de名著」で取り上げられていた『風と共に去りぬ』。
    その解説をしていた著者による、より詳しく知りたい人のための本だ。
    これだけの名作を読んだことがなく、映画も見たことがなかった。
    だからなんとなくのイメージで、南部のわがままな金持ちの美人さんがニヒルな男性に惚れて振られる話、だと思っていた。
    そもそもからしてほとんど間違っているのだが、なんと!
    スカーレット・オハラはヴィヴィアン・リーのような容姿ではない!
    四角い顔で、つり目、浅緑の目、猪首、低めの身長。
    何も知らない私ですら、ヴィヴィアン・リーの姿は見たことがあり、あのイメージだったのだが。
    著者はコンパクトグラマーと表す魅力のある女性が、原作のスカーレットだ。

    さて、一体何がスカーレットの魅力か。
    それは偏に、彼女の持つ強さと、幼さと、自己中心的な性格にある。
    ヒロインのライバル、あるいは対をなす、対極にいるかのように見えたメラニーが、実は原作の中ではWヒロインとして扱われている。
    聖女、手弱女、純朴。
    そんなメラニーのイメージは覆される。
    182頁からの「黒のヒロイン、聖愚者メラニー・ウィルクスの闇」の章は驚きを禁じ得ない。
    スカーレット、メラニー。
    そもそもこの二人の名前が表すもの、そして、ここぞの場面で発揮される強さや暗さ。
    イメージとは、「幻」だ。

    著者は257頁で「これは恋愛小説ではない」と言い切っている。
    悲恋、泥沼、三角関係。
    そんなイメージばかりが先行しているが、実は全く違う姿がそこにあった。
    フェミニズム的な観点からすれば、「女の敵は女だし、女は弱々しいし、わがまま女は男から捨てられる」というイメージを作ったのはだーれだ、と言いたくなるのだが、またそれは論点がずれるので、指摘に止める。

    面白いのは、67頁。
    『風と共に去りぬ』は壮大なる萌えの物語で、このセリフを誰に言わせるか、なる評論もあるそうだ。
    私なら、ルパン三世の中のキャラクターなら次元大介がぴったりだと思う。

    素晴らしき名作は、母と娘の物語、女同士の友情、力強さを持ってたくましく生き抜く女性の物語だ。
    ってことは、最近の少女漫画、ディズニー作品に通じるんじゃないか?
    今度、原作を読んでみよう。

  • 2015年に新潮文庫からマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」(Gone With The Wind→GWTW)全5巻の新訳を行った鴻巣友紀子氏が、翻訳を通して見えてきたGWTWと、作者マーガレット・ミッチェルがこの大ベストセラー小説に込めた想いを分析した評論。

    GWTWはマーガレット・ミッチェルが10年をかけて書き上げ、発売と同時にベストセラーとなりピュリッツアー賞を受賞した。しかしながら、それだけの功績を挙げながらもこの作品はベストセラーになった→大衆小説という扱いを受けてアメリカの文学史においてもあまり顧みられなかったばかりか、作者であるマーガレット・ミッチェル自身の生い立ちや、作品の時代背景(南北戦争前後)から生まれる人種差別等に対する記述などにばかり注目がいき、その複雑かつ精緻な文体の構成といったテクスト批評がほとんど行われなかったと筆者は言う。
    鴻巣友紀子氏は別のエッセイの中でも翻訳という作業は訳を書くのは全体の作業のごくごく一部でしかなく、翻訳作業のほとんどは繰り返し繰り返し深く原文を読み込み、深く理解する事であるという。
    だから、翻訳するにあたって作品を何度も読み込むことによって、自分自身のGWTW感も大きく変わり、実はこの作品の真のヒロインは強気で強引なスカーレット・オハラではなく、無垢でか弱いと思われがちなメリー、メアリー・ウィルクスではないかと思うに至ったという。
    原文も引きながらの解析は是非新潮文庫版全五巻を横に置きながら読んでもらいたい。
    一度読み終えた「風と共に去りぬ」をもう一度楽しむための一冊。

  • やや論理の詰めが甘い部分が気に掛かるが、いま現在の『風と共に立ちぬ』評論としてはかなりきめ細かく網羅されており、入り口にぴったりな一冊。特にマーガレットミッチェルと母、さらにその祖母との関係から分裂した彼女の女性観を引き出し、それがどうスカーレットとメラニーに影響を与えているのかという部分はかなり説得力のある批評だった。スカーレットとメラニーはふたりでひとりというのは、読解としては分かるが、女性の分裂としては非常に痛々しい。そしてそれは二十一世紀の今も女性が抱えるひとつの痛みであり、わたしがこの物語に圧倒的な強度を感じたひとつのキッカケでもある。しかし、母娘関係の描写が見事であり共感性が高いということ、また女性の分裂したあり方を描き出すということ、それが20世紀前半のアメリカで女性の手によって行われたということごとと、今現在にこの分裂が私たちのあり方に何をもたらすかという問題はまったく別ですね。
    レット=母説はこちらも説得力があるが、まったく救いのない話だ。レットの母性みたいな部分は、逆にわたしはマーガレットミッチェルの先進的なキャラ造形の把握力の凄さとして読んでいるので無視するとして、確かにエレンの死とレットの入隊がオーバーラップしているというのはありえる話だとおもった。しかし、それを取ると物語全体がまったく悲しい話になってしまう。スカーレットは母を追い求め、しかし捨てられ続ける話だし、最後まで母しか愛し、求めていなかったというのはあまりに悲しい。わたしとしては、レットはやはり他者としての男性(=異物)であり、それに出会い損ねた話として読みたいのだが…。結局、スカーレットはアシュリに萌え続けたことにより、現実的に対男性としては目が曇ってアシュリとも出会い損ねたし、レットとも出会い損ねていると考えると、本当に萌えって残念な感情なんだという風に思ってしまう。
    アシュリの性欲の話は、わたしも本文を読みながら「こいつはやけに身体に言及するんだよなあ…」と思っていたので大変面白かった。アシュリ、つくづく可哀想な男である。最後にいくにつれてどんどん「こいつはなんなんだ…」という気持ちで読んだのだが、鴻巣さんの文章を読むと、それはわたしの若さの傲りな感じもしますね。
    なんとまあ、多彩な読みができる小説か!わたしはレットの部屋に一晩メラニーが泊まった時、部屋ではなにが起こったのか。そのことばかり考えてしまう。

  • <主人公はスカーレットではなかった!>

    1936年に発表されて大ベストセラーになった「風と共に去りぬ」は、1920年代、つまり大恐慌の時代にアメリカで執筆されている。
    この未曾有の時代、アメリカは分断の危機にあった。
    丁度、その70年前の南北戦争の時代のように。

    作者ミッチェルは、南北戦争時代を懐かしんで、ノスタルジックな小説を書こうとした訳ではさらさらにない。
    大恐慌時代にある現代アメリカに対する警告の書として、書かざるを得なかったのだ。
    その意味でアメリカを再び分断の時代に落とし込もうとしているかに見えるトランプ時代にこそ読み返されるべき作品として言える。
    (このコメントを書いたのは2019年。今これを読み直している2024年、再びトランプ時代の到来が現実味を帯びてきている)

    作者ミッチェルは、この作品の主人公はメラニーであると発言している。
    主人公はスカーレット•オハラではなかったのだ!
    これには誰もが驚くはずだ。

    「風と共に去りぬ」というドラマは、赤のヒロイン•スカーレットに対して、黒のヒロイン•メラニー(=メラニン)というダブルキャストで演じられていたのだ。
    それも、主役は、メラニー。
    時代に抗うスカーレットは読者の共感を誘うが、所詮は部外者に過ぎない。
    共同体の中心に位置して、常に事態を左右する決定権を握るのはメラニーの方なのだ。
    このことは、映画からは読み取ることは出来ない。
    原作を翻訳した鴻巣だからこその洞察だ。

    作者ミッチェルの秘めた思いから、ヒーロー、ヒロインの関係の構造を炙り出していく手際は、正に「謎とき」の面目躍如だと言える。

  • そんな読み方もできるんだ!と驚きの連続でした。
    スカーレットとメラニーの友情?が大好きです。

  • 風と共に去りぬは疾走感溢れる大作で、主人公スカーレットの魅力と相まって、あの長大なボリュームをものともせずあっという間に読める小説だ。もし映画を先に観ていれば、スカーレットとレットの恋物語が最も印象的だろう。しかし本を読んでみると気づく、「あれ、レットってなかなか出てこないな」というほんの小さな違和感… 本書は、翻訳者ならではの丁寧さで、それら違和感を拾い上げ、風と共に去りぬの新たな側面を開いてみせる。読み終わったら、同作がもう一度読みたくなること間違いなし!

  • 私の中で風と共に去りぬフィーバーが来たものの語り合える人もなく、ただただエンディングに喪失感を覚え、私なりの答えが欲しくて購入。
    この一冊を読んで何だか風と共に去りぬについて人と意見を交わしている感覚になって満足です。またいつだって人からの影響を受けるにしても自分の解釈でしか物語は消化できないものなのだと改めて感じました。
    私は岩波文庫で読んだので、著者の新潮の方にもいつかチャレンジしたいです。

  • 鴻巣友季子さんの新訳を読み終えてから、手に取りました。
    風と共に去りぬの世界をじっくり探検してみる水先案内人のような本で、彼女の視点、ひとつひとつが興味深かったです。

    確かに、風と共に去りぬは、女性が女性を描いた物語で、作者が意識的か無意識にか、そこに込めたものに、翻訳者が共鳴して、読者である女性の私も共鳴してるとこがあるのかも知れません。この本を読んで、その視点に気が付きました。かの林真理子さんも、今、風と共に去りぬを題材に書かれているし。

    今も、昔も、女性ならではの枠に押し込められている感覚はあり、その枠を思いっきり叩き壊したい衝動に駆られたり、その枠の中で、社会に受け入れられて生きているように見える一つ上の世代に反発を感じたり、しかし、ある時、一つ上の世代の女性が、枠にはまっているようで意外にしたたかに自分の能力を生かしていることに気がついたり、というのはあるのかも。スカーレットの母なるもの(エレンやメラニーや・・・)からの自立、親離れの物語として、読めるのだというのは、面白かったです。

    もちろん、他にもいろんな視点から、風と共に去りぬは読めるし、そのたびに違う輝きを見せるのでは、と感じるだけでも、この本は面白かったです。

  • 鴻巣訳じゃないけど原作も読んでるのに、やっぱり映画の印象が強いんだなあ。「え、そうだっけ」「あれ、そんなこと書いてあったっけ」というのが多かった。物語に対してもだけど、アシュレの見方がちょっと変わった。

  • 真面目な真面目な「風と共に去りぬ」評。
    これまでの通説を覆す、世間の評価は間違ってる、との評論だけどこれまでの通説を知らないのだから、その辺はなんとも感情移入しにくい。
    でも、まぁ、面白かったよ。

  • 私も勝手に「風と共に去りぬは恋愛物語ではない」という視点で読んでいたので訳者さんと微妙に意見が一致して面白かった。メラニーとの熱い友情を楽しむ物語だと思っている…。で、最終的にはオープンエンドだけど、明らかにレットよりスカーレットのほうが全てにおいて力量が上だから、よりを戻すというかレットが逃げ切れるわけがないと思い込んでいる自分がいる。

  • よく知らなかったミッチェルのことを知れたのは、良かった。メラニーが真の主人公だったんだね。まあ、た確かに一番深みはあったのかなあ。でも、彼女も嫉妬心があったみたいなくだりはよく分からなかった…。

  • 100分de名著で観てとても面白かったのでこちらも。映画は観たけど原作は読んでないので読みたい。鴻巣さん訳で!

  • どうしても映画版にひきずられること含め、いろいろ看破された感じ。さすがご慧眼! 鴻巣訳で再読しようかという気持ちになりました。

  • かぜともファンには垂涎ものの本だろう。
    時間がなくて飛ばし読みだったけど、スカーレットより、
    メラニーの方がいざとなったら腹が据わっていて度胸があるというのは新しい視点。

  • 2018.12.31

  • 「これまでの章でも、叙法や話法の読み違いから、テクストの意図を誤解しがちなケースについては触れてきた。作中に偏見的な表現や暴言、あるいは人種差別団体などが登場すると、作者がそれを肯定、もっと言えば称揚していると、なぜか考えられがちである。/これはすなわち、「なにが書かれているか」ばかりを注視し、「どう描かれているか」を適切な距離をもって見られない事に起因するのではないか。」

  • 再読しているときは、それこそ夢中で読み終えた『風と共に去りぬ』。
    その謎とき、深掘りに本書は大成功している。

    何が書かれているかではなく、どう書かれているかに注目するのは翻訳者ならではの視点。そこに注目するとき、とびっきりのドライブ感がなぜ生まれるか明かされる。

    スカーレット/メラニーの分裂・協調、アシュリの性欲への着目、エンディングの評価、そして主要4人の密接度などどどれも冴えている。全体的におぼろげに夢中で読んだ原著の輪郭がはっきりした。

    結語の「この傑作のテクストの下に、発動機の危うい喘ぎや細かい震えを、いまのわたしは感じざるを得ない」には、わたしは恐れをも抱いた。

  • 映画の印象が強すぎる作品を読み解いていく面白さ。10代の頃読んだ時は映画のシーンを思い返すだけであったことを痛感(映画に出ない人物の存在すら読み飛ばしていた模様)鴻巣訳も買い揃えたので近々読み返す。

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著者プロフィール

英語翻訳家、文芸評論家。古典新訳にマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、シャーロット・ブロンテ『嵐が丘』、他訳書に、J・M・クッツェー『恥辱』など多数。著書に『翻訳ってなんだろう?』、共著に『翻訳問答』など。

「2020年 『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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