バカの壁 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 9859
レビュー : 1079
  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106100031

作品紹介・あらすじ

イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人は、なぜ互いに話が通じないのか。そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 多くの人が、「バカの壁」という言葉の意味を勘違いしているのではなかろうか。つまり、相手がバカだから話が通じない、と思っているのではないか。
    この本のいちばん最初に出てくるエピソードだが、学生にお産のビデオを見せて、その後でレポートを書かせる。すると、女子学生は「大変勉強になった。新しい発見がたくさんあった」と書いたのに対し、男子学生は「保健の授業で習ったようなことばかりだ」と、まったく反対の感想を書いたのである。
    これを「男子はバカだから」と片付けることもできようが、養老先生はそうじゃなかった。男は出産をすることがない。だから、男子学生はどこかで「自分には関係ない」と思って見ていたのではないか。
    人間は「自分には関係ない」と思うと、無意識のうちに壁を作ってしまう。それが「バカの壁」だ。壁を作っているのは、相手の方じゃなくて、お前さんかもしれないよ。養老先生はそう言いたかったんじゃないだろうか。

  • ブックリサイクルで20円で購入。面白かったけど難しい部分もあり、「ほぉ」と「わけわからん」の波状攻撃でした。だけど帯の「話せばわかるなんて大うそ!」が腑に落ちてスッキリする。

    「個性」、身体を忘れた日本人、忘れられた無意識、キレる脳、身体を動かせ、神より人間が印象深い。

    ・往々にして入力ばかりを意識して出力を忘れやすい。身体を忘れている、とはそういうことです。(94ページ)
    ☆便利になるということは身体の存在を忘れてしまいやすくなる。

    ・意識的世界なんていうのは屁みたいなもので、基本は身体です。身体がだめでは話にならない。
    ☆なるほど。健全な心は健全な身体があってこそか…。妙に説得力がある。

    前半と後半では内容が違っていて、途中で区切ってしまうと翌日意味が分からなくなるので、勢いをつけて読まないとならないけど、難しい…というジレンマ。入力出力を繰り返して再読を繰り返すと、きっといいと思う。読み返し本棚に常備かな。お次は「死の壁」を。

  • 「「平成」をふりかえる」という企画展示に関連して、平成の30年間のベストセラーをいろいろ読み始めようと思い、手に取りました。

    発売当初から各方面から注目された話題書であったこと、また養老孟司のキレのある筆致で社会に漂う閉塞感や「いきづらさ」の文責がなされていること(執筆されたのは15年以上前になりますが)など、まさに「平成」を代表する1冊であるように思います。

    「個性」を尊重する風潮に対する批判は、いわゆる「自己責任論」などにもみられる共同体の崩壊とも関連する部分があるように思いましたし、冒頭の「第1章 「バカの壁」とはなにか」は現在の中学高校生にもぜひ読んで欲しい本です(もちろん、その後の議論も難しい内容ではないので、最後まで読んで欲しいところではありますが)。

    議論の展開として、過激な部分や極端な部分もあり、作品の全部分についてもろ手を挙げて賛同する、とまではいきませんでしたが、平成の後に来る時代を生きてゆくうえでもヒントとなると思います。

    また、個人的には「文武両道」という言葉についての記述も強く印象に残りました。

    P.94~
    江戸時代は、脳中心の都市社会という点で非常に現在に似ています。江戸時代には、朱子学の後、陽明学が主流となった。陽明学というのは何かといえば、「知行合一」。すなわち、知ることと行うことが一致すべきだ、という考え方です。▼しかしこれは、「知ったことが出力されないと意味がない」という意味だと思います。これが「文武両道」の本当の意味ではないか。文と武という別のものが並列していて、両方に習熟すべし、ということではない。両方がグルグル回らなくては意味がない、学んだことと行動とが互いに影響しあわなくてはいけない、ということだと思います。

    何はともあれ、「自分が正しい」と思いこんだり、「自分なりの”個性”を出さなくては」としゃかりきになったりすることなく、様々なものに目を向け、「知る」ということ、実物を見て考えるということを大切にする必要がある、という話なのだと思います。

  • /*/ 「なるほど…」と納得 \*\





     (→タイトルを受けて…)そしてその納得は
    良い意味での諦めへと移行していく部分もあり…

     個人的な感想ですのでお仕着せでは言えないが。

    私の場合は特に…
    性別を問わずして「未経験者」と「経験者」との間で
    生じがちになる思考の違いや、
    「男と女とでの捉え方の相違」、
    物事に於いて「心に掛けるフィルター」
    それ自体が
    人さまざまに異なった色を映しだす…

    といったようなことをひじょうに分かり易く
    展開させ説明されている部分に納得すること頻り。

    馬鹿はしななきゃ治らない?いや、死んだらおしまい。

    要はその前に、
    少しでも相手(異性・異なる性格の人)を
    総括的に捉える手段として、
    「この人は、こうだから無理ないのだ」的なフィールドから
    相手を眺めることができるようになった気がする。

    時にはマンウォッチングのようなものをしながら、
    「短気野郎」「上から目線野郎」
    「常に高飛車にでてくる者」「知ったかぶり野郎」

    そんな方たちと相対する時に、
    養老氏の分析がどこかで大いに役に立っている、
    そんな感じがしてならない。

    ときどき読み返したくなる充実の一冊だ。



    【2015-11-13(Fri) 追記】

    生命の生産、出産、育児(育メンも居られますが、ここでは敢えて度外視とさせて戴いての追記とします。なにとぞ悪しからず)は、女性にのみ神が与えし歓喜と苦痛の試練。
    そこで生じる心身の苦痛は、男性(夫・父親)には男性なりの責任感としてお有りでしょう。

    実質、出産の苦痛はおおよそ殿方にとっては、想像の範疇から脱し得ないものがあるかと。

    ここで、言い添えたいと感じ本日この追記に至ったのは…
    『男女の肉体構造の相違の裾を拡げていくと更に、生まれも育ちも違う人々がこの地球(ほし)で共存共栄していかねばならない訳で…
    想像域で凝り固まった思考を押し通していたのではいけないーーー
    変わってはいけないものと、柔軟に受けとめられる理解力に富むことが、時にとても大切であるということ』

    それを改めて感じている自分が居ることを今宵ここに書き記しておきたかった次第である。

  • “最近の若者は〜”という決めつけている文章に不快を感じた。

    「知りたくない知識に耳をかそうともしない奴に何を説明しても無駄である。」とかいうような文章が多く“なんて口悪いんだろう”と思った。

    しかし、頷ける部分も多々あった。

    「当たり前」「知ってる」と言ってしまったら思考が停止してしまうということには“なるほど”と納得した。知識は積み重ねで沢山吸収していくものなのである。

    又、「私は私」と生きることが大切であり、周りの情報に流されてはいけない。強い意志を持って行動することが大切である。

    文章がすっきりしていて、説得力があるし、面白い。

    でも、こういうタイプの教授にはつきたくないと思ってしまった。

  • 養老先生が語ってきたことを編集者がまとめた形の著者のため、話が散乱している印象だけど、何とか読み解ける部分もある。

    そもそも「バカの壁」とは何なのか。
    それは「こうに違いない」「唯一の正解はこうだ」とする「一元論」にはまり込んでしまった人に立ちはだかる、強固な「フィルター」であり「楔」だ。
    その向こう側にいる人のことが全く見えなくなる。そしてひょんな事で向こう側の人と対峙すると、相手を「おかしい」「危険だ」とみなしてしまう。

    一元論にはまりがちな人は、自分を絶対視する。「揺るぎない自己」を信じて、「個性」を過剰に重んじる。
    本当は個性なんて生まれながらに備わっている身体そのもの。共通理解、言語を用いた論理性を身につける過程で自ずと与えられているものに気付くものだ。
    「個性を伸ばせ」より、「人の気持ちが分かるようになれ」と、教育し、与えられているものを自他ともに発見することが大切。

    「頭が良い」「利口だ」とは、相手の気持ちが分かり、相手が納得するような「共通理解」作り出す、論理性、言語力があることだ。それでしか測れない。とさ。

    もひとつ、「無意識」を意識し、「身体」を思うように動かせるようになることの重要性。
    現代は脳化社会で考える時間が長く、例えば農作業だの工場作業だの肉体労働をし考えるより手を動かす、なんてことが減った。結果、体の取り扱い方が分からなくなる。ヨガだの瞑想がもてはやされるのはその反動か。
    考えていることと行動が一致するためには、「意識」も「無意識」も自分の一部だと分かっておき、どちらも大切にすること。

  • #読了 2019.4.27

    先日読んだ「天地明察/冲方丁」の解説を養老孟司さんが書いていて、そういえば長年積読に混ざっていたなと引っ張り出した次第。
    出てくる話は2003年当時の感覚のものが多いので、当時を知らない人には正しくニュアンスや温度感が伝わらない箇所もあるかと思う。

    たとえ自分の中でそれが真実でも、相手の中での真実が別に存在することもあって、それがお互いの正義となってぶつかることがあると思う。それはそれでしゃーなしで。
    ただ。相手を否定しなければ自分が肯定されないってわけじゃないから。自己肯定のために相手を攻撃するのではく、むしろ他人に対してもう少し我慢したり、許容したり、ときに無関心になってもいいんじゃないかなぁ。

    2003年発売のこの本、私は当時大学二年生。確かにそういう時代だったなぁと思い返しながら読んだ。
    高校入学に合わせて、周りの子達はPHSを買ってもらう時代だった。うちは厳しかったので私は大学一年生のときにバイトをして初めて自分の携帯電話を持った。そういう時代。
    携帯電話が1人1台になり始め、大学でもパソコンの授業が始まり、いつでもネットに触れる環境になりつつも、それでもネットやパソコンに詳しい人はオタク扱いされ、それをオープンに自負できるような空気ではまだまだ無い頃。
    辞書を引くより、ネット検索することが多くなり、メールが頻繁になり、コミュニケーションの仕方も大幅に変わっていった、そしてゆとり世代前の勉強詰め込み世代であり、且つバブルを知らない世代。自分で言うのもなんだが、上の世代から見れば、社会で戦う馬力は弱いが勉強だけは頑張る、養老孟司さんが言う通り、すぐ正解を知りたがる世代、だったかもしれない。(その後にもっと馬力の弱い世代が来るのだがそれは置いといて)

    大卒が当たり前になり、特別なステータスではなくなった。大卒でもフリーターになることを世間に黙認され始めた頃、不景気と言われながらもリーマンショック前の景気あたりは契約社員や派遣社員などの非正規雇用社員を増やした頃だとも思う。

    そんな時代背景もあってか、当時は確かに「個性」とか「手に職」とかよく言われていたように思う。
    そこに疑問を投げかける点など、とても養老孟司さん節!という感じがした。

    この本の要点は、つまり一元論は危険だと言うこと。これは当時まだ記憶に新しい95年地下鉄サリン事件、97年京都議定書、2001年アメリカ同時多発テロ事件、などの時代背景を根拠に話が進められていくが、2019年この時代においても当てはまることだなぁと思う。
    2003年当時のメインSNSはmixiだったと思うが、その後Twitter、アメブロ、Facebook、Instagram、LINE、TikTokなど様々なコミュニケーションツールで情報収集すると同時に、自ら情報を発信し、まわりがそれに反応するというコミュニケーションを取るようになっていった。その多くが本名を隠してコミュニケーションが取れるわけだ。
    それはこの本がバカ売れした2003年当時よりも一元論者(自覚、無自覚ともかく)が増える環境であると思う。"炎上"などは正しい反応もあるけど、おおかた一元論者ばかりが反応する現象だなぁと思ったりする。(それが商法として成り立ってしまってはなんとも言えないが。)

    元々、私は多分自分の意志が他の人より強くて声も大きいタイプだと思うから、普段から一元論者にならないよう気をつけようと心がけてはいる(つもり)ので、作者の主張には基本的に共感する部分が多かった。
    今後も自分の意志を持ちつつも盲目的にならずに広い視野でいろんなものや人と関わっていきたいなぁと思う。

    あとは、そうだな。
    養老孟司さん独特の強めの言い回しが、一元論に聞こえるような部分がある気がして。
    まぁ、そこは「雪が溶けたら何になる?=春になる」と答えるような文系頭の私にはド理系の強さにあてられただけかな?(笑)

    普段、小説ばかり読んでいて久々にこの手のを読んだ。頭使うね(笑)
    ほら、小説って作者自ら「どういう風に受け取るかはあなた(読者)次第ですよ…うふふ」みたいな空気あるけど、この手のは「私はこう思っているのだ!それが伝わるよう最大限努力して綴った文章だ!どうだい?伝わったかい?」ってかんじじゃない?(違う?w)
    正しく読み取ろう!って部分に関しては普段甘えて読書してたなぁって気付いた。
    まぁ。だから小説が好きなんだろうなぁ。相手の気持ちを正しく読み取ろう!なんてパワーの使い方は、普段の人間関係(ネット含む)の中だけで充分です(笑)
    自分が受け取ったままに受け取っていい小説がひとつの癒しです。
    と言いつつ、この手のもたまには読んでいきたいなぁ。

    ◆内容(BOOK データベースより)
    イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人は、なぜ互いに話が通じないのか。そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。

  • 養老さんがいろんな本とか対談の中で語ってきた要素がギュッと凝縮されてる感じ。
    放っておいても出てきちゃうのが個性とかって言われると、個性を求められるコミュニティの中で育ってきた自分からすると救いのように思えた。馴染むこと、他人の気持ちと寄り添うことでいいんじゃん、と。
    養老さんには長生きしてほしい、もっとこれからもいっぱい養老さんの言葉を聞きたい。



    ▼以下メモ

    イデオロギー
    人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。

    蓋然性
    その事柄が実際に起こるか否か、真であるか否かの、確実性の度合。

    語感から入力して運動系から出力する間、脳は何をしているか。入力された情報を脳の中で回して動かしているわけです。この入力をx、出力をyとします。すると、y=axと言う一次方程式のモデルが考えられます。何らかの入力情報xに、脳の中でaと言う係数をかけて出てきた結果、反応がyと言うモデルです。
    この回と言うケースは何かと言うと、これはいわば「現実の重み)とでも呼べばよいのでしょうか。人によって、またその入力によって非常に違っている。通常は、何か入力xがあれば、当然、人間は何らかの反応する。つまりyが存在するのだから、家もゼロではないと言うことになる。



    本来意識と言うものは共通性を徹底的に追求するものなのです。その共通性を徹底的に確保するために、言語の論理と文化、伝統がある。
    人間の脳にも特に意識的な部分と言うのは、個人間の差異を無視して、同じにしよう、同じにしようとする性質を持っている。だから、言語から抽出された論理は、圧倒的な説得性を持つ。論理に反すると言う事はできない。

    知ると言う事は、自分がガラッと変わることです。したがって、世界が全く変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までとほとんど同じ世界でも。

    意識にとっては、共有化されるものこそが、基本的には大事なものである。それに対して個性を保障していくものは、体であるし、意識に対しての無意識といってもいい。

    具体的なりんごを見ている場合と、りんごをイメージしろと言った場合で、実は脳内の資格家ではほとんど同じ活動が起こる。そうでなくては、イマジネーションだけで絵を描くことはできない。
    つまり、リンゴと言う言葉が意味しているものは、一方は外からのりんごだけれど、もう一方は脳の中でのりんご活動です。リンゴと言う1つの言葉が、その両面を持っている。このことは、西洋語の中に極めてわかりやすい形で出てくるから、まず西洋哲学の問題になったのです。

    仕事が専門家していくと言う事は、入出力が限定歌詞されていくと言うこと。限定化すると言う事はコンピューターならば1つのプログラムだけを繰り返しているようなものです。健康な状態と言うのは、プログラムの編成替えをして常に様々な入出力をしていることなのかもしれません。

    「自己実現」などと言いますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いて言えば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、と言う事です。とすれば、日常生活に於いて、意味を見出せる場はまさに共同体でしかない。

    利口、バカを何で測るのかと言えば、結局、これは社会的適応性でしか測れない。例えば、言語能力の高さと言ったことです。
    社会的に頭が良いと言うのは、多くの場合、結局、バランスが取れていて、社会的適応がいろいろな局面でできる、と言うこと。逆に、何か1つのことに秀でている天才が社会的には迷惑な人である、と言うのは珍しい話ではありません。

    人間の反応は、刺激に対して神経細胞が反応するかどうかで変わる。

    サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人というのは、仕事に忠実じゃないと食えない。自分のつくる作品に対して責任を待たなくてはいけない。

    学問というのは、生きているもの、万物流転するものをいかに情報という変わらないものに換えるかという作業。

    バカの壁と言うのは、ある種、一元論に起因すると言う面があるわけです。馬鹿にとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在していると言うことすらわかっていなかったりする。

  • 2003年発行のベストセラー。

    著者は、「万物流転、情報不変」、「無意識と意識」、「身体と脳」、「共同体」などについて、「思考停止を招いている状況、あべこべの状況」になっていることを縷々述べている。その上で、一元論(都市化、情報化から出てきた一神教)を否定し、物事を相対的に捉える日本古来の二元論で行くべしと言っている。そして、絶対的な原理主義に代わる普遍原理として、「人間であればこうだろう」という「常識」を挙げている。

    面白かったのは、ホームレスは「働かなくても食える」究極の形。合理化合理化で働かなくても食っていけるようになった暁に人間は何をすべきか考えよ、と指摘している点。この問題、AIの導入や高齢化により、今後益々切実になるだろうなあ。

    抽象的で分かりにくい部分もあり、本書はあまり響かなかった。あんなに売れたのは何故なんだろう。

  • 31.10.08.二時間半ほどで読了。色んなところでいろんな人が話してたり感じてることを綺麗にまとめてた印象。もしくはここからみんなが影響を受けていたのか。話しても分からないひとがいるというある種の諦めの理由として納得出来そうだが、そういう人に変わってもらいたい場合、どうしたもんでしょうか?

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著者プロフィール

解剖学者

「2019年 『世間とズレながら、生きていく。(仮)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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